【父親は職業の畳屋と廃業!?】向井康二の母親は元軍人で美人!兄・向井達郎はアパレルブランドの社長!

日本人とタイ人のハーフであり、度々タイ語も披露する向井康二さん。

オリエンタルなルックスからくる独特の色気や関西育ちのお笑い気質など魅力あふれる向井康二さんですが、家族はどんな人々でしょうか。

今回は、向井康二さんの家族についてご紹介します。

向井康二の父親の職業は畳屋


画像出典元:河田製畳

向井康二さんの父親の職業は畳屋です。

思いのほか古風な職業に、少し意外性を感じた方もいるかもしれませんね。

 

店の名前は向井製畳だが、現在は閉業か


画像出典元:TATAMis

店の名前は有限会社向井製畳である可能性が高いと言われています。

向井康二さんの実家付近に「有限会社向井製畳」があったことから、これが父親の職業と見られているようです。

なお、現在は有限会社向井製畳は閉業しているそう

かつての日本家屋は和室が中心であり、畳のニーズも大きかったでしょう。

畳は、朝廷や公家が板の間に座らないように作られたことが発祥で、奈良県や京都府など近畿地方を中心に公家の住居建築の基本様式として発展したものとされています。

しかし、近現代の住宅事情の変化によりフローリング式の内装が当たり前になったことなどが主な業界の閉業理由ではないかと推測できますね。

また、同業界では後継者がいなかったことで事業存続を行わなかったケースも多くありました。

現在は、日本古来の文化として畳を保護していく動きも出てきています。

 

職業がわかった理由は渡辺翔太との「対談」


画像出典元:モデルプレス

また、調べを進めると向井康二さんの実家が畳屋であることがわかった理由は、渡辺翔太さんとの対談であることがわかりました。

同じSnowmanの渡辺翔太さんとの対談企画で、「実家はいつも畳の匂いがして、大きいミシンみたいなもの(断裁機)もあった。実家に帰ると日本を感じる」との発言が。

その際は渡辺翔太さんも、「お父さんが畳屋さんって初めて聞いた」と驚いていたそうです。

 

畳屋の年収はいくら?


画像出典元:TATAMis

畳屋の年収は、一般的に見て300万円~500万円ほどと言われます。

周辺の住宅数や着工数、リフォーム数、人口や年齢層などによっても差が出るので、場合によっては「それ以上」というケースもあったかもしれません。

お店によっては、畳と御座やふすまなどを取り扱うところもあります。

畳職人は、見習いからはじめて少しずつ技術を習得していき熟練職人になり収入が上がっていく「手に職」を体現した形です。

 

向井康二の父親について


画像出典元:マイナビニュース

では、ここからはそんな畳屋を営んでいた父親について見て行きましょう。

 

年齢

向井康二さんの父親は、1955年生まれで2024年現在は69歳のようです。

向井康二さんが1994年6月21日生まれで現在30歳ですから、父親が39歳の頃に生まれたことがわかります。

 

歯が綺麗


画像出典元:つぶら矯正歯科クリニック

向井康二さんの父親は歯が綺麗だそうです。

そのことは、「徹子の部屋」で語られています。

父親が旅行の際に、母親に写真を撮って欲しいと頼んだ時に「母親が父親の”歯が綺麗”だから」とひと目惚れしたのだそう。

そんな父親も年齢などの影響で、現在は総入れ歯だそうで…。

人生100年時代に突入しようとしている現代、自分の歯でしっかり噛んで食べることが重要とも言われますね。

これを機に、歯を綺麗に保つことを心がけてみようかと思います。

 

お茶目


画像出典元:X

また、向井康二さんの父親はお茶目だそうです。

このことは、実はファンにはお馴染みのよう。

コンサート中に、父親が還暦を迎えたことを祝うために「オトンおめでとう!」とコメントした向井康二さん。

それに応じて、二階席にいた父親が大声で「ありがとー!」と返事をしてきたそうです。

これには、一緒にいた母親も恥ずかしそうに父親を叩いていたようですが、会場は笑いと歓声に包まれたそう。

素直に感謝を表現し合う微笑ましい父子です。

このことで「お茶目な父親、家族思いの向井康二さん」という印象がより明確になったのだとか。

 

お風呂でダメだしされる


画像出典元:きらりライフサポート

なぜか、そんなお茶目な父親にお風呂でダメだしされる向井康二さん。

もちろん、これは向井康二さんが子供の頃の話。

酔っぱらって帰ってきてお風呂に入った父親に呼び出されて一緒に入浴するっと「もっと大人になれ」とダメだしをされたそうです。

その前後の会話まではわからないので、何についてのダメだしなのかは定かではありません。

しかし、色々な意味での「男同士の語らい」なのでしょうね。

この辺りの感覚は、父親と男の子にしかわからない「男と男のヒミツ」というやつなのかもしれません。

 

向井康二の母親・向井ハナについて


画像出典元:近畿日本ツーリスト

では、次に向井康二さんの母親について見て行きましょう。

母親は、向井ハナさんといいタイの方だといいます。

さきほど父親のところで紹介した出会いの話は、父親がフィリピンに旅行にいったときの出来事だったのでしょうか。

 

年齢は不明

向井康二さんの母親は、年齢は公開されていないため不明です。

推測ではありますが、父親の年齢を考えると母親の方が何歳か若いのではないかと思われます。

一説には、2023年時点で母親が48歳であるという情報もありましたが、正確なところはわかっていません。

 

美人


画像出典元:YouTube

向井康二さんの母親は美人のようです。

顔写真は公開されていませんが、Snowmanのメンバーの顔を女性化させるYouTube企画から、そう推測できました。

実際の画像(上記画像左)を見てみましょう。

アプリで女性化された顔は、どことなく女優の安田成美さんのような美形に見えますね。


画像出典元:YouTube

向井康二さんがアプリで女性化した画像を見て、向井康二さん自身が「マジでおかんやな」と語っています。

この企画はかなり盛り上がっていて、メンバー間でも「確かにお前のおかんだね」などのやり取りが繰り広げられました。

 

元軍人


画像出典元:X

そんな美人な母親ですが、なんと元軍人だそうです。

このことも、向井康二さんが「徹子の部屋」に出演したときに語られました。

ここでは、母親がタイ人であり元軍人であることや、タイ語での自己紹介など、向井康二さんのルーツが明かされます。

この放送を見て向井康二さんがハーフであることや、母親のことを知ったという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

 

焼き肉のタレを愛用


画像出典元:職人醤油

向井康二さんの母親は、「焼き肉のタレ」を愛用しているそうです。

チャーハンも野菜炒めもすべて焼き肉のタレを使っているという母親。

そのため、向井康二さん本人曰く「おかんの味イコール焼き肉のタレ」なのだとか。

統一感のある味、とてもわかりやすかもしれません。

母親がタイ出身ということろがミソですよね。

タイ料理は、日本食と比べて酸味や辛味など味が明確で、香りが強い特徴があります。

そういった部分にアジャストしていったときに、「家庭料理×焼き肉のタレ」が母親にとってフィットしたのでしょう。

 

子離れできないタイプ


画像出典元:ナタリー

また、母親は子離れできないタイプで息子に1日に何度もLINEをしてくるそう。

思春期になるまで勝手にお風呂に入ってきたり、洋服のコーディネートを決めて欲しがったり、息子をこよなく愛しているようで。

そうした状況に、向井康二さんは「親離れ」を目的に両親に隠れて自分で家を借りて、週4は実家、週3は借家という生活を送ったこともあるそうです。

よく考えてみれば、故郷であるタイを離れて日本に移り住んできた訳ですから、少しでも心の拠り所が多い方が安心できたのでしょうね。

一見すれば「ちょっとすごいね」という母親の愛情の裏側にあるものを考えると、何とも言えない部分もあるものです。

 

ジャニー喜多川の電話に仰天


画像出典元:スポニチ

幼少時に、一時はタイで暮らしていた向井康二さん。

そのとき、タイのムエタイジムに通っていたそうです。

日本に帰国した後、偶然にもそのジムにきたジャニー喜多川さんが向井康二さんの写真を見てスカウト。

日本の自宅に電話をしてきたジャニー喜多川さんの電話に仰天した母親は、「え? ジャニーさん? すみません」と電話を切ってしまったそう。

その様子に、「怪しくない」と説得したかったジャニー喜多川さんは何度も電話をかけてきたといいます。

その数なんと6回。

ジャニー喜多川さんがどのようなテンションでお話ししたのかはわかりませんが、テレビでよく聞く「ユー、来ちゃいなよ」なテンションだったとしたら、無理もないでしょう(笑)。

向井康二さん、晴れてジャニーズに入れてよかったですね。

 

しつけが厳しい


画像出典元:めざましmedia

母親はしつけが厳しいことも明かされています。

この内容は、宗教観や文化などの違いもありますのでその前提で捉えてください。

もしかしたら、元軍人である経験を活かしてのものなのかもしれませんね。

子供の頃は、向井康二さんが何か悪いことをしたら足を棒で叩かれたそうです。

その状況で、向井康二さんは「叩いている母親も苦しい、だから母親を泣かせないようにしよう」と感じていたそう。

育児や教育のなかで「体罰」という言葉で片づけてしまうには、安易な部分もあるのかもしれません。

大切なことは、何を目的としてどんな手段で伝え、子供を教育していくのかということと、子供に対する揺るがない愛情があるのか、ということですね。

 

向井康二の兄・向井達郎について


画像出典元:なにそれ大百科

では、ここからは向井康二さんの兄・向井達郎さんいついても見て行きましょう。

上記画像が兄のようですが、何やらイケメンでオシャレな雰囲気です。

 

年齢

兄は、向井康二さんの3歳年上です。

いい感じの年齢差ですので、「憧れの兄貴」「音楽とか服とか、色々参考にした」という部分もありそうですね。

 

アパレルブランド「ENEBEYC(エネベイク)」の社長


画像出典元:enebeyc.

そんな兄は、現在はアパレルブランド「ENEBEYC(エネベイク)」の社長を務めているそう。

本社所在地は岡山県のようで、メンズ・ウィメンズ、キッズの3ラインで展開しているようですね。

兄のオシャレな風貌はこういったところが元になっているのでしょう。

向井康二さんやSnowmanのメンバーも同ブランドを着用しているようで、ファンのSNSに引用や投稿されていることもあるようです。

 

元ジャニーズJr.「ムエタイ向井ブラザーズ」として活躍


画像出典元:

そして、イケメンの謎も解けました。

なんと、かつては兄弟で「ムエタイ向井ブラザーズ」としてジャニーズJr.で活動していたこともあるそうです。

幼少の頃はタイに暮らしていた向井康二さん一家。

その際には兄弟でムエタイ道場に通っていたそう。

そして、ジャニー喜多川さんのスカウトで、兄弟でデビューしたのでした。

その後は、ジャニーズを退所し大学進学を経て、ダンサーやダンス講師として活動。

2020年には「Daddy Brothers」というR&B系のユニットを組んで3曲ほどリリースした経歴もありました。

上記の画像は、兄本人のXによるものです。

 

既婚者


画像出典元:Instagram

兄・向井達郎さんは既婚者であることがわかっています。

この情報は、本人のSNSなどで公開されていたようですね。

また、向井康二さんがラジオで兄に子供が生まれたことを報告。

そのタイミングから兄は、娘専用のInstagramアカウントで娘の姿を公表しているようですね。

上記の画像もそのアカウントからのもので、自社ブランドの洋服などを着て、無邪気に毎日を過ごしている様子が伺えます。

小さい女の子の、少しおませで素直な姿が何とも言えずかわいらしいですね。

本当に天使のようです。

 

向井康二と仲良し

また、兄と向井康二さんは仲良し。

向井康二さんいよれば、「世界で10位以内に入る仲良し」とのことです。

ときには、一泊二日で兄弟でスノーボード旅行に出かけることもあるそう。

その際には、ウェアもお揃いにしていたそうで、兄弟の仲の良さは「世界TOP5」、「お揃いコーデでTOP3にランクインかも」と話し合ったりしています。

血が繋がった家族の仲の良さは、友達とは違う深みや濃さがあるのでしょうね。

年齢の近い兄弟がいてここまで仲良くできることは、本当に素晴らしいことだと思います。

 

向井康二の祖父母について


画像出典元:TVLIFE

向井康二さんの祖父母にも目を向けてみましょう。

祖父母は一般人であり、あまり情報は出回っていないようです。

しかし、父方の祖父母は奈良県香芝市に住んでいたようですね。

奈良県出身の向井康二さんは、祖父母と一緒に花見をしたりして家族時間を過ごしていたとも言われています。

なお、一時はタイに住んでいた向井康二さん一家ですからそのときは母方の祖父母とも一緒に過ごしていたかもしれません。

 

向井康二の実家について

ここからは、向井康二さんの実家について見て行きます。

 

奈良県香芝市五位堂にある


画像出典元:グーグルマップ

向井康二さんの実家は、奈良県香芝市五位堂にあるそうです。

上記画像の地図を見ても分かる通り、道路や土地がマス目上に整備されています。

これは、古くから街としての機能を持った土地であることを物語っていますね。

 

奈良県香芝市五位堂はどんな場所か

奈良県香芝市五位堂は、近鉄大阪線とJR和歌山線の2線が乗り入れる交通の便のいい場所です。

大阪へのアクセスがいいので、大阪市内で働く方々のベッドタウンとしての機能もあるようですね。

また、江戸時代には鋳物産業が盛んであったこともあり、それにまつわる神社仏閣があり、なかでも十二社神社が有名です。

古くから人が生活してきた街では、五穀豊穣を祈る御田植祭りが伝統として受け継がれ、今でも街の風物詩となっていますね。


画像出典元:十二社神社おんだ祭

このお祭りは地元では「おんだ祭り」として親しまれ、4月上旬に松葉を稲に見立てて稲を植える姿を再現しているそう。

歴史と伝統のある文化的価値の高い街に、向井康二さんの実家があることがわかりました。

 

金持ちかは不明

向井康二さんの実家がお金持ちであるかは不明です。

父親の職業が畳屋であることはわかっていますが、具体的な年収や生活水準がわかるエピソードは多くありません。

少年時代に、ムエタイ、水泳、サッカー、茶道、書道など複数の習い事をしていたことから、実家がお金持ちであると噂も出ています。

習い事については、月謝だけでなくどのくらいの期間習っていたのか、並行していくつも習っていたのか、などにも関係しますので確定的な情報にはなりえないのですね。

 

向井康二の生い立ち


画像出典元:Yahoo!ニュース

では最後に、向井康二さんの生い立ちについて見て行きます。

向井康二さんは、日本人の父親とタイ人の母親の間に次男として生を受けました。

日本とタイ、共通するのは仏教思想の強い国であるという部分でしょうか。

しかしながら、気候や自然環境、食文化などは大きく異なります。

幼少期にはタイに暮らし、日本に帰国して以降も長期休みはタイで過ごした向井康二さんは、高温多湿なタイでムエタイや自然遊びを経験し、その中で強い体や高い運動能力を身につけて行ったのではないでしょうか。

また、外国での生活や肉親が外国人である環境の中で、無意識のうちに世の中の多様性や多くの価値観を吸収したと思われます。

また、タイでは母親の家族は近隣の住人と多くの時間を過ごしたそうで、物質的な豊かさの代わりに人との心のつながりや心の豊かさを得たのではないかと推測します。

そんな中で、感受性が豊かで心優しい人間に育った向井康二さんは、優しさがゆえに「泣き虫」である側面もあったようです。

ジャニーズに入ってからは、弱肉強食の芸能界の厳しさに涙を見せたこともあったといいます。

しかし、向井康二さんの個性である優しさや多様な価値観を武器にSnowmanのメンバーとして活躍し、現在に至ります。

このように多様な経験をし、多様な人間の価値や考えを体感してきた向井康二さんは、多様化が叫ばれるこれからの時代に求められる経験を豊富にしてきた生い立ちだったと考えます。

向井康二さんは2024年には30代に突入し、仕事や人間性に深みや奥行きが出てくる年齢になりましたね。

そんな時期にこそ、多様な価値観を持った向井康二さんの魅力が光り輝くのではないかと思います。

これからも、向井康二さんを応援していきましょう。

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