甲子園で二刀流として活躍した菰田陽生の兄について気になっている方も多いのではないでしょうか。菰田陽生の兄弟にあたる菰田朝陽さんは大学野球で活躍する選手で、菰田陽生の兄の身長や体格の違いにも注目が集まっています。また、菰田陽生の両親がどのようなスポーツ経歴を持つのか、菰田陽生がなぜ山梨を選んだのかという進学の背景も話題になっています。
菰田陽生の父はどのように練習をサポートしてきたのか、菰田陽生の母はどんな思いで支えてきたのかといった家族のエピソードも見逃せません。さらに、菰田陽生がプロレス団体からも注目されたという驚きの話題や、菰田陽生の怪我からの回復状況についても詳しく解説していきます。気になる方はぜひ最後までご覧ください。
目次
菰田陽生の兄について解説
- 兄弟の関係と野球経歴
- 兄の身長と体格の違い
- 家族構成を紹介
- 両親のスポーツ経歴
- 父が続けた練習サポート
兄弟の関係と野球経歴
「メジャーはすべてお断りしている」山梨学院・菰田陽生、じつはメジャー20球団以上が興味…吉田洸二監督が語る“逸材の進路”「本人の意思を尊重」(Number Web)-Yahoo!ニュース https://t.co/LYu0DfgYiG pic.twitter.com/JDuVrbgj5K
— のもとけ (@gnomotoke) August 26, 2026
ここでは、菰田陽生さんの兄弟について詳しく見ていきます。二刀流として注目される陽生さんですが、実はお兄さんも大学野球の世界で活躍している選手なんです。兄弟でどんな関係を築いてきたのか、それぞれの経歴とあわせて紹介しますね。
兄・菰田朝陽さんのプロフィール
陽生さんの兄は菰田朝陽(こもだあさひ)さんという名前で、陽生さんより3学年上にあたります。高校時代は拓大紅陵でプレーし、大学は上武大学に進学した外野手です。俊足を武器にする左投げ左打ちの選手で、広角に弾き返す巧打者としても知られています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 菰田朝陽(こもだあさひ) |
| 陽生さんとの続柄 | 3学年上の兄 |
| 出身高校 | 拓大紅陵 |
| 所属大学 | 上武大学 |
| ポジション | 外野手 |
| 特徴 | 俊足・広角打法の左打者 |
「上武大の周東」と呼ばれる快足
朝陽さんの代名詞といえるのが、その圧倒的な脚力です。2025年6月の全日本大学野球選手権では50メートル5秒8の記録をマークし、「上武大の周東」という異名で呼ばれるようになりました。プロ野球の周東佑京選手を彷彿とさせる快足ぶりということで、大学野球ファンの間でも注目度が高い選手なんですよ。
甲子園のアルプス席で見せた兄の想い
2025年7月14日、山梨大会2回戦の一塁側内野席には、応援に駆けつけた朝陽さんの姿がありました。弟のプレーを見守った朝陽さんは「改めて(弟のプレーは)迫力があるなって思いますね。もう少年野球の頃からプレースタイルが違いましたね」と語っています。さらに「(弟は)バッターでは飛ばしたり、ピッチャーでは速い球を投げたり。自分が小4くらいの時に身長が抜かれて”ヤバい”と思いましたね(笑い)」と、当時を懐かしむように振り返りました。兄弟愛にあふれたコメントに、胸が熱くなった読者も多いのではないでしょうか。
正反対のプレースタイルを持つ兄弟
朝陽さんが快足を武器にするタイプなら、陽生さんはパワーとスピードを兼ね備えた二刀流タイプ。同じ野球でも全くアプローチが異なる二人ですが、だからこそお互いを認め合える関係が築けているのかもしれません。朝陽さんは弟の試合を見た後「秋は関東地区大学野球選手権で優勝して神宮に戻り、もっと活躍したい」と自身の目標も語っており、弟の頑張りが兄自身の刺激にもなっている様子がうかがえます。ある新聞では2人を「最強『菰田兄弟』」と表現していて、高校野球界屈指の二刀流と大学野球界屈指の俊足という、それぞれの分野でトップクラスの実力を持つ兄弟として注目されているんです。
ともにプロを目指す道のり
朝陽さんは上武大で1番・外野手としてレギュラーを掴み、シーズンごとに実力を伸ばしてきた選手です。一方の陽生さんも高校球界を代表する存在として名前が挙がるようになりました。兄弟そろってプロ野球のスカウトから熱視線を送られる存在になっているのが現状です。今後、兄弟そろってプロの舞台に立つ日が来るのか、多くの野球ファンが期待を寄せています。
参照:スポニチアネックス 最強「菰田兄弟」大学野球で活躍中の兄が山梨学院「ネクスト大谷」の弟を応援「迫力がある」
兄の身長と体格の違い
陽生さんは194センチ100キロという規格外の体格で知られていますが、家族全体で見るとどうなのでしょうか。ここでは兄との身長差や、家族の体格について詳しく整理してみます。
陽生さんの体格は194センチ100キロ
陽生さんの身長は194センチ、体重は100キロと、高校生離れした体格の持ち主です。最速152キロのストレートを投げ込み、木製バットで140メートル超の長打を放つパワーも兼ね備えています。同世代の選手と並ぶと、その大きさは一目瞭然なんですよね。
| 人物 | 身長・体重の目安 |
|---|---|
| 陽生さん | 194cm・100kg |
| 兄・朝陽さん | 174cm・73kg程度 |
兄・朝陽さんとの身長差
一方の兄・朝陽さんは174センチ73キロほどの体格とされています。決して小柄というわけではありませんが、194センチの陽生さんと比べるとその差は歴然です。朝陽さん自身も「自分が小4くらいの時に身長が抜かれて”ヤバい”と思いましたね」と振り返っているとおり、陽生さんは小学校高学年の頃には既に兄の身長を追い越していたことがわかります。
プレースタイルの違いが体格差にも表れている
朝陽さんは俊足を生かした広角打法のスタイルで、体の大きさよりもスピードと技術で勝負するタイプ。対する陽生さんは、その体格を生かしたパワーヒッティングと剛速球が武器です。体格の違いがそのままプレースタイルの違いにつながっていると考えると、兄弟でも全く異なる野球選手として成長してきたことがよくわかります。
小学校時代から目立っていた大きな体
陽生さんは小学校卒業の時点で既に180センチ弱まで身長が伸びていたと言われています。年齢に対してかなり早いペースで体が大きくなっていたため、家族や周囲も成長スピードに驚いていたようです。体のバランスを崩さないよう、幼い頃からトレーニングに取り組んでいたという情報もあり、単に生まれつきの体格だけでなく、日々の積み重ねも大きな体を支える土台になっていたと考えられます。
身長差があっても変わらない兄弟の絆
身長では大きく差がついた兄弟ですが、お互いを応援し合う関係性は変わりません。朝陽さんは甲子園に応援に駆けつけ、陽生さんの活躍を誰よりも喜んでいたひとりです。体格の差はあっても、野球にかける情熱は兄弟で共通しているのかなと感じますね。身長という分かりやすい違いがあるからこそ、逆に兄弟それぞれの個性が際立っているとも言えそうです。
参照:スポニチアネックス 最強「菰田兄弟」大学野球で活躍中の兄が山梨学院「ネクスト大谷」の弟を応援「迫力がある」
家族構成を紹介
甲子園で投打二刀流の大暴れを見せた菰田陽生さんを、陰で支えてきたのが父・母・兄という4人家族です。それぞれどんな人物なのか見ていきましょう。
父・母・兄がそれぞれの立場で支える4人家族
菰田陽生さんの家族構成は、父・英典さん、母・理恵さん、3学年上の兄・朝陽さんとの4人家族です。まずは家族構成を表で整理してみます。
| 続柄 | 名前 | 身長 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 父 | 英典さん(45) | 175cm | 元球児・看護師・サーフィン愛好家 |
| 母 | 理恵さん | 167cm | 元バレーボール選手・介護福祉士 |
| 兄 | 朝陽さん | 174cm | 上武大の俊足外野手 |
陽生さんは5歳のとき、父・英典さんの影響で野球を始めたそうです。以来、家族全員が野球にかかわりながら陽生さんの成長を見守ってきました。
兄・朝陽さんは大学野球界屈指の俊足選手
兄の菰田朝陽さんは、高校時代は拓大紅陵でセンターを守り、卒業後は上武大に進学。6月の全日本大学野球選手権では50メートル5秒8の快足を披露し、「上武大の周東」と称される俊足外野手として知られています。弟とはまったく異なるプレースタイルながら、「改めて(弟のプレーは)迫力があるなって思いますね。もう少年野球の頃からプレースタイルが違いましたね」と、陽生さんの試合を一塁側内野席から見守り続けています。「秋は関東地区大学野球選手権で優勝して神宮に戻り、もっと活躍したい」と、自身もプロ入りを目指して高みを追い続けている存在です。
父・英典さんは元球児でサーフィン愛好家
父の英典さんは、愛知県の星城高校時代に投手・外野手・一塁手としてプレーした経験を持つ元球児です。趣味のサーフィンを本格的に楽しみたいという思いから、サーフポイントとして知られる千葉県御宿町に移り住み、看護師として働きながら暮らすようになったといいます。「プロ野球選手になりたい」という息子の言葉を受け、「もっと練習しないとプロにはなれない」と発破をかけつつ、自宅の庭に照明を設置し、週6日・1日約2時間の練習に付き合い続けたという熱心な父親でもあります。
母・理恵さんはバレーボール経験を持つ介護福祉士
母の理恵さんは、高校時代にバレーボールの強豪校でプレーした経験を持つスポーツウーマンです。現在は介護福祉士として働きながら、食事面から息子の体づくりを支え続けてきました。父が技術面、母が栄養面から支えてきたことがうかがえます。
サーフィンの町・御宿町という恵まれた環境
菰田家が暮らす千葉県御宿町は、太平洋に面したサーフポイントとして全国的にも知られる、自然豊かな海沿いの町です。父・英典さんが「趣味のサーフィンを思う存分やりたくて」移り住んだ土地であり、陽生さんもまた幼いころから海の近い環境で育ったとみられます。波と向き合いながら育った環境が、194センチ・100キロという規格外の身体能力の土台になった可能性もありそうです。
父は練習、母は食事、兄は刺激という役割分担
こうして見ると、菰田家には自然な役割分担があったことが分かります。父は毎日の練習相手として技術面を支え、母は栄養面から体づくりを支え、兄は同じ競技者として日々の刺激を与える存在だったといえるでしょう。3人がそれぞれの立場で関わり続けたからこそ、194センチ・100キロの体格と投打二刀流の才能が育まれたのかもしれません。
参照:スポニチアネックス 最強「菰田兄弟」大学野球で活躍中の兄が山梨学院「ネクスト大谷」の弟を応援「迫力がある」
参照:読売新聞 山梨学院アルプス席、二人三脚で夢追うエースの菰田陽生選手の父・英典さんが熱い声援
両親のスポーツ経歴
陽生さんの規格外の運動能力は、もしかしたら両親から受け継がれたものなのかもしれません。ここでは、父と母それぞれが学生時代にどんなスポーツをしていたのか、ネット上で伝えられている情報をもとに紹介していきます。
父・英典さんは高校時代に野球部だった
ネット上の情報によると、父の英典さんは愛知県の星城高校時代に投手、外野手、一塁手として活躍していたと伝えられています。複数のポジションをこなしていたということは、それだけ運動能力が高く、チームからの信頼も厚い選手だったのかなと想像できますね。
| 続柄 | 競技 | 内容 |
|---|---|---|
| 父・英典さん | 野球 | 愛知・星城高校で投手・外野手・一塁手 |
| 母・理恵さん | バレーボール | 高校時代に強豪校でプレー |
母・理恵さんはバレーボールの経験者
母の理恵さんについても、高校時代はバレーボールの強豪校でプレーしていたという情報があります。バレーボールは瞬発力やジャンプ力、体幹の強さが求められる競技です。陽生さんが投手と野手の二刀流をこなせる素地は、両親譲りの運動神経にあるのかもしれません。
サーフィンという共通の趣味
父の英典さんはサーフィンを趣味としていて、それが理由でサーフポイントとして知られる千葉県御宿町に移り住んだと言われています。海での運動は全身のバランス感覚や体幹を鍛える効果があるとされており、家族でサーフィンを楽しむ機会もあったようです。こうした環境も、陽生さんの体幹の強さにつながっている一因かもしれません。
両親の出会いと結婚のきっかけ
英典さんと理恵さんは、御宿町で看護師と介護福祉士として働く中で知り合い、結婚に至ったと伝えられています。ともに医療・福祉の現場で働きながら、休日はスポーツに親しむアクティブな夫婦だったのかなと感じますね。仕事も家庭も両立させてきた両親の姿勢は、陽生さんの努力家な性格にも影響を与えていそうです。
スポーツ一家だからこその環境
父も母も学生時代に本格的なスポーツ経験を持っていたことを踏まえると、菰田家はまさにスポーツ一家と言えそうです。運動神経の良さは遺伝的な要素もあると言われますが、それ以上に、家族全員がスポーツに理解のある環境で育ったことが、陽生さんと朝陽さんの活躍を後押ししてきたのではないでしょうか。両親自身が競技経験者だったからこそ、子どもたちの努力や苦労にも寄り添えたのかなと思います。
参照:スポニチアネックス 最強「菰田兄弟」大学野球で活躍中の兄が山梨学院「ネクスト大谷」の弟を応援「迫力がある」
父が続けた練習サポート
陽生さんの二刀流としての実力は、一朝一夕で身についたものではありません。ここでは、父・英典さんが長年続けてきた練習サポートの内容を詳しく紹介していきます。
5歳で始めた野球のきっかけ
陽生さんが野球を始めたのは、5歳の時に父・英典さんの影響を受けたからだと伝えられています。もともと野球経験者だった父の姿を見て育った陽生さんは、自然とグラブとバットを手に取るようになったのかなと想像できますね。
自宅の庭に照明まで設置した本気度
「プロ野球選手になりたい」という息子の言葉を受けて、父の英典さんは「もっと練習しないとプロにはなれない」と自宅の庭に照明を設置しました。一日に約2時間、週に6日は練習に付き合っていたというのですから、その本気度は相当なものです。仕事を持ちながらこれだけの時間を息子のために割いていたことに、驚く読者も多いのではないでしょうか。
ティー打撃やフォーム指導まで担当
英典さんは単に練習に付き合うだけでなく、ティー打撃のトスを上げたり、投球フォームを教えたりと、実践的な指導も行っていました。自身の野球経験を生かして、技術面まで踏み込んだサポートを続けてきたことがわかります。まさに二人三脚で夢を追いかけてきたと言える関係性ですね。
甲子園アルプス席で見せた父の想い
陽生さんが高校に進学してからも、英典さんは試合があるたびに球場に足を運び、気付いたことをアドバイスし続けました。2025年夏の甲子園では、アルプス席でメガホンを手に熱い声援を送る父の姿が見られました。「2人でやってきた練習を思い出して、力を出し切ってほしい」と、マウンドに立つ息子へエールを送った言葉には、長年積み重ねてきた親子の絆が詰まっているように感じます。
父のサポートが今の陽生さんを作った
これだけの時間と労力をかけて息子と向き合ってきた父親は、決して多くはないでしょう。仕事の合間を縫って毎日練習に付き合い、技術指導まで行い、試合では誰よりも熱心に応援を送る。こうした父の存在があったからこそ、陽生さんは194センチ100キロという規格外の体格を持つ二刀流選手へと成長できたのかなと思いますね。家族の支えが結果として表れている好例と言えそうです。
参照:読売新聞オンライン 山梨学院アルプス席、二人三脚で夢追うエースの菰田陽生選手の父・英典さんが熱い声援
菰田陽生の兄以外のこと
- 母が語る幼少期の姿
- なぜ山梨を選んだのか
- プロレス団体が注目した理由
- 怪我と復帰の見通し
- 中学時代の成長と経歴
母が語る幼少期の姿
194センチ100キロという体格は、実は生まれた時からの特徴だったようです。ここでは、母・理恵さんのインタビューをもとに、陽生さんの幼少期のエピソードを詳しく紹介します。
生まれた時から規格外だった体の大きさ
母の理恵さんは取材に対し、「最初は3400グラムと言われていたんですけど、生まれたら4600グラムだったんです」と語っています。予定よりも1200グラムも大きく生まれてきたというのですから、生まれる前から只者ではなかったことがわかりますね。
一般的な新生児との差はどれくらい?
日本人の新生児の平均体重は、だいたい3000グラム前後と言われています。それと比べると、陽生さんの出生時体重4600グラムは平均より1500グラム以上も重い計算になるんです。生まれた瞬間から、すでに他の赤ちゃんとは一線を画す大きさだったということですね。分娩に立ち会ったスタッフの方々も、その大きさにきっと驚いたのではないでしょうか。
足のサイズも生まれた時から大きかった
陽生さんは生まれた時点で足のサイズが16センチもあったと伝えられています。一般的な新生児の足のサイズよりもかなり大きく、子ども用の靴では足が入りきらなかったため、幼少期から大人用のひもで結ぶタイプの靴を履いて育ってきたそうです。現在の靴のサイズは32センチにまで成長しています。
足のサイズの成長を表で見る
| 時期 | 足のサイズ |
|---|---|
| 出生時 | 16センチ |
| 現在(高校2年時点) | 32センチ |
| 成長の倍率 | ちょうど2倍 |
体全体の成長スピードが、周囲の子どもたちとは明らかに違っていたことがこの数字からもうかがえます。母の理恵さんも、日々の子育ての中でその成長ぶりを肌で感じていたのではないでしょうか。
2合飯のノルマを支えた早朝の弁当作り
陽生さんが所属していた千葉西リトルシニアでは、選手に多くの量を食べさせる、いわゆる「2合飯」のノルマがあったと言われています。お米2合というと大人3〜4人分に相当する量ですから、それを毎日用意するだけでも相当な手間がかかったはずです。理恵さんは毎週土日、午前3時30分に起きて弁当を作り、食事の面から息子を支え続けていたそうです。大きな体を維持し、さらに成長させるための食事管理は、母親の大きな役割だったことがわかりますね。
「もう2回」というタイトルに込められた思い
理恵さんが幼少期のエピソードを語った毎日新聞の記事には、「もう2回」という言葉が見出しに使われています。記事が配信された2025年8月時点で、陽生さんはまだ2年生。甲子園という大舞台に、あと2回挑戦できるチャンスが残っているということを示す言葉だと考えられます。母が明かした幼少期のエピソードと合わせて、今後の陽生さんの活躍にも期待が高まりますね。
母の献身が生んだ規格外の選手
生まれた瞬間から人並み外れた体の大きさを持っていた陽生さんですが、それを最大限に伸ばしたのは、母の理恵さんによる日々の食事サポートだったと言えそうです。早朝からの弁当作りを何年も続けるというのは、決して簡単なことではありません。理恵さんの語る幼少期のエピソードからは、母としての愛情と覚悟が伝わってきますね。
参照:毎日新聞 二刀流の山梨学院・菰田「もう2回」 母が語る幼少期 夏の甲子園
なぜ山梨を選んだのか
陽生さんの出身は千葉県御宿町ですが、進学したのは山梨県の山梨学院高校です。地元を離れて山梨の高校を選んだ理由について、考えられる背景を整理してみます。
出身は千葉、進学先は山梨という選択
陽生さんは千葉県御宿町で生まれ育ちましたが、高校は山梨学院という甲子園常連の強豪校に進学しています。地元の千葉県内にも強豪校は数多くありますが、あえて県外の山梨を選んだ背景には、何らかの明確な理由があったと考えられます。
山梨学院は全国屈指の強豪校
山梨学院は、2025年夏の甲子園で初めてベスト8に進出するなど、近年着実に力をつけている高校野球の強豪校です。甲子園という全国レベルの舞台で戦える環境を求めて進学したのではないかという見方は、十分に説得力があるように感じます。プロ野球のスカウトが多数視察に訪れるレベルの強豪校であることも、進学先として魅力的だったのでしょう。
指導者との縁も進学理由の一つか
山梨学院を率いる吉田洸二監督は、二刀流選手の育成にも定評があるとされる指導者です。中学時代からすでに高い能力を持っていたとされる陽生さんにとって、自分の能力を最大限に伸ばしてくれる指導者のもとで野球をしたいという思いがあったとしても不思議ではありません。強豪校では中学時代からのスカウティングが盛んに行われることも多く、そうした縁が進学の決め手になった可能性も考えられます。
寮生活を前提とした強豪校特有の環境
山梨学院のような全国レベルの強豪校では、県外出身の選手を積極的に受け入れ、寮生活を送りながら野球に打ち込める体制が整っていることが多いです。地元を離れてでも、より高いレベルの練習環境や仲間と切磋琢磨できる場を求めるのは、プロを目指す選手にとって珍しい選択ではありません。陽生さんもそうした強豪校ならではの環境に魅力を感じたのではないでしょうか。
結果として証明された進学の正しさ
実際、山梨学院に進学した陽生さんは、2025年夏の甲子園でチーム初のベスト8進出に大きく貢献しました。最速152キロのストレートと長打力を兼ね備えた二刀流として、プロ野球の来秋ドラフトの目玉とまで評されるようになっています。結果を見る限り、山梨学院への進学は陽生さんの実力を伸ばす上で大きな意味を持っていたと言えそうです。
参照:スポーツ報知 プロ球団だけじゃなくプロレス団体も注目!194センチ右腕山梨学院・菰田陽生、150キロ&猛打で初8強導く
プロレス団体が注目した理由
プロ野球のスカウトだけでなく、プロレス団体からもオファーが届いたという驚きのエピソードがあります。ここでは、陽生さんがプロレス業界からも注目を集めた理由を詳しく見ていきます。
「ジャイアント菰田」という異名
2025年8月16日、山梨学院が岡山学芸館との3回戦に臨んだ試合で、陽生さんは投打にわたる活躍を見せました。194センチ100キロの体格から繰り出されるプレーは圧巻で、「ジャイアント菰田」という異名で報じられるほどのインパクトを残しています。
岡山学芸館戦、投打にわたる圧巻の内容
マウンドでは長身を生かした角度のある直球を投げ下ろし、5回2/3を1安打無失点。150キロを2度マークするなど、6回途中まで危なげない投球を披露しました。打っては2点リードの5回、4点を加えてなお2死二塁の場面で、遊撃手の頭上を襲う低く痛烈なライナーを放つと、打球は一瞬で左中間フェンスまで到達。この適時三塁打を含む4打数3安打3打点という活躍で、チーム初の夏8強進出に大きく貢献しました。試合後、陽生さんは「芯で捉えて、しっかり打つことができた。初戦で打てなかったので、よかった」と振り返っています。
スイングスピード150キロ、プロの超一流に迫る数値
初戦の聖光学院戦では3打数無安打に終わったものの、そのスイングスピードはチーム内でもトップクラスの150キロを記録しました。プロ野球の超一流選手でもおよそ160キロとされる数値だけに、吉田健人部長も「高校生では、なかなかいない」と舌を巻くほどです。岡山学芸館の森下絢心遊撃手も「打球が速すぎて目に入らなかった」と驚きを隠さなかったというのですから、その打球の質は相手選手にとっても脅威だったことがうかがえますね。
監督が明かしたプロレス団体からのオファー
試合後、吉田洸二監督は取材に対し「プロレスの団体から声がかかりました」と明かしました。プロ野球だけでなく、全く異なる格闘技の世界からも注目される存在になっているということで、その規格外のスケールの大きさがうかがえるエピソードです。16歳にして、野球という枠を飛び越えたオファーが届くというのは、なかなか経験できることではありませんよね。
ジャイアント馬場さんとの比較で語られる存在感
記事の中では、陽生さんの足の大きさが32センチであることが紹介され、元巨人投手で日本プロレス界の英雄と称された故・ジャイアント馬場さんの34センチにわずかに及ばないものの、存在感は圧倒的だと表現されています。プロレス界の伝説的存在と比較されるほどのスケール感を持っていることが、この一件からもよくわかりますね。
来秋ドラフトの目玉としても注目される規格外の逸材
陽生さんは、別の報道では「来秋ドラフトの目玉とされる二刀流の最速152キロ右腕」とも紹介されており、プロ野球のスカウト陣からもドラフト候補として熱視線を送られている選手です。プロレス団体からのオファーというインパクトのあるエピソードの裏には、投打二刀流という高いポテンシャルを評価するプロ野球関係者の存在があることも忘れてはいけません。高校野球という枠組みを超えたスケールの大きさを持っている陽生さんは、今後もさまざまな形でその名前が話題になっていく可能性がありそうですね。
参照:スポーツ報知 プロ球団だけじゃなくプロレス団体も注目!194センチ右腕山梨学院・菰田陽生、150キロ&猛打で初8強導く
参照:スポニチアネックス 最強「菰田兄弟」大学野球で活躍中の兄が山梨学院「ネクスト大谷」の弟を応援「迫力がある」
怪我と復帰の見通し
順調にキャリアを積んできた陽生さんですが、2026年春に大きな怪我に見舞われました。ここでは、怪我の詳細と今後の復帰の見通しについて詳しく整理していきます。
センバツ1回戦で起きた骨折
2026年3月22日、第98回選抜高校野球大会(センバツ)の1回戦・長崎日大戦で、一塁手として出場していた陽生さんは相手選手と交錯し、左手首付近を骨折する大怪我を負いました。診断結果は「左橈骨(とうこつ)遠位端骨折」というもので、決して軽い怪我ではありません。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2026年3月22日 | センバツ1回戦・長崎日大戦で左手首付近を骨折 |
| 2026年3月24日 | 監督が今大会の出場は絶望的と説明 |
| 今後 | 手術の有無を含め慎重にリハビリを継続する方針 |
今大会の出場は絶望的という監督コメント
3月24日に行われた取材で、吉田洸二監督は今大会中の試合出場について「今回の大会はもちろんだが、夏の大会への影響は。そうならないようにと思っている」と語り、今大会の出場はほぼ絶望的であることを明らかにしました。ドクターストップこそ出ていないものの、「常識的に考えて試合には出られない」というのが監督の見解です。
主将としてベンチから支えた陽生さん
怪我によってプレーはできないものの、陽生さんはチームの主将としてベンチには入り続けました。監督によると「試合に出られないことは残念そうだったが、(骨折翌日には)もうずいぶん落ち着いていた」とのことで、「ベンチでしっかり声を出すとか、主将としてやれることを全力でやりたい」と本人が話していたと伝えられています。怪我をしてもチームを鼓舞し続ける姿勢には、多くのファンが感銘を受けたのではないでしょうか。
手術か自然治癒か、慎重に見極める方針
骨折の程度によっては、ボルトを入れる手術に発展する可能性もあると言われていますが、取材時点では全治期間も手術の有無も明確にはされていませんでした。監督は「中途半端に復帰を急ぐのではなく、リハビリをちゃんとやって復帰させたい」と語っており、目先の試合よりも夏の大会に向けた長期的な回復を優先する方針であることがうかがえます。
その後の回復状況は公式な続報を待ちたい
2026年3月時点での取材以降、陽生さんの怪我の回復状況について詳しい公式発表は多くありません。骨折からの回復には個人差があり、リハビリの進み具合によって復帰時期も変わってくるため、チームとしても慎重に情報を扱っている可能性があります。主将としての責任感と、怪我からの回復力を両立させながら、次のステージへ向かっているのではないかと考えられます。今後のグラウンドでの姿に期待したいところです。
参照:毎日新聞 骨折した山梨学院・菰田、今大会の試合出場は絶望的 センバツ
中学時代の成長と経歴
高校で二刀流として大ブレイクした陽生さんですが、そこに至るまでにはどんな野球経歴があったのでしょうか。ここでは、中学時代までの歩みを詳しく紹介していきます。
野球を始めたのは地元のクラブから
陽生さんはまず地元の御宿少年野球クラブで野球をスタートさせました。その後、マリーンズ・ベースボールアカデミーで技術を磨き、さらに九十九里リトルリーグへと活動の場を移していきました。複数のチームを渡り歩きながら着実にレベルアップしてきたことが、この経歴からよくわかります。
| 時期 | 所属チーム |
|---|---|
| 幼少期 | 御宿少年野球クラブ |
| 小学生時代 | マリーンズ・ベースボールアカデミー |
| 小学生時代 | 九十九里リトルリーグ |
| 中学生時代 | 千葉西リトルシニア |
| 高校 | 山梨学院 |
中学時代は千葉西リトルシニアに所属
中学生年代にあたる時期は、千葉西リトルシニアというチームに所属していました。この時期に「2合飯」と呼ばれる食事量のノルマをこなしながら、体を大きくしていったと言われています。中学時代からすでに規格外の体格を持つ選手として注目されていた可能性が高いですね。
体幹を鍛えたラダートレーニング
父の英典さんによると、陽生さんは体のバランスが悪くならないよう、小学生から中学生の時代を通じてラダー(はしご状の器具)を使った体幹トレーニングに取り組んでいたそうです。急激に伸びる身長に体の使い方が追いつくよう、地道なトレーニングを積み重ねていたことがわかります。父と一緒に楽しんでいたというサーフィンも、体幹強化に一役買っていた可能性があります。
読み方は「こもだはるき」
陽生さんの名前は「こもだはるき」と読みます。中学時代からすでにデータベースサイトに経歴が登録されるなど、早い段階から野球関係者の間で注目される存在だったことがうかがえます。中学の所属チームから高校までの経歴が一続きで記録されていることからも、アマチュア野球界で継続的に評価されてきた選手であることが読み取れますね。
中学時代の経験が高校での飛躍につながった
複数のチームを経験しながら技術と体格の両方を磨き上げてきた中学時代があったからこそ、高校での二刀流としての活躍があるのだと考えられます。地道な体幹トレーニングや、レベルの高いチームでの経験を積み重ねてきたことが、194センチ100キロという体格を生かしきれる選手へと成長させた土台になっているのかなと思いますね。
参照:球歴.com 菰田陽生(御宿少年野球クラブ – マリーンズ・ベースボールアカデミー – 九十九里リトルリーグ – 千葉西リトルシニア – 山梨学院)のプロフィール・ドラフト情報・動画
菰田陽生の兄に関する情報のまとめ
- 兄・朝陽は俊足巧打の外野手、弟・陽生はパワー系二刀流という対照的なタイプに育っている
- 身長194センチの陽生は174センチの兄を小学校高学年で追い越すほどの成長スピードを見せた
- 兄弟は正反対のプレースタイルでありながら互いに刺激を与え合う関係を築いている
- 父は元球児、母は元バレーボール選手というスポーツ一家の血筋が二人の運動能力を支えている
- 父は自宅の庭に照明を設置し週6日の練習に付き合うなど技術面のサポートを徹底してきた
- 母は早朝から弁当を作り2合飯のノルマをこなす食事面での支えを続けてきた
- 家族の役割分担は父が技術、母が栄養、兄が刺激という形で明確に分かれている
- 出生体重4600グラム、足のサイズ16センチという規格外の数値は生まれつきの体格を裏付けている
- 千葉県御宿町というサーフィンの町で育った環境が体幹の強さに関係している可能性がある
- 地元のクラブチームから複数の少年野球チームを渡り歩き着実に実力を伸ばしてきた
- 地元千葉ではなく山梨学院を選んだ背景には強豪校としての実績と指導者の存在が考えられる
- プロ野球のスカウトだけでなくプロレス団体からも注目されるほどのスケール感を持っている
- 2026年春のセンバツで骨折を負いながらも主将としてベンチからチームを支え続けた
- 怪我の回復は夏の大会を見据えて焦らず慎重に進める方針がとられている
- 家族全員がそれぞれの立場で長年支え続けてきたことが規格外の選手を育てる土台になっている

