メインの歌い手以外にも、個性あふれるギタープレイで現代のギターヒーローとしての顔も見せるKing Gnuの常田大希さん。
音楽センスや才能あふれるミュージシャンの実家がどのような環境なのか気になりますよね。
そこで、今回は常田大希さんの実家についてご紹介したいと思います。
目次
常田大希の実家は金持ち
画像出典元:ナタリー
長野県伊那市に位置する常田大希さんの実家は金持ちと言われています。
幼少期から楽器をはじめた方のご家庭は、可処分所得も多いイメージがありますが、真相を見て行きましょう。
常田大希の実家が金持ちな理由について
画像出典元:ENCOUNT
では、常田大希さんの実家が金持ちな理由を見て行きます。
①祖父・両親の経歴がすごいから
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常田大希さんの祖父や両親の経歴がすごいから、という理由が一番大きいでしょう。
常田大希さんの父親は本職はロボットエンジニアであり、高学歴高収入、趣味がジャズピアノという経歴です。
母親は、ピアノ教室の先生をしているといいますが、ピアノ教師になるには、音楽大学を卒業している可能性が高いでしょう。
当時は、ピアノというと、お金持ちの家庭の子供の習い事として比較的有名でしたから、両親とも実家が裕福である可能性が高いと言えるでしょう。
そして、常田大希さんの祖父がすごい。
詳しくは後程紹介しますが、日本の高度経済成長を技術の分野でけん引した一人であり歴史に名を遺した祖父、素晴らしい経歴です。
大手企業の開発職であった可能性が高い祖父は、当時としてはかなり高い収入を得ていたと思われますね。
祖父、父親ともに理系開発職ということで、かなりの頭脳明晰家系なのではないでしょうか。
②幼少期にチェロやそれ以外の様々な楽器を持っている&習っている環境だったから
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そんな家庭に育った常田大希さんは、幼少のころからチェロやそれ以外の様々な楽器を持っている、習っている環境で育ちました。
チェロ以外にも、ピアノやマリンバなど様々な楽器があり、それらに親しんでいたようですね。
高度な音楽教育を幼少から受ける時点で、お金に余裕があり、文化的な家庭の出身であることがわかります。
クラシックの音楽コンクールの全国大会でチェロ部門で高校生の部3位に入賞した常田大希さん。
音楽的な英才教育を受けてきたことがわかります。
弦楽器は、子供の体系や身長に応じて都度サイズに合ったものを買い替える必要がることから、習い事として月謝や公私大、コンクール参加費用以外の出費が多いことでも有名。
それを、大学時代まで続けるわけですから、資金力については言わずもがな、です。
画像出典元:アーバンライフ東京
ちなみに、常田大希さんは東京芸術大学音楽部楽器科チェロ専攻に進学しますが、ミュージシャンとしての活動に専念するために中退しています。
コードの使い方や音階の並べ方、演奏の腕前や奥行きから高度な音楽教育を感じさせる常田大希さんの音楽知識は、ここで確固たるものになったのでしょうか。
③高学歴一家だから
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常田大希さん本人も有名大学に進学した訳ですが、父親、母親、祖父の経歴を見ても高学歴一家と思われます。
ロボット工学や機械工学を習得するためには、理系の大学で専門知識を学び、場合によっては大学院での研究実績なども必要になります。
その点から考えて、父親、祖父は難関の国立大学や私立大学の出身と思われますね。
また、先ほど少し触れましたが、ピアノの先生である母親は音楽大学の出身と思われます。
常田大希さんの親の世代では、大学進学率もまだ30%強、祖父の世代では10%程度であると考えると、かなり高学歴一家と言えるでしょう。
常田大希の実家について
では、続けて常田大希さんの実家について見て行きましょう。
場所は長野県伊那市
画像出典元:伊那市ホームページ
常田大希さんの実家は、長野県伊那市。
自然豊かで、そばや馬肉料理が有名は伊那市は、人口約7万人。
面積は、松本市、長野市に次いで券3番目の大きさです。
常田大希の父親について
そんな長野県伊那市に住んでいる家族を見て行きます。
まずは、父親についてご紹介しましょう。
名前は常田晴弘との噂
常田大希さんの父親は、常田晴弘さんというようです。
長野県伊那市の出身でロボット工学に関する書籍を出版している方が、常田晴弘さんというそうで、その関係で、父親ではないか、という噂が出たようですね。
この方の勤務先は、日本電産サンキョーとされています。
なお、同企業の平均年収を調べると518万円~1050万円となっていました。
ロボットエンジニア
画像出典元:ロボカル
書籍を出版していることなどから、常田晴弘さんはロボットエンジニアであることがわかります。
機械工学やロボット工学などの線も知識が必要となる同職業では、恐らく高度な専門教育を受けるために大学を卒業する必要があると思われます。
そのことから、父親は有名大学卒業と考えられますね。
東大かは不明
このことから、東大卒ではないか、という噂もありますがその事実は不明です。
高校時代はバンドを組んでいた
画像出典元:My sound
また、常田大希さんの父親は高校時代にバンドを組んでいたようですね。
ここでの音楽活動の母体になったのが、趣味のピアノだったのかもしれません。
そして、常田大希さんが音楽の道に進むことを示唆するような父親の経験が、親子であることを強く感じさせてくれます。
常田大希の母親について
では、続いて常田大希さんの母親について見て行きましょう。
名前は常田理恵
画像出典元:教員人材センター
常田大希さんの母親の名前は、常田理恵さん。
ピアノの先生という等情報がありましたが、一方では、音楽の先生という情報もあるようです。
音楽の先生またはピアノ教室の先生
画像出典元:大林組
2017年ごろには、伊那市立東春近小学校で音楽の教諭をされていたと言われていました。
音楽大学卒業と見られていた母親は、東京都の武蔵野音楽大学を卒業されていることがわかりました。
なお、武蔵野音楽大学は、声優の木村昴さんの父親が準教授をされていることでも有名ですね。
連絡を1ヶ月忘れることも
母の日が近づいてきた日のこと
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母ちゃんに ”なんか欲しいもんある?” とLINEを送ったのに既読無視され続け、1か月くらい経った頃に何事も無かったように “ 返事忘れてた!” と返事してきたのだけど
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あー俺の性質って遺伝だったんだと思った— 常田大希 – Daiki Tsuneta (@DaikiTsuneta) August 9, 2022
画像出典元:X
常田大希さんによると、母親は忘れっぽいといい、見事に遺伝しているようです。
連絡を1ヶ月忘れることもあるようですね。
上記は、常田大希さん本人のXの投稿ですが、連絡したら1ヶ月後に普通に返事が来ることもあるようですね。
我々のように、SNSやメール、LINEなどのデジタルツールに慣れていない世代ですと、こういったことは多いかもしれません。
高齢の両親にLINEを送っても「見方がわからない」と電話がかかってきたり、「LINEって何?」って聞き返されたり…、絵文字の使い方が支離滅裂だったり…。
世代間ギャップは仕方のない現象なのでしょう。
常田大希の兄・常田俊太郎について
次は、兄・常田俊太郎さんについて見て行きましょう。
津田健次郎さんと自分の兄貴が似過ぎてて、今年に入って3回も見間違えた。
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写真より実物のが圧倒的に似てるんだよなあ、、ななみんとつねみん、、 pic.twitter.com/tYyrDnQVYc— 常田大希 – Daiki Tsuneta (@DaikiTsuneta) January 20, 2024
画像出典元:X
常田俊太郎さんは、常田大希さんにも似ているそうですが、かなりのイケメンで声優の津田健次郎さんに間違われることもしばしば、といいます。
常田大希さん本人も、3回見間違ったとXに投稿していました。
ヴァイオリニスト
画像出典元:X
そんな兄・常田俊太郎さんはヴァイオリニスト。
音楽一家で育った常田兄弟は、共に弦楽器を学んでいたそうです。
常田大希さんの2歳年上の兄は、東京大学卒業という頭脳を活かして一時は民間企業で働いていましたが、一念発起。
現在は、独立して起業家兼ヴァイオリニストとしての道を歩んでいるそうです。
コンサル会社勤務していたことも
画像出典元:PR TIMES
東京大学を卒業して、コンサルティング会社であるコーポレートディレクションに就職した常田俊太郎さん。
近年勢いのあるメガベンチャー企業を中心に多くのプロジェクトを経験し、早くにマネージャーとして統括する立場になったようです。
その後、独立して音楽家やクリエイターを支援する会社を立ち上げ活動しつつ、自身もヴァイオリニストとして活動しているといいます。
常田俊太郎さんの会社は、株式会社ユートニックといい、ネット記事で何度か取り上げられるなど注目も集まっているようです。
宮司愛海と結婚間近
画像出典元:Instagram
そして、常田俊太郎さんはフジテレビアナウンサーの宮司愛海さんと交際中で、結婚間近と言われています。
宮司愛海さんは、1991年7月29日生まれで現在33歳。
早稲田大学文化構想学部出身で、中堅アナウンサーとして人気と実力のあるホープと言われていますね。
週刊誌によると、年齢的にも結婚間近の真剣交際か、とのことです。
このことについて、本人もフジテレビも否定はしなかったとのことですから、近いうちに明るい知らせがあるかもしれませんね。
兄弟の仲は良い
画像出典元:音ちゃんねる
常田大希さんと常田俊太郎さんの兄弟仲は良いといいます。
King Gnuがミュージックステーションに出演した際には、ちゅねだ俊太郎さんがゲスト出演し、兄弟共演を果たしました。
その際には、「弟は変な奴、普通の社会じゃ生きていけない」といいながらも、温かく見守り、認めている空気を感じさせていました。
信頼し認め合える兄弟、うらやましい限りです。
常田大希の祖父・常田朝秀はカラーテレビの開発者
画像出典元:MUSIC SCENE
常田大希さんの祖父・常田朝秀さんは、なんと、国産カラーテレビの開発に携わっていた人物で、紫綬褒章も受賞しているといいます。
当時、東芝の開発職であった常田朝秀さんは、日本初のカラーテレにを開発~設計、量産事業を進めた一人でもありました。
その雄姿は、NHKで特別番組として放送されるほどで、戦後の日本の経済成長をけん引していた一人といってもいいでしょう。
カラーテレにといえば、1960年代の「三種の神器=カラーテレビ・クーラー・自動車」として部員課的生活の象徴として、国民が必死で追い求めた現代機器でした。
このような製品を開発した世界に誇る日本の技術者は、日本の宝といっても過言ではないほどの存在ではないでしょうか。
常田大希の祖母・常田敏子は画家
また、常田朝秀さんの妻である常田敏子さんは、常田大希さんの祖母。
常田敏子さんは、女流画家としての一面もあり常田大希さんの音楽以外の芸術的センスのルーツともなっているようです。
神奈川県に住んでいた祖父母は、大学に通っていた常田大希さんが7年間同居していました。
家は武蔵小杉にある
画像出典元:グループマップ
祖父母の家は、神奈川県川崎市の武蔵小杉にあるそうです。
近年では、再開発が進み大型ショッピングモールやタワーマンションも建設されているようですね。
交通の便もよく、JR南武線、東急東横線、湘南新宿ラインが乗り入れる便利な街、武蔵小杉。
時代の発展と共に、その変貌を見届けてきた祖父母の元に7年間も常田大希さんが暮らしていたとは、少々驚きます。
マクドナルドが好き
画像出典元:マクドナルド
そんな常田敏子さん、昭和初期の生まれにしてはハイカラ。
マクドナルドが好きだそうです。
常田大希さんと一緒に、よくハンバーガーを食べていた祖母。
「おいしいね」といいながらマックのハンバーガーを頬張るおばあちゃん、ちょっとイケてますよね。
音楽活動を応援
画像出典元:note
マックが好きな祖母は、もちろん、孫のバンド活動も応援。
祖母宅でバンドメンバーがリハーサルをして、練習になるとわざわざ窓を開けて近所にアピール。
こういった感覚だからこそ、孫がミュージシャンになるのでしょうね。
屋上でスケボーをした常田大希をしかる
画像出典元:ライブドアNEWS
しかし、流石は昭和生まれ。
倫理観はしっかりしていて、屋上でスケボーしたらしかるそうです。
何事も適材適所、「ならぬことはならぬ」なのですね。
タバコに関しての名言がある
画像出典元:フォーネスビジュアス
そして、タバコに関する名言がありました。
「タバコが吸えるのは健康な証拠」だとのこと。
確かに、体調が悪かったり風邪を拗らせるとタバコの味もよくわからず、ただ辛いだけなんてもともありますよね。
仰る通りです。
タバコを吸うたびに祖母を思い出す素敵なエピソードですね。
常田大希の生い立ち
画像出典元:Instagram
では、常田大希さんの生い立ちに迫ってみましょう。
小さい頃から、ピアノが得意な両親に育てられたことで、音楽を奏でる以外に、音楽から派生する芸術性やアーティスティックな部分が磨かれたと思われる少年時代。
東京大学に進学するほどの頭脳を持った兄の影響から、少なからず知識やその活用といった「頭の使い方」も備わったのではないかと思います。
常田大希さんから感じられる単なるオシャレとは異なる芸術性やクリエイティビティはそういった生い立ちから来るのかもしれません。
また、大学時代を含めた7年間を祖母と暮らしたことで、核家族の中では継承されずらかった「古き良き日本」の精神性なども得ることができたのではないでしょうか。
バンドのフロントマンとして人々を魅了する深みや奥行きは、ここから来るものと思われます。
東京芸術大学を中退
幼少期から積み上げてきたチェロの才能を活かして進学した東京芸術大学。
しかし、わずか1年足らずで東京芸術大学を中退しています。
なお、その腕前はかなりのもので世界的指揮者の小澤征爾さんが主宰する楽団のチェリストを務めていたほどであり、挫折によるものではないようです。
中退の理由について本人は、「社会と結びついた音楽をしたいから」と語っています。
大衆に音楽が普及し、日常生活や人間の精神性、生き方やライフスタイルに至るまで浸透した「音楽」。
それは、現代においてはクラシックではありませんでした。
現代に浸透した音楽は、ビジネスでありながらビジネスを超えた、「生きる姿」に直結する部分を得たひとつの文化としての側面が色濃く存在していますよね。
そうしたことから、長年積み上げてきたものではなく、それを活かした形で社会と結びついた音楽と共に生きていきたい、と思うようになったのかもしれません。
その強い信念があったからこそ、卒業という時を待たずして「中退」を躊躇なく選択したのではないかと思います。
そういった、ストイックでまっすぐな部分がミュージシャンそのものである常田大希さん。
これからも、その活躍を応援していきたいと思います。
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