明治大学の長距離ブロックで箱根駅伝を目指す大湊柊翔さんですが、その原点である中学時代について気になっている方も多いのではないでしょうか。具体的な出身中学こそ公表されていないものの、新潟県を拠点に活動していたことや、中学3年生で全日本中学校陸上競技選手権に出場した実績など、辿れる情報は数多く残っています。
この記事では、大湊柊翔さんの中学時代の陸上成績や所属していたアルビレックスランニングクラブでの活動、そして15歳で親元を離れて学法石川高校へ進学した背景から、現在の明治大学での箱根駅伝への挑戦につながる歩みまで詳しく解説していきます。気になる方はぜひ最後までご覧ください。
目次
大湊柊翔の中学時代と陸上の経歴を解説
- 大湊柊翔の出身中学校はどこか
- 中学時代の陸上成績と全国大会出場
- 全日本中学校陸上選手権での結果
- アルビレックスRCとの関わりと活動
- 15歳で学法石川高校を選んだ背景
大湊柊翔の出身中学校はどこか
●福島県高校陸上・男子5000m
🥇14:28.24
大湊 柊翔選手(#学法石川 3年)指揮官も「クレバーな選手」と評する大湊選手。今日は、気象状況を考慮して記録よりも「勝ち」に徹するレースにしたそうです。去年に引き続き、学石勢が上位を独占しました。#福島 #陸上競技 pic.twitter.com/g2FTtxFf9Y
— Akihiro (@sktytuf) May 28, 2022
まずはあなたが一番気になっているであろう、大湊柊翔さんの出身中学校について、現時点で分かっていることを整理していきますね。
新潟県出身というプロフィール
大湊柊翔さんは新潟県出身の長距離ランナーです。現在は明治大学の情報コミュニケーション学部に在籍し、体育会競走部の長距離ブロックで活動していますが、その原点をたどると新潟県での中学時代にたどり着きます。本人のインタビューや部員日記でも、家族との思い出は新潟時代を軸に語られていることが多く、生活の拠点が新潟県にあったことはほぼ間違いないと考えられます。
具体的な中学校名は公表資料に見当たらない
一方で、正直にお伝えすると、具体的な中学校名そのものは、現時点で確認できる公表情報の中には明記されていません。大学の体育会競走部note記事や大学スポーツ新聞のインタビューでは、高校時代・大学時代のエピソードが中心で、中学校名まで掘り下げて紹介されるケースは少ないんですよね。あなたも調べていて「高校や大学の情報はすぐ出てくるのに、中学校だけ出てこない」ともどかしく感じたのではないでしょうか。
なぜ中学校名だけ情報が少ないのか
これは大湊柊翔さんに限った話ではありません。多くのトップアスリートは、中学時代は学校の部活動よりも地域のクラブチームで実績を積むケースが多く、メディアの注目も高校進学以降に集まりやすい傾向があります。中学校の活動は校内行事や地域大会が中心になりやすく、全国的な報道の対象になりにくいという事情も影響していそうです。
推測の手がかりになる情報を整理
中学校名そのものは分からなくても、周辺情報から在籍時期の生活圏はある程度推測できます。新潟県内を拠点とするアルビレックスランニングクラブの新潟校に所属していたこと、そして中学卒業と同時に15歳で福島県の学法石川高校へ進学し親元を離れたことから、中学時代は新潟県内の学校に通っていた可能性が高いと考えられます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出身 | 新潟県 |
| 中学時代の所属クラブ | サトウ食品アルビレックスランニングクラブ(新潟校) |
| 中学卒業後の進路 | 学校法人石川高等学校(福島県・15歳で県外進学) |
| 大学 | 明治大学 情報コミュニケーション学部 |
こうして整理してみると、大湊柊翔さんの中学時代は新潟県を拠点にしていたことがかなり濃厚だと分かりますね。次の項目では、その中学時代にどんな陸上成績を残していたのかを詳しく見ていきます。
参照:サトウ食品アルビレックスランニングクラブ公式サイト 【大会結果】第46回全日本中学校陸上競技選手権大会
中学時代の陸上成績と全国大会出場
ここでは、大湊柊翔さんが中学時代にどのような成績を残し、どうやって全国大会の舞台にまでたどり着いたのかを見ていきますよ。
中学生にして全国大会出場という実績
大湊柊翔さんは中学3年生だった2019年、全日本中学校陸上競技選手権大会という全国トップレベルの大会に出場しています。これは都道府県予選や地区大会を勝ち抜いた選手だけが立てる舞台であり、全国の中学生ランナーの中でもかなり上位に位置する実力があったことを示す実績です。全日本中学校陸上競技選手権大会は、都道府県ごとの予選会、さらにその上のブロック大会を突破しなければたどり着けない大会です。あなたが「大湊柊翔 中学」と検索してこの記事にたどり着いたのも、この全国大会出場という実績の重みを直感的に感じ取っていたからかもしれませんね。
出場種目は1500mと3000mの2種目
大湊柊翔さんが出場したのは、男子1500mと男子3000mの2種目でした。中距離の1500mと長距離寄りの3000mの両方に出場していることから、スピードとスタミナの両面を兼ね備えたバランス型のランナーだったことがうかがえます。現在、明治大学で長距離ブロックの選手として活動していることを踏まえると、この中学時代の2種目出場は、後のキャリアの原型とも言えそうですね。一般的に、1500mはスピードとリズムの維持がものを言う種目で、3000mはそこにスタミナ配分の巧みさが加わる種目です。片方の種目に特化するのではなく、幅広い距離に対応できる走力を持っていたことが、後に駅伝という長い距離をチームでつなぐ競技へ進んだ伏線になっていると見ることもできます。
同じクラブから複数選手が出場する強豪ぶり
大湊柊翔さんが所属していたアルビレックスランニングクラブの新潟校からは、大湊さん以外にも複数の選手が同じ全国大会に出場しています。1人だけが突出していたのではなく、チーム全体として強豪クラブだったことが分かり、切磋琢磨できる環境が整っていたと考えられます。男子800m、男子1500m、男子3000m、さらには男子4×100mリレーと、新潟校の選手たちは複数種目にわたって全国大会の舞台に立っています。1人のスター選手に頼るのではなく、チーム全体の底上げができていたクラブだったことがうかがえ、大湊柊翔さんもそうした集団の中で日々刺激を受けながら力を伸ばしていったのでしょう。
全国大会出場が意味すること
中学生の全国大会は、都道府県ごとの予選を勝ち抜いた選手しか出場できません。つまり新潟県内の数多くの中学生ランナーの中で、上位に食い込む結果を残していたということです。中学校の部活動やクラブチームで陸上に取り組む生徒は全国に数多くいますが、その中で全国大会にたどり着ける選手はごく一部に限られます。大湊柊翔さんはその狭き門を、しかも2種目でくぐり抜けた選手だったわけです。この時点ですでに、単なる「速い中学生」の枠を超えた存在だったと言えるでしょう。
この経験がその後の進路選択につながった
中学時代に全国レベルを経験したことは、その後の高校進学や大学進学の選択にも大きく影響したと考えられます。後述しますが、大湊柊翔さんは中学卒業後すぐに県外の強豪校へ進学するという決断をしており、中学時代に手にした全国大会出場という成功体験が、より高いレベルを目指す原動力になった可能性は高いでしょう。一般的に、中学時代に全国大会レベルを経験した選手ほど、高校選びの段階で「さらに上のレベルで戦える環境」を意識する傾向があります。大湊柊翔さんが15歳という若さで親元を離れる決断をしたのも、この中学時代の実績があったからこそ選べた道だったのではないでしょうか。次の項目では、その具体的な大会結果をさらに詳しく掘り下げていきます。
参照:サトウ食品アルビレックスランニングクラブ公式サイト 【大会結果】第46回全日本中学校陸上競技選手権大会
全日本中学校陸上選手権での結果
ここからは、前の項目で触れた全日本中学校陸上競技選手権の具体的な結果を、数字とともにもう少し詳しく見ていきましょう。
大会の開催概要
大湊柊翔さんが出場した第46回全日本中学校陸上競技選手権大会は、2019年8月21日から24日にかけて、大阪市のヤンマースタジアム長居で開催されました。全国の中学生アスリートが一堂に会する、まさに中学陸上界の頂点を決める大会です。ヤンマースタジアム長居は数々のトップレベルの陸上競技大会が開催されてきた由緒ある競技場で、本格的な全天候型トラックで実力を試せる舞台です。中学生にとっては、こうした大規模な会場で走ること自体が非常に貴重な経験になったはずです。
男子1500mの結果
男子1500mでは、大湊柊翔さんは予選で4分06秒88というタイムを記録し、組内7着という結果でした。決勝進出には一歩届かなかったものの、全国大会の予選を走り切ったこと自体が、中学生ランナーとしては非常に高いレベルにあった証と言えます。同じ新潟県のアルビレックスRCからは、県央校所属の竹石優選手も同じ男子1500mに出場しており、予選を4分03秒64の2着で通過し、決勝でも4分05秒39で10位に入っています。大湊柊翔さんと竹石優選手、2人の新潟県勢がともに全国大会の舞台で走っていたことになり、当時の新潟県の中学陸上のレベルの高さがうかがえます。
男子3000mの結果
もう一つの出場種目である男子3000mでは、予選で8分54秒99を記録し、9着という結果を残しています。1500mよりも距離が長い3000mで安定したペースを刻めていたことから、すでに中学時代からスタミナ面での適性があったとも読み取れますね。3000mでも、新潟校からは佐藤蓮選手が9分07秒34で13着と、こちらも上位に食い込む結果を残しています。同じクラブの仲間が同じ種目で上位争いに絡んでいたことからも、アルビレックスRC新潟校全体のレベルの高さが見て取れますね。
結果を数字で整理
ここで、当時の結果を表にまとめておきます。
| 種目 | 記録 | 順位 |
|---|---|---|
| 男子1500m(予選) | 4分06秒88 | 7着 |
| 男子3000m(予選) | 8分54秒99 | 9着 |
決勝には進めなかったものの、2種目とも一桁着順で予選を終えている点は見逃せません。全国レベルの選手がひしめく舞台で、複数種目にわたってこの順位を残せる中学生は決して多くないはずです。
この結果が示す将来性
中学生年代でのタイムは、その後の成長次第で大きく伸びることも珍しくありません。実際、大湊柊翔さんはこの後、県外の強豪高校、さらに箱根駅伝を目指す大学へと着実にステップアップしていきます。中学時代のこの結果は、あくまでその後の飛躍の出発点にすぎなかったと考えると、当時の記録の見え方も少し変わってくるのではないでしょうか。決勝進出とは僅差だったこの結果を糧に、大湊柊翔さんは高校でスピードを磨き、大学では距離を踏む練習にも前向きに取り組んでいきます。中学時代に一桁着順まで迫った経験が、悔しさとともに次への伸びしろとして本人の中に残っていたのかもしれません。
全国大会経験がもたらした自信
中学3年生というタイミングで全国大会を経験できたことは、大湊柊翔さんにとって大きな自信につながったと考えられます。全国レベルの選手たちと同じ舞台で走った経験は、その後「もっと上を目指せる」という感覚を持つきっかけになったはずです。高校進学後、トラック種目に自信を持って取り組めていた背景には、この中学時代の全国大会出場という経験が土台としてあったのではないでしょうか。
参照:サトウ食品アルビレックスランニングクラブ公式サイト 【大会結果】第46回全日本中学校陸上競技選手権大会
アルビレックスRCとの関わりと活動
大湊柊翔さんの中学時代を語るうえで欠かせないのが、所属していたアルビレックスランニングクラブの存在です。ここではその関わりについて詳しく見ていきます。
アルビレックスRCとはどんな組織か
大湊柊翔さんが中学時代に所属していたのは、サトウ食品アルビレックスランニングクラブ(新潟校)です。新潟県を拠点に活動する陸上・ランニングのクラブチームで、企業がバックアップする形で運営されている点が特徴です。学校の部活動とは別に、地域のクラブチームで専門的な指導を受けられる仕組みが整っていたことになります。サトウ食品といえば、新潟県を代表する食品メーカーとして広く知られる企業です。地元企業がスポンサーとなり、次世代のアスリート育成を後押しする体制が整っていたことは、大湊柊翔さんのような若い選手が競技に打ち込める環境づくりに大きく貢献していたと考えられます。
学校の部活動とクラブチームの違い
日本の中学生の陸上競技には、学校の部活動として取り組むケースと、地域のクラブチームに所属して取り組むケースの両方があります。クラブチームは学校の枠を超えて専門的な指導者やトレーニング環境を提供できることが多く、上位を狙う選手ほどクラブチームに所属する傾向があるとも言われています。学校の部活動だけでは十分な指導者や設備を確保できないケースも少なくない中、クラブチームという受け皿があることで、地域全体の競技レベルの底上げにつながっているという側面もあります。大湊柊翔さんが中学時代からこうした専門的な環境で競技に取り組めていたことは、決して当たり前ではない、恵まれた条件だったと言えそうです。
新潟校という拠点の位置づけ
大会結果を見ると、大湊柊翔さんの所属は「新潟校」と明記されています。複数の拠点校を持つクラブの中で、新潟校という具体的な単位に所属していたことが分かり、地域に根ざした育成システムの中で力をつけていったことがうかがえます。一般的にクラブチームは複数の拠点を持ち、それぞれの地域で選手を育成する形を取ることが多くあります。新潟校という単位で活動していたことは、より地域に密着した形で日々の練習や大会参加ができていたことを意味し、家族が応援に駆けつけやすい環境でもあったはずです。
クラブ内での仲間の存在
先ほども触れたとおり、全日本中学校陸上競技選手権には、大湊柊翔さんと同じ新潟校から複数の選手が出場しています。同じ目標を持つ仲間が身近にいる環境は、日々の練習でのモチベーション維持にも大きく影響したのではないでしょうか。部活動の仲間とはまた違う、同じ志を持つクラブチームの仲間との関係は、学校の垣根を越えて刺激を与え合える貴重なつながりになっていたと考えられます。こうした人間関係は、大学に進学した今でも大湊柊翔さんの財産として残っているのではないでしょうか。
クラブでの経験が後のキャリアに与えた影響
中学時代にクラブチームで専門的な指導を受けた経験は、その後の高校・大学での競技生活にもつながっていると考えられます。早い段階から本格的な陸上環境に身を置いていたことが、県外の強豪校への進学や、大学での駅伝挑戦という選択につながる下地になったのかもしれません。中学時代にクラブチームで積んだ経験は、指導者から専門的なアドバイスを受ける習慣や、自主的に練習メニューを考える姿勢にもつながっていたはずです。大学で単独走に自ら取り組む姿勢は、こうした中学時代からの積み重ねの延長線上にあると見ることもできそうです。
参照:サトウ食品アルビレックスランニングクラブ公式サイト 【大会結果】第46回全日本中学校陸上競技選手権大会
15歳で学法石川高校を選んだ背景
中学卒業のタイミングで、大湊柊翔さんは大きな決断をしています。ここでは、15歳という若さで親元を離れて県外の高校に進学した背景を見ていきます。
15歳での県外進学という決断
大湊柊翔さんは中学を卒業してすぐ、15歳で県外の高校である学法石川高校(福島県)に進学しました。新潟県で育ってきた選手が、義務教育を終えたばかりのタイミングで親元を離れるというのは、本人にとっても家族にとっても、決して簡単な選択ではなかったはずです。
なぜ学法石川高校だったのか
学法石川高校は、スピードのある選手が多い学校として知られており、大湊柊翔さん自身も後のインタビューで「トラックには自信を持って取り組んでいる」と振り返っています。中学時代に1500mと3000mの両方で全国大会を経験していた大湊柊翔さんにとって、スピード強化に強みを持つ学法石川高校の環境は、自分の課題やこれからの成長にぴったり合う選択肢だったのではないでしょうか。
家族との別れという現実
15歳での県外進学は、家族との物理的な距離が生まれることも意味します。母親も、まさかこんなに早く息子が家を出るとは思っていなかったと語られているように、家族にとっても寂しさを伴う出来事だったようです。それでも家族は笑顔で送り出してくれたと本人が振り返っており、この時の経験は今も大湊柊翔さんの競技への原動力になっているようです。詳しい家族とのやり取りについては、後ほど改めて紹介しますね。
早期の環境移行がもたらすメリットと難しさ
ここで少し整理してみます。10代半ばで競技環境を大きく変えることには、メリットと難しさの両面があります。
| 視点 | 内容 |
|---|---|
| メリット | より専門性の高い指導・強豪環境に早くから触れられる |
| メリット | 同じ志を持つライバル・仲間に囲まれ競技意識が高まる |
| 難しさ | 親元を離れることによる精神的な負担 |
| 難しさ | 生活環境の変化への適応が必要になる |
この決断が今につながっている
結果として、大湊柊翔さんは学法石川高校での3年間を経て、憧れていた明治大学への進学を果たしています。15歳での決断が、その後の高校・大学でのキャリアの土台になったことは間違いなさそうです。次のH2からは、この学法石川高校時代以降の活躍を詳しく見ていきます。
大湊柊翔の中学以降の活躍と素顔
- 学法石川高校時代の競技生活と成長
- 明治大学への進学と駅伝への挑戦
- 箱根駅伝にかける想いと目標
- 大湊柊翔の家族構成と支えへの感謝
- 選手としての強みと今後の展望
学法石川高校時代の競技生活と成長
ここでは、15歳で進学した学法石川高校での3年間、大湊柊翔さんがどのように競技力を伸ばしていったのかを見ていきます。
スピードのある選手が多い環境に身を置く
大湊柊翔さんは学法石川高校について、「スピードがある選手が多く、自分たちもトラックには自信を持って取り組んでいる」と振り返っています。中学時代からスピードと持久力の両方を武器にしていた大湊柊翔さんにとって、この環境はまさに自分の力を伸ばすのにふさわしい場所だったと言えそうです。学法石川高校は福島県石川郡石川町にある学校で、陸上競技の強豪校として名前が知られています。全国から実力のある選手が集まる環境に身を置くことで、大湊柊翔さんは中学時代とはまた違った刺激を受けながら競技に打ち込んでいったと考えられます。
トラック種目での自信
高校時代は特にトラック種目に自信を持って取り組んでいたようです。スピード強化を軸にしたチーム全体の方針の中で、自身のタイムを磨いていったことがうかがえます。中学時代の1500mと3000mでの実績を踏まえると、高校でのトラック中心の鍛錬は、その後の伸びしろを大きく引き出す期間になったのではないでしょうか。トラック種目は、記録という明確な数字で自分の成長を確認できる種目でもあります。日々のタイムの変化を実感しながら練習に取り組めたことは、大湊柊翔さん自身の自信につながっていったはずです。あなたも、数字で結果が見える取り組みほどモチベーションを保ちやすいと感じたことがあるのではないでしょうか。
トラックで培った力を駅伝に生かすという発想
興味深いのは、大湊柊翔さん自身が「トラックで培った力を駅伝でさらに発揮できればもっといい強みになる」と語っている点です。トラックと駅伝は別物ではなく、トラックでの基礎スピードが駅伝での勝負所を作るという考え方を、高校時代からすでに持っていたことが分かります。駅伝は単独走ではなく、チームで襷をつなぐ競技です。個人のスピードを、チームのために発揮するという発想への転換は、高校時代から少しずつ育まれていたと考えられます。この考え方は、後に明治大学で駅伝を最優先の目標に据える決断にも直結しているはずです。
3年間で積み上げた競技力
15歳で親元を離れ、慣れない環境からスタートした学法石川高校での生活でしたが、3年間を通じてトラック種目を軸に着実に力をつけていったことがうかがえます。あなたも学生時代、環境を変えたことで一気に成長した経験があるかもしれませんが、大湊柊翔さんにとってもこの3年間はまさにそういう時期だったのでしょう。15歳で親元を離れた直後は、生活面でも競技面でも慣れないことが多かったはずです。それでも3年間を通じて着実に力をつけていけたのは、スピードを重視するチームの方針と、本人の努力がかみ合った結果だったのでしょう。
高校卒業時に見えていた次の目標
高校在学中、大湊柊翔さんはすでに次のステージである大学進学、それも明治大学への進学を強く意識していました。高校入学時からずっと明治大学への進学を考えていたと語られており、学法石川高校での3年間は、その目標に向けた助走期間でもあったのです。高校3年間という期間は、10代の選手にとって心身ともに大きく成長する時期でもあります。競技面の成長だけでなく、親元を離れて自立した生活を送る経験も、大学生活への良い準備になっていたと考えられます。次の項目では、いよいよ憧れの明治大学への進学とその後の挑戦について見ていきます。
明治大学への進学と駅伝への挑戦
大湊柊翔さんは高校卒業後、憧れだった明治大学に進学します。ここでは、その進学理由と大学での挑戦について詳しく見ていきます。
明治大学を選んだ理由
大湊柊翔さんが明治大学を選んだ理由について、本人は「文武両道という面で充実した生活を送れると思ったこと」を挙げています。競技だけでなく、学業も含めた大学生活全体の充実を重視して進学先を決めたことが分かります。「文武両道」という言葉には、競技だけに偏らず、学業でもしっかり結果を出したいという思いが込められています。大学生活全体を充実させたいという価値観は、家庭内で教育を大切にする空気があったこととも重なって見えます。
中学3年次に芽生えた明大への憧れ
さらにさかのぼると、この進学先選びの原点は中学時代にあります。大湊柊翔さんは中学3年次に箱根駅伝をテレビで見たことがきっかけで明治大学に憧れを持つようになったと語っており、その憧れは高校入学時にはすでに「明大に進学する」という明確な目標に変わっていました。箱根駅伝は、毎年お正月にテレビ中継され、多くの人が目にする大学スポーツの一大イベントです。まだ中学生だった大湊柊翔さんの心を動かしたその映像は、単なる憧れにとどまらず、明確な進路目標へと形を変えていきました。中学時代に見た箱根駅伝の光景が、その後の進路を決定づけたと考えると、あなたも感慨深いものを感じるのではないでしょうか。
情報コミュニケーション学部での学生生活
大湊柊翔さんが在籍しているのは、明治大学の情報コミュニケーション学部です。競技面だけでなく学業面でも新しい環境に飛び込み、文武両道を掲げる大学生活を実際にスタートさせた形になります。情報コミュニケーション学部は、社会や情報、コミュニケーションについて幅広く学べる学部として知られています。競技と両立しながら新しい学問分野に触れる生活は、大湊柊翔さんにとって新鮮な刺激になっているはずです。
トラックよりも駅伝を選んだ理由
大学ではトラックとロードのどちらに力を入れたいかという問いに対し、大湊柊翔さんは「日本選手権やインカレに出たいという気持ちもあるが、箱根駅伝を目指して入学させてもらったので、三大駅伝でしっかり結果を出して走りたい」と答えています。トラックへの憧れも持ちながら、最終的には駅伝を最優先に据えているところに、大湊柊翔さんの覚悟の強さがにじみ出ていますね。トラック種目への未練がなかったわけではないはずですが、箱根駅伝を目指して入学したという原点に立ち返り、駅伝を最優先に据える決断をしています。この判断力の高さは、中学時代から複数種目に取り組んできた経験の中で培われたものかもしれません。
1年次から掲げていた積極的な姿勢
入学当初から、大湊柊翔さんは「積極的な走りをして上級生を突き上げるような爆発的な走りをしたい」と語り、全日本大学駅伝も箱根駅伝も予選会からしっかり出場して本戦も走りたいという高い意欲を示していました。大学の長距離ブロックでは、上級生を中心にチームが構成されることが一般的です。新入生の立場でありながら、上級生を突き上げる走りをしたいと公言していたことからは、遠慮のない前向きな姿勢がうかがえます。この姿勢は、その後の大学生活の中でも一貫して大切にされているようです。
箱根駅伝にかける想いと目標
大湊柊翔さんにとって、箱根駅伝はまさに競技人生の中心にある目標です。ここでは、その想いと具体的な目標、そして予選会での忘れられない経験を紹介します。
掲げている明確な目標
大湊柊翔さんが4年間を通して掲げている最大の目標は、箱根駅伝で区間3番以内の走りをし、シード権獲得に貢献することです。単に出場するだけでなく、チームの成績に直結する上位の走りを目指しているところに、本気度の高さがうかがえます。
トラックの主要大会も見据えている
目標は箱根駅伝だけにとどまりません。関東学生対校選手権や日本学生対校選手権、日本選手権といったトラックの主要大会にも出場し、いずれは世界を目指せる選手になりたいという大きな展望も語っています。駅伝とトラック、両方の舞台で結果を残そうとする姿勢は、中学時代に1500mと3000mの両方で全国大会に出場していた経験ともつながって見えます。
箱根予選会での悔しい経験
その一方で、箱根駅伝への道のりは決して順調なことばかりではありませんでした。あるとき臨んだ箱根駅伝の予選会では、母親が応援に駆けつけてくれていたにもかかわらず、チームは予選を通過できず、レース後に母の姿を見た瞬間、涙が溢れて「ごめん」としか言えなかったという出来事がありました。絶対にもう一度箱根で走る姿を見せたいという強い思いで臨んだレースだっただけに、この結果は本人にとって相当悔しいものだったはずです。
「ごめん」から「ありがとう」へという決意
この経験を経て、大湊柊翔さんは「だからこそ次こそは、笑顔でありがとうと言いたい」と語っています。悔しさをただのマイナス経験で終わらせず、次への原動力に変えているところに、この選手の芯の強さが表れていますね。予選会での挫折があったからこそ、箱根駅伝への想いはより一層強くなったのではないでしょうか。
三大駅伝の位置づけを整理
ここで、大湊柊翔さんが目標に掲げる大学駅伝の主な舞台を整理しておきます。
| 大会名 | 位置づけ |
|---|---|
| 箱根駅伝 | 最大の目標。区間3番以内・シード権獲得を目指す |
| 全日本大学駅伝 | 三大駅伝の一つ。予選会からの出場を目指す |
| 関東・日本学生対校選手権など | トラック種目での実力向上・世界を見据えた舞台 |
参照:明治大学体育会競走部 【部員日記】#96 大湊柊翔『もうごめんは言わない』
大湊柊翔の家族構成と支えへの感謝
ここでは、大湊柊翔さんの家族構成と、これまでの競技人生を支えてくれた人たちへの感謝の気持ちについて紹介します。
大湊家の家族構成
大湊柊翔さんの家族は、父・母・姉、そして犬の4人と1匹という構成です。本人が部員日記の中で「競技を頑張る上での原動力は何か」という質問に対して真っ先に思い浮かべたのが家族の存在だったというエピソードからも、家族とのつながりの深さが伝わってきます。
| 続柄 | 概要 |
|---|---|
| 父 | 大湊柊翔さんを支える家族の一員 |
| 母 | 15歳での県外進学を笑顔で送り出した |
| 姉 | 大湊柊翔さんの姉 |
| 犬 | 家族の一員として一緒に暮らす |
15歳で親元を離れたときの家族の姿
前述のとおり、大湊柊翔さんは中学を卒業してすぐ、15歳で県外の高校に進学しています。母親もまさかこんなに早く家を出るとは思っていなかったようですが、家族全体に寂しい気持ちがあったであろう中でも、笑顔で送り出してくれたと本人は振り返っています。
母親からもらった忘れられない言葉
時には家族の期待を裏切ってしまうように感じることもあったという大湊柊翔さんですが、そんなときに母親からかけられたのが、「家族は切っても切り離せない運命共同体みたいなものだよ」という言葉でした。この言葉によって、どんなにつらいことがあっても自分には帰る場所があるのだと改めて感じたと語られています。前の項目で紹介した箱根予選会での涙のエピソードも、まさにこの家族との強い絆があってこそのものだったと言えるでしょう。
支えてくれた先輩たちへの感謝
大湊柊翔さんが感謝を伝えているのは家族だけではありません。部員日記の中では、4年生の先輩である井坂さん、窪田さん、樹さん、森下さんへの感謝が丁寧につづられています。入学直後に同部屋で過ごし安心感をくれた井坂さん、部屋長として常に気にかけてくれた窪田さん、趣味の話で盛り上がりお兄ちゃんのような存在だった樹さん、そしてずっと背中を追い続けてきたチームのエース森下さん。家族だけでなく、大学のチームメイトからも多くの支えを受けてきたことが分かります。
支えへの感謝を力に変える姿勢
家族の存在、そして先輩たちとの関係の両方が、大湊柊翔さんの競技人生を支える大きな柱になっていることがうかがえます。感謝の気持ちを言葉にして周囲に伝えられる誠実さも、この選手の魅力の一つと言えそうですね。
参照:明治大学体育会競走部 【部員日記】#96 大湊柊翔『もうごめんは言わない』
選手としての強みと今後の展望
最後に、大湊柊翔さんが自ら語る自身の強みと課題、そしてこれからの展望について整理していきます。
自分自身が語る最大の強み
大湊柊翔さんは自身の強みについて、「安定した走り」と「後半のラストスパート」だと語っています。レースの中で崩れにくい走りができることに加え、終盤で力を発揮できるスパート力を持っていることは、駅伝やトラックの長距離種目において非常に大きな武器です。「安定した走り」という強みは、レースの終盤になっても大きく崩れないことを意味します。長距離種目において、終盤まで大きなペースダウンをしないことは非常に価値のある能力であり、駅伝のように長い区間を1人で走り切る競技では特に重要になってきます。
本人が認める課題
一方で課題として挙げているのが、「自分一人で押していく力がまだまだ足りない」という点です。個の強さの部分に伸びしろを感じているようで、この課題を克服するために単独走を増やし、1人でポイント練習に取り組む姿勢を見せています。強みだけでなく課題にも正面から向き合っているところに、この選手の伸びしろの大きさを感じますね。課題を自分の言葉ではっきりと語れることは、簡単なようで意外と難しいものです。自分の弱点を客観的に把握し、改善のための具体的な行動に落とし込めているところに、大湊柊翔さんの競技への向き合い方の誠実さが表れています。
距離を踏む練習への前向きな姿勢
大学では距離を踏む練習が増えることについて、大湊柊翔さんは「自分は練習の特徴から考えると距離を踏んでいくことが向いていると思う」と前向きに捉えています。不安よりもむしろ適性を感じているという発言からは、大学レベルの練習量にもしっかり対応できる自信がうかがえます。高校時代はトラック種目を中心に取り組んできた大湊柊翔さんにとって、大学での距離重視の練習は決して簡単な変化ではなかったはずです。それでも前向きに捉えられているのは、中学時代から1500mと3000mの両方をこなしてきた経験が土台にあるからかもしれません。
強みと課題を一覧で整理
ここまでの内容を、強み・課題・その対策という形で整理してみます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 強み | 安定した走り、後半のラストスパート |
| 課題 | 1人で押していく個の強さがまだ足りない |
| 対策 | 単独走を増やし、1人でのポイント練習に取り組む |
| 距離適性 | 距離を踏む練習は自分に向いていると前向きに捉える |
これからの展望
大湊柊翔さんが見据える今後の大きな舞台の一つが、MARCH対抗戦です。ここでは、ずっと背中を追い続けてきたチームのエース森下さんと同じユニフォームを着て走れる最後の機会になるとされ、エースの背中を追い、そして追い越せるように全力で走りたいという意気込みを語っています。MARCH対抗戦は、明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学・法政大学という関東の主要大学が競い合う伝統ある対校戦です。森下さんという目標となる存在が近くにいたことが、大湊柊翔さん自身の成長速度を大きく引き上げてきた可能性は高いでしょう。中学時代からずっと仲間や先輩の存在に支えられてきた大湊柊翔さんだからこそ、次はエースとしてチームを引っ張る立場に成長していく姿を期待したくなります。
参照:明治大学体育会競走部 【部員日記】#96 大湊柊翔『もうごめんは言わない』
大湊柊翔の中学時代と陸上人生のまとめ
- 中学時代は学校の部活動ではなく地域密着型のクラブチームで力を伸ばすタイプだった
- 出身は新潟県であることが濃厚だが、具体的な中学校名は公表資料に見当たらない
- サトウ食品アルビレックスランニングクラブ新潟校という専門的な指導環境が土台にあった
- 中学3年の時点で全日本中学校陸上競技選手権に出場するという全国トップレベルの実績を残した
- 1500mと3000mの2種目に出場し、スピードとスタミナを兼ね備えたバランス型のランナーだった
- 決勝進出は逃したが2種目とも一桁着順という僅差の結果を残した
- 同じクラブから複数選手が全国大会に出場しており、個人ではなくチームとして強い環境で育った
- 中学卒業と同時に15歳で親元を離れ県外の強豪校へ進学するという早熟な決断をした
- 進学先の学法石川高校ではスピード強化を軸にトラック種目で自信を深めていった
- 中学3年の時に見た箱根駅伝がきっかけとなり明治大学への憧れを抱いた
- 高校入学時点ですでに明治大学進学という目標が明確に定まっていた
- 大学では競技だけでなく文武両道を重視し情報コミュニケーション学部を選んだ
- トラックへの未練を残しつつも箱根駅伝を最優先に据える覚悟を貫いている
- 予選会での悔しい経験を糧にし、次こそはという強い意志を持ち続けている
- 家族や先輩への感謝を素直に言葉にできる誠実な人柄が随所にうかがえる

