メンバー全員の衣装デザインも手掛けるなど非凡なものを見せるSnow manの宮館涼太さん。
同じくメンバーの渡辺翔太さんとは、生まれた産婦人科も幼稚園、習い事も同じだったという縁もあるそうです。
こういった経歴の中で同じグループで活動を共にするとは数奇な運命ですよね。
二人は親同士も非常に仲が良かったようで、そういったことから今回は宮館涼太さんの母親を中心に家族に注目してみたいと思います。
目次
宮舘涼太の母親について
さて、宮館椋田さんの母親がどのような人物なのか、さっそく見ていきましょう。
年齢は不明
宮館涼太さんの母親は年齢非公開のため不明でした。
宮館涼太さんは、1993年10月1日生まれで2024年4月現在31歳です。
仮に、母親が25歳で出産したとしたら現在46歳となりますね。
恐らくは40代~50代の間ではないかと思われます。
画像は公開されていないが、宮舘涼太の女装姿にそっくりな模様
一般人であり年齢なども非公開であることから、当然ながら宮館涼太さんの母親の画像も公開されてはいませんでした。
画像出典元:X
しかし、宮館涼太さんがテレビ番組で女装をした際には「母親にそっくり、恥ずかしかった」というコメントを残したといいます。
そのコメントから考えて、宮館涼太さんの母親は上記画像の宮館涼太さんのような見た目なのではないかと考えられますね。
宮館涼太さんの母親は、面長で目力強めな雰囲気の女性なのかもしれません。
元レディースの総長
画像出典元:antenna
そんな宮館涼太さんの母親は、なんとレディースの総長だったようです。
わかりやすく言うと、女性不良チームのトップであり喧嘩が一番強いとされる人物ということですね。
相手に舐められないように常に毅然とした態度と鋭い眼光が求められる不良の世界。
宮館涼太さんの鋭い瞳は母親譲りなのでしょうか。
地上波で暴露されたら、「私の過去、ナメんなよ」と宮舘涼太にキレる
かつて、宮館涼太さんがあるテレビ番組に出演した際には、「母親は元々レディースの総長」ということをカミングアウトしています。
これには出演者一同大きな衝撃を受けて人盛り上がり。
しかし、同番組に二回目に出演した宮館涼太さんは「母親にキレられた」と報告します。
「お前、何言ってんの。私の過去舐めんなよ」という強めの言葉と共に指導を受けたという宮館亮さん。
レディースで総長を張るからには、信念とプライドを持って不良をしていた訳です。
ネタとして軽く言われた日には「プチ」っと行くのかもしれません。
様々なことがあり、痛みや悲しみもチームで乗り越えてきたレディース時代は、母親にとっては本当に大切な時間だったのではないでしょうか。
また、親同士も仲のいい渡辺翔太さんの母親もレディースなのでしょうか、ちょっと気になります。
サーフィンが好き
画像出典元:波伝説
宮館涼太さんの父親はサーファーだそうですが、その影響もあってか母親もサーフィンが好きなようです。
夫婦そろってサーフィン好きとは、なかなかファンキーでカッコいい家庭ですよね。
サーフィンで鍛えた足腰で、世間の荒波も乗りこなしてきたのかもしれません。
きっと海辺でも、レディースさながらの鋭い眼光を光らせていたのではないかと思います。
宮舘涼太と母親とのエピソード
画像出典元:X
では、ここからは宮館涼太さんと母親のエピソードについて見ていきましょう。
ジャニーズに入ったきっかけをつくる
宮館涼太さんがジャニーズに入るきっかけを作ったのは、誰あろう母親でした。
宮館涼太さんが中学1年生の頃、母親が勝手にジャニーズに履歴書を送ったそうです。
そして、「買い物に行く」と言って宮館涼太さんを連れ出し、オーディションに参加したのだといいます。
目的遂行のために最短距離で行動を起こすための作戦、なかなか見事なものだったと思いますね。
どのジャニーズタレントもそうかもしれませんが、「応募しよう」と言って素直に「うん」という男の子は少ないので、こういった形にならざるをえないのかもしれません。
突然のことではあったものの、母親譲りの負けん気なのでしょうか。
そのオーディションで宮館涼太さんは見事に事務所への入所を手にしたのでした。
宮舘涼太の勝ち気な性格を形成させた
画像出典元:ウィキペディア
また、そんな勝気な性格を形成させたのは母親のようです。
「やられたらやり返す、黙っていない」という母親の信念のもとに育った宮館涼太さんは、勝気な性格になったとのこと。
学生時代は、やられたらしっかりやり返す徹底ぶりだった宮館涼太さん。
舐めたり、怒らせてはいけないタイプかもしれませんね。
宮舘涼太をドレッドヘアにさせていた
画像出典元:facebook
しかも、「見た目から舐められないヤンキー魂」なのか、宮館涼太さんをパーマヘアにして、洋服も派手目だったようです。
画像は参考ですが、こんな感じの子供だったら相当なインパクトがあったでしょうね。
このことは、宮館涼太さん自身が「母親がそうさせていたのだろう」と語っていました。
見た目から自分の気持ちを鼓舞すること、見た目で意識を切り替えることなどは、実は重要な要素だったりします。
自らを演出する、セルフプロデュースすることなどタレントとして必要な部分でもありますよね。
ある意味では、このころからタレントや芸能人としての意識が芽吹いていったのかもしれません。
こういった幼少期の経験が、現在の「メンバー全員の衣装デザインも手掛けるなど」の仕事に繋がっているのではないでしょうか。
ソファを投げ合うような派手な大喧嘩をしていた
そして、そんな気合の入った母親とはソファを投げ合うような大喧嘩もしたという宮館涼太さん。
誰しもがそうですが思春期に入った宮館涼太さんは、やや激しい思春期だったようです。
画像出典元:X
家の壁に穴が開いたり、ソファを投げ合ったり、母親とは正面から力でも向き合っていたのですね。
ある意味では、このくらいの気概がないと思春期の少年一人は育てられないのかもしれません。
中学生前後の男の子にとっては、「強い、舐められない、負けない」ということは最大の関心事。
ときには物を壊したり、大きな声を出したりして自らの大きさを示すような過程が必要だったりもするのです。
もちろん、暴力は決して許されることではありませんが「大きな声で自己主張する」という行為の中で、子供たちは何が必要でどう相手に伝えるべきかなどの距離感を学んでいくのでしょうね。
男の子のお子さんのいらっしゃる方には何かの参考になれば幸いです。
宮舘涼太は母親からの手紙に号泣
こんな形で正面から母親と向き合った宮館涼太さんは、母親からの手紙で号泣したといいます。
Snow Man宮舘くん
お母さんうどんと包み揚げ
お母さんからの手紙で「汗止まらない」舘様
宮舘家のご馳走食べながら「ただいま❤️」
かまいがち#宮舘涼太#SnowMan pic.twitter.com/aALA0VKmzu— ⛄さゆ (@SnowMan33327065) November 16, 2022
その手紙には、「小さい頃は恥ずかしがり屋で母親の手を握りしめていたこと」や「ダンススクールに通いながら憧れのSMAPになるという夢を手にしたこと」、「ジャニーズに合格なしたこと」、「不安で泣きながら母親とうどんを食べたこと」など、親子の時間がしたためられていました。
どんな親でも、子供の幸せを願い心を痛めていることだけは変わりません。
母親に愛されて育った大切な時間を振り返った涙だったのでしょうね。
この投稿に移り込んでいる、几帳面な宮館涼太さんの母親の字と文面に筆者も親として目頭が熱くなりました。
宮舘涼太は母親のことを小学生までママ呼びしていた
そんな宮館涼太さん、小学生までは母親のことを「ママ」と呼んでいたようですね。
https://twitter.com/qqq_xm/status/1248919207556698112?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1248919207556698112%7Ctwgr%5Ef905e345b425de82a8832060b2b950e04291ab8b%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Ffami-memo.com%2Fmiyadateryota_mother%2F
宮館涼太さん本人からすると、ちょっと恥ずかしいことかもしれません。
世間的にも「マザコンなの?」という話題にもなるので、ちょっと変わった目で見てしまうこともあるでしょう。
しかし、そこに親子の真っ直ぐな愛着関係があり、強い信頼関係があれば呼び方は正直なんでもいいのではないかと思います。
極端に言えば、外国では子供はいくつになっても「母親をママ」と呼びます。
そして、父親にも母親にも「愛してるよ」とその想いをストレートに表現しますね。
文化や言葉、その表現方法が違いから「ママ」という呼び方には、我々日本人には違和感があるかもしれません。
しかし、グローバル化し価値観や考え方、生き方もどんどん多様化する世の中です。
あと数年のうちには、この出来事ももっと自然な受け止め方ができるようになるでしょう。
宮舘涼太の父親はサーファー!年収は200万円位か
宮舘涼太さんの父親は先ほども触れましたが、サーファーです。
プロサーファーなのか趣味でサーフィンしているかは不明ですが、プロサーファーでも平均年収は200万円くらいといわれています。
なので他の仕事も兼用しているので、宮舘涼太さんの父親もサーフィンとは別の収入源があると予想されます。
ただその仕事までは特定できませんでした。
宮舘涼太の名付け親
画像出典元:X
宮舘涼太さんの名付け親は父親です。
なんでもたまたま当時読んでいた「ころがし涼太」という名前から漫画から決めたそうです。
実は宮出産予定日より早く生まれてしまったため、名前を考えられる前だったようです。
たまたまという理由で涼太になってしまった宮舘涼太さんですが、クールで落ち着いた雰囲気を持っておられる宮舘涼太さんにぴったりな名前だと思いました。
宮舘涼太には2人の妹がいる!
宮舘涼太さんには二人の妹さんがいます。
一番目が5歳差、二番目が8歳差と言われています。
妹さん達は一般の方のため、顔写真や職業などは公表されておりません。
幼い頃は喧嘩もよくしたそうですが、大人になった現在は仲良しなようです。
そんな宮舘涼太さんと妹さんのエピソードをここから見ていきましょう。
一緒にバレンタインのチョコやクッキーを作ったことも
画像出典元:X
小学生の頃は一緒にバレンタインのチョコやクッキーを作ったことがあるようです。
バレンタインのチョコはいわゆる友チョコだったようで大量生産の手伝いをさせられたようです。
仲の良さが伝わるエピソードですが、宮舘涼太さんの作ったチョコを食べられたらファンは悶絶もんですよね!
JK語を教わる
年齢差があるので、ジェネレーションギャップを感じる宮舘涼太さんは若者言葉を教えてもらって会話をする努力をしています。
「マジ卍」『KP!(乾杯)」とJK語を教えてもらいながら、妹さん達との会話を楽しんでいるようです。
合わないからと否定するのではなく相手に合わせようと努力する宮舘涼太さんは素敵なお兄さんですね。
おねだりされることも
宮舘涼太さんの目撃情報では妹さんといることもあるようです。
その中でコンビニでアイスをねだられている宮舘涼太さんを見た人も。
なかなかレアなお姿だと思いますが、微笑ましい光景ですよね。
また妹さんと母親と一緒に買い物している姿も目撃されており家族の仲の良さが伝わってきます。
誕生日にはプレゼントを購入する
妹の誕生日にはプレゼントを購入してあげることも。
しかもかなり高価そうなプレゼントなようで妹想いなのが伝わってきます。
雑誌の初表紙の記念には祝福されたことも
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雑誌の初表紙の記念には「表紙おめでとう!」という言葉とともに表紙を飾った雑誌の絵が描いてあるクッションをプレゼントされたこともあるようです。
しかもクッションにはスパンコールで、スパンコールをなぞると表紙が出てくるつくりになってようで、サプライズで宮舘涼太さんを祝いたかった気持ちが伝わります。
冷たい言葉も投げられたことも
ここまで仲の良いエピソードが続きましたが、このようなエピソードもあります。
妹さんから自転車をおねだりされた宮舘涼太さんですが、断った際には「使えない」と冷たい言葉を投げかけられたそうです。
言われた時は宮舘涼太さんは傷ついたと思いますが、このような言葉を言えるのも気を許した関係であるからでしょうね。
宮舘涼太は祖母からBurberryをプレゼントされていた
画像出典元:X
4歳ですでにBurberryをプレゼントされる宮舘涼太さん。
セットアップだったようですが、気に入ってよく着ていたそうです。
また母親が色彩検定の資格を持っていたこともあり、子どもの時から色みの豊かな洋服をたくさん着せてもらっていたとか。
洋服を着る楽しさを幼い頃に覚えたことは、宮舘涼太さんのファッションにも影響しているようです。
幼い頃からBurberry…さすが未来のスターは子供のころからレベルが違いますね。
宮舘涼太の実家は江戸川区が濃厚
東京都出身の宮舘涼太ですが、実家はどこなのでしょうか?
調べてみたところ江戸川区船堀という情報が見つかりました。
なぜ、船堀という噂が流れたのかというと2点あります。
- 宮舘涼太さんが船堀駅で電車を降りている姿が目撃されているから
- 番組でKAT-TUNの亀梨和也さんが「江戸川区の後輩」と発言していたから
以上の理由により宮舘涼太の実家は船堀かどうかは分かりませんが、江戸川区で間違いなさそうです。
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