中学生で既に暴走族メンバーで、悪童そのままにデビューした杉本哲太さん。
横浜駅西口で不良と喧嘩しているところを横浜銀蝿の嵐ヨシユキさんに止められて、その場で嵐ヨシユキさんに芸能界入りを志願したエピソードはあまりにも有名ですよね。
最近では、男気溢れる杉本哲太さんの髪型に惚れた清原和博さんが、杉本哲太さんと同じサロンでヘアカットしていることも少し話題になっていました。
そんな杉本哲太さんの嫁はどんな人なのでしょうか?
今日は、杉本哲太さんの嫁について調べてみたいと思います。
目次
杉本哲太の嫁・神津はづきについて
画像出典元:セゾンくらしの大研究
では、さっそく嫁・神津はづきさんについて見ていきます。
女優から刺繍作家へ
杉本哲太さんの嫁は、作曲家の神津善行さんと女優の中村メイコさんの娘としても有名な女優・神津はづきさん。
1983年に21歳で女優デビューを果たしドラマをメインに活躍し、1992年に杉本哲太さんと結婚します。
結婚後は杉本哲太さんとの間に三人のお子さんが生まれましたが、趣味を生かして刺繍作家やファッションブランドのオーナーとしての顔を持つマルチな方なのです。
元々、刺繍が趣味だった
画像出典元:ku:nel
神津はづきさんは、元々刺繍が趣味だったといいます。
女優という本業や母としての顔もあったので仕事という意識はなく、女優の萬田久子さんへの誕生日プレゼントに本人を模したテーブルナプキンを贈ったそうです。
すると、萬田久子さんから「これ素敵!やり方を教えて!」とオファーが入り、2017年に刺繍教室を行ったのだといいます。
萬田久子さんといえば度々ファッション誌にも登場するなど、独自のセンスと着こなしで同世代のファッショニスタとしても有名ない大物女優です。
そんな方の琴線に触れるとは、神津はづきさんの刺繍はかなりのセンスなのですね。
その教室がかなりの評判だったことで、再開のオファーも多くいつの間にか月2回の教室開催が定番化。
こうして、50代から刺繍作家という道が開けたのでした。
画像出典元:ku:nel
上の写真は神津はづきさん本人の制作風景ですが、本格的な用具や手つきはプロそのものです。
作品を世に出してこその才能開花なのだな、と実感できる素敵なエピソードでした。
ライターでも作詞でも、アクセサリーでも、何かをクリエイトされている方はアウトプットの場を作ることが重要だとインプットしましょう。
芸術一家
画像出典元:婦人公論
神津はづきさんの父親は作曲家の神津善行さん。
昭和40年代~50年代を中心に、テレビやニュース、社歌などを作曲された方で、民族音楽の復興や継承にも力を注ぐなど芯のある活動をされていました。
神津善行さんは、娘である神津はづきさんが杉本哲太さんと結婚する際には、娘の配偶者を理解したいという考えから、杉本さんのデビュー時に活動していたバンド・紅麗威甦時代のレコードをわざわざ探して買ってきて聴き込んでいたという心の広さを持ち合わせた父親だったそうです。
母親である中村メイコさんはお亡くなりになられていますが、女優としての顔だけに留まらず、歌手、作詞、文化番組の司会など多彩に活動されていました。
中村メイコさんの姉・神津カンナさんは作家・エッセイスト、弟の神津善之介さんは画家という芸術一家の出身である神津はづきさん。
刺繍で魅せる技術や色彩センスも頷けますね。
上記の写真のように、ときには母親の中村メイコさん、母親の姉の神津カンナさん、神津はづきさんで雑誌の取材を受けるなど、文化的側面からの注目度も高い神津一家、素晴らしい才能、そしてすごい芸能一家です。
母親である中村メイコさんと幾度かのトーク番組での共演もありましたね。
杉本哲太と嫁・神津はづきの馴れ初めについて
画像出典元:日刊スポーツ
杉本哲太さんと神津はづきさんの馴れ初めは「岩崎良美さんとの食事会」だったといいます。
杉本哲太さんは、1989年にドラマ「妻そして女」(TBS系)で岩崎良美さんと共演し、食事に誘ったそうです。
「二人で行くのもな…」と思った岩崎良美さんが、友人であった神津はづきさんを連れて行ったことがきっかけとなったのでした。
少人数だったからこそ話込めたり、素の人間の姿が見ることが出来たりしますよね。
偶然とはいえ、こういった出会いもあるものです。
杉本哲太と嫁・神津はづきは喧嘩が絶えなかった
画像出典元:melos
そんな出会い方をしても、すべてがうまくいく訳ではないのが結婚生活。
結婚してから、杉本哲太さんと神津はづきさんは喧嘩が絶えなかったといいます。
杉本哲太さんが言うには、「嫁は煽り上手、どんどんたきつけるから怒りがエスカレートした」そうです。
そうして、杉本哲太さんがモノにあたってしまい電話機の子機やバカラのワイングラスなど、手ごろなサイズのものが壊れまくったそう。
「”正論”や”べき論”でグイグイ責められると怒りが爆発する」ということはよくあることですよね。
結局はお子さんが大きくなるまで喧嘩が絶えなかったようですが、ここまで離婚せずにいるのですから「喧嘩するほど仲がいい」ということで。
「夫婦喧嘩は犬も食わない」といいますが、どうしてキリのいいところでやめられないのかと、自分を顧みる筆者です。
浮気もフライデーにスクープ
画像出典元:芸能人の嫁まとめ
そんな杉本哲太さん、浮気現場をフライデーされていました。
戸田恵梨香さんに似た一般人女性と代官山でディナーを楽しみ、そのあとは午前3時まで西麻布のバーでしっぽりとのこと。
女性と二人きりで長時間、ということですから「何かあったなかった、ということではなく問答無用でアウト!」というケースもあり得ますよね。
このスクープで神津はづきさんとの離婚の噂も出ましたが、事なきを得たようです。
家庭や夫婦関係という大切なものが壊れなくてよかったですね。
このときばかりは、さすがにモノは壊れなかったようです…。
杉本哲太と嫁・神津はづきは二世帯住宅で同居もしていた
画像出典元:TVasahi
杉本哲太さんと神津はづきさんは二世帯住宅で神津善行さんと中村メイコさんと10年間同居生活を送ったそうです。
結婚当初住んでいたマンションで塗装工事があったようですが、お子さんのアトピーが悪化したことがあり、緊急避難という形で嫁の実家に転居。
思いのほか居心地がよく10年の月日が流れたという訳でした。
お酒が好きな中村メイコさんは、夜な夜な「哲太さん飲んでる?」とグラスを片手に千鳥足でやってきたそう。
撮影や仕事で疲れた杉本哲太さんは、頑張って付き合っていたといいます。
しかし、さすがにたまりかねて神津はづきさんに泣きついたところ、神津はづきさんが両世帯の通路になっている階段部分に蛇腹の柵を設置。
「私のせいかしら?」と気がついた中村メイコさん、毎日の楽しみだったようですが理解してくれたそうです。
こういった関りや両親のサポートが気にならない、という方は賑やかな二世帯住宅も「あり」ではないでしょうか。
二世帯住宅の場合、どういう訳か「夫の両親との二世帯住宅」は敬遠されがちです(笑)。
杉本哲太と嫁・神津はづきは共通の趣味を模索中
画像出典元:ESSE
結婚して30年以上もの時間を過ごした杉本哲太さんと神津はづきさん。
お子さんが独立してしまったために現在は夫婦二人の生活になりました。
それを機に、何か共通の趣味を持ったらいいのではないかと模索中だといいます。
お子さんが独立した後の夫婦の時間の過ごし方はとても大切なことですよね。
筆者の先輩方でも、ゴルフや旅行、乗馬や料理など様々な工夫を凝らして時を過ごしているという話を聞くようになりました。
場合によっては、完全に独立独歩でそれぞれがそれぞれの趣味を楽しんでいるケースもあります。
自分たちに合った関係性や時間の過ごし方、関わり方を気づいていくのも夫婦の大切な仕事なのですね。
神津はづきさんに刺繍を習う、というのも「あり」な気がします。
杉本哲太と嫁・神津はづきの子供は息子も娘も音楽の才能あり
画像出典元:TVLIFE
神津はづきさんの父親が作曲家であることは既に紹介しましたが、二人の間に生まれた子供にも音楽の才能が受け継がれたようです。
二人の間には娘さんと息子さんがいます。
娘さんはダンスが趣味だといいますが、「リズム感がよく完全に神津家の血だろう」とのことです。
杉本哲太さんは、デビュー時はバンド活動もされてましたが、本人曰く「音楽は…。リズム感ないから」とのこと。
娘さんは名前を「やえ」というそうで、1997年8月5日生まれの26歳(2024年3月現在)だそうです。
また、学生の頃に留学経験があるようで、恐らく英語にも多少の造詣があるものと思われますね。
息子さんはバンドのドラマーとして活動されているようですから、こちらも音楽の才能あり、ということになりますね。
息子さんは母親想いの優しい性格の持ち主のようで、幼少期に、杉本哲太さんと神津はづきさんが喧嘩した際には「お母さんを泣かすな」と言って母親をかばったり、その後杉本哲太さんを気遣って一緒に寝てくれたりしたそうです。
そして、杉本哲太さんが寝たことを確認すると「お父さんが寝たからお母さんはお酒でも飲んだら」と言ったそうですよ。
両方に気を配る優しい息子さんですね。
画像出典元:LaLaLa Flush
さて、今回は杉本哲太さんの嫁・神津はづきさんについてご紹介しました。
趣味が高じて新しい仕事に繋がったり、人生が開けたりすることもわかり、人生を重ねていく希望を感じた側面もありましたね。
また、音楽や芸術に才のある神津家の面々を見て、改めて血筋といいますか遺伝のすごさを感じた方もいらっしゃるでしょう。
杉本哲太さんと神津はづきさんの二人の子供が両方とも音楽の才能を受け継いでいるのは、もしかしたら幼少期に二世帯住宅で同居していて、祖父である神津善行さんとも頻繁に同じ時間を過ごしたからなのかもしれませんね。
これからも、杉本哲太さん、神津はづきさんを応援していきたいと思います。
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