女優の草笛光子さん(90歳)は、1950年に松竹歌劇団(SKD)に5期生として入団し、淡路恵子さん、深草笙子さんと共に『スリーパールズ』を結成、豊かな歌唱力を持ち味としていました。
SKD在籍中の1953年、松竹(松竹京都撮影所)から映画『純潔革命』で銀幕デビューも果たし、1954年にSKDを退団し、1956年からの東宝専属を経て、現在も様々な分野で活動しています。
今回は草笛光子さんの娘について検証していきます。
目次
草笛光子に娘も息子もいない!
1960年、草笛光子さんと元夫の作曲家である芥川也寸志さん(享年63歳)は結婚しました。
芥川也寸志さんは、小説家・芥川龍之介さんの三男になります。
しかし、2年後の1962年に2人は離婚しています。
芥川也寸志さんは3度の結婚歴があり、草笛光子さんは2人目の妻となります。
たった2年間の結婚生活で、2人の間には子供はなく、娘も息子もいませんでした。
もしかすると、草笛光子さんとの間にも子供でもいれば、2人は離婚することも無かったかもしれせん。
草笛光子には娘はいないが、連れ子の子供が2人いる
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芥川也寸志さんと草笛光子さんが結婚した当時、1人目の妻との間に2人の娘がいました。
その長女と次女、2人の連れ子が、草笛光子さんの義理の娘となっていました。
芥川也寸志さんは1948年2月、東京音楽学校で知り合った1人目の妻、山田紗織さんと結婚します。
その年の7月に長女が誕生。
今で言う、いわゆる出来ちゃった結婚でした。
しかし、2人は二女をもうけた後、1957年に離婚しています。
実は芥川也寸志さんは山田紗織さんに対して「作曲家と声楽家は同じ家に住めない」と主張し、音楽活動を禁じていました。
その理由は、彼女の歌が芥川也寸志さんの「作曲の邪魔になる」という即物的な理由でした。
歌を禁じられた山田紗織さんは、『音のない』美術に転向、程なく画家として認められます。
夫婦でいる為に妻に音楽活動を禁止させるとは少しやりすぎな感もありますが、時代的にも亭主関白が当たり前の世の中だったのでしょう。
妻として山田紗織さんはそれを受け入れていたようです。
夫に遠慮して声楽の道を諦めますが、女学校時代に描いていた絵画を再開し、その才能を発揮する事になります。
音楽と絵画とジャンルは違いますが、同じ芸術家として活動の幅を広げていたようです。
お互いがお互いの刺激となっていたのではないでしょうか。
長女・麻実子は元タレント
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草笛光子さんの義理の娘に当たる長女、芥川麻実子さんについて。
芥川麻実子さんは1948年7月12日生まれ。
芥川麻実子さんは、子供の頃から音楽の成績が良かったのですが、父親の芥川也寸志さんはそれを実力とは思わずに、学校側に操作が有ったと受け取り抗議しました。
しかし、その後もずっと音楽の成績が良かったので、元々音楽の才能を持っていたことが裏付けされたのです。
芥川麻実子さんは1971年に日本女子大学文学部を卒業後、渡辺企画に所属しタレント活動をスタートします。
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TBS『モーニングジャンボ』のアシスタントを振り出しとして、文化放送『オハヨー! 日本列島』、NET『アフタヌーンショー』などの司会やアシスタント、ディスクジョッキーを担当。
関西テレビ『ハイ!土曜日です』、ラジオ関東『真夜中のアーチストルーム』などに出演しています。
のち交通評論家に転じ、首都高速道路の広報活動などを手がけていましたが、2007年、東京都で初めての道の駅である道の駅八王子滝山(八王子市滝山町)の初代駅長に就任。
その後、メディアコーディネイターになり、『芥川龍之介あれこれ思う孫娘より』(サンケイ出版、1977年)の著書があります。
子供の頃からの音楽の才能だけではなく、タレントやエッセイストとしての才能もあったようです。
両親から音楽の才能を受け継ぎ、祖父から物書きの才能を授かったのかもしれませんね。
次女の情報は皆無
芥川也寸志さんの次女に関しては情報が全く無く、公開されていませんでした。
芥川也寸志さんと1人目の妻の山田紗織さんとは、1957年に離婚。
その為、次女は1949年〜1956年の間に誕生したのではと思われます。
姉のように情報がないという事は、姉と違って一般人ということが考えられます。
両親の才能を受け付いていれば、音楽や絵画の方面でその名前を知ることもあったかもしれませんが、一切そういった情報もありません。
もしかすると、そういった才能を持つ家族に反発して、その道に進まなかったという事もあるかもしれません。
しかしそれもただの推測にすぎません。
連れ子が元夫・芥川也寸志との離婚の原因か
草笛光子さんと芥川也寸志さんが結婚したのは1960年。
その当時の草笛光子さんの年齢は26歳、芥川也寸志さんの年齢は35歳でした。
詳しい馴れ初めに関しては明らかにされていませんが、芥川也寸志さんは映画音楽やCMの音楽を数多く手掛けていましたので、草笛光子さんと仕事上での接点があったと考えられます。
草笛光子さんは松竹歌劇団(SKD)時に、豊かな歌唱力を持ち味としたステージで観客を魅了していた時期があります。
芥川也寸志さんと出会って交際がスタートしたのも、ちょうどこの頃だったと推察されます。
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音楽や舞台で活躍する草笛光子さんにとって、年上で才能のある作曲家であれば、とても魅力歴な男性だったでしょう。
草笛光子さんが芥川也寸志さんとの結婚を決意したのは、草笛光子さんが主演を務めていたオペラの主演舞台を観に来ていた、姑・芥川文さんからの心のこもった一言を聞いたことだったそう。
その一言というのは、「これほどまでに良い舞台をやり切れたんだから、もうそろそろお嫁に来てくれても良いんじゃない?」という内容でした。
当時、芥川也寸志さんは草笛光子さんよりも8歳年上で、再婚で2人の娘もいました。
出典:https://nichinichi-magazine.com/
それでも草笛光子さんは、「バブちゃんのために、1回はお嫁に行かないといけないかなと思った」と思ったことを、2018年8月のTBS系『ぴったんこカン・カン』で明かしました。
バブちゃんとは、姑となる芥川文さんのニックネームです。
草笛光子さんはニックネームで呼ぶほど、芥川文さんと仲が良かったようです。
プロポーズ(?)も芥川也寸志さんからでは無くて、姑の芥川文さんの方が先だったようです。
そして草笛光子さんは姑からの優しい一言を聞き、主演としてのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、張りつめていた気持ちの糸がほろっと緩まった気がして、結婚することを決意しました。
しかし、姑からの温かい言葉で、芥川家に迎え入れられた草笛光子さんではありましたが、結婚生活はそう長くは続きませんでした。
結婚して1年9カ月で離婚してしまったのです。
草笛光子さんは結婚することが決まって、実家に挨拶をした際に涙を堪える余り、不意に「ちょっと行ってきます」と言ってしまったそうです。
それが、家を出る際に放った言葉通りに、結婚生活が「ちょっと」だけとなってしまったようです。
そして、草笛光子さんと芥川也寸志さんが離婚した原因についてですが、芥川也寸志さんの連れ子が大きく関係していていました。
草笛光子さんが芥川也寸志さんの連れ子と不仲だったこととされています。
芥川也寸志さんの連れ子である2人の娘は、両親の離婚後、母親ではなく父親が引き取った形になります。
離婚理由は定かではありませんが、経済的にも、有名な作曲家として活躍する父親の芥川也寸志さんが引き取った方が、生活面では安定するだろうという理由も考えられます。
そんな連れ子である長女の芥川麻実子さんですが、草笛光子さんのことを良く思っておらず、芥川也寸志さんが草笛光子さんと再婚してからも一切そりが合いませんでした。
再婚した当時、芥川麻実子さんは12歳くらい。
思春期で、心も体も不安定な時期でもあり、まだ母親が恋しい年齢でもあったでしょう。
このくらい年代は、血の繋がった親ですら煙たく感じることもあるぐらいです。
そんな多感な時期に、血の繋がりのない赤の他人である草笛光子さんのことを、受け入れることがどうしてもできなかったのでしょう。
もしも両親の離婚理由が、父親の不倫だったとしたら、再婚した草笛光子さんは、母親の座を奪って追い出したと思われていたのかもしれません。
また、娘達が父親の事を慕っていたとしたら、それもまた、草笛光子さんが大好きな父親を奪ったと思われ、嫌われても仕方ないのかもしれません。
テレビなどで拝見する草笛光子さんは、とてもハキハキしていて、竹を割ったような性格に思えます。
そんな彼女であれば、連れ子とのコミュニケーションも上手く出来るような気がします。
しかし草笛光子さんは女優という職業柄、家を空けることも多く、育児や家事よりも仕事に専念せざるを得ないときもあったのでしょう。
母親と娘として、腹を割って、じっくり話すことも出来なかったのだと思われます。
親子で共に過ごす時間が充分に取れなかったことも、連れ子の娘が心を開いてくれない要因かもしれません。
芥川也寸志さんは草笛光子さんと離婚した後、1970年にエレクトーン奏者の江川真澄さんと再婚しています。
結婚歴からも明らかな通り、芥川也寸志さんは女性からかなりモテています。
かつてはストーカー化した女性に対して、きっぱりと別れの言葉を伝えた後に、その女性が命を絶ったこともあるほど。
草笛光子さんはそんな芥川也寸志さんとの結婚生活中の様子について、幸せであるはずなのに、常に孤独を抱えていたと語っていました。
家では連れ子である娘が自分に懐いてくれないなど、それも孤独を感じる一因だったのかもしれません。
今から振り返ると、父親である芥川龍之介さんが自死を遂げるなど、複雑な生い立ちの芥川也寸志さんに対して、心の傷の癒やし役となれなかったことを草笛光子さんは悔やんでいました。
以上から、草笛光子さんが芥川也寸志さんと離婚した原因の1つが、連れ子との不仲であることは間違いありませんが、お互いに多忙だったためにすれ違いが生じていたことも、離婚原因に含まれているようです。
また、草笛光子さんは芥川也寸志さんとの結婚を振り返って、2人の関係を『遅すぎた春だった』と表現していたことがありました。
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
(1952年、SKDの舞台にて『スリーパールズ』、左から、草笛光子さん、深草笙子さん、淡路恵子さん)
芥川也寸志さん出会ったのは、草笛光子さんまだ10代の頃だったと思われます。
出会って交際がスタートしてから結婚するまでに、約10年という長い期間が存在したことになります。
出会ってから結婚するまでの期間がかなり長かったこから、草笛光子さんは『遅すぎた春』と発言したのでしょう。
もし仮に、出会ってからもっと早い段階で結婚していたら、結婚生活が長く続いていたのかもしれません。
しかしこればかりはタイミングと巡り合わせもありますので、結果はどうなっていたのか分かりません。
草笛光子には愛犬がいるため子供がいなくても寂しくない
草笛光子さんは、夫芥川也寸志さんとの離婚後に、一度も再婚していません。
未婚を貫いている理由、それは、一緒に暮らす愛犬がいたからです。
長らく独身生活が続いている草笛光子さんにとって、一緒に暮らす相棒『まろ(黒のラブラドールレトリバー)』の存在は、とても大きなものでした。
草笛光子さんは、芸能界を代表する愛犬家として知られていて、愛犬の『まろ』をとにかく可愛がっていました。
『まろ』とともに、テレビに出演することもあったほどです。
出典:http://lablab2.blog25.fc2.com/
ところが、そんな『まろ』が、2018年に亡くなってしまったのです。
離婚して子供もいないことから、愛犬の『まろ』が唯一の家族でした。
そんな家族が無くなってしまって、草笛光子さんの悲しみはどれほどのことだったでしょうか。
(画像は『まろ』の弟ディーノ)
しかし、長く一緒に暮らしてきた愛犬の死で、ひどく落ち込んでいた草笛光子さんでしたが、近所にある行きつけの花屋に行った際に、運命の出会いが訪れました。
草笛光子さん曰く、『新恋人』だそう。
その新恋人とは、ゴールデンレトリバーの『サヴィ』でした。
パッと見るなり、一目惚れしてしまった草笛光子さんは、いつ来るかもわからない恋人の『サヴィ』を、その花屋で待ち伏せするようになったそうです。
毎日のように花屋に通って、一途に待ち続けた結果、ついに『サヴィ』の飼い主と連絡先を交換することができたそう。
それ以降は、花屋以外でもしょっちゅう会うようになり、会うたびにいつもおやつをあげているため、今では相思相愛の関係になっているそうです。
新恋人の『サヴィ』が草笛光子さんを癒す存在になったようですね。
飼い主が「うん」と言えば、『サヴィ』を引き取っていたかもしれません。
しかし、『サヴィ』には別に家族がいるので、それを無理に引き離そうとは思わなかったのでしょうか。
家族として一緒に居るのではなく時々会うくらいなので、『サヴィ』のことを『恋人』と言っているのかもしれません。
また、世界の妊娠最高齢の記録は、ギネス世界記録では女性の自然妊娠は57歳、体外受精では66歳が最高齢として記録されています。
非公式記録ではありますが、2019年にはインドで70代女性が体外受精の末、双子を出産したという情報もあります。
一方、男性は2012年に96歳、2020年には89歳で父親になったことが世界的ニュースになりました。
男女ともに、加齢に伴って卵子や精子の質が低下することが分かっています。
研究途上な側面もありますが、男女ともに一、般的には妊娠適齢期は20代から30代といえます。
妊娠適齢期を過ぎたからと言って妊娠確率が0になるわけではないですが、妊娠確率の低下、妊娠したあとの流産や染色体異常などのリスクが増えることは事実です。
90歳になっても現役で活躍する草笛光子さんですが、さすがにこの年齢では恋人が出来たとしても、子供を産むのは非現実的でしょう。
世間ではペットを子供のように可愛がる人が多いですが、草笛光子さんは自分の子供ではなく、恋人として接しているようです。
そういう気持ちが、草笛光子さんの若さを保つ秘訣なのかもしれません。
現在草笛光子さんはペットを飼ってはいないようですが、年齢的にも体力的にも世話をするのが難しいのかもしれません。
自分に何かがあった時、ペットの世話ができなくなったり、おいて行ったりするのは可愛そうですよね。
そうであれば、新たにペットを飼うよりも、時々触れ合うくらいの距離感が良いのかもしれません。
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