芝大輔の高校は帝京第五高校!偏差値や寮生活とモテ話まで解説

芝大輔の高校は帝京第五高校!偏差値や寮生活とモテ話まで解説

芝大輔の高校はどこなのか、気になっていませんか。映画で41歳の芝大輔が高校生役を演じたこともあり、学生時代に関心を持つ方が増えています。

高校時代の芝大輔はイケメンとして注目を集め、女子に囲まれたり手紙をもらったりしたそうです。一方で、寮生活を送りながら、打ち込めるものが見つからない日々も過ごしていました。

さらに、芝大輔の父はどんな人物なのかという点も、地元では有名だったと言われる背景とあわせて気になるところです。

本記事では、芝大輔の高校や偏差値、寮生活、モテエピソードから、父や実家の民宿、芸人になるまでの歩みまで詳しく解説します。気になる方はぜひ最後までご覧ください。

芝大輔の高校時代を解説

  • 出身高校は帝京第五高校
  • 帝京第五高校の偏差値と学科構成
  • 高校時代は寮生活だった
  • イケメンでモテた高校時代
  • 高校生役と映画出演が話題
  • 出身中学は帝京冨士中学校

出身高校は帝京第五高校

芝大輔さんがどの高校に通っていたのか、まずは答えから確認していきましょう。場所や学校の特徴、進学の経緯まで順番にお伝えします。

出身高校は愛媛県大洲市の帝京第五高校

芝大輔さんの出身高校は、愛媛県大洲市にある私立の帝京第五高校です。男女共学の学校で、最寄りは新谷駅。地元の松野町からは、けっこう距離のある場所にある学校なんですよね。

ちなみに、ネット上では中学校を地元の公立校とする情報も見かけますが、高校については帝京第五高校でほぼ一致しています。迷わずこの学校名で大丈夫ですよ。

芝大輔のプロフィール

高校の話に入る前に、芝さんの基本情報を表で整理しておきます。

項目 内容
名前 芝大輔(しば だいすけ)
生年月日 1983年7月25日
出身 愛媛県北宇和郡松野町
身長・血液型 175cm・O型
コンビ モグライダー(ツッコミ担当)
出身高校 帝京第五高校(愛媛県大洲市)

2026年10月時点で、芝さんは43歳です。逆算すると、高校に通っていたのは1999年ごろから2002年ごろまでの3年間ということになります。この時期の芝さんが、寮で暮らしながらどんな毎日を送っていたのか、次のセクション以降で掘り下げていきます。

帝京第五高校はどんな学校?

帝京第五高校は1963年に開校した私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。特に硬式野球部、サッカー部、剣道部が県内では強豪とされています。

芝さんは中学から同じ系列の学校に通っていたため、高校は内部進学という形でした。中高6年間を同じ系列で過ごしたことになります。

野球やサッカー、剣道といった部活が強い学校では、校内全体が部活を中心に動くことも少なくありません。そんな空気の中で、芝さんが自分の居場所をどう見つけていたのかは、このあとの寮生活のセクションで触れていきます。

高校受験をめぐる話

情報サイトでは、芝さんが別の高校を受験して合格できず、少し遠い高校に入ったという趣旨の話も伝えられています。ただ、中学が系列校という点とは食い違うようにも見えるので、ここは断定せず、そういう話もあると受け止めておくのが無難です。

とはいえ、田舎の小さな世界を抜け出したくて、あえて遠くの学校を選んだという流れは、後に上京してお笑いの道へ進む姿ともつながって見えます。

芝大輔の高校が検索される理由

芝大輔 高校という検索が多い背景には、いくつかの理由が重なっていそうです。ひとつ目は、イケメン芸人として知られていること。ふたつ目は、映画で41歳にして高校生役を演じたこと。そして三つ目が、大学をわずか1週間で辞めているため、実質的な最終学歴として高校に関心が集まりやすいことです。

学歴を調べていくと、必ず高校時代のモテエピソードや寮生活にたどり着くのも、芝さんの特徴ですね。そのあたりは、このあとのセクションで詳しくお伝えします。

主な卒業生

同じ高校の卒業生には、プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍した塩見貴洋さんがいます。野球の強豪校らしい顔ぶれで、芸人の芝さんとはちょっと意外な組み合わせかもしれませんね。

参照:みんなの高校情報 帝京第五高校(愛媛県)の偏差値 2026年度最新版

帝京第五高校の偏差値と学科構成

帝京第五高校の偏差値を調べている方も多いはずです。ここでは偏差値の数字、学科ごとの違い、芝さんがどの学科だったのかを整理していきます。

帝京第五高校の偏差値は45〜46

みんなの高校情報の2026年度版によると、帝京第五高校の偏差値は45〜46です。この数字は、2025年4月入学生の模試結果と入試結果をもとに集計されたものとされています。

あくまで入試の難しさの目安で、教育内容の良し悪しを示すものではないという点には注意してくださいね。

学科ごとの偏差値

学科は3つあり、数字はほぼ横並びです。

学科 偏差値
普通科 46
看護科 46
総合学科 45

愛媛県内での位置づけ

愛媛県内の順位で見ると、118校中55位、私立37校中の13位です。全国では8,618校中4,814位という位置づけになっています。

口コミ評価は5点満点で2.98(12件)。県内の最上位校である愛光高校の74や松山東高校の69と比べると、かなり入りやすい部類に入ります。一方で、同じ偏差値帯には東温高校の45などもあり、県内ではちょうど真ん中より少し下あたりという印象です。

併願先として挙がる近隣の高校

みんなの高校情報では、帝京第五高校の併願校として、三島高校(偏差値38〜48)、聖カタリナ学園高校(39〜48)、東温高校(45)、丹原高校(36〜44)、伊予農業高校(43〜44)が挙げられています。どれも偏差値が近い学校です。同じ大洲市内には、大洲高校(45〜57)や大洲農業高校(35〜37)もあります。

こう見ると、帝京第五高校は、地元の受験生にとって身近で選びやすい私立校という位置づけだと考えられます。部活動に力を入れたい生徒や、寮を使って通いたい生徒の受け皿になっているのかもしれません。

芝さんはどの学科だった?

芝さんがどの学科に在籍していたかは、はっきりした情報がありません。ただし看護科は芝さんが高校3年生の頃に開設されたとされているので、通っていたのは普通科か総合学科のどちらかと考えられます。

当時はまだ看護科がなかったことを踏まえると、普通科だった可能性がやや高いというのが、筆者の見立てです。もちろん断定はできませんが、芝大輔 高校のなかでも、読者の方がいちばん気にする部分だと思うので、あえて推測を書いておきました。

芝大輔が高校の偏差値で語られる理由

芝さんは、バラエティ番組でも自分の学生時代を気取らず話すタイプです。そのため、高校の偏差値を調べて親近感を覚えるという人も多いようです。帝京第五高校偏差値という検索が増えるのも、そんな芝さんのキャラクターが背景にありそうですね。

偏差値45〜46は、全国的に見ると平均よりやや下に位置します。ですが、偏差値だけで、通った人の人生の面白さや可能性は測れないのは、芝さん自身が証明しています。学力の数字よりも、その環境で何を感じ、どう生きたかのほうが、ずっと大切なのかもしれません。

参照:みんなの高校情報 帝京第五高校(愛媛県)の偏差値 2026年度最新版

高校時代は寮生活だった

芝さんは中学に続いて、高校でも寮で暮らしていました。ここでは寮生活の様子や部活動、本人が語った高校時代の気持ちを見ていきます。

高校も寮生活だった

芝さんは中学時代に続き、高校時代も寮生活を送っていました。実家から学校までがかなり遠いため、通学ではなく寮に入るのが自然な選択だったようです。

一般的に、地方の私立校では遠方の生徒向けに寮を設けているケースが多いです。芝さんの場合は、中高の6年間を寮で過ごしたことになり、親元を離れた生活の期間はかなり長いですね。

小さなコミュニティから抜け出したかった

情報サイトによると、芝さんは小さなコミュニティが嫌で、そこから抜け出したくて進学したものの、結局は寮生活で、クラスも10人ほどだったと伝えられています。

田舎を出たはずなのに、また小さな世界の中にいたというのは、本人にとっては皮肉な状況だったのかもしれません。当時の閉塞感が、後の上京への原動力になったと考えると、すっと腑に落ちます。

所属していた部活はバレーボール部

部活動はバレーボール部に在籍していました。強豪の野球部やサッカー部ではなく、バレーボール部だったというのは少し意外かもしれません。

ただ、本人は高校時代について、ナタリーのインタビューで次のように語っています。

「自分は学生時代に『部活を思いっきりやった』っていう自覚もないし、それ以外でも何かに打ち込んだ期間はなかったので」

バレーボールも、なんとなくやっていたという感覚だったそうです。

打ち込むものがなかった高校時代

この発言からは、特別な熱意を持たずに、毎日をやり過ごしていた様子が伝わってきます。ただ、これって芝さんだけの話ではなく、同じように感じていた人は多いのではないでしょうか。

だからこそ、その後に芸人という打ち込めるものと出会えたことが、芝さんにとって大きな転機だったと言えそうです。

寮生活が芸風に与えた影響

芝さんのトークには、田舎や寮といった閉じた環境ならではの体験談がたびたび登場します。これは単なるネタ探しではなく、実際に長く閉じた世界で暮らしたからこそ出てくる実感なのでしょう。

地方出身の芸人が、故郷や学生時代の体験を武器にするケースは少なくありません。芝さんの場合は、猿や寮といった強烈な背景が、そのままオリジナルの笑いになっているのが強みです。

寮生活で培われたもの

長い寮生活を通じて、人との距離の取り方や、限られた環境で楽しみを見つける力が自然と身についた可能性があります。実際、バラエティ番組でも閉鎖的な環境ならではのエピソードを面白おかしく話す場面が目立ちます。

テレビ好きだった少年が、寮という特殊な環境で観察眼を磨いた。そう考えると、あなたも芝さんのトークがより味わい深く聞こえてくるかもしれませんよ。

寮は一般的に、起床や食事、消灯の時間が決まっていて、規則正しい生活になりやすいと言われます。自由が少ない環境だったからこそ、テレビや笑いへの憧れがより強くなったという見方もできそうです。

イケメンでモテた高校時代

芝さんはイケメン芸人としても有名です。高校時代のモテエピソードと、今も続くイケメン扱いへの複雑な気持ちを見ていきます。

初めてモテを実感した出来事

高校生の頃、別のクラスの女子に囲まれて写真を撮られたことがあるそうです。その時に芝さんは「モテるってこういうことか」と初めて知ったと語っています。

自分では意識していなくても、周りからはずっと注目されていたんですね。

手紙をもらうほどのモテぶり

その後も、別のクラスの女子が芝さんを見に来たり、他校の女子から手紙をもらったりといった経験があったそうです。寮生活でクラスも少人数だった中で、これだけ注目されるのはかなりのことです。

ただ、生まれ育った場所が田舎だったため、せっかくのモテを活用できなかったと本人は振り返っています。もったいない気もしますが、そこが芝さんらしいところですね。

芝大輔のイケメンぶりが話題になる理由

芝大輔 イケメンという検索が多いのは、お笑い芸人でありながら整った顔立ちをしているというギャップがあるからでしょう。身長175cmというスタイルも、そのイメージを後押ししています。

高校時代に周囲が騒いでいたことを考えると、イケメンというイメージは昔から変わっていないと言えそうです。

モテが花開かなかった理由を考える

高校時代にあれだけ注目されながら、なぜモテを活用できなかったのか。寮生活で自由に外出しにくかった可能性や、周囲に同年代の若者が少ない地域だったことが影響していそうです。もちろん、本人の性格的な照れもあったかもしれません。

もし都会の高校に通っていたら、まったく違う青春になっていたかも、と想像する人も多いのではないでしょうか。結果的にその「活かせなさ」が、のちの芸人としての哀愁ある笑いにつながったとも考えられます。

イケメン扱いに対する本人の苦悩

テレ東プラスによると、2025年1月22日放送の「あちこちオードリー」で、芝さんはイケメン芸人として取り上げられた時のスタンスがずっと分からないと明かしました。雑誌のイケメン企画で撮られた写真が、芸人ばかりのバラエティで出されると、本気なのかイジリなのか判断がつかないそうです。

しかも、スタジオ側もイケメン扱いする人とイジる人に分かれ、足並みが揃いません。芝さんは「そっちも揃えてくれないと、こっちも動きようがねぇじゃねえかよ」と本音をこぼしていました。

自分では売りにしていない

芝さん本人は、カッコいいで売っているつもりはないそうです。それでも周囲が放っておかないのは、高校時代から続く宿命のようなもの。モテた過去とイジられる現在が地続きになっているのが、芝さんの面白さですね。

イケメン芸人という肩書きは、うれしい反面、笑いの現場では扱いが難しい面もあります。ほめ言葉として受け取れば自慢に見え、否定すれば謙遜に見えてしまうからです。だからこそ、芝さんは何も言わずに困った顔をするのかもしれません。

参照:テレ東プラス モグライダー・芝、”イケメン”扱いの苦悩… Snow Manラウール主演映画で悲劇!?

高校生役と映画出演が話題

芝大輔 高校生役という検索が増えたのは、ある映画への出演がきっかけでした。出演の経緯と演技の裏話、他のドラマ出演もまとめます。

41歳で高校生役を演じた映画

芝さんは映画「赤羽骨子のボディガード」で、41歳にして高校生役を演じました。主演はSnow Manのラウールさんで、芝さんが演じたのはクラス1のイケメン役です。

若い共演者たちを押しのけての抜てきですから、これは大きな話題になりました。

原作に忠実な役作りの結果

原作の漫画に忠実に、芝さんはロン毛に細いメガネという姿で役作りをしました。ところが、仕上がりは本人いわく、假屋崎省吾さんみたいになってしまったそうです。

実際の写真を見たオードリーの二人は大爆笑だったとのこと。さらに映画では、芝さんが出ているシーンだけ白いモヤがかかっていたという話まで明かしています。

この白いモヤのエピソードは、イケメン役を任された本人が、その扱いまで笑いに変えている点がポイントです。映画を観る時に、芝さんの登場シーンを探してみるのも楽しいかもしれませんね。

高校生役がハマると言われる理由

芝さんは、高校時代に実際にモテていたと語っています。そう考えると、クラス1のイケメンという設定は、本人の過去と重なる部分があったとも言えそうです。

ただ、本人はカッコよさで売るつもりがなく、スタッフ側がイジり半分で起用した可能性もあります。そのあいまいな立ち位置こそ、芝さんらしい魅力かなと思います。

ドラマ出演の実績

マセキ芸能社の公式プロフィールには、俳優としての出演歴も並んでいます。

局 作品
日本テレビ オクト~感情捜査官 心野朱梨~、離婚弁護士スパイダー~慰謝料争奪編~、放送局占拠
テレビ朝日 七人の秘書スペシャル
TBS オールドルーキー(第9話)、さよならマエストロ
テレビ東京 ブラックポストマン(第1話)
Paravi 悪魔はそこに居る(第1話)

41歳の高校生役が受け入れられた背景

普通なら無理があるはずの41歳の高校生役が、ここまで話題になったのは、芝さんがイケメン扱いと芸人のイジりの間にいる存在だからでしょう。スタッフ側にも「笑ってもらえる」という確信があったのかもしれません。

芝さんは映画のほかに、眼鏡ブランドのCM「RIM BY JINS」にも出演しています。見た目の良さが、芸人としてだけでなく俳優やCMでも評価されていることがうかがえます。

大河ドラマにも出演

公式プロフィールには、2027年1月からのNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」も記載されています。高校生役で注目された芝さんは、今や大河ドラマに出る俳優の顔も持ち始めています。お笑いだけでなく、役者としての活躍も楽しみですね。

参照:テレ東プラス モグライダー・芝、”イケメン”扱いの苦悩… Snow Manラウール主演映画で悲劇!?

参照:マセキ芸能社 モグライダー

出身中学は帝京冨士中学校

高校の前に通っていた中学校についても確認しておきましょう。ネット上の食い違う情報や、中学時代の意外なエピソードも紹介します。

出身中学は帝京冨士中学校

芝さんの出身中学は、愛媛県にあった私立共学の帝京冨士中学校です。出身高校の系列校で、高校には内部進学しています。

偏差値は52で、数字としては普通レベルです。同校は少子化の影響で、2021年に閉校しています。

母校がすでになくなっているというのは、卒業生にとっては少し寂しいものですよね。芝さんが過ごした中学の寮や校舎は、今は思い出の中にだけ残っているわけです。

中学校の基本情報

項目 内容
学校名 帝京冨士中学校
所在地 愛媛県
設置 私立・共学
偏差値 52
閉校 2021年

情報サイトによると、芝さんの地区は中学校に通うには峠を越えなければならず、通学が難しいため、その地区の子どもたちは中学から寮に入るのだそうです。しかも寮は学校のすぐ近くではなく、町中を通って通う場所にあったと伝えられています。

松野中学校出身説について

ネット上には、地元の公立校である松野中学校を出身とする情報もあります。ですが、芝さんは中学時代から寮生活をしていたと明かしているので、松野中学校の出身者ではありません。

地元の松野町は人口3,000人ほどで、愛媛県内でも最も小規模な町です。そこから離れた学校に寮で通うのは、この地域では珍しくない進路だったのかもしれません。

寮のおやつと花火の記憶

中学の寮では、月に1回おやつが支給されたそうです。ほとんどが煎餅など渋いものの中で、チョコ系のお菓子が出た時は非常に嬉しかったと振り返っています。3年間でカラムーチョが出たのは、たった1度だけだったとか。

また、中学生の頃に地元で始まった花火大会は、近くで寝転んで観たそうです。真上で花火が上がり、灰が落ちてくる光景を今も覚えていると語っています。

中1で限界を迎えた出来事

芝さんは田舎暮らしが嫌になり、GREEニュースのインタビューで次のように語っています。

「それで中1くらいのときに限界がきて、”ダメだ俺、生きていけないかも”って思って、夏休みに道路の真ん中で寝たことがあったの。”俺をひいてみろ!”と思って(笑)」

3時間ほど寝転んでいたものの、誰も通らなかったそうです。それだけ人も車も通らない場所で育ったというわけですね。

道路に寝転がるという行動は、一見すると突拍子もない話です。ですが、逃げ場のない山あいの環境で、思春期の入り口に立った少年の叫びだったと考えると、少し切実に聞こえてきます。笑い話として語れるようになった今だからこそ、あなたも一緒に笑えるのかもしれません。

小学校は松野南小学校

小学校は地元の公立校の松野南小学校で、2018年3月に閉校しています。日が当たらず真っ暗な中を、一人で通学していたそうです。厳しい環境で育ったことが、後のトークの引き出しになっているのは間違いなさそうです。

参照:Smart FLASH モグライダー・芝大輔の実家は「農家民宿」 実母の”家庭料理のフルコース”でリピーターが続々

芝大輔の高校以外のこと

  • 父親は地元の有名人
  • 実家は愛媛の農家民宿
  • 大学は帝京大学で中退
  • お笑いの道に進んだ経緯
  • モグライダー結成からM-1決勝まで

父親は地元の有名人

芝大輔 父という検索も増えています。ここでは、芝さんの父親がどんな人物と言われているのか、勤務先や人柄、民宿を始めた経緯を整理します。

父親は県庁勤めの有名人と言われる

情報サイトによると、芝さんの父親は県庁に勤めていて、地元ではかなり有名な方だったと伝えられています。

もともとは高校卒業後に東京で仕事をしていたものの、本家の長男だったため、芝さんの祖父が亡くなったタイミングで地元へ戻ったそうです。その後は松山の県庁に勤め、定年前に退職したと言われています。

勤務先の伝わり方には違いも

一方で、週刊FLASHでは母親が、夫は町役場勤めだったと語っています。県庁と町役場、どちらの表現も存在するわけです。

この食い違いは、長く公務員として働いたことは共通しているので、勤務先の細かな表現の差と考えるのが自然でしょう。地元での知名度が高いという点は、どちらの話でも変わりません。

滑床渓谷のホテルで支配人を務めた

地元には、一番奥まで行くと滑床渓谷があります。そこにホテルができた時、芝さんの父親は支配人を務めていたと言われています。

当時は人の出入りもあり、町が元気だった時期。父親は外から人を呼ぶなど、地元活性化のために力を尽くしたそうです。地元で有名な理由は、こうした地域への貢献にあるのでしょう。

父親の情報まとめ

項目 伝えられている内容
勤務先 県庁、または町役場
役割 滑床渓谷のホテルで支配人
地元での評価 活性化に尽力した有名人
家庭での印象 とても怖い存在
定年後 民宿を開業

小さな町では、役場や県庁に勤める人は、地域の行事や事業を通じて自然と顔が広くなります。町の人口が3,000人ほどという規模を考えると、父親が地元で有名だったという話にも納得がいきます。

また、週刊FLASHによると、父親は母親より10歳上だそうです。年の離れた夫婦が、定年後に二人三脚で民宿を始めたという流れは、地域に根ざした暮らしを象徴しているようです。

芝さんにとって怖い存在だった

外では頼れる存在でも、芝さんにとって父親はめちゃくちゃ怖い存在だったそうです。仕事中はほとんど話すこともなく、家には緊張感があったと言われています。

ただ、仕事を辞めてからは人が変わったように穏やかになったとのこと。厳しい父親の姿を見て育ったことが、芝さんの繊細なツッコミ感覚にも影響しているのかもしれません。

定年後に民宿を始めた

芝さんの父親は、定年を迎えたあと、夫婦で農家民宿を始めました。母親によると、夫は定年を迎えて、人と関わる暮らしを続けたいという思いから民宿を始めたそうです。厳しい父親が、定年後は人をもてなす側になったというのは、なんとも感慨深い変化ですね。

参照:Smart FLASH モグライダー・芝大輔の実家は「農家民宿」 実母の”家庭料理のフルコース”でリピーターが続々

実家は愛媛の農家民宿

芝さんの実家は、愛媛県松野町の山あいで民宿を営んでいます。ここでは民宿の特徴や、実家の環境、家族についてご紹介します。

実家は松野町の山間部にある民宿

芝さんの実家は、愛媛県松野町の山間部で農家民宿を営んでいます。2014年に両親が開業し、2022年には空いていた一棟をクラウドファンディングで資金を集めてゲストハウスにしました。

2017年放送のテレビ番組「人生の楽園」でも、実家の民宿が紹介されています。

民宿の基本情報

項目 内容
民宿名 森の国の宿 あざみ野
ゲストハウス ゲストハウス あざみ野
開業 2014年(農家民宿)
ゲストハウス化 2022年(クラウドファンディング)
所在地 愛媛県北宇和郡松野町
建物 築70年の昔ながらの家

お客さんが集まる理由

お母さんによると、お遍路に挑戦するインバウンドの方がよく訪れ、最近は修学旅行の田舎暮らし体験先にも選ばれているそうです。敷地内で育てている南高梅を目当てに来る方も多いと言います。

夕食と朝食は、さながら家庭料理のフルコース。自家製の梅干しやジャムも欠かせないそうで、リピーターが続々と生まれているのも納得です。

周辺の自然環境

全長12kmにおよぶ滑床渓谷や、四万十川の支流・目黒川までは、車で約10分。芝さんの実家は、豊かな自然に囲まれた秘境のような場所にあります。南予の大自然を満喫できる立地です。四季ごとに違う表情が楽しめるので、一度行くと何度も訪れたくなるリピーターが多いのも納得ですね。

芝さんは実家の環境について「人よりも本当に猿とかのほうが多いところ(笑)」と話しています。猿が家や畑を荒らすほか、鹿やイノシシも頻繁に出るそうです。

芝さんの実家を訪ねたい人へ

芝さんが大人気になったこともあり、実家の民宿を訪ねるファンも増えているようです。情報サイトでは、芝さん親子の顔をはめるパネルが置かれているとも伝えられています。タイミングが合えば、芝さんと一緒にご飯を食べられる可能性もあるとか。

ただし、宿泊の可否や予約方法は変わる可能性があります。訪れる際は、必ず公式の情報を確認してから計画を立ててくださいね。

民宿を始めたきっかけと家族

情報サイトによると、民宿をやりたかったのは、実はお母さんのほうだったそうです。人をもてなすのが大好きで、とにかく人に来てほしい精神があると芝さんは話しているとのこと。そのため芝さんが帰省すると、知らないお客さんと一緒にご飯を食べることもあるようです。

家族構成は両親と姉、そして弟か妹の5人家族。人気芸人の実家というだけでなく、純粋に魅力ある宿として、全国から客が訪れています。

参照:Smart FLASH モグライダー・芝大輔の実家は「農家民宿」 実母の”家庭料理のフルコース”でリピーターが続々

大学は帝京大学で中退

高校卒業後に芝さんが選んだ進路は大学でした。進学先や、わずか1週間で辞めた経緯、背景にある家族の考え方を見ていきます。

大学は帝京大学に内部進学

芝さんの出身大学は帝京大学で、高校からの内部進学でした。系列の高校に通っていたため、大学にも自然な流れで進んだようです。

ただ、在籍していた学部や学科の詳細は、公になっていません。偏差値は学部によって35〜45ほどと幅があります。

大学進学の情報整理

項目 内容
進学先 帝京大学
進学時の年齢 18歳
進学形式 内部進学
偏差値の目安 35〜45(医学部除く)
在籍期間 約1週間
結果 中退

帝京大学は、芝さんが通っていた帝京第五高校と同じ系列です。系列校からの内部進学は、一般的に試験の負担が軽く、流れに乗って進学しやすい制度だと言われています。芝さんも、やりたいことが固まる前に、自然な流れで大学生になったのかもしれません。

わずか1週間で中退した

芝さんは、GREEニュースのインタビューで次のように話しています。

「高校を卒業した18歳で、大学に1回入ってるのよ。ただ、よく分からないところに入っちゃったんだけど」

実際に通ったのはわずか1週間ほどで、そのまま中退しています。大学に興味が持てなかった様子が伝わってきますね。

両親の教育方針

情報サイトによると、芝さんが東京の大学に進んだのは、両親が「とにかく都会に出て色々経験しなさい」と言ってくれるタイプだったからだそうです。

地元で厳しい父親と、人をもてなすのが好きな母親。子どもを外の世界へ送り出す姿勢が、芝さんの上京を後押ししたと考えられます。

中退は無駄ではなかった

大学を1週間で辞めたと聞くと、もったいないと感じる方もいるかもしれません。ですが、この中退こそが、芝さんをお笑いの道へ進ませた最初の一歩でした。

大学をきっかけに上京し、そこでお笑いと出会うきっかけをつかんだわけですから、遠回りに見えて、実は必要な寄り道だったのかもしれません。

計算上、芝さんは18歳で大学に入学し、20歳でNSCに入校しています。その間の約2年間に何をしていたかは、くわしく語られていません。ただ、大学を辞めてすぐにお笑いへ進んだのではなく、少し迷う時間があった可能性もあります。

大学を辞める決断は、周りから見れば勇気のいることです。ただ、やりたくないことを続けるより、早めに方向転換できたとも受け取れます。結果的に、そのスピード感が芸人としてのスタートを早めたのかもしれません。

大学中退の芸人は珍しくない

お笑い業界では、大学を中退して芸人を目指す人は決して珍しくありません。学歴よりも、自分の笑いを信じる覚悟のほうが大切な世界です。

芝さんの中退も、そんな覚悟の第一歩だったと言えるでしょう。

お笑いの道に進んだ経緯

芝さんが芸人になった背景には、幼少期からのテレビ好きがありました。きっかけから養成所時代の苦労まで、順番に整理します。

子どもの頃からのテレビっ子

芝さんは子どもの頃から、かなりのテレビっ子でした。俳優の柳沢慎吾さんに憧れていたそうです。

情報サイトによると、当時は4局のテレビしか映らず、テレビ以外には興味がなかったとのこと。テレビの中で子どもたちが笑っている姿に驚き、早くあの中に入りたい、芸能人になりたいという思いが小学生の頃からあったと言われています。

中学で意欲を失い、ペンキ職人を考えた

しかし中学に入ると、その意欲はなくなり、勉強も苦手だったため、ペンキ職人になろうと考えていた時期もあったようです。そこから、ふとこのままずっとここにいて終わるかもしれないと恐怖を感じたと言われています。

大学を辞める口実としてのお笑い

大学に興味が持てなかった芝さんは、辞めるための口実を探していました。そこで子どもの頃にテレビに出たかったことを思い出し、お笑いに詳しい高校の同級生に「オレ、芸人になりたいから、大阪に引っ越そうかな」と相談したそうです。

すると同級生は「東京にも吉本あるから」と教え、東京NSCの願書まで取り寄せてくれたとのことです。

芝さんの憧れだった柳沢慎吾さんは、一人で何役もこなす芸風で知られています。テレビの中の人に憧れた少年が、そのまま芸人を目指したという分かりやすい流れが、芝さんの原点にあるのは間違いなさそうです。

NSC東京校9期として入校

20歳だった2003年、芝さんは吉本総合芸能学院(NSC)東京校に入校しました。同期にはハリセンボンやしずる、パンサーの菅良太郎さん、当時は芸人志望だったゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんもいました。

芝さん自身は、「すごい期ではあるんですよ。俺なんか早々にフェードアウトしちゃってるのでアレですけど…」と振り返っています。

養成所時代の歩み

時期 出来事
2003年 NSC東京校9期に入校
NSC在籍中 岡野秀文さんと弁天小僧を結成
同時期 ほかにも3人とそれぞれコンビを組む
2004年 人力舎のスクールJCAに入所

養成所では、組んだコンビがすぐ解散することは珍しくありません。相性や熱量の違いが表に出やすいからです。芝さんも同期にはすごい顔ぶれが揃う中で、なかなか芽が出ない焦りを感じていたのかもしれません。

コンビが長続きしなかった時期

NSC時代は、弁天小僧のほかにも声をかけられて3人とコンビを組みましたが、いずれも長続きはしませんでした。NSCも途中で辞めています。

その後、2004年に入所したスクールJCAでは、三四郎と同期でした。お笑いの道は、最初から順風満帆ではなかったのです。

モグライダー結成からM-1決勝まで

芸人を一度辞めた芝さんが、どうやってブレイクまでたどり着いたのか。結成の経緯からM-1決勝進出までを時系列で見ていきます。

芸人を辞めてアルバイト生活に

芝さんは3〜4年ほど芸人を続けたものの、結果が出ず、一度芸人自体を辞めています。その後はアルバイト生活を3年ほど送っていたと伝えられています。

親から「25歳までにしろよ」と言われていたこともあり、最後の1回だけやろうと決意したのが、モグライダー結成につながる大きな転機でした。

ともしげとの出会いと結成

相方探しでは、的を絞ってともしげさんに目をつけたと言われています。別の情報では、友人の紹介による飲み会でともしげさんと出会ったとも伝えられており、出会い方には複数の説があります。

2009年1月、25歳の時に、芝さんはともしげさんとお笑いコンビ モグライダーを結成しました。ちなみにともしげさんは1982年5月31日生まれで、埼玉県飯能市の出身、ボケ担当です。

ツッコミ担当になった意外な経緯

今でこそツッコミの芝さんですが、ともしげさんと組むまではボケ担当だったそうです。コンビ結成を機に、役割も変わったということですね。

10年以上売れない時期が続いた

コンビはなかなか売れず、10年以上、苦しい時期が続きました。それでも解散せずに続けた粘り強さが、後の飛躍につながったのでしょう。

2021年にM-1決勝へ

転機が訪れたのは2021年です。無名ながらM-1グランプリの決勝に進出し、一気に注目を集めました。優勝には届きませんでしたが、大きなインパクトを残しています。

2022年にはテレビ出演が増え、ブレイクタレントランキングで1位に入ったと伝えられています。マセキ芸能社の公式プロフィールでは、M-1の決勝進出は2021年と2023年の2回と記載されています。

現在のモグライダーは、TBS「ラヴィット!」などのテレビ番組に出演し、ニッポン放送のオールナイトニッポンシリーズにも関わるなど、活動の幅を広げています。下積み時代に培った粘り強さが、今の安定した活躍を支えていると言えるでしょう。

モグライダーの歩み

年 出来事
2009年1月 モグライダー結成
2013年 単独ライブ「大往生」開催
2021年 M-1グランプリ決勝に進出
2022年 テレビ出演が増え、ブレイクタレントランキング1位
2023年 M-1グランプリ決勝に再び進出
2026年 単独ライブ「象」開催

下積みが長かったからこそ、今の活躍が輝いて見えると、あなたも感じませんか。

参照:マセキ芸能社 モグライダー

芝大輔の高校時代と家族背景のまとめ

  • 出身高校は愛媛県大洲市の帝京第五高校で、情報はほぼ一致している
  • 偏差値は45〜46で、県内では入りやすい私立校に位置づけられる
  • 中高6年間を同じ系列で過ごし、親元を離れた生活が長い
  • 寮生活と少人数のクラスが、閉塞感と上京への原動力になった
  • 部活はバレーボール部で、打ち込んだ自覚は薄い高校時代だった
  • 他クラスや他校の女子から注目される一方、モテを活かせなかった
  • イケメン扱いは今も続き、本人は売りにせず戸惑いを抱えている
  • 41歳での高校生役は、イケメンとイジりの間にいる立ち位置が生んだ
  • 俳優やCMへ活動の幅が広がり、大河ドラマ出演も控えている
  • 父は県庁または町役場勤めで、地域活性化に尽力した有名人と伝わる
  • 家では怖い父だったが、定年後は穏やかに人をもてなす側へ変わった
  • 実家は農家民宿で、家庭料理を目当てにリピーターが集まる
  • 大学は内部進学したが約1週間で中退し、これが芸人への一歩になった
  • 芸人を一度辞めた下積みを経て、M-1決勝で一気に注目を集めた
  • 田舎と寮という閉じた環境の体験が、そのまま独自の笑いになっている

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