【愛媛で財閥出身の可能性高い】ヒコロヒーの実家情報まとめ!

「国民的地元のツレ」と呼ばれ、一躍人気を獲得したヒコロヒーさん。

芸人でありながら、どことなく落ち着きや深みを感じる独自の立ち位置で存在感を放っていますよね。

今回は、そんなヒコロヒーさんの実家情報などについて調べていきたいと思います。

ヒコロヒーの実家について


画像出典元:Instagram

まずは、ヒコロヒーさんの実家について見て行きたいと思います。

 

住所は非公表!愛媛県のどこか不明

ヒコロヒーさんは愛媛県出身です。

市区群までは公表されていませんので、はっきりとしたことはわかっていません。

愛媛県というと「みかん」のイメージが強く温和な印象がありますが、愛媛弁は広島弁や関西弁にも近い雰囲気があり、鋭さもあるヒコロヒーさん。

もう少し調べていきましょう。

 

新居浜or松山のどちらかの模様


画像出典元:えひめスマイルビジネスNavi

ヒコロヒーさんの市区群レベルでの出身地は新居浜市か松山市のどちらかの模様です。

これもあくまで噂なので確定ではありません。

しかし、松山市なら人口50万人都市、新居浜市なら12万人都市であり、愛媛県内では比較的大きな市の出身なのではないかと思われます。

 

金持ちの可能性あり

また、実家が金持ちである可能性もあるようです。

ヒコロヒーさんは元カレに80万円の借金をして、それが原因で破局したとも言われており、「お金持ち」というイメージがない方もいらっしゃるでしょう。

また、方々に借金があったことも本人が語っていました。

しかし、実家と本人とは別ものですから、「実家が金持ち」という線はあり得ると感じますね。

 

ヒコロヒーの実家が金持ちといわれる理由


画像出典元:Instagram

それでは、ヒコロヒーさんの実家が金持ちと言われる理由を見て行きましょう。

 

理由①1若い頃から海外旅行を複数回経験

若い頃から複数回海外旅行を経験しているため、実家が金持ちと見られているようです。

ヒコロヒーさんはかつて、ブログでは10代の頃にフランスに行ったことがあることを公表しています。

ルーブル美術館にいって「美術館はつまらない、という印象をぶち壊された」と語るなど、旅行先での工程もややハイソですね。

また詳細は不明ですが、海外留学経験があるとも言われています。

 

語学も堪能


画像出典元:Instagram

そして、語学も堪能であることも実家が金持ちと思われる理由です。

ヒコロヒーさんの特技は盲牌、速読、英語、韓国語だといいます。

しかも、語学に至っては日常会話レベルのようで、Instagramでは英語や韓国語で投稿したものもあります。

上記の画像はヒコロヒーさんのInstagramのものですが、ざっと見た限り英語に不自然なところやスペルミスなどもなく、使いこなしている印象です。

ここまでのレベルになるということは、幼いころから習っていたり教育に力を入れている裕福な家庭の出身という理由があるのではないでしょうか。

 

理由②お嬢様学校出身の可能性が高いから


画像出典元:Yahoo!知恵袋

また、お嬢様学校の出身の可能性が高いこともその理由なのだと思われています。

ヒコロヒーさんの同級生が学校でルイヴィトンやディオールの筆箱を使っていた話や、本人がエルメスのショップバッグに体操服を入れていたと、ヒコロヒーさんのエッセイに書かれている、というネットの書き込みがありました。

実際の書き込みは「Yahoo!知恵袋」のものですが、画像も貼っておきます。

この話が事実だとすると、確かにお嬢様学校に通っていた可能性はありますよね。

 

理由③両親から大学進学を強制されたから

そして、両親から大学進学を強制されたこともその理由のひとつだといいます。

ヒコロヒーさん本人は、ガソリンスタンドに就職しようとしたというのですが、両親から「大学だけは出なさい、どうしても行って欲しい」と言われたことで進学したのだとか。

その際、ヒコロヒーさんは「近畿大学文学部芸術学科」に入学(後に中退しています)。

近畿大学は、中上位レベルの関西の大学で、私立大であることから学費も高めとなっています。

大学進学は、将来的なことを気にかけた両親の願いだったのではないでしょうか。

しかしながら、高校時代は麻雀に明け暮れるなど素行はよくなかったヒコロヒーさん、近畿大学によく合格しましたよね。

地頭はかなりいいのではないしょうか。

もしかしたら、お嬢様学校自体がかなりレベルの高い学校なのかもしれませんね。

 

理由④財閥出身の可能性があるから

そして、ヒコロヒーさんが財閥出身の可能性があるため、実家が金持ちと見られているようです。

財閥の家計であれば、確かに資金力は十分ではないかと思います。

これが事実だとすると、かなりの名家ではないかと推測できますね。

謎めいた雰囲気が売りのヒコロヒーさんですが、こんな噂があるとは驚きです。

 

ヒコロヒーの実家が財閥といわれる理由


画像出典元:Instagram

では、ヒコロヒーさんの実家が財閥と言われる理由を見て行きましょう。

 

①住友財閥が愛媛にあるから


画像出典元:Wikipedia

まずは、住友財閥が愛媛県にあるからという理由です。

住友財閥は、1590年に愛媛県新居浜市で創業した別子銅山が源流となっています。

世界で最も古い歴史を持つ財閥としても知られており、後に商業の中心地でもあった大阪市にも進出し、栄華を極めた住友財閥。

ここが実家だとすると、金持ちどころの騒ぎではありませんね。

ちょっとした歴史的価値のある家柄だったりします。

 

②本名を明かせないから

また、本名を明かせないから=素性を明かせないからという理由もあります。

本名を明かすことで、諸々の財閥関係の素性が割れてしまうためヒコロヒーさんは本名を明かさない、という噂もあるほどです。

旧財閥の伝手を頼って色々と面倒なことを頼まれてしまったり、親戚や家族に迷惑が掛かる可能性もありますよね。

そういったことを考えると、確かに本名は明かしたくはないもの。

テレビ番組で本名を聞かれてもキッパリと「本名は非公開、ちょっと言えないです」と言い切っていましたが、「さもありなん」な感じですね。

 

③芸名と住友財閥との関係性から

ヒコロヒーさんの本名はネット上では「広瀬ひろこ」ではないかと言われています。

住友財閥の初代総理人が「広瀬宰平」という人物のようなのですが、本名を使うとその人物との関係性がバレてしまうので使えませんよね。

そこで、「広瀬ひろこ」をカタカナにして「ヒロセヒロコ」、これを文字って「ヒコロヒー」という芸名にした、という見方もあるようです。

 

④新居浜市出身の可能性があるから


画像出典元:新居浜市

また、先ほども触れましたがヒコロヒーさんが愛媛県新居浜市出身の可能があるから、という理由もあります。

住友財閥の発祥の地が新居浜市、ヒコロヒーさんの出身地も新居浜市、初代総理人の苗字もヒコロヒーさんの苗字も「広瀬」。

こうやって並べると、「確かに、実家は財閥か?」と見れなくもないですね。

そうなると、諸々を隠すために出身は愛媛県までで止める、と見ることもできます。

無理やりな連想なのか、事実なのか、真相は闇の中です。

 

⑤芸人デビューの際に親が仕事を工面しょうとしたから

ヒコロヒーさんが芸人デビューしたところ、親が仕事を工面しようとしたようです。

このことも財閥出身と関係がある、と見られています。

財閥一族として相応しくない芸人という職を辞めさせたかったのでしょうか。

財閥に関わらず、自らの家を由緒正しき名門と考える方にとっては、「職業芸人」というのは、できれば避けて欲しいものなのかもしれませんね。

 

⑥美術に精通しているから


画像出典元:国立西洋美術館

また、ヒコロヒーさんが美術に精通していることも、その理由と言われています。

先ほど、パリのルーブル美術館に行った話を紹介しましがが、その経験から美術に興味を持ったヒコロヒーさん。

海外旅行への資金の点もありますが、美術や彫刻などの芸術鑑賞は、名家のたしなみとていの側面もありますよね。

国内でもいくつかの美術館を巡っているそうです。

数ある絵画の中でもヒコロヒーさんは、印象派と呼ばれる「明るく美しい色彩」が特徴の絵画が好きだといいます。

好きな画家は、モネとセザンヌ(上記画像はモネの「睡蓮」)だそうです。

自身のブログでも美術についての書き込みが見られ、展示会などにも足を運んでいるといいます。

 

ヒコロヒーの生い立ちについて


画像出典元:Instagram

ヒコロヒーさんの生い立ちについて、簡単に触れておきます。

絵画好きという高尚な側面もあるヒコロヒーさんですが、高校時代から麻雀に明け暮れ、雀荘に入り浸っていたそうです。

雀荘は、高校生女子が健康的に楽しむ場所ではないような感じもしますが…。

そんな高校時代を過ごしたヒコロヒーさんは、ガソリンスタンドに就職が決まっていたところを、親の頼みで大学進学をしました。

しかし、大学時代には人並みに「お笑い」にハマりはじめたといいます。

落語研究会の勧誘してきた先輩がイケメンだから同サークルに所属したそうですが、その縁なのか学園祭の舞台で欠員補充のためコントを披露。

それを見た松竹芸能の担当からスカウトを受けて芸能界入りを果たしたそうです。

なお、このことが元で大学は中退しています。

気軽に受けた舞台で披露したコントがきっかけでデビューとは、やはり何らかのセンスはあったのでしょうね。

芸歴豊富という訳ではなかったでしょうから、これはすごい話です。

 

ヒコロヒーの父親について

ヒコロヒーさんの父親は、幼少期はあまり家にいない父親だったといいます。

そのため、接点が少なく「父親のことはよくわからない」らしいのです。

しかし、ヒコロヒーさんが大人になってから、父親が脳卒中で倒れた際には病室で「びっくら、びっくら、びっくらぽんよ」と言ったそう。

これを聞いて、ヒコロヒーさんは「おとん、ぼけんねや」と驚いたといいます。

もしかすると、父親も笑いのセンスがあるのかもしれませんね。

 

ヒコロヒーの母親について

ヒコロヒーさんの母親は、「お花、お料理が好きで穏やかなおかん」とのことです。

「お花」「お料理」という表現自体が「お金持ち」な印象を抱かせますね。

そんな母親ですが、心の芯は強烈だったのか「やられっぱなしで悔しくないのか、やり返しておいで!」といじめられて帰ってきたヒコロヒーさんをけしかけたといいます。

また、ヒコロヒーさんが荒れていた高校時代には、学校の校舎内を「母親が竹刀片手に歩いていた」という目撃情報もあるようです。

この話を聞いたヒコロヒーさんは「おかんにはかてへんかも」と思ったといいます。

それはそうですよね、「竹刀を持った」というところが、他ではなかなか聞かない武勇伝ですよね。

ヒコロヒーさんの破天荒さは、母親譲りなのでしょうか。

そして、父親が家にいなかったのは「母親が怖かったから…?」とも考えてしまいますよね。

さて、今回はヒコロヒーさんの実家や家族についてご紹介しました。

謎めいたヒコロヒーさんのルーツや謎の理由が少しだけわかった気がしますね。

こういった生い立ちや環境がヒコロヒーさんの芸人としての土台となったのであれば、やはり「環境が人を育てる」ということなのかもしれませんね。

これからも、ヒコロヒーさんを応援していきましょう。

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