名取裕子の若い頃の画像があの女優にそっくり!実はトラブルで壮絶半生

名取裕子(62歳)は『3年B組金八先生』に出演して人気を得る。数々の映画やドラマで活躍する女優だ。

映画では『序の舞』や『吉原炎上』でのヌー○を厭わない体当たりの演技が話題になった。

そんな名取裕子は若い頃がとても美人で、あの女優にそっくりなのだ。。

今回は名取裕子の若い頃についてみいていく。

名取裕子は若い頃可愛すぎて悶絶!

大学在学中に『ミス・サラダガール・コンテスト』に応募し準優勝を果たし芸能界入りするほどの美貌の持ち主。(優勝者は古手川祐子だった。)

若い頃の写真を見ても可愛いのが分かる。

出典:odai/2148293579525220801

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出典: https://page.auctions.yahoo.co.jp/

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悶絶級の可愛さですね。

 

すっぴんも綺麗

すっぴんについてもみていこう。

すっぴんとの比較がしやすいように、化粧が濃いこの写真をつかっていく。

出典: https://twitter.com/

すっぴんがこちら。

比較がこちら。

ほとんど変化がないな。

せっかくなのでもう一枚みてみょう。

出典:https://getmoneyfp.net/

すっぴんがこちら。

比較がこちら。

こちらもほぼ変化ないな。元の顔がいかに整いっているかがわかるね。

つかこの写真可愛すぎだろ。。

 

名取裕子の若い頃は○○に似てる

名取裕子の若い頃は誰に似てるか調べてみた。

この写真を使って調べてみた。

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1位矢田亜希子。

2位夏目三久。

3位菊川怜

んーどれもそんなに似ていないと思うけど、どうだろうか。

ここからはネットで似てると言われている芸能人についてみていこう。

 

ネットの意見について

これはわかる。

顔の輪郭がそっくり。

松井珠理奈はまったくだな。

これも似てるね。名取裕子も浜口順子も縦に長い丸顔だよね。

 

名取裕子の若い頃について

出典:https://bokuwatageinou.com/

名取裕子は神奈川県横須賀市で生まれ、子供の頃に引っ越しを経験し、小、中学校は座間市の公立小学校、中学校へ通っていた。

家族構成は両親と兄が一人で、一時期は祖父母や叔父叔母などと一緒にすみ13人の大家族の時期もあったよう。

父親は電車車両製造会社の会社員で母はおそらく専業主婦だったのだろう。ただ高等女学校を卒業しており高学歴だったようだ。

名取裕子が進学した高校は厚木高校で偏差値69という超頭のいい学校だった。母親の遺伝子をしっかり受け継いでいるようだ。

ちなみに「相棒」シリーデ有名の六角精児も高校の同級生だったらしい。

名取裕子は学校のマドンナ的存在でファンクラブがあったとの話。

この顔ならファンクラブがあるのも納得。

将来はコピーライターになりたいと思っていた名取裕子は青山学院文学部に進学。

青山学院大学1年の時に人数合わせで呼ばれた『ミス・サラダガール・コンテスト』で準優勝したことをきっかけに芸能界へ。

 

ドラマ『おゆき』で初主演!翌年には大河ドラマ『黄金の日日』に出演

1977年4月からTBSで放送されたドラマ『おゆき』で初主演。

高知から上京し魅力的な男性と出会い幸せな家庭を築く物語で、名取裕子はヒロインで心優しい女性おゆき役を演じている。

名取裕子の兄役に前田吟、他にも三宅邦子などが出演している。

翌年1978年1月から放送されたNHK大河ドラマ『黄金の日日』で、名取裕子は今井家に送り込まれたスパイのような役割の『梢役』を演じた。

出典:https://bokuwatageinou.com/

時代背景は安土桃山。豪商・助左衛門と今井宗薫の争いを描いた物語。

主演は六代目市川染五郎。ほかには丹波哲郎や竹下景子などが出演している。

 

ドラマ『3年B組金八先生』のマドンナ役に大抜擢も事務所とのトラブルで女優引退危機に直面!

名取裕子の代表作といえば、1979年に放送開始されたドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の第1シリーズ。

ドラマの中で演じたのは田沢悦子先生役でマドンナ的な存在だった。

金八先生は名取裕子扮する悦子先生にぞっこん。トシちゃんこと田原俊彦が演じた生徒も田沢悦子先生に恋をしていた。

出典:https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/

そんな名取裕子の女優人生は順風満帆だったわけではなかった。

CMの演出を巡るトラブルで事務所と対立をして、引退に近い状態にまで追い込まれたことがあったからだ。

しかしその危機を救ったのが当時NHKディレクターだった和田勉だった。

 

トラブルを救ったディレクター和田勉の粋な計らいにより松本清張シリーズ『けものみち』に出演!

和田勉は渦中の名取裕子に自身が演出を行っているドラマへの出演を打診。

名取裕子は当時事務所を辞めてどこにも所属をしていなかったということで、自宅の電話で直接和田勉と話をして出演を引き受けた。

それが1982年のNHKドラマ『松本清張シリーズ・けものみち』だった。

出典:https://www.nhk-ondemand.jp/#/0/

演出を担当する和田勉は毎日のようにつきっきりで名取裕子のメイクや演技を事細かに指導をしたそう。

また西村晃はじめとする共演者や原作者の松本清張から親身に接してもらい、以後和田勉や松本清張らとは生涯に渡る親交を築き上げていく。

この作品をきっかけとして名取裕子は女優としてやっていく決意を新たにして以後目覚ましい活躍を続けていくことになる。

1984年の映画『序の舞』や1988年の『吉原炎上』でのヌードを厭わない体当たりの演技が話題になった。

以後も『2時間ドラマの女王』、松本清張作品の常連として『清張女優』の異名をとることになる。

 

映画『吉原炎上』の過激で美しい花魁役

出典:http://enjou.doga-matome.com/

1987年に公開された映画『吉原炎上』。最近ではマツコ・デラックスが愛してやまない映画として紹介し、ドラマ化されたことで若い人たちも興味を持つようになった。

清純派女優というイメージの強い名取裕子だったが、この映画では実家の借金を返済するために吉原に売られた、ごく普通の女性が花魁になっていくありさまを体当たりで演じており、その妖艶な演技が話題になった。

 

管理人の小言

名取裕子の若い頃は可愛かった。

昭和の女優は本当に素で綺麗な人が多い。

今よりも化粧も普及していないし修正や加工技術もない。

だから、昭和の女優の人は本当に顔が整っている。

名取裕子もその1人。

これからの活躍も祈る。

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