堂安律の国籍は日本!韓国説の真相と母方のルーツ・両親を解説

堂安律の国籍は日本!韓国説の真相と母方のルーツ・両親を解説

堂安律の国籍は本当に日本なのか、韓国人やハーフではないかという噂を目にして、気になっている方もいるかもしれません。結論からいえば、日本代表として長年プレーしている堂安律さんの国籍は日本ですが、名字の珍しさなどから噂が広がったようです。

母方に沖縄の伊良部島があるという堂安律の国籍とルーツや、堂安律の国籍と両親の出身地についても関心が集まっています。堂安律の両親がどんな仕事をしているのか、堂安律の結婚はいつ発表されたのかも見ていきます。

向陽台高校で過ごした堂安律の高校時代、堂安律の妻との出会い、堂安律の嫁は何者なのかという疑問にも触れます。堂安律の兄二人のサッカー人生や、ワールドカップで堂安律が交代時に見せた怒りの場面も取り上げます。

本記事では、堂安律の国籍の真相から家族のルーツ、結婚や妻のことまで、報道や公式の情報をもとに詳しく解説します。ぜひ最後までご覧ください。

堂安律の国籍について解説

  • 国籍が日本である根拠
  • 国籍に韓国説が出る理由
  • 国籍とルーツをたどる
  • 国籍と両親の出身地
  • 両親の仕事と人柄
  • 兄二人のサッカー経歴

国籍が日本である根拠

堂安律さんの国籍は日本です。日本代表としてワールドカップのピッチに立ってきた選手ですし、公式のプロフィールにも国籍は日本と明記されています。このセクションでは、その根拠を公式情報から順番に整理していきますね。

公式プロフィールにも国籍は日本と明記されている

サッカー専門メディアのゲキサカが公開している選手名鑑では、堂安律さんの項目に国籍:日本とはっきり書かれています。生年月日は1998年6月16日、身長172cm・体重70kgで、ポジションはMFです。出身は兵庫県尼崎市で、育成年代はガンバ大阪のジュニアユース・ユースで過ごしました。

項目 内容
名前 堂安律(どうあん りつ)
生年月日 1998年6月16日
出身地 兵庫県尼崎市
国籍 日本
身長・体重 172cm・70kg
ポジション MF
経歴 G大阪ジュニアユース〜G大阪ユース〜G大阪〜フローニンゲン〜PSV〜ビーレフェルト〜フライブルクなど

年代別から続く日本代表の歩みが何よりの裏づけ

国籍の根拠として分かりやすいのが、日本代表としての長いキャリアです。ゲキサカの代表歴を見ると、2013年のU-15日本代表から、U-16、U-17、U-18、U-19、U-20、U-22、U-24と、ほぼすべての年代で日本代表に名を連ねてきたことが分かります。

A代表デビューは2018年9月11日のコスタリカ戦で、その後は2019年のアジアカップ、2022年のカタールワールドカップのメンバーに選ばれました。2026年には北中米ワールドカップにも出場しています。十数年にわたって日本代表のユニフォームを着続けているという事実は、国籍を考えるうえで一番の証拠といえそうです。

年 主な代表歴
2013年 U-15日本代表
2017年 U-20日本代表(U-20ワールドカップ)
2018年 A代表デビュー(9月11日・コスタリカ戦)
2019年 アジアカップ
2021年 東京五輪(U-24日本代表)
2022年 カタールワールドカップ
2026年 北中米ワールドカップ

代表資格のルールから見ても日本国籍が前提になる

サッカーの代表チームには、その国の国籍を持っていることが前提になります。ほかにも、他国のA代表で公式戦に出場していないことといった条件が絡んでくるので、日本代表として長年プレーしている時点で、日本国籍を持っていると考えるのが自然です。

ここで押さえておきたいのは、日本代表に入り続けている選手の国籍は、日本だと判断して問題ないという点です。国籍は代表資格の入口にあたるので、名字や顔立ちの印象とは別の次元の話になります。

二重国籍の可能性についても整理しておきましょう

ハーフの選手などでは、日本と外国の両方の国籍を持つケースもあります。ただ、日本の国籍法では、20歳になる前に二重国籍になった場合、22歳までにどちらかの国籍を選ぶ決まりになっています。堂安律さんは現在28歳です。仮に二重国籍だったとしても、22歳を過ぎている以上は国籍の選択が済んでいるはずで、日本代表として活躍している事実とも矛盾しません。

そもそも、本人の経歴や家族の報道を見ても、外国籍を持つといった話は出てきていません。国籍が日本であることを疑う材料は見当たらないというのが、いまの整理です。

それでも国籍が検索されるのはなぜか

活躍が目立つほど、プロフィールを調べる人は増えていきます。ワールドカップのたびに堂安律さんの名前が日本中に広がり、その流れで国籍や家族のルーツまで検索されるようになった、という見方ができます。次のセクションでは、特に多い韓国説の背景を見ていきましょう。

参照:ゲキサカ 堂安律

国籍に韓国説が出る理由

堂安律さんについては、検索窓に国籍や韓国人といった言葉が並ぶことがあります。ここは、どうしてそんな話が出てくるのかを、名字・見た目・地元のイメージという3つの切り口で整理します。先にお伝えしておくと、韓国説に根拠となる事実は見つかっていません。

きっかけになりやすいのは珍しい名字

日刊スポーツが2021年7月に伝えた記事によると、名字を調べているサイト名字由来netが東京五輪のサッカー男子代表22人を調べたところ、堂安という名字は全国におよそ120人で、レア度は1位でした。2位の旗手が約780人、3位の三苫が約840人ですから、差は歴然としています。

名字に使われている安の字は、韓国の姓であるアンと同じ字です。珍しい名字に見慣れた漢字が入っていると、人は無意識に連想してしまうもので、名字の珍しさと安の字が重なって韓国説が生まれたと考えられます。

堂安という名字は関西にルーツのある名字

実は、名字由来netのデータを見ると、堂安という名字は読みがどうあん・どうやすで、全国の約50%にあたるおよそ60人が兵庫県に集中しています。続いて大阪府が約40人、奈良県・京都府・和歌山県が各約10人です。市区町村では兵庫県姫路市が約30人、同じく兵庫県たつの市が約20人となっています。

由来についても、どうの字には水流の音や仏堂のある場所、洞や銅にちなむ地名などの意味があると解説されています。分布を見ると、堂安は兵庫県を中心に関西に広がる名字です。

地域 堂安姓のおよその人数
兵庫県 約60人
大阪府 約40人
奈良県・京都府・和歌山県 各約10人
兵庫県姫路市 約30人
兵庫県たつの市 約20人

ちなみに、同じ代表メンバーの旗手さん(約780人)や三苫さん(約840人)も珍しい名字ですが、国籍を疑われることはあまりありません。違いは、安という字が韓国の姓と同じ字であることと、堂安という並びにあまり見慣れていないことにあるようです。一方で、安の字は安藤さんや安田さん、安部さんなど、日本の名字でもよく使われる漢字です。名字だけで国籍や血筋が決まるわけではありません。

顔立ちが似ているというSNSの声

もう一つ挙がるのが、見た目の印象です。SNSでは、韓国代表の選手と顔が似ているという投稿が話題になったことがあり、そこから韓国人ではという声に広がったという見方があります。ただ、顔が似ているかどうかと国籍や血筋は別の話です。似ていると感じる人がいたというだけで、根拠のある情報ではありません。

地元のイメージや、プレーの印象も影響しているかも

出身地の尼崎市のイメージから連想する人もいるようですが、地名と国籍に関係はありません。さらに、右サイドから切れ込んで左足を振り抜くカットインのシュートが日本人離れしていると言われることもありました。これはあくまでプレーの特徴を称える表現で、国籍とは関係のない褒め言葉です。

こうして並べてみると、名字・見た目・プレーの印象が重なって、噂が広がっただけというのが実態だと思います。

参照:日刊スポーツ 東京五輪サッカー選手で珍しい名字1位は「堂安」 全国でおよそ120人

参照:名字由来net 堂安さんの名字の由来や読み方、全国人数・順位

国籍とルーツをたどる

堂安律さんの国籍とルーツを語るうえで欠かせないのが、母方の祖父の故郷です。2022年のカタールワールドカップ中に、地元の新聞が詳しく報じています。ここでは、そのルーツを詳しく見ていきましょう。

母方の祖父は沖縄・伊良部島の出身

宮古毎日新聞が2022年11月25日に伝えたところによると、堂安律さんの祖父は、伊良部長浜出身の浦崎一さん(当時79歳)です。大阪市在住で、結婚して二男一女に恵まれ、長女の息子が堂安律さんという関係になります。つまり、母方のルーツが沖縄県宮古島市の伊良部島にあるということです。

続柄 内容
母方の祖父 浦崎一さん(伊良部長浜出身・大阪市在住)
祖父の経歴 高校卒業後に上京して就職、その後は兵庫県尼崎市へ
家族構成 二男一女(長女の息子が堂安律さん)

高校卒業後に上京し、尼崎へたどり着くまで

浦崎さんは、高校を卒業してから東京へ出て就職し、その後に兵庫県尼崎市へ移り住みました。島を出て本土で家族を築いたという歩みです。堂安律さんが尼崎で生まれ育ったのは、こうした家族の流れの先にあるのですね。

2022年6月に家族で来島し、三線も

注目したいのが、堂安律さん本人が家族と伊良部島を訪ねていることです。記事によると、2022年6月に家族と一緒に来島し、親戚一同と三線を弾くなどして交流を深めたといいます。

親戚の久貝仁美さんは、祖母の漢那道子さんの姪にあたる人で、大学生の頃に尼崎の道子さん宅で2年間暮らしていたことがあり、美幸さんからは仁美ねえねえと慕われていたそうです。島と尼崎の親戚づきあいが、世代を超えて続いていることがよく分かるエピソードです。

伊良部島はどんな島?宮古島とのつながり

伊良部島は、沖縄県宮古島市に属する島です。宮古島の北西に位置し、2015年に開通した伊良部大橋で宮古島本島と結ばれています。地元の新聞が堂安律さんを取り上げたのも、島出身のおじいさんを持つ孫が世界の舞台で活躍していることが、島の人たちにとって誇らしいニュースだったからでしょう。

ワールドカップの活躍に島中が喜んだ

ドイツ戦で同点ゴールを決めた日、浦崎さんは「律が同点ゴールを決めた時は何と言っていいか分からないくらいうれしかった」と語っています。試合後は伊良部の親戚や知人から祝福の電話が鳴りっぱなしだったそうです。

久貝さんも、律さんは次はワールドカップが夢だと言っていたと明かしていて、宮古サッカー協会の饒平名正会長は、最後まで諦めないという強い気持ちを持てば良い結果が出るということを教えてもらったと話し、宮古のサッカー少年たちにも大きな刺激と勇気を与えてくれたとコメントしました。久貝さんの「律は幸せ者だと思う」という言葉からも、親戚の温かい目線が伝わってきます。国籍は日本で、ルーツには沖縄・伊良部島がある。これが堂安律さんの背景だといえるでしょう。

参照:宮古毎日新聞 堂安選手は伊良部島がルーツ/W杯サッカー

国籍と両親の出身地

国籍を調べる人の多くは、両親はどこの出身なのかも知りたいところだと思います。ここでは、報道や公開されているデータから分かる範囲で、堂安律さんの国籍と両親の出身地まわりの情報を整理します。

母方のルーツは沖縄・伊良部島に確認できる

前のセクションで見たとおり、母の美幸さんの父にあたる浦崎一さんが、伊良部長浜の出身です。母方に沖縄・宮古島市のルーツがあることは、新聞報道で確認できます。母の美幸さんの出身地そのものを詳しく伝えた報道は多くありませんが、家族が尼崎に暮らしてきたことは各種の報道から分かります。

父方は兵庫県を中心とした関西の名字

父の哲也さんについては、出身地を詳しく語った報道は多くありません。ただ、名字の堂安は、兵庫県や大阪府に集中する関西の名字だと名字由来netのデータが示しています。また、父の哲也さんは兵庫県出身と紹介されているサイトもあります。父方も兵庫を中心とした関西にルーツがあると見るのが自然です。

家系 分かっていること
母方 祖父の浦崎一さんが沖縄県宮古島市の伊良部長浜出身
父方 堂安姓は兵庫県・大阪府など関西に集中している
本人 兵庫県尼崎市生まれ、尼崎育ち

両親の国籍が日本だと考えられる理由

日本の国籍法では、子どもが生まれたときに父か母のどちらかが日本国民であれば、その子は日本国籍を取得します。堂安律さんは日本生まれで、母方の祖父は沖縄の出身、父方の名字も関西にあります。報じられている家族の経歴を見るかぎり、両親が日本の出身であることを疑う材料はありません。

母方の祖父母は尼崎に根づいていた

宮古毎日新聞の記事を読むと、祖母の漢那道子さんは尼崎市に自宅を構えていたことが分かります。祖父の浦崎一さんが高校卒業後に上京し、その後に兵庫県尼崎市へ移り住んで家庭を築いたという流れです。母方の家族が早くから尼崎に根づいていたからこそ、堂安律さんは沖縄にルーツを持ちながら、尼崎で生まれ育つことになったと考えられます。

ハーフ説が出るのは、家族のことがあまり語られないから

堂安律さんは、両親の国籍や出身地をインタビューで細かく話すタイプではありません。そのため、情報の空白を埋めるように、ハーフ説や韓国説が一人歩きしてしまった面がありそうです。これは、家族の話をあまり表に出さない有名人にはよくある流れですよ。情報が少ないほど、憶測が先に広まってしまうのは、ネット上の噂話の典型的なパターンです。

とはいえ、本人が2022年に家族で伊良部島を訪れ、親戚と交流している様子は報じられています。家族が自分のルーツを大切にしていることは、その姿から十分に伝わってきます。

参照:宮古毎日新聞 堂安選手は伊良部島がルーツ/W杯サッカー

参照:名字由来net 堂安さんの名字の由来や読み方、全国人数・順位

両親の仕事と人柄

堂安律さんの両親は、息子の活躍を静かに見守るタイプのご家族です。メディアに登場する機会が少ないため、詳しいプロフィールは多くありませんが、ここではネットで語られている父・哲也さんの話と、報道で確認できる母・美幸さんのことをまとめます。

父・哲也さんは会社経営者という説

ネット上では、父の名前は堂安哲也さんで、会社を経営しているという話が広まっています。尼崎市には、建設業者の情報サイトに代表者として堂安哲也さんの名前が載っている有限会社堂安工業があり、ここが父親の会社ではないかと見る向きがあります。業務内容は管工事と機械器具設置工事で、冷暖房や空調、給水給湯、ガス管の配管から、立体駐車場やエレベーターの設置まで手がけている会社です。

ただし、この会社が堂安律さんの父親の会社だと、本人や報道が認めたわけではありません。別の会社名を挙げている情報もあり、ネット上でも説が分かれています。あくまで「そう言われている」段階の話として受け止めてください。

項目 内容
会社名 有限会社堂安工業
代表者 堂安哲也さん
業務内容 管工事・機械器具設置工事
主な対応工事 冷暖房・空調・給排水設備、立体駐車場、エレベーター設置など

この説が正しければ、コツコツと地域のインフラを支えてきた経営者ということになります。サッカー選手の父というと派手なイメージを持つ人もいますが、地道な仕事を続けてきたご家庭という見方もできそうです。

母・美幸さんは親戚ともつながりの深い人

母の美幸さんについては、宮古毎日新聞の記事に人柄の一端が出ています。親戚の久貝仁美さんは、美幸さんとは親交が深く、「仁美ねえねえ」と慕われていたと語りました。カタールワールドカップの初戦に合わせて、美幸さんが現地へ出発すると久貝さんに連絡をしていたこともあり、久貝さんは「気を付けて行ってきて。私の分も応援してきてね」と返したそうです。

島の親戚と連絡を取り合い、ワールドカップの現地まで足を運ぶ姿から、家族や親戚との絆を大切にする人だと伝わってきます。

家族そろって島を訪れた2022年6月

前のセクションでも触れたとおり、堂安律さんは2022年6月に家族で伊良部島を訪れ、親戚一同と交流しました。ご両親も含めた家族旅行で、島の人たちと三線を弾いて過ごしたと報じられています。活躍の裏には、親戚を含めた家族みんなの応援があるのでしょう。

地元への感謝は、家庭の空気から育ったのかも

堂安律さんは、地元の尼崎に恩返しをしたいという気持ちから、児童養護施設に机や遊び道具を寄付したと神戸新聞が伝えています。家族を大切にし、地元に感謝する姿勢は、それぞれ仕事を持ちながら3人の息子を育てた両親の背中を見て育ったことと無関係ではないと見る向きもあります。もちろん推測の域を出ませんが、こうした人柄の背景には、家庭の空気があるのでしょう。

両親について確認できる情報を整理

ここで、両親について出典つきで確認できる内容と、そうでない内容を整理しておきます。

区分 内容
報道で確認できる 母方の祖父は浦崎一さん、母はW杯初戦に合わせて現地へ向かった
ネット上で言われている(未確認) 父の名前は哲也さん、父は会社経営者(堂安工業説など複数の説あり)
出典が不明確 両親の学歴や年齢、詳しい経歴など

ご家族は一般の方ですので、本人や報道が明らかにした範囲にとどめるのが適切だと思います。

参照:建設マップ 会社概要|有限会社堂安工業

参照:宮古毎日新聞 堂安選手は伊良部島がルーツ/W杯サッカー

参照:神戸新聞NEXT 真のエースへ、堂安「俺が決める」

兄二人のサッカー経歴

堂安律さんは3人兄弟の末っ子で、兄が2人います。サッカーを始めたきっかけも兄たちの影響だと言われています。ここでは、堂安律さんの兄二人のサッカー経歴と、いまの活動を整理します。

兄は8歳上の麿さんと3歳上の憂さん

長男は8歳年上の麿さん、次男は3歳年上の憂さんです。麿さんは大学までサッカーを続けたと伝えられており、現在は一般の会社員として生活していると言われています。兄弟の名前がそれぞれ漢字一文字というのも、堂安家の特徴です。

続柄 名前 特徴
長男 麿さん 8歳上。大学までサッカー。一般の方
次男 憂さん 3歳上。元J3・AC長野パルセイロの選手
三男 律さん 日本代表MF

次兄の憂さんは元Jリーガー

次兄の憂さんは、尼崎市立小田南中学校の出身で、12歳でプロチームのジュニアユースに入った経歴を持ちます。その後、J3のAC長野パルセイロでプレーした元Jリーガーです。神戸新聞によると、2020年に現役を引退しました。

神戸新聞によると、堂安律さんは2人の兄を追ってサッカーを始めたとされています。尼崎市の資料では、兄の影響で3歳からサッカーを始め、4歳で地元の浦風フットボールクラブに入団した経歴が紹介されています。兄たちの背中を見て育ったことが、負けず嫌いな性格やサッカーへの情熱につながったのでしょう。

憂さんが語る弟との公園での1対1

神戸新聞のインタビューで憂さんは、子どもの頃に近所の公園で弟と何度も1対1をしていたと振り返っています。「年齢の差もあるし、自分が絶対勝っていた」と言い、さらに弟のことを「決して天才ではなかった」とも話しました。そのうえで、大きな夢に向かって毎日努力していたからこそ今があると語っています。

引退後は弟と一緒に尼崎でサッカースクールを運営

現在の憂さんは、尼崎市でNEXT10 FOOTBALL LABというサッカースクールの代表を務めています。2022年4月に開校し、JR尼崎駅前の商業施設の屋上のコートが拠点です。神戸新聞によると、開校から約1カ月で約160人の子どもたちが通っていると報じられました。

堂安律さんは「子どもたちにはもちろんプロを目指してほしいし、その過程を大切にしてもらいたい」と話しています。兄弟で地元の尼崎に恩返しをしているのですね。

2022年のカタールワールドカップ・ドイツ戦で同点ゴールを決めたとき、堂安律さんは憂さんに「やったったぞ!」と返信したそうです。離れた場所にいても、世界の舞台で決めたゴールのあとも、兄との気軽なやりとりは変わらないのだと分かる、微笑ましいエピソードです。

2人の共演CMも話題に

兄の憂さんは、広告にも弟と一緒に登場しています。ワールドカップ・チュニジア戦の当日に、堂安律は、ひとりじゃないというコピーのCMの放映が始まりました。兄弟のきずなが広く知られるきっかけになったようです。

参照:神戸新聞NEXT 真のエースへ、堂安「俺が決める」

参照:神戸新聞NEXT サッカーの堂安兄弟「プロ目指す過程を大切に」

参照:尼崎市 広報資料

参照:AdverTimes 「堂安律は、ひとりじゃない」兄・憂氏と共演する新CM

堂安律の国籍以外のこと

  • 高校と向陽台の学習環境
  • 結婚発表が6月だった理由
  • 妻との出会いと交際
  • 嫁は何者か経歴と現在
  • 交代時に見せた怒り

高校と向陽台の学習環境

堂安律さんの高校は、大阪府茨木市にある向陽台高等学校です。学校法人早稲田大阪学園が運営する学校で、サッカーに集中できる環境があることで知られています。ここでは、堂安律さんの高校時代の過ごし方と、その学習環境を見ていきましょう。

高校は向陽台高校で、公式サイトにも先輩として登場

向陽台高校の公式サイトには、卒業生の声を紹介するページがあります。そこにプロサッカー選手として堂安律さんが登場し、1998年6月16日生まれの兵庫県尼崎市出身と紹介されています。小学校時代は西宮SSに所属し、中学1年からガンバ大阪ジュニアユースに入りました。

時期 主な出来事
小学校時代 西宮SSに所属
中学1年 ガンバ大阪ジュニアユース入り
2012年 U-15世代で史上初の3冠達成に貢献
2014年3月 ガンバ大阪ユースに昇格
2015年 16歳でガンバ大阪トップチームデビュー

週1〜2日の登校で授業を受けられる仕組み

堂安律さん本人が公式サイトで語っているのは、向陽台高校はサッカーに集中できる環境にしてくれる学校だと聞いて、迷わず入学を決めたということです。授業は週1〜2日の登校で受けられるので、サッカーに専念できてありがたい、とも話しています。

レポートについても、覚悟していたほど多くなく、自分でやろうと思えば調べて取り組める内容だと語りました。練習と試合を優先しながら、学業も両立できる仕組みだったことが伝わってきます。

ガンバの先輩や寮母さんへの感謝

高校時代の堂安律さんは、明るい性格の自分を可愛がってくれるガンバの先輩や寮母さんなど、お世話になっている人との人間関係を大切にしたいと語っています。サッカーの実力だけでなく、人付き合いを大切にする姿勢が、このころからあったのですね。

16歳でのトップチームデビュー

堂安律さんは2015年、16歳でガンバ大阪のトップチームにデビューしました。サッカーキングによると、現役高校生ながら飛び級でトップチームに昇格し、クラブ史上最年少記録となる16歳11カ月18日でJ1デビューを果たしました。高校に通いながらプロの舞台に立つわけですから、スクーリングとレポートを組み合わせた学び方が、時間のやりくりの面で大きな助けになったのではないでしょうか。

同じ公式サイトで宇佐美さんは、「向陽台の先生方は歩幅を合わせて向き合ってくださいました」と振り返っています。ガンバ大阪とプロ契約を結んで遠征が増えても、スクーリング以外の時間に先生が個別に指導してくれたそうです。堂安律さんが通った環境も、プロとして戦う生徒に学校側が合わせてくれる仕組みだったと考えられます。

当時の夢はすでに具体的だった

公式サイトに残る将来の夢は、22歳のときに迎える東京オリンピックに出場し、いずれガンバ大阪からヨーロッパのチームに入って大きく羽ばたくことでした。実際に、堂安律さんは2021年の東京五輪に出場し、PSVやフライブルクなど欧州の舞台で活躍しています。

同じ学校の卒業生には、プロサッカー選手の宇佐美貴史さんもいます。サッカーのトップを目指す人にとって、向陽台高校は一つの選択肢として定着している学校だといえそうです。

参照:向陽台高等学校 先輩の声

参照:サッカーキング 堂安律

結婚発表が6月だった理由

堂安律さんの結婚は、2024年6月2日に自身のインスタグラムで発表されました。ただ、実際に入籍したのはその約5カ月前です。どうして発表がこのタイミングになったのか、本人の説明をもとに整理します。

入籍は2024年1月、発表は6月2日

めざましmediaによると、堂安律さんが入籍したのは2024年1月で、結婚を発表したのは6月2日です。マネジメント事務所を通じて、取材に答えています。お相手は兵庫県出身で3歳年上の一般女性(当時)でした。

発表を遅らせた理由は、アジアカップとシーズン中だったから

本人の説明は「アジアカップ中、シーズン中ということもあり発表が今のタイミングとなりました。」というものです。さらに西スポWEB OTTO!によると、堂安律さんはこのタイミングについて、大会に集中したかったことに加え、成績が振るわなかった場合に妻へ批判が向かうことを避けたかったと説明しています。

2024年1月のアジアカップで、日本代表は準々決勝で敗退しました。もし入籍を公表していたら、結果次第で奥さんにまで矛先が向く可能性もあったわけです。妻を守るための判断だったと受け取れます。

発表時の言葉と、妻からの報告

結婚を発表した際、堂安律さんのお相手は「かねてよりお付き合いをさせて頂いている方」と紹介されました。続いて、妻の明松美玖さんは6月13日に自身のインスタグラムで、すでに多くのお祝いメッセージをもらっているとしたうえで、結婚の報告をしています。夫婦がそれぞれのSNSで、順を追って結婚を報告したという流れです。

結婚後の主な出来事を時系列で整理

時期 出来事
2024年1月 入籍
2024年6月2日 堂安律さんが結婚を発表
2024年6月13日 妻の明松美玖さんが結婚後初のインスタグラム投稿
2025年6月 東京で披露宴、その後ハワイで家族中心の挙式
2026年7月3日 第1子(女児)の誕生を発表

2025年6月の披露宴には豪華なゲストが

結婚から約1年後の2025年6月、日本で披露宴が開かれました。デイリースポーツによると、明石家さんまさん、小栗旬さんと山田優さん夫妻、長友佑都さんと平愛梨さん夫妻のほか、久保建英さん、三笘薫さん、遠藤航さん、板倉滉さん、伊東純也さんら日本代表の仲間も参加したといいます。

西スポWEB OTTO!によると、その後のハワイでの挙式では、ベールにWin Together, Lose Together R & M(勝つときも負けるときも一緒)という刺繍が施されました。サッカーで使われる言葉を、夫婦の合言葉にした形です。

発表の仕方から見える堂安律さんの人柄

発表を6月まで待った理由は、自分の結果と妻の立場の両方を考えた慎重さの表れです。堂安律さんは、結婚発表のタイミングまで、家族を最優先に考えて決めたといえます。

参照:めざましmedia 結婚を発表したサッカー日本代表・堂安律(25)

参照:西スポWEB OTTO! 堂安律(サッカー日本代表)の妻は?明松美玖のプロフィールまとめ

参照:デイリースポーツ 堂安律が第1子女児誕生報告

妻との出会いと交際

堂安律さんの妻は、3歳年上の明松美玖さんです。ここでは、2人の出会いから交際、遠距離を経て結婚に至るまでを、本人たちの話をもとにたどります。

出会いは共通の知り合いと一緒のバーベキュー

めざましmediaによると、堂安律さんは出会いについて「18歳の頃、共通の知り合いと共に一緒にバーベキューしたのが出会いです。」と語っています。お相手は同じ兵庫県の出身で、出会った時から親近感を感じる女性だったそうです。

数年間の友人関係を経て、交際へ

西スポWEB OTTO!によると、2人が出会ったのは10年ほど前で、数年は友人関係が続いていました。その後、会う機会が増えて自然に距離が縮まり、交際に発展しています。報道では、交際期間は約2年とされています。

注目したいのは、最初から恋愛ではなく、友人として長い時間を過ごしたという点です。信頼関係がしっかり土台にあったことが分かります。

弟のような存在から、頼れる人へ

明松美玖さんが堂安律さんに惹かれた理由は、出会った頃は弟のような存在だった堂安律さんが、海外経験を重ねて人として成長していく姿に、次第に魅力を感じるようになったことだと語られています。3歳の年齢差があるからこそ、成長の過程を見守ってきた実感があったのかもしれません。

結婚発表後に公開された2ショット写真

結婚が発表された後、堂安律さんは自身のインスタグラムに、テラス席で妻と肩を組む2ショット写真を公開しました。ピンク色のTシャツにベージュのジャケットを合わせた堂安律さんの隣で、妻はデニムジャケットを羽織っていたとめざましmediaが伝えています。SNSでは「ついに2ショットお披露目!!」「お似合いすぎる!」といった祝福の声が多く寄せられました。

付き合ってすぐにヨーロッパで遠距離恋愛

交際が始まって間もなく、堂安律さんがヨーロッパへ旅立ったため、2人は遠距離恋愛からのスタートになりました。それでも関係を続け、結婚発表の時点ではヨーロッパで一緒に暮らしているとめざましmediaは伝えています。

段階 内容
出会い 共通の知り合いと参加したバーベキュー
友人期間 数年間
交際 約2年(交際直後に遠距離)
結婚後 ヨーロッパで同居

妻が語った、夫婦で大切にしている合言葉

結婚式のベールに刺繍した、勝つときも負けるときも一緒、という言葉には、お互いを支え合う夫婦の姿勢がよく表れています。サッカー選手の家族は、移籍や遠征が多く、生活が不規則になりがちです。夫婦で大切にしたい言葉をサッカー用語から選んだ点にも、2人らしさが感じられますよ。

参照:めざましmedia 結婚を発表したサッカー日本代表・堂安律(25)

参照:西スポWEB OTTO! 堂安律(サッカー日本代表)の妻は?明松美玖のプロフィールまとめ

嫁は何者か経歴と現在

結婚発表のときは一般の方と伝えられた妻ですが、のちに明松美玖さんという名前が広まり、嫁は何者なのかを調べる人が増えました。ここでは、公開されている経歴とこれまでの歩みをまとめます。

明松美玖さんのプロフィール

西スポWEB OTTO!によると、明松美玖さん(結婚後の氏名は堂安美玖さん)は、1995年9月12日生まれで兵庫県出身、身長160cmです。2026年10月時点で31歳になります。特技はダンスとトレーニングで、職業はインフルエンサーであり、美容関連の事業も手がけています。

項目 内容
氏名 明松美玖(あけまつ みく)
生年月日 1995年9月12日
年齢 31歳(2026年10月時点)
出身地 兵庫県
身長 160cm
特技 ダンス、トレーニング
職業 インフルエンサー、美容関連の事業

大学時代はミス甲南のファイナリスト

大学は甲南大学の法学部で、ダンスサークルに所属していました。また、ミス甲南2015のファイナリストに選ばれた経歴もあります。華やかな活動の一方で、法学部で学んでいた点は意外な一面です。

卒業後は美容業界で働き、読者モデルや美容系YouTuberとしても活躍

大学卒業後は上京し、美容関連企業でマーケティングや広報の仕事を務めました。同時に、ファッション誌CLASSY.の読者モデルや、美容系YouTuberとしても活動していたと伝えられています。

2023年には、自身のスキンケアブランドShaShiShuを立ち上げ、実業家としても活躍しているとされています。結婚が話題になる前から、自分の仕事を持つ女性だったのですね。

結婚後のSNSと、第1子の誕生

結婚発表のあと、明松美玖さんは2024年6月13日に結婚後初のインスタグラム投稿を行いました。オールアバウトニュースは、顔出しのウエディングドレス姿も披露したと伝えています。

2026年7月3日には、第1子の誕生を報告しました。デイリースポーツによると、堂安律さん自身も同日、第1子の女児誕生を自身のインスタグラムで公表しています。西スポWEB OTTO!には、その後にお宮参りを終えたことや、8月には体づくりも少しずつ再開しているという発信も紹介されています。

パパになった堂安律さんの姿も話題に

デイリースポーツは、第1子の誕生を報告した堂安律さんが、愛娘を優しく抱っこしてキスをする様子や、ブラジル戦後に客席で娘さんを抱っこした場面を伝えました。SNSでは「パパそっくり」といった声が相次いだようです。一人のサッカー選手としてだけでなく、家族を大切にする父親としての一面にも注目が集まっています。

嫁は何者かの答えは、自立した実業家のパートナー

まとめると、嫁は何者かという疑問への答えは、モデル・インフルエンサーとして活動し、自分のブランドを持つ実業家です。堂安律さんは、そんな妻と一緒にヨーロッパで暮らし、家族として新しい生活を築いています。

参照:西スポWEB OTTO! 堂安律(サッカー日本代表)の妻は?明松美玖のプロフィールまとめ

参照:デイリースポーツ 堂安律が第1子女児誕生報告

参照:デイリースポーツ 第1子誕生の堂安律 愛娘優しく抱っこ&キス

参照:オールアバウトニュース 堂安律の美人妻、結婚発表後にSNS初更新

交代時に見せた怒り

2026年の北中米ワールドカップで、堂安律さんが交代のときに見せた怒りの表情が大きな話題になりました。ここでは、報じられた範囲の事実と、本人のコメントを整理します。怒りの理由については、断定できる情報はまだありません。

場面は北中米W杯グループステージ第3戦のスウェーデン戦

Number Webが2026年9月30日に配信した記事によると、舞台はワールドカップのグループステージ第3戦、日本対スウェーデンです。後半21分の堂安律さんの交代シーンは、テレビ越しでも感情が高ぶっているように見えたとされています。

ピッチサイドのカメラマンが目撃した様子

現場で撮影していたカメラマンは、「かなり激しく怒っていました。普通の交代のときとは明らかに雰囲気が違ったんです」と証言しています。ベンチでは森保一監督がびっくりするくらいの表情をしていて、周囲のスタッフや選手が、もういい、もういいという感じで堂安律さんを抑えながら、ベンチの中へ誘導していたそうです。

堂安律さんは、ベンチに下がったあとも、第4審判に「なんで?」といった様子で詰め寄る場面があったといいます。

本人は監督への怒りを否定している

現地で取材した記者によると、堂安律さんは「監督に怒ってないですし、少し怒っていた理由がある」と語ったそうです。カメラマンも、はっきりした理由は分からないと前置きしたうえで、交代そのものではなく別の何かへの怒りの可能性を強く感じていたと話しています。

この試合では、田中碧さんがボールを奪ったと思ったらファウルを取られた場面があり、NHKの解説を務めた本田圭佑さんが「なんでやねん!」と思わず口にしたことも紹介されています。ただし、堂安律さんの怒りがこの場面と結びつくかどうかは、報じられていません。

分かっていること まだ分からないこと
後半21分に交代した 怒りの具体的な理由
ベンチで周囲が堂安律さんを抑えた 第4審判に何を伝えたのか
本人は監督への怒りを否定した 理由を語るタイミング
長友佑都さんの背中を叩いて送り出した ―

ワールドカップの交代は感情が動きやすい場面

一般的に、ワールドカップのような大舞台は、試合の流れや勝敗への重圧が大きく、交代の場面でも感情が高ぶりやすいと言われます。試合に出ている選手ほど、あと少しやれるという気持ちが強いものです。堂安律さんの場合も、交代そのものへの不満だけでなく、試合中の判定や展開に対する思いがあった可能性は考えられますが、あくまで推測にとどまります。

切り替えの早さも、堂安律さんらしい一面

怒りを見せた直後でも、堂安律さんは途中出場する長友佑都さんの背中を叩いて送り出し、冷静さを取り戻していきました。感情を出しながらも、すぐチームのために切り替えられるのは、大舞台を何度も経験してきた選手ならではでしょう。

勝負の世界では、強い気持ちがあるからこそ表情に出る場面もあります。あなたもテレビで見て、驚いた一人かもしれません。理由が本人の口から語られる日を、気長に待ちたいところです。

参照:Number Web 堂安律“あの激怒”…何があった?

堂安律の国籍と家族に関する情報のまとめ

  • 堂安律さんの国籍は日本であり、公式プロフィールにも明記されている
  • 年代別代表からA代表まで日本代表を続けており、国籍の最大の裏づけとなっている
  • 韓国説は珍しい名字、顔立ちの印象、プレーの評判が重なって広まった噂である
  • 堂安という名字は全国に約120人で、兵庫県を中心に関西に分布している
  • 名字だけで国籍や血筋が決まることはなく、韓国説を裏づける事実は確認されていない
  • 母方の祖父の浦崎一さんは沖縄・伊良部島の出身で、母方のルーツは宮古島市にある
  • 2022年6月に家族で伊良部島を訪れ、親戚と交流を深めている
  • 父は会社経営者という説があるが、会社名は複数の説があり確認されていない
  • 両親は一般の方で、詳しい経歴は本人や報道が明らかにした範囲にとどまる
  • 兄は2人おり、次兄の憂さんは元Jリーガーで現在は弟とスクールを運営している
  • 高校は向陽台高校で、スクーリングとレポートを活用して競技と学業を両立した
  • 2024年1月に入籍し、アジアカップとシーズン中の事情を考えて6月に発表した
  • 妻の明松美玖さんは3歳年上の実業家で、長い友人関係を経て結婚に至った
  • 2026年7月に第1子の誕生を発表し、家族を大切にする父親としての姿も注目されている
  • 北中米W杯での交代時の怒りは、理由が本人から語られておらず断定できない

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