「日本一のお笑いコンビは?」と問えば、多くの人がダウンタウンと答えるでしょう。
それほどの人気と実力を兼ね備えたダウンタウンのツッコミと言えば、もちろん浜田雅功さんですね。
芸人だけでなく歌手、俳優、司会者と多彩な顔を持つことでも有名な浜田雅功さんですが、その父親について多くは語られていません。
今回は、浜田雅功さんの父親である浜田憲五郎さんについてご紹介したいと思います。
目次
浜田憲五郎について
画像出典元:姓名診断
では、さっそく浜田憲五郎さんについて見て行きましょう。
詳細は書きませんが「姓名判断」によると「吉凶混合、特殊格あり」で波乱万丈な人生の予感がします。
ダウンタウン浜田雅功の父親
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浜田憲五郎さんは、ダウンタウンの浜田雅功さんの父親です。
ということは、必然的にハマ・オカモトさんの祖父ということになりますね。
厳格な性格
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浜田憲五郎さんは、厳格な性格だといいます。
行動で示すよりは、言葉で厳しく指導するタイプだった浜田憲五郎さん。
浜田雅功さんが警察のお世話になった際には、「人に迷惑をかけるな」としっかりと言葉で指導したといいます。
そんな性格から、浜田雅功さんを全寮制のスパルタ教育で有名な県外の日生学園高校に入学させた浜田憲五郎さん。
生徒は全員坊主で、朝4時半に起床、掃除やランニングが日課であった同校を何度も逃げ出した浜田雅功さんでしたが、父親の説得で、寮に戻り最終的には卒業するに至ったそうです。
その学校のあまりの規律の厳しさに、相方の松本人志さんのところに逃げてきて「まっつん、俺もう学校やめるわ…」と涙したこともあったそう。
そんな環境に息子を進ませた厳格な父親・浜田憲五郎さん、昭和の男といった感じでしょうか。
写真なし
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浜田憲五郎さんの写真はなし、でした。
一般人であることもあり、顔写真は公開されていませんでしたし、よく芸人の方が経験するようなテレビの「親子漫才」企画もしたことがないようです。
ちなみに、相方の松本人志さんは母親との親子漫才を何度かテレビで披露したり、父親の面白エピソードを公開したりしていますね。
新番組の名前にもなっている
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表舞台には、姿も話も出てこない浜田憲五郎さんですが、新番組の名前になっていました。
2016年の話ですが、浜田雅功さんが司会を務める「ケンゴローサーカス団」という番組がスタート。
この番組は、浜田団長率いるサーカス団が面白話やネタを元に笑いを届ける深夜帯の番組でした。
「親父の名前を使うってなんやねん! ギャラ払っといてや!」と番組冒頭でツッコんだ浜田雅功さん。
そのツッコミの切れ味は抜群で、まさに伝家の宝刀ですね。
年齢不明
浜田憲五郎さんの年齢は不明です。
浜田雅功さんは1963年5月11日生まれで、2024年現在61歳です。
仮に、浜田憲五郎さんが25歳のときに息子が生まれたとしたら、現在は86歳と仮定することができますね。
恐らくは、この辺りの年齢ではないかと思われます。
となると、恐らく昭和10年代の生まれではないかと思われます。
鹿児島出身でヒロミの父親と同級生
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浜田憲五郎さんは鹿児島県出身であることがわかっています。
先ほど「厳格な性格」と紹介しましたが、九州男児としての頑固さや頑なさを持ち合わせているのかもしれません。
また、タレントのヒロミさんの父親と同級生だそう。
同級会で再会した浜田憲五郎さんとヒロミさんの父親が、「息子が芸人」という話しから発覚したようです。
日本のお笑い界を仕切るようなポジションの2人の父親が同級生で同じ街の出身とは。
世間は狭いものですね。
生い立ち
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浜田憲五郎さんは、鹿児島県に生まれ大人になってから大阪府に移り住んだと思われます。
昭和10年代ですと日本が近代国家としてが海外列強と肩を並べんと軍国主義化を推し進めていた時期でもありました。
現在とは違い、物質的にも社会的にも厳しい状況であったため、日本全体が豊かではなかった時代に育ったのですね。
国全体がそうだったと思いますが、多少のことでは音を上げず歯を食いしばって前に進むような時代での生い立ちは、決して簡単なものではないでしょう。
職業はペンキ屋だった
画像出典元:まぐまぐ
浜田憲五郎さんの職業はペンキ屋でした。
ヒロミさんの父親は東京に出て大工に、浜田雅功さんの父親は大阪に出てペンキ屋になったのですね。
今のように、多くの人間が大学に行くような時代ではありませんでしたので、地方から都市部に出て職人として腕を磨いたという方も多かったでしょう。
手に職をつけていった浜田憲五郎さんは、浜田雅功さんが小学5年生になったときに独立したという情報もありました。
1970年に開催された大阪万博でソ連館のペンキを塗った
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また、1970年に開催された大阪万博のソ連館のペンキを塗ったそうです。
このことは、浜田雅功さんが何度かテレビで語っていましたね。
上記画像が、そのソ連館の写真だそうですが宇宙開発でアメリカをリードしたいソ連渾身の展示物だったようです。
2025年の大阪万博で「父にもう一度ペンキを塗らせたい」と冗談交じりに話したこともある浜田雅功さんですが、父親が大阪万博のペンキを塗ったことは子供ながらに「誇らしかった」のではないでしょうか。
浜田雅功さんは、小学生の時に「僕の父親は世界一のペンキ屋、がんばってるおとんが大好き、俺もおとんのようなペンキ屋になるんや」という内容の作文を書いたとも言われています。
自慢の父親、いいですね。
知人の借金の連帯保証人になったことで人生が一変する
画像出典元:いい生活
しかし、知人の借金の連帯保証人になったことで人生が一変したそうです。
知人の会社が倒産してしまったことで、負債を負った浜田憲五郎さん。
その日から毎日のように家に借金の取り立て屋が訪れて「金返さんかい!」と怒鳴り込んできたそう。
大阪万博頃は羽振りがよかったという生活も、この頃には食事の品数がどんどん減り、チキンラーメンしか出てこなくなったとも語っていました。
これは相当大変だったのではないでしょうか。
冒頭の姓名判断で予感されたように、波乱万丈の人生といっていいでしょう。
言葉では表せない感情や不安、苦労があったのではないかと思われます。
嫁は浜田信子
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浜田憲五郎さんの嫁は、浜田信子さん。
浜田信子さんも一般人であるため詳細情報は不明です。
先ほども紹介した通り、松本人志さんの母親がメディアに覆う露出している一方、浜田雅功さんの両親はほぼメディアには登場していません。
しかし、1996年に松本人志さんの母親と浜田雅功さんの母親が一緒に雑誌のインタビューを受けたことがあるようです。
この雑誌は既に廃刊になっていましたし、30年近く前のことですので、雑誌の内容まではわかりませんでした。
様々なケースがあるので一概には言えませんが、浜田雅功さんは家族の出演や家族との共演を「NG」にしているのかもしれませんね。
ちなみに、浜田雅功さんの嫁はタレントの小川菜摘さんでテレビやメディアなどでの夫婦共演もあります。
娘が1人
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浜田憲五郎さんと浜田信子さんとの間には子供が2人。
浜田雅功さんの下に娘が1人いるのですね、ということは4人家族で一男一女です。
娘も一般人であり、情報やエピソードはあまり出ていませんでした。
あだ名が「かー子」
わかっていることは、あだ名が「かー子」であることです。
「かずこ」「かなこ」「かよこ」という名前なのではないかと推測できますね。
また、ときおり松本人志さんの会話の中に浜田雅功さんの妹のことが触れられていたこともありました。
そのことから考えると、松本人志さんら同級生と会話したこともあること、年齢はさほど離れていないことなどが推測できます。
浜田雅功によく殴られていた
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相方の松本人志さんの話では、「かー子」は血の気が多くよく兄・浜田雅功さんと喧嘩をしていたこと、返り討ちに合ってよく殴られていたことなどが語られています。
浜田雅功さんは現在同様、キレの良いツッコミと攻撃で応戦していたのではないでしょうか。
現在について
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浜田憲五郎さんの現在について、詳しいことはわかっていません。
浜田雅功さんは、家族をメディアに出すことに積極的ではないため、過去から現在についてわかっていることは、ここに書き記したことくらいではないかと思います。
家族個人個人のプライバシーへの配慮など様々な理由があってのことでしょうから、これ以上の深堀は難しい、といったところですね。
浜田雅功さんがそれだけ家族を大切にしているということでしょう。
松本人志さんの父親が亡くなった際には、浜田雅功さんはたった一人で松本人志さんの実家に線香をあげに訪れたといいますので、家族や仲間に対して人一倍情に厚い性格なのかもしれませんね。
そんな家族思いの浜田雅功さんを、これからも応援していきたいと思います。