柳葉敏郎は若い頃(グループ時代やトレンディードラマ出演時代)からかっこいい!画像あり

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かっこいい俳優は沢山いますが、「かっこいい、男らしい、強そう」と言えば、柳葉敏郎さんですね。

大人の深みや渋さが光るベテラン俳優である柳葉敏郎さん、もちろん、若い頃からかっこいいのです。

今日は、柳葉敏郎さんの若い頃について見ていきます。

柳葉敏郎は若い頃からかっこいい!

「若い頃からかっこいい」、柳葉敏郎さんを語るうえでは外せないキーワードなのでしょうか。


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1961年1月3日生まれの柳葉敏郎さん、若い頃と言えば1980年代や1990年代あたりです。

約30年以上も前のことを未だにSNSに投稿する方がいるのだから、相当なのだと思います。

さっそく若い頃の柳葉敏郎さんをふり返って行きましょう。

 

劇男一世風靡”セピア”のグループのメンバーとして大ブレイク


画像出典元:美男美女伝説

柳葉敏郎さんは、高校卒業までを地元である秋田県で過ごします。

大学受験に失敗し浪人していたころに「スター誕生!」という新人発掘番組に応募、残念ながらあと一歩のところで不合格だったのは少々意外ですが、その直後に上京。

なんでも、高校時代のライバルが上京したため「同じ土俵で勝負して一旗揚げてやる」と一念発起しての上京だったそうです。

芸能界への興味が高かった訳ではありませんが、「一旗揚げる」想いから上京時に劇団ひまわりに入団、その後は路上パフォーマンス集団「一世風靡セピア」に入り、1984年に23歳で「前略、道の上から」でレコードデビューし、大ブレイクを果たします。

この「一世風靡セピア」は、男気溢れる歌と踊りで情熱的なパフォーマンスを信条とする集団で、柳葉敏郎さんはメインパフォーマーでヴォーカルも務めていました。

柳葉敏郎さんの凛々しい表情や信念を持った真っ直ぐな性格、ライバルに負けたくない一心で秋田から上京する行動力や熱量が「一世風靡セピア」のコンセプトやパフォーマンスと完全に合致していたのでしょうね。

当時の柳葉敏郎さんの映像や写真を見ると、眼から手足の先に至るまでにみなぎるエネルギーを感じずにはいられません。

そうしたエネルギーが根源となって、柳葉敏郎さんはあっという間に大ブレイク、芸能界を駆け上がっていくのでした。

 

バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』でコントにも挑戦


画像出典元:Arty

そんな男らしい印象の強い柳葉敏郎さんは、当時、笑いの神様でもあった萩本欽一さんが展開する『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』ではコントにも挑戦します。

柳葉敏郎さんは、その男らしく力強いルックスからは意外性のある教師役でコントに挑戦することで、本人の持つ魅力とは大きなふり幅のある新しい一面を引き出し、「一世風靡セピア」やその後の役者としての活動の土台にしていったのではないでしょうか。

 

元祖トレンディ俳優としてテレビドラマで活躍


画像出典元:レクのうわさばなし

コントやパフォーマンスだけでなく、ドラマなどでも活躍しはじめた柳葉敏郎さんは、1980年代後半~1990年代前半に「トレンディ俳優」として一時代を築くことになります。

出演作である「君の瞳をタイホする!」「すてきな片思い」「29歳のクリスマス」などは、どれも人気ドラマで、随所にみられる柳葉敏郎さんの男気溢れる演技や佇まいに魅せられたものです。


画像出典元:Pinterest

男らしく誠実で信念を感じる力強い演技だけでなく、コントで培ったお茶目な表情や憎めない雰囲気、一世風靡セピアで磨いてきた姿勢の良さや人を引きつけるしぐさや動き、カリスマ性など二枚目から三枚目までこなせる俳優・柳葉敏郎は、ほかの「トレンディ俳優」とは一線を画した存在だったことは言うまでもありません。

俳優の傍らアニメ映画の声優を務めるなど、活動の幅も広く精力的だった印象が残っています。

当時、小学生高学年~中学生で思春期ど真ん中だった筆者は、何に対する反抗心かわかりませんが、「誰しもが好き」というような石田純一さんや吉田栄作さんのようなトレンディ俳優より、「かっこよさの裏側にある激しさ」を感じる柳葉敏郎さんの男臭さに強く憧れて、前髪を立てる髪形をマネしたりもしていました。

時折感じる東北訛りや朴訥さも、柳葉敏郎さんの男らしさや魅力になっていましたね。

「かっこいい、男らしい、強そう」な柳葉敏郎さんに憧れた男性の皆さんの「わかる、わかる」という声が聞こえてきそうです。

 

『踊る大捜査線』シリーズが大当たりし演技派俳優へ


画像出典元:映画.com

単なるトレンディ俳優ではないものを感じさせていた柳葉敏郎さん、恐らくこの頃から「演技派俳優」としての片鱗を見せ始めていたのでしょうね。

数々の演技を経験して30代中盤に差し掛かった1997年に、同じくトレンディ俳優では収まりきらなくなっていた織田裕二さん主演の超人気ドラマ「踊る大捜査線」に出演。

そこでの、”警視庁のエリートキャリア・室井慎次”役が大ハマりし、これがきっかけで人気、実力ともに一段上の俳優にのし上がったように感じます。


画像出典元:映画.com

役者というと、熱っぽくセリフを言うことが名演のように感じる部分がありますが、この室井慎次役で「表情としぐさで魅せる演技」や「言葉にならない感情、言葉にしないことでこそ伝える感情」を見事に表現しきった柳葉敏郎さんは、本当に素晴らしかったですね。

 

柳葉敏郎の若い頃はヤンチャすぎる!


画像出典元:日本男優列伝

先ほど”「かっこよさの裏側にある激しさ」を感じる柳葉敏郎さん”と書きましたが、筆者が中学生のころに感じたこの「激しさ」は、実は現実だったようなのです。

まあ、この目を見ていただければ”わかる人にはわかる”のでしょうか。

霊感が強く「お釈迦様の夢を見る」と頻繁に言っていた筆者の祖母は、柳葉敏郎さんをテレビで見た瞬間に「この人ものすごく怖えぇな(東北弁)」と喰い気味に口走っていました。

血の気が多く沸点が低かった若き柳葉敏郎さんは、武闘派として数々の武勇伝を残しているそうで、中には武勇伝では済まない”洒落にならない”こともあったようです。

ある意味では”伝説の男”である、ヤンチャすぎる柳葉敏郎さんのエピソードを見てみましょう。

 

喧嘩は日常茶飯事


画像出典元:YouYube

「男気溢れる一本気な男」を意訳すると「血の気が多い頑固者」という側面があったりもします。

柳葉敏郎さんは、「自らの信念に反するもの」や「ふざけた行い」が大嫌いで、意見や主義主張の違いには徹底的に持論をぶつけていったようです。

そんなタイプが、若くて元気いっぱいだった頃は想像に容易いのですが、やっぱり「喧嘩は日常茶飯事」でした。

ライブ会場前で無断でグッズを販売するテキ屋と喧嘩になりグッズを没収してしまったり、相手がプロレスラーであっても感情の赴くままに喧嘩を売ったり、暴力団と揉めて狙われていたりと、”破天荒”というか”豪快”というか…。

また、一世風靡セピアのメンバーだった哀川翔さんも沸点が低く、若い二人は度々喧嘩していたようですね。

年齢を重ねて丸くなってきたころも、柳葉敏郎さんと哀川翔さんは二人の信念の違いから「小競り合い」を起こしているそう。

この一部は、後に勝俣州和さんが「すべらない話」で「ウサギと亀の話」として公開し、大爆笑を巻き起こしていましたね。

人を黙らせる演技の裏には、人を黙らせる「激しさ」があったのですね、恐ろしい…。

 

酷すぎる酒癖のせいで羽賀研二の愛車をボコボコにしたり和田アキ子から絶縁を言い渡されたことも


画像出典元:ロケットニュース24

どうやら柳葉敏郎さんの「激しさ」は、お酒によって刺激され「酷すぎる酒癖」になってしまうようです。

その「酷すぎる酒癖」が災いしたのか、芸能界でもいくつかの事件を起こしている柳葉敏郎さん、最も有名な話は”羽賀研二の愛車ボコボコ事件”でしょうね。

当時の羽賀研二さんは、超絶甘いマスクのイケメンで、どこに行ってもモテモテ。

いいとも青年隊で一緒だった野々村真さんが言うには「この娘、僕のこと好きになっちゃったみたい」と自ら言いだすほどのモテっぷりだったようで、貢がれることもしばしば。


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嘘か真かわかりませんが、噂ではモテモテの羽賀研二さんが”女性に買ってもらたったBMW”に乗っていたことが気に入らず、柳葉敏郎さんが酒の勢いに任せてBMWを蹴る、踏むを繰り返してボコボコにしてしまったのだとか。

また、「酷すぎる酒癖」は芸能界のご意見番・和田アキ子さんに対しても牙をむきました。


画像出典元:ガールズちゃんねる

和田アキ子さんが経営するお店で、100万円ほどのロマネコンティを勝手に開けてしまうなどの暴挙に出たこともあるようですが、それだけには留まらないのが柳葉敏郎さん。

”意外と純情で下ネタはあまり好きではない和田アキ子さん”の前で、酒の勢いで股間を出してしまい「二度と顔を見せるな!」と絶縁を言い渡されたようですが、ここまでやるのは柳葉敏郎さんくらいのものでしょうね…。

 

柳葉敏郎は60代でもイケオジ!かっこよさは若い頃も今も変わらない!現在は秋田に移住し趣味に興じる!


画像出典元:テレ朝POST

このように数々の修羅場を潜ってきた柳葉敏郎さんだからこそ、なのでしょう。

60代を迎えた現在でも「かっこよさは変わらない」ようで、渋さと色気が出まくりの”イケオジ”なのです。

そんな柳葉敏郎さんは、自らもそうであったように「子供たちを田舎の自然の中で育てたい」と考えていたようで、娘さんが小学校に上がる前に地元である秋田県に移住していました。

娘さんが生まれたのが2000年ですから、2000年代前半には秋田に移住したと思われますね。

子供を持つ父親として、東北地方出身の筆者も柳葉敏郎さんと同じような想いがありますので、この気持ちは非常によくわかります。

現在は、「野球愛」で意気投合して以降20年以上の付き合いであるデーブ大久保さんとゴルフに出かけるなど、地元での悠々自適ライフを満喫しているようです。


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また、地元の50歳以上の仲間を集めて、総年齢が500歳を超える「500歳野球」を楽しんでいるそう。

以前、野球で右肩や筋肉を傷めたそうなのですが、”野球を続けたいから手術”して、しっかり治療してしまうほどの入れ込みようで、楽しい毎日を送っているようで何よりですね。

いかがでしたでしょうか。

若いころも、今も変わらずかっこいい柳葉敏郎さん、これからも注目していきたいと思います。

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