山口竣平の中学は津幡南中学校!小学校から高校までの歩みを解説

山口竣平の中学は津幡南中学校!小学校から高校までの歩みを解説

山口竣平の中学はどこなのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。石川県出身のランナーとして注目される一方で、山口竣平の父はどんな人物なのか、山口竣平の小学校や陸上を始めたきっかけについても知りたいところです。

また、早稲田で山口竣平と山口智規が並んで語られる理由や、山口竣平の兄弟の存在、さらに故障や怪我からどのように復活したのかも気になるポイントです。山口竣平のインスタの情報や、憧れの先輩である吉岡大翔さんとの関係まで、本人の言葉をもとに分かりやすくまとめます。

山口竣平の中学や学歴を解説

  • 出身中学は津幡南中学校
  • 小学校と陸上を始めたきっかけ
  • 吉岡大翔への憧れ
  • 佐久長聖での圧巻の実績
  • 父と母が支えた競技人生
  • 兄弟と妹の存在

出身中学は津幡南中学校

山口竣平さんの出身中学は、石川県の津幡町にある津幡南中学校です。ここでは、その根拠になる公式記録と、中学時代の走りが周囲にどう見られていたのかを順に整理していきます。

出身中学が津幡南中学校だと分かる記録

山口竣平さんの出身中学は石川県の津幡南中学校です。この裏付けになるのが、日本陸上競技連盟が公開している全日本中学生通信陸上競技大会のランキングです。男子3000mの記録一覧に、山口竣平さんの名前が石川県・津幡南中・3年として載っています。

通信陸上は、指定された大会で出した公認記録を全国で比べる方式です。ランキングに載るのは指定大会の結果だけなので、本人が申告した学校名ではなく、大会記録として残った学校名だと言えます。

中学3年の3000m記録をチェック

ランキングに残っている記録を表にしてみます。

項目 内容
種目 男子3000m
順位 132位
記録 9分17秒06
所属 石川県・津幡南中(3年)
競技日 8月29日

ランキングのページには2020年10月14日更新と記されていて、中学3年の夏に出した記録がもとになっています。9分17秒06という数字が、津幡南中時代の山口竣平さんの実力を示す公式の記録です。

9分17秒06を1kmあたりに直すと、おおよそ3分6秒ペースです。中学3年の時点で、全国のランキングに名前が載る走力があったわけですね。

金沢市出身と津幡町の中学の関係

早稲田大学競走部の部員日誌では、山口竣平さん本人が石川県金沢市出身と書いています。一方で中学は津幡町の津幡南中学校なので、少し不思議に感じたあなたもいるかもしれません。

津幡町は金沢市の北東に隣り合う町で、金沢市のロードレースに出ていたという話とも矛盾しません。出身地は金沢市、学区の関係で通った中学は津幡町という可能性もありますが、住んでいた地区や通学の事情は本人も公表していないので、あくまで推測にとどまります。

中学時代から名前が知られていた

同じ早稲田大学の同期である瀬間元輔さんは、早稲田スポーツ新聞会の対談取材で、山口竣平さんについて中学の時から結構速くて名前は見ていたと話しています。同世代の長距離選手の間では、中学の頃から有名だったんですね。

同じ時期に全国のランキングに名前が載っていた選手同士は、お互いの記録を見ながら成長してきたはずです。中学の記録会や全国ランキングで名前を知り合った世代が、そのまま高校、大学へとつながっていくのは陸上界ならではですね。

さらに、NumberPREMIERの動画インタビューでは、中央大学の岡田開成さんが同学年のライバルとして挙がり、見出しにも「中学時代から」という言葉が入っています。中学の全国大会や記録会で顔を合わせていた世代の仲間が、今は大学駅伝で競い合う関係になっているわけです。

中学時代の勉強と進路への思い

意外なのは勉強の話で、山口竣平さんは中学の頃のテストの点数を半分ぐらいだったと振り返っています。高校でも赤点を取らないよう一夜漬けで乗り切ったそうで、親しみやすい一面です。

その一方で、中学1年生のころから進学先に佐久長聖高校を思い描いていました。走ることと進路への意識は、中学時代にすでに固まっていたと見ていいでしょう。この佐久長聖を選んだ背景は、次の見出しで詳しく見ていきます。

参照:日本陸上競技連盟 第66回全日本中学生通信陸上競技大会 男子3000mランキング

参照:NumberPREMIER 早稲田大学・山口竣平が語る今季の進化と意識する選手

小学校と陸上を始めたきっかけ

山口竣平さんが陸上を始めたのは小学5年生の秋です。小学校時代の様子と、走り始めるきっかけになった出来事を見ていきましょう。

陸上を始めたのは小学5年生の秋

早稲田大学競走部の部員日誌で、山口竣平さんは陸上は小学5年生の時から始め、きっかけは金沢市のロードレースで入賞したことだと書いています。

早稲田スポーツ新聞会の対談では、もう少し詳しく語っています。小学5年生の秋に金沢市で開かれたロードレースに出て、8位に入賞。親から「ちょっと陸上やってみるか」というノリで勧められ、本人もやってみたいと思っていたので、11月か12月ごろから始めたそうです。

きっかけは偶然のロードレース入賞

注目したいのは、最初から陸上クラブを目指していたわけではない点です。たまたま出たレースで入賞して、親が背中を押したという自然な流れでした。

小学5年生の秋に走り始めてから、中学3年の夏に全国ランキングへ名前が載るまで、競技歴はおよそ4年弱です。短い期間で全国レベルに届いたことを考えると、走ることへの向き不向きを、本人も周りも早い段階で感じ取っていたのかもしれません。

この時に親の一言がなければ、山口竣平さんが佐久長聖で全国優勝する未来もなかったかもしれません。小さなロードレースでの入賞が、のちの競技人生の入り口になったのは間違いなさそうです。

山口竣平の小学校名は公表されている?

山口竣平さんの小学校について調べている方も多いと思います。今回確認できた本人の発言や報道では、通っていた小学校の名前は公表されていません。

出身地は石川県金沢市とされ、中学は津幡町の津幡南中学校です。学区や住んでいた地域の詳細は、一般のご家庭のプライバシーに関わる部分なので、公表されていないのは自然なことだと思います。無理に詮索せず、競技の話に注目するのがよさそうです。

同期3人の陸上の始め方を比較

早稲田の同期ルーキー3人の対談では、それぞれ陸上の始め方がまったく違っていて面白いです。ここで整理してみます。

選手 陸上を始めた時期 きっかけ
山口竣平さん 小学5年生の秋 金沢市のロードレースで入賞、親の提案
立迫大徳さん 中学から本格化 小学校のロードレース優勝、バスケから転向
瀬間元輔さん 中学1年 部活選びで走るぐらいならできると入部

こうして見ると、山口竣平さんは3人の中で最も早く競技を始めています。小学5年生からの積み重ねが、中学で全国ランキングに名を連ねる力になったと考えるのが自然でしょう。

始めたころの山口竣平の姿

小学5年生の秋というと、周りの子と同じようにいろいろな遊びをしていた年頃です。本人は当時のことを多く語っていませんが、犬を飼い始めたのも同じ小学5年生の時期だと日誌で明かしています。

走ることと、家族でペットを迎えたことが重なる時期でもあったんですね。ロードレースで入賞した喜びと、新しい家族が増えたワクワクが同じ年に訪れたと考えると、楽しい思い出とともに競技が始まったことが想像できます。

最初は「やってみたい」という軽い気持ちだったからこそ、嫌になることなく続けられたのかもしれません。あなたも、何かを始めた当初の気軽さが長続きのコツだったという経験はありませんか。

陸上一色ではない、ごく普通の小学生としての日常があったことも想像できます。

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:犬派でしたが猫派になりました

吉岡大翔への憧れ

山口竣平さんが佐久長聖高校を選んだ理由には、吉岡大翔さんという先輩の存在が大きく関わっています。ここでは進路選びの背景と、その後の吉岡さんとの関係を見ていきます。

吉岡大翔さんに憧れて佐久長聖へ

山口竣平さんは早稲田大学競走部の部員日誌で、高校に佐久長聖を選んだ理由を順天堂大学2年の吉岡大翔先輩に憧れたことと、地元が近い長屋先輩と一緒に練習したかったことだと書いています。

日誌を書いた2024年8月の時点で、吉岡さんは順天堂大学の2年生でした。山口竣平さんは大学1年生なので、学年でいえば1つ上の先輩にあたります。

佐久長聖を選んだ3つの理由

山口竣平さん本人が挙げた理由を、表で整理してみます。

理由 内容
憧れの先輩 吉岡大翔さんと一緒に練習して強くなりたい
地元が近い先輩 北陸出身の長屋匡起さんとチームメイトになりたい
チームの魅力 中学1年から佐久長聖の特集を見て憧れていた

決め手は憧れの吉岡大翔さんと、同郷の先輩の存在でした。強豪校という名前だけでなく、人とのつながりが進路を決めていたところが印象的です。

中学1年から思い描いていた進路

早稲田スポーツ新聞会の対談では、佐久長聖を選んだ理由を結構ぼんやりしていたと笑いながら話しています。中学1年の時からずっと行きたいと思っていて、佐久長聖の特集を見て「ここで走りたい」と感じたそうです。

そこに、吉岡さんと一緒に練習して強くなりたい気持ちが重なりました。テレビや雑誌で見た憧れの舞台に、憧れの先輩がいたのですから、迷う理由はなかったのでしょう。

北陸出身の長屋先輩とのつながり

もう1つの理由が、1学年上の長屋匡起さんの存在です。長屋さんは富山出身で、同じ北陸出身ということもあり、山口竣平さんとは小学生のころから知り合いでした。

のちに早稲田でもチームメイトになり、大学の寮で新入生を世話する「お付き」の先輩も長屋さんでした。長屋さんのことを、ツンツンしたりデレデレしたりするツンデレな先輩と紹介していて、仲のよさが伝わってきます。高校の時点でなんとなく一緒に走りたい、練習したいという感覚があったそうです。地元が近い先輩がいる安心感は大きかったでしょうね。

日本インカレで実現した直接対決

憧れの吉岡さんと、大学では勝負をする立場になりました。2026年4月の日本インカレ男子10000mで、山口竣平さんは27分59秒47の自己ベストで優勝し、2位が順天堂大学の吉岡大翔さんでした。

JBpressの記事タイトルには、山口竣平さんがケガから復活して優勝し、吉岡さんには「誤算」があったと紹介されています。憧れて追いかけた先輩と、全国大会の表彰台で並んだことになります。

佐久長聖の先輩・小池莉希さんへの思い

佐久長聖つながりでは、創価大学の小池莉希さんも外せません。NumberPREMIERの動画インタビューでは、小池さんは絶対に負けたくない選手として名前が挙がり、特に笑いの多いやり取りになったと紹介されています。

同じ母校の先輩に尊敬と対抗心を持ち続けているあたり、佐久長聖で育った選手らしい関係です。憧れは、大学になるとライバル心に姿を変えていくものなのかもしれません。

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:犬派でしたが猫派になりました

参照:JBpress 日本インカレ10000m男子は山口竣平が27分台で自己新V

参照:NumberPREMIER 早稲田大学・山口竣平が語る今季の進化と意識する選手

佐久長聖での圧巻の実績

山口竣平さんは佐久長聖高校で、全国レベルの実績を次々に積み上げました。印象的な3つのレースを中心に、高校時代を振り返ります。

本人が選んだ思い出の3レース

早稲田スポーツ新聞会の対談で、高校時代の思い出に残る試合を聞かれた山口竣平さんは、3つのレースを挙げています。表にまとめてみます。

時期 大会 内容
高校2年 全国都道府県対抗男子駅伝 4区で区間賞・区間新、MVPに選出
高校3年 日体大記録会 5000mで13分34秒59(高校歴代5位)
高校3年 全国高校駅伝 チームが優勝

高校歴代5位の13分34秒59

5000mの13分34秒59は、高校歴代5位にあたる記録です。1kmあたり約2分43秒のペースで、5000mを走りきった計算になります。

身長168cmと決して大柄ではないのに、これだけの記録を残しているのが魅力です。体格に頼らない切れ味とスタミナが、高校時代から際立っていたと言えるでしょう。

都道府県駅伝で区間新、都大路で優勝

高校2年の全国都道府県対抗男子駅伝では、長野県の4区を走って区間賞と区間新をマークし、MVPにも選ばれています。個人の走りで大会の主役になった瞬間でした。

高校3年の全国高校駅伝(都大路)では、チームの優勝に貢献しています。強豪の佐久長聖でも、全国優勝は誰にでもできることではありません。エースとして勝利に立ち会えた経験は、のちの大学駅伝にも生きているはずです。

圧巻の実績を数字で振り返る

山口竣平さんの高校時代の代表的な実績は、5000mで13分34秒59(高校歴代5位)、都道府県駅伝の区間新、都大路の優勝の3つです。

早稲田の同期の立迫大徳さんは、山口竣平さんを佐久長聖のエースとして高校2年の後半ごろに知ったと話しています。ほかの学校の選手にも、佐久長聖の山口という名前が届いていたんですね。瀬間元輔さんも、都大路で日本人3番ぐらいを狙えると思っていた中で竣平には及ばないと話していて、同世代の目標になっていたことが分かります。

厳しい寮生活と恩師の教え

佐久長聖は寮生活が厳しいことでも知られています。山口竣平さんは高校1年の時、1週間ほどホームシックが続いて早く帰りたかったと明かしています。

高校時代に寮生活を送ったのは立迫大徳さんと山口竣平さんで、瀬間元輔さんだけは自宅通いだったそうです。ただ、その厳しさがあったからこそ、早稲田の寮にはすんなり慣れたとも話しています。恩師の高見澤先生や市村先生からは「謙虚な態度でいなさい」とよく言われたそうで、たとえ結果が悪くても応援される選手を目指すという言葉にもつながっています。

距離を踏みすぎなかった高校時代

面白いのは、高校時代にあまり距離を走っていなかったと語っている点です。距離を踏む練習より、質を重視したスタイルだったのかもしれません。大学に入ってからは、最初の1か月は長い距離に苦労したと振り返っています。

それでも1か月ほどで慣れて、大学の練習にもほとんど対応できるようになりました。高校で培った基礎の強さが、大学への移行を支えたと読み取れます。

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:犬派でしたが猫派になりました

父と母が支えた競技人生

山口竣平さんの父と母については、名前や職業などの詳細は公表されていません。それでも、本人の言葉からは家族への強い感謝が伝わってきます。

山口竣平の父と母は一般の方

山口竣平さんの父と母の名前や職業は、今回確認できた報道や本人の発信には出てきません。ご両親は一般の方と考えられ、プライバシーを尊重する意味でも、詳細な情報が出ていないのは自然です。

検索で山口竣平さんの父について調べると、人物像より先に、本人の日誌に登場する家族エピソードがヒットします。まずはその内容を見ていきましょう。

両親には頭が上がらないという言葉

2024年8月の部員日誌で、山口竣平さんは佐久長聖での3年間を振り返り、支えてくださった方、特に両親には頭が上がりませんと書いています。

石川から長野の名門に進み、競技を続けてこられた背景には、ご家族の支えがあったと本人が受け止めていることが伝わってきます。日頃から支えてくれる両親への感謝は、競技人生の土台と言っていいでしょう。

父から聞いた祖母の箱根駅伝の夢

2025年12月の部員日誌には、山口竣平さんの父が登場します。父から聞いた話では、祖母は父が子どものころから箱根駅伝を生で見たいと言っていたそうで、祖母は大の箱根駅伝ファンです。

祖母は前回の大会を自宅で観戦していましたが、今回は人生で初めて箱根駅伝を生で観戦する予定だと書かれています。父を通して受け継がれた祖母の夢が、山口竣平さんの走る理由の1つになっているわけです。

恩返しが走り続ける原動力

大腿骨の疲労骨折で走れなかった時期、山口竣平さんは何のために走るのかを何度も自問自答しました。その答えとして挙げたのが、両親、恩師、トレーナーの方々に良い結果を報告して恩返しをしたいという気持ちです。

陸上を始めたきっかけも、小学5年生の時に親が「やってみるか」と提案したことでした。始まりも支えも、ずっと家族だったことになりますね。

祖母の夢が走る理由になるまで

日誌では、箱根駅伝に出たい理由が祖母への最大級の恩返しだと明かされています。さらに、祖母の夢がなければ今の自分はいない、陸上競技の道に進ませてくれた恩を箱根駅伝で表現したいとまで書いています。

父から聞いた話を受け止め、競技の動機に変えている点に、家族の会話の温かさが表れています。世代をまたいで夢をつなぐ姿は、箱根駅伝が家族の行事になっていることを感じさせますね。

恩師やトレーナーも含めた支えと家族への姿勢

支えてくれたのは家族だけではありません。日誌では、両親と並んで恩師の高見澤先生とトレーナーの方々にも感謝を述べています。高見澤先生は本を出版されたそうで、山口竣平さんは多くの人に手に取ってほしい一冊として紹介しています。

家族、恩師、トレーナーという支えの輪が、ケガで苦しんだ時期の心の拠りどころになったのでしょう。

山口竣平さんは、家族の写真や詳細なプロフィールをあまり発信していません。それでも、日誌では祖母の話や妹の誕生日プレゼントの猫の話など、家族への温かい思いが自然ににじみ出ています。

あなたも、競技の裏にある家族の物語を知ると、レースの見え方が変わってくるのではないでしょうか。

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:あの日々を、強さにかえていけ。

兄弟と妹の存在

山口竣平さんの兄弟について調べると、確認できるのは妹さんの存在です。兄弟のエピソードとあわせて、家族のペットの話も見ていきましょう。

山口竣平の兄弟は妹がいる

早稲田大学競走部の部員日誌には、山口竣平さんには妹さんがいることが書かれています。高校1年の3月に帰省した際、妹さんの誕生日プレゼントとして猫が飼われていた、というエピソードです。

兄や弟についての情報は、今回確認できた範囲では出てきません。兄弟として公に分かっているのは妹さんです。

妹の誕生日プレゼントで猫がやってきた

もともと山口竣平さんは、祖母の家で猫を飼っていた時に嫌われた経験があり、猫が大嫌いだったそうです。ところが実際に家で飼ってみると、すごく遊んでくれて可愛いと気持ちが変わりました。

妹さんへの誕生日プレゼントが、お兄さんの猫嫌いを直してしまったわけですね。妹さんがいたからこそ、山口竣平さんは猫派に変わったと言えそうです。

犬から猫へ変わったペットの歴史

日誌によると、小学5年生の時に犬を飼い始めたものの、なかなか遊んでくれず散歩にもつきあってくれず、思っていたのと違ったとのことです。時系列を表で整理します。

時期 出来事
幼少期 祖母宅の猫に嫌われ、猫が大嫌いに
小学5年生 犬を飼い始めるが、思っていたのと違った
高校1年の3月 妹さんの誕生日プレゼントで猫を飼う
大学1年(2024年8月) 犬派から猫派へ。ペットが合宿のモチベーションに

実家に帰る楽しみが生む息抜き

高校の寮で暮らしていた山口竣平さんにとって、帰省は久しぶりに家族と過ごせる貴重な時間です。高校1年の3月に帰った際、家に新しい猫がいることを知り、日誌にその驚きを書いています。

日誌では、猫をすごく遊んでくれて可愛いと素直に表現していて、普段の真面目なイメージとのギャップが魅力です。山口竣平さんの家族は、父と母、妹さんと、犬や猫たちという、にぎやかな顔ぶれだと分かります。

合宿を支える家族とペットの存在

山口竣平さんは、夏合宿や秋の駅伝シーズンを乗り切る原動力として、ペットたちに会うことを挙げています。厳しい練習の合間に、実家の家族や猫の顔を思い浮かべているのかもしれません。

強いランナーというイメージの裏側に、こんな等身大の一面があるのは意外ですよね。妹さんの存在は、山口竣平さんの息抜きの場としても大切なのでしょう。

日誌の中で山口竣平さんは、猫を飼ってから犬派でいられなくなった自分を笑いながら振り返っています。家族のあたたかい空気が、厳しい競技生活の中の安らぎになっていることが伝わってきます。

兄弟情報が少ない理由の考察

山口竣平さんの兄弟について詳細な情報が少ないのは、本人が家族のプライバシーを大切にしているからだと考えられます。ほかの箱根駅伝選手でも、一般人であるご家族の名前や年齢は公表しないケースがほとんどです。

妹さんの年齢や学校などは出ていませんが、日誌に登場する温かいエピソードで十分にきょうだい仲のよさが伝わってきます。詳細を語らないこと自体が、家族を守る姿勢の表れなのかもしれません。

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:犬派でしたが猫派になりました

山口竣平の中学以外のこと

  • 怪我と疲労骨折の真相
  • 故障から復活できた理由
  • 山口智規の早大記録争い
  • インスタと普段の姿
  • 自己ベストと箱根への覚悟

怪我と疲労骨折の真相

山口竣平さんの怪我について調べると、大学2年の秋に起きた疲労骨折にたどり着きます。いつ、どこを痛めたのか、なぜそうなったのかを本人の言葉をもとに整理していきます。

出雲駅伝の4日前に判明した大腿骨疲労骨折

山口竣平さんの故障は、早稲田大学競走部の部員日誌で本人が明かしています。出雲駅伝の4日前に、大腿骨の疲労骨折が判明したというのが怪我の真相です。

その結果、2025年の出雲駅伝と全日本大学駅伝はどちらにも出場できませんでした。約2か月、競技から離れる期間になったと書かれています。

怪我の経過をタイムラインで整理

ここで、発信されている内容をもとに、山口竣平さんの怪我の流れを整理してみます。

時期 出来事
1年次の箱根駅伝 3区で3位と鮮烈なデビュー
2025年9月 走り過ぎて怪我をしたと本人が分析
出雲駅伝の4日前 大腿骨の疲労骨折が判明
秋の駅伝シーズン 出雲・全日本を欠場、約2か月競技から離れる
2年次の箱根駅伝 間に合わせて3区に出走、区間8位
2026年2月下旬 小さな怪我をして復帰

なぜ疲労骨折に至ったのか

原因について、NumberPREMIERのインタビューで山口竣平さんは去年の特に9月に走り過ぎて怪我をしたと話しています。つまり、無理な量の練習が積み重なったことが背景にあるようです。

部員日誌では、昨年とは違い引っ張られる立場から後輩を引っ張らなければならない立場に変わり、自分自身をずっと追い込み続けてしまったと振り返っています。責任感の強さが、結果的に走り込みすぎにつながったという見方ができそうです。

一般的に疲労骨折はどんな怪我か

疲労骨折は、一度の強い衝撃ではなく、同じ部位に繰り返し負荷がかかることで骨に小さな損傷が起きる怪我だとされています。長距離ランナーに多いと言われ、あくまで一般的な説明ですが、練習量の増えるタイミングで起きやすいと考えられています。

山口竣平さんは、高校時代はあまり距離を走っておらず、大学で走行距離が大きく伸びたと話していました。その流れを見ると、大学での練習量と本人の責任感の高まりが重なったのかなと思います。

走れない2か月で自問自答した3つのこと

約2か月の離脱期間に、山口竣平さんは自分に問いかけ続けたそうです。なぜ陸上競技を続けているのか、なぜ箱根駅伝に出たいのか、誰のために走っているのかという3つの問いです。

NumberPREMIERでは、この時期を辛すぎたと表現し、挫折をどう糧にしたのかが語られています。人気選手でも、走れない苦しみは大きかったんですね。箱根駅伝には間に合わせたものの、2年連続の3区で区間8位と、納得のいく走りにはなりませんでした。

3年目のシーズン前にあった小さな怪我

疲労骨折から復帰したあとも、山口竣平さんには不安が残っていました。2026年2月下旬に小さな怪我をして、復帰した3月、4月は良い練習ができていたものの、箱根駅伝が後味の悪い結果だったため、自信を持てずにいたそうです。

怪我の連続は、選手の気持ちに影を落とします。それでも、山口竣平さんの場合は、この経験をその後の成長に結びつけていきました。その転機は、次の見出しで詳しく見ていきましょう。

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:あの日々を、強さにかえていけ。

参照:NumberPREMIER 早稲田大学・山口竣平が語る今季の進化と意識する選手

故障から復活できた理由

疲労骨折という大きな故障を経て、山口竣平さんは今季、驚くほどの活躍を見せています。復活の理由を、本人の分析をもとに掘り下げます。

怪我が自分の殻を破るきっかけに

山口竣平さんは、怪我を停滞や後退と考える人が多いかもしれないと前置きしたうえで、逆に怪我をしたことで自分の殻が破れたと話しています。花田勝彦駅伝監督とも、同じ話をしたそうです。

本当に悔しかったとしながらも、走れなかった期間も、今振り返ると良い期間だったと語っています。ここに、復活の根っこがあります。

トレーナーとのフィジカル強化が鍵

具体的な変化として、トレーナーのサポートでフィジカル面を強化し、スピードの出し方が分かってきたことが挙げられています。以前は走るだけのトレーニングだったのが、体づくりも含めた練習に変わりました。

その結果、去年よりも練習ができるようになったとのことです。整理すると次のとおりです。

項目 怪我の前 復帰後
練習の中身 走ることが中心 トレーナーとフィジカル強化を並行
走りの感覚 スピードの出し方が不明確 スピードの出し方が分かってきた
練習量 走り過ぎて怪我につながった 去年より練習ができるように
怪我への見方 停滞や後退 殻を破る機会

自信を取り戻した日本インカレ

復活の象徴となったのが、4月の日本インカレ男子10000mです。山口竣平さんは中盤から一人旅の展開になり、27分59秒47の自己ベストで優勝しました。

本人はまさか4月の段階で27分台が出るとは思わなかったと、正直に驚いたそうです。あのレースをきっかけに、そこから次々とタイムや結果が出始めたと話しています。

6月の日本選手権5000mでは、予選を1着で通過して目標だった決勝に進み、決勝は13位でした。7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会では、外国人勢に割って入って日本人最上位の5位に入っています。

支えになった言葉と夏合宿

日誌のタイトルになっているあの日々を、強さにかえていけという言葉は、asicsの箱根駅伝のCMで使われたテーマです。山口竣平さんは、この言葉が今の自分に強く突き刺さり、原動力になっていると書いています。

夏合宿の高強度の練習でも、山口竣平さんは果敢に集団を引いたと伝えられています。走れない日々で溜めた悔しさを、練習の強度に変えているのが分かりますね。

学生目線の指導が合っていた

入学直後の対談で、山口竣平さんは花田監督の指導を、学生の目線で意図まで伝えてくれるのでありがたいと話していました。高校時代は先生の意図を探りながら練習していたため、練習しやすいとも語っています。

復活の理由は、怪我を停滞ではなく成長の機会と捉え直し、トレーナーと一緒に体づくりを取り入れたことに集約されます。気持ちの切り替えと、練習内容の見直しが同時に進んだのが大きかったのでしょう。

自主性を尊重する環境だからこそ、怪我の期間に自分と向き合い、考え方を変える余裕が生まれたのかもしれません。自分で考えて練習を組み立てる力が、復活の土台になっていると言えそうです。

参照:NumberPREMIER 早稲田大学・山口竣平が語る今季の進化と意識する選手

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:あの日々を、強さにかえていけ。

山口智規の早大記録争い

山口竣平さんと山口智規さんは、同じ苗字で早稲田の長距離を支えてきた2人です。2人の名前が一緒に検索される背景にある、早大記録をめぐる関係を見ていきましょう。

山口智規さんが持つ早大5000m記録に迫る

NumberPREMIERの記事によると、山口竣平さんが出した5000m13分17秒19は、前駅伝主将の山口智規さん(現SGホールディングス)が持つ早大記録に迫るものです。

つまり、早稲田の5000m記録をめぐって、先輩の山口智規さんと後輩の山口竣平さんの名前が並んで語られていることになります。

W山口と呼ばれる2人の関係

山口竣平さんは、2025年12月の部員日誌の最後に最後はW山口で締めておきますと書いています。同じ山口姓の選手同士で、チーム内でも自然に意識する存在だったのでしょう。

山口智規さんは前の年度の駅伝主将を務め、山口竣平さんはその姿を見てきた後輩にあたります。W山口という呼び方からは、チームの看板を担う2人への期待の大きさが伝わってきますね。

早大記録を塗り替えるのは誰か

NumberPREMIERの動画インタビューのトピックには、5000mの早大記録を塗り替えるのは誰という項目が入っています。山口竣平さん自身も、この話題について語っているようです。

一方で、山口竣平さんは13分17秒という記録を日本人学生歴代4位(留学生を含めた日本学生歴代では9位)と紹介しつつ、たぶん後輩たちに抜かれると思うと謙虚に話しています。さらに、5年もしたら十傑にも残っていないだろうとまで言っていて、満足していません。

2人を比べて整理

ここで、記事で確認できる情報をもとに2人の違いを整理してみます。

項目 山口竣平さん 山口智規さん
立場 早稲田大学3年(2026年時点) 前駅伝主将、現SGホールディングス
5000m 13分17秒19 早大記録を保持
位置づけ 日本人学生歴代4位 後輩の記録が迫る存在

山口智規さんの具体的なタイムは、今回確認できた資料には載っていないため、数字の記載は控えます。ただ、現役のエースが先輩の持つ早大記録に迫っていること自体が、世代交代のタイミングを感じさせる出来事です。

駅伝の強豪校では、先輩の記録を後輩が追い、それを次の世代がまた追うという流れが毎年のように続きます。山口竣平さんの場合、先輩に迫り、後輩にも追われるという両方の立場にいる点が特徴的です。

後輩の強さが生む競争の空気

今季の早稲田は、NumberPREMIERが誰もが認めるスター軍団と表現するほど充実しています。山口竣平さんは5000m、10000mともにチームトップのタイムを持っていますが、増子陽太さん、本田桜二郎さん、新妻遼己さんという強力なルーキー3名など、後輩たちの強さを目の当たりにしています。

山口竣平さんは、記録を先輩と競うだけでなく、後輩にも追われる立場にいます。先輩の背中を追い、後輩に追われる、そんな中で早稲田は16年ぶりの箱根駅伝制覇を狙っているわけです。

参照:NumberPREMIER 早稲田大学・山口竣平が語る今季の進化と意識する選手

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:あの日々を、強さにかえていけ。

インスタと普段の姿

山口竣平さんのインスタを探している方に向けて、確認できる情報と、日誌などから見えてくる普段の素顔を紹介します。

山口竣平のインスタについて

山口竣平さんのインスタについては、ネット上のプロフィール紹介記事でアカウントが紹介されています。ただ、本人が公式に案内したものかどうかが確認できなかったため、この記事ではアカウント名の掲載を控えます。

確実に情報を追いたいなら、早稲田大学競走部の公式発信や、本人が書いている部員日誌から辿るのがおすすめです。日誌は、山口竣平さんの人柄がいちばん伝わる場所になっています。

日誌から見える意外と庶民的な一面

2025年12月の部員日誌では、山口竣平さんがポイント活動にこだわっていることが明かされています。卒業までにサンドラポイントを2万ポイント貯めるのが目標とのことで、ロケットナウもおすすめしていました。

トップランナーというイメージの一方で、日常ではポイントを貯める工夫を楽しんでいるところが親しみやすいですよね。ネットショッピングが趣味だという紹介とも重なります。

プロフィールと好きなものを整理

競走部の選手紹介などをもとに、確認できる情報を表にまとめます。

項目 内容
生年月日 2006年1月15日
出身 石川県金沢市
身長 168cm
趣味 ドラマ鑑賞、ネットショッピング
好きな食べ物 シロノワール
長所 芯が強い

同期が語る素顔とお茶目な性格

早稲田の同期の瀬間元輔さんは、山口竣平さんを普段はお茶らけているが、陸上のことになれば真面目に取り組んでいると評しています。立迫大徳さんも、お茶らけつつ引っ張ってくれる存在だと話していました。

休日の過ごし方は、1人で買い物に行くことが多いそうです。人に合わせるより、1人の方が楽しく過ごせるタイプと、自己分析しています。

部員日誌がリレー形式で続く理由

早稲田大学競走部の部員日誌は、前の人から引き継いで次の人へ渡していくリレー形式です。山口竣平さんは、2024年8月の日誌では守屋さんから引き継ぎ、翌日の担当を吉倉ナヤブ直希さんに渡しています。2025年12月は吉倉さんから引き継ぎ、同期の瀬間元輔さんにバトンを渡しました。

部員日誌は、山口竣平さんの本音や家族の話を知ることができる貴重な発信の場です。インスタが見つからなくても、日誌を読むことで、普段の姿がかなり見えてきます。

日誌では、箱根駅伝のCMのテーマに触れたり、母校・佐久長聖の結果に悔しさをにじませたり、後輩たちの強さに気合いを入れ直したりと、言葉を選びながらも正直な気持ちを書いているのが印象的です。

初めての海外遠征での出来事

山口竣平さんは大学1年の4月、アシックスのレースに出るためフランス・パリに遠征しました。人生で初めての海外でした。

道端で名前を書いてほしいと言われ、書いたところお金を求められ、ユーロに替えていなかったため5000円札を渡したという体験を笑い話として語っています。海外のレースで感じたのは、実業団の選手にはまだ及ばず、学生だからという言い訳は通用しないということでした。

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:あの日々を、強さにかえていけ。

自己ベストと箱根への覚悟

怪我を乗り越えた山口竣平さんは、記録も気持ちも一段階上に進んでいます。現在の自己ベストと、箱根駅伝への思いをまとめます。

5000mと10000mの現在の自己ベスト

山口竣平さんの自己ベストは、5000mが13分17秒19、10000mが27分59秒47です。10000mは4月の日本インカレで、5000mは7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会でマークしました。

種目 記録 大会
5000m 13分17秒19 ホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会(7月)
10000m 27分59秒47 日本インカレ(4月・優勝)

5000mの13分17秒19は日本人学生歴代4位の記録です。10000mの27分台は本人も、いつかは出さなければと思っていたものでした。

箱根駅伝は2年連続で3区を走った

箱根駅伝では、山口竣平さんは1年次に3区で3位と鮮烈なデビューを飾りました。2年次も3区を走りましたが、区間8位に終わっています。

今年度は、各校のエースが集まる2区を視野に入れています。昨年度も2区を目指して走り込んでいたと語っています。

2区への複雑な思いと箱根の怖さ

山口竣平さんは2区について、走りたいというよりも、走らなきゃいけないと思っていると話しています。そこには複雑な思いもあるようで、NumberPREMIERの動画では、2区を走ると言ってしまうことの重みや、箱根駅伝を走る怖さについても触れられています。

エース区間を任される責任と、2度目の3区で納得できなかった悔しさが、気持ちの中で入り混じっているのでしょう。

入学時から変わらない大きな目標

1年生の対談では、山口竣平さんは三大駅伝にフル出場してチームに貢献したいと話していました。大学4年間では、日本の陸上界を引っ張る存在になりたいという目標も語っています。

また、他人を気にしてもストレスになるだけなので、ライバルは自分だと考えているそうです。この姿勢は、怪我を経て現在も変わっていないように見えます。

1年時の目標と今季の到達点

1年生の対談では、もう一度海外のレースに出て海外選手にリベンジすることや、日本選手権の5000mに出場することを目標に挙げていました。3年目の今季は、6月の日本選手権で前半戦の目標だった決勝進出を果たし、目標を現実のものにしています。

当時は、陸上をいつまで続けるか考えた時に、もしかしたら大学までかもしれないという思いも語っていました。だからこそ、大学4年間で誰にも負けない体を作りたいと意気込んでいたんですね。

限られた時間で勝負するという覚悟が、怪我の後もぶれていないのが、今の活躍につながっているのだと思います。

祖母への恩返しと優勝への決意

前の見出しで触れたとおり、箱根駅伝に出たい理由には、祖母への恩返しがあります。祖母の生観戦という夢を、走りで応えたいという気持ちです。

今季の早稲田は、16年ぶりの箱根駅伝制覇を狙っています。山口竣平さんは気負わずに駅伝シーズンを迎えるつもりですが、優勝に向かって全力を尽くすことだけは決めています。

あなたも、箱根駅伝で山口竣平さんの走りを見る時には、怪我の日々を乗り越えてきた背景を思い出してみてください。

参照:NumberPREMIER 早稲田大学・山口竣平が語る今季の進化と意識する選手

参照:早稲田大学競走部 部員日誌 山口竣平:あの日々を、強さにかえていけ。

山口竣平の中学時代を起点とした競技人生のまとめ

  • 中学3年で全国ランキングに載る走力を持ち、早くから頭角を現した選手だ
  • 小学5年の偶然のロードレース入賞が、競技人生の入り口になっている
  • 進路は偶然ではなく、中学1年から佐久長聖を思い描いて選び取っている
  • 憧れの吉岡大翔さんは、大学では日本インカレで競い合う存在に変わった
  • 高校では歴代上位の記録と全国優勝を重ね、実績面でも圧巻の存在だった
  • 高校時代は距離より質を重視し、その基礎が大学への移行を支えた
  • 父と母は一般の方で、家族の詳細は公表せずプライバシーを守る姿勢だ
  • 家族への感謝や祖母の箱根の夢が、走り続ける原動力になっている
  • 兄弟は妹がいると確認でき、猫やペットの話から家族の温かさが見える
  • 大学2年の大腿骨疲労骨折は、責任感の強さによる走り込みが背景にある
  • 2か月の離脱期間に、走る理由を自問自答して競技と向き合い直した
  • 怪我を停滞ではなく殻を破る機会と捉え直し、復活へつなげている
  • トレーナーとのフィジカル強化など、練習内容の見直しが成長を支えた
  • 山口智規さんの早大記録に迫り、先輩を追い後輩に追われる立場にいる
  • インスタは公式案内が未確認で、部員日誌が人柄を知る主な発信の場だ

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