情報番組のコメンテーターとしてメディアに出演し、防災士、ボディビルダーとしても話題を提供する清原博さんは、マルチな活動をしているのでタレントのようですが、本業は国際弁護士です。
かつてはアメリカに留学し、現地の司法試験に合格、いったん帰国した後は、JICAの案件でカンボジアに渡り、現地政府での法制度の整備に携わりました。
そんな国際派の清原博さんがどのような生い立ちで今の活躍につながっているのか、実家や出身地、家族構成などを詳しく見ていきましょう。
目次
清原博の実家について
出典:シニアガイド
まずは清原博さんがどのようなところから巣立ち、現在の活躍につながっているのか、彼の実家について調べていきましょう。
具体的には不明だが高岡市またはその近隣か
出典:IZUMANIX
清原博さんは富山県出身で富山県立高岡高等学校を卒業していることは公表されております。
高岡高等学校のある高岡市は富山県西部の中心都市で、富山市から西へ約20~30キロメートルの海に近いエリアにある都市です。
この学校は地元で歴史ある進学校として知られ、周辺には旧市街の城下町の面影が残っています。
清原博さんは、高校への通学を考えると高岡市またはその近隣の富山県西エリアの城端線、あいの風とやま鉄道の沿線に実家がある可能性が高いです。
また、清原博さんは「富山マラソン」に参加していることから、富山県内で地元とのつながりが深いと考えられますが、実際の住所などの詳細な情報は公開されていません。
南砺市の中学校卒という情報も
清原博さんの公式ホームページ等には掲載されていませんが、wikipediaには、南砺市立井波中学校卒業と記載されています。
wikipedia情報をうのみにするのは危険ですが、調べてみたところ、どうやら本当のようです。
出典:X
南砺市長が2018年にX(当時はTwitter)に投稿した内容に、井波中学校の70周年式典に同窓生の清原博さんが講演した、と写真付きで記載されているのです。
特に中学校を秘密にしていたのではなく、履歴書に記載するのを高卒からにするのと同じ感覚だったようですね。
そのため、南砺市に実家がある可能性が高いと思われます。
お金持ちなのか
住所以外についても、清原博さんの実家に関しては具体的な情報は公開されていません。
清原博さんは地元富山県の進学校である富山県立高岡高等学校に通い、大学は東京外国語大学に進学、卒業しています。
清原博さんの実家が特別裕福だったという具体的な情報はなく、また県立高校ののち、国立大学という比較的学費が抑えられるコースをたどっているため、金銭的に裕福である証明にはなりません。
ただ、このような経歴をたどっているので、比較的恵まれた教育環境で育っている可能性は高いと言えます。
なお、アメリカで法学修士(LL.M.)を取得し、ニューヨーク州とカリフォルニア州の司法試験に合格していますが、こちらの費用は大学卒業後に国内で裁判官や検察官として働いた自身のたくわえから出ているようです。
アメリカへの留学を自費で稼いだということなので、それなりに収入もあったと思われます。
清原博さんは現在、弁護士事務所を経営、国際的な活動やタレント活動を並行していることから、現在は高収入を得ていると思われます。
清原博の父親について
出典:アデック知力育成教室
清原博さんの父親に関する具体的な情報は公開されていません。
清原博さん自身は富山県出身で、地元の進学校である富山県立高岡高等学校を卒業後、東京外国語大学やアメリカのゴールデンゲート大学で法学を学び、国際弁護士として活躍しています。
彼の育ちや家庭環境どころか、家族構成さえ具体的な言及は見つかりませんが、彼の教育環境やキャリアの幅広さから、家庭が教育に理解のある過程であったことは考えられます。
たとえ県立とはいえ、地元の進学校に進学するには家族のサポート、父母の経験が役に立つことが多いので、家族の存在が彼のキャリアを押し上げたことは十分考えられます。
また、清原博さんはアメリカでの留学やカンボジアでの法律整備に関わる経験を持つなど、国際的な視点を養う環境があり、家族がそういった国際的な関心を持っていたと考えてもおかしくありません。
もし新しい情報が公開され次第、さらに詳しい情報が分かるかもしれません。
清原博の母親について
出典:スゴ得コンテンツ
清原博さんの母親についても、具体的な情報は公開されていないようです。
清原博さんは富山県西エリア、南砺市や高岡市周辺の出身であり、教育環境の豊富な都市部の育ちではありません。
それでも清原博さんが大学を卒業し、その後留学でアメリカでの弁護士資格を取得するまでに至る国際的なキャリアを考えると、田舎であっても高度な教育を受けさせようという母親の理解とサポートがあった可能性が高いことはうかがえます。
もし新しい情報が出てきた際には、詳細が分かるかもしれません。
清原博は両親から勉強しろと言われたことがない
清原博の兄弟について
出典:こども本の森中之島
清原博さんの兄弟に関する具体的な情報は、現在公開されていません。
清原博さんが兄弟を持っているかどうか自体、はっきりしません。
一つ言えることは、両親は野山を駆け回るよりは図書館で本を読むタイプだったという彼をそっと支え、できる限りのサポートをしていた可能性が高いです。
なお、その際には両親は一度も勉強しろともいわず、また清原博さん自身も勉強に明け暮れずに普通の田舎の少年として育っていたようなので、必要なサポートだけはそっとするような両親だったのかもしれません。
もし兄弟がいれば、同じように何らかの道で活躍できるようサポートされ、今現在その道で活躍しているような方なのではないか、と思えます。
今後、清原博さんの家族に関する追加の情報が公開されれば、さらに詳細が明らかになるかもしれません。
清原博の生い立ちについて
出典:X
清原博さんは1970年11月20日、富山県で生まれました。
幼少期の具体的な情報は少ないですが、南砺市の井波中学校から富山県立高岡高等学校に進学しました。
高岡高等学校は富山県西エリアを代表する進学校で、県内でも五指に入る高校として知られ、彼が国際弁護士という優秀な職業に就くための基礎を築きました。
その後、東京外国語大学に進学し、英米語学科を専攻。
1994年に卒業した後、司法試験に合格しました。
司法修習を経て、彼は司法研修所での成績が優秀だったことから、東京地方裁判所で裁判官として勤務し、主に民事訴訟を担当しました。
この経験を通じて、清原博さんは社会の多くの課題や悩みを抱えている人の多さと向き合うことになります。
しかし、清原博さん自身はもともと裁判官や法律に対して特別な興味を持っていたわけではなく、当時の自分は上官の言うことを素直に聞き、批判的に考えることがなかったことから「当時の自分は愚かでバカだったともいえる」と自己評価しています。
その後、法務省民事局に異動し、検察官として法律の整備や政治家との対応に従事するという、官僚としての仕事に従事しましたが、この時にJICAと一緒に仕事をしたことがきっかけで、米国留学後にJICA案件を受託し、カンボジア政府の法律顧問のキャリアにつながっています。
さて、カンボジアに渡る前に彼は日本でのキャリアを捨て、アメリカへ留学し、ゴールデンゲート大学ロースクールで法学修士号(LL.M.)を取得し、さらに法学博士課程(S.J.D.)前期課程も修了しました。
また、ニューヨーク州およびカリフォルニア州の司法試験にも合格し、国際的な法律事務所で勤務したのちにカンボジア政府で法律整備を行うという豊富な国際経験を持ちます。
帰国後は「むさし国際法律事務所」を開業し、所長を務めています。
また、清原博さんは弁護士としての活動にとどまらず、ボディビルに熱中しており、筋トレを日々のルーティンに取り入れています。
さらに、近年では気象予報士や防災士の資格取得、婚活やメディア出演も積極的に行い、国際的な法律家としてのキャリアに加え、多方面でパーソナルな挑戦を続けています。
清原博さんは、弁護士やコメンテーターという職務を全うしつつもそこに安住する気はなく、今後も自らの限界に挑戦し続ける姿勢を持っております。
コロナでおうちごはんの機会が増えた結果、新たな目標として料理研究家にも興味を示しているとのことです。
これからも、私たちの想像の斜め上を行くような活躍で、あっと言わせてほしいですね。