その圧倒的なルックスをもって、資生堂専属モデルとして高度成長期の日本を揺るがした草刈正雄さん。
クールにも、ナードにも、スイートにも見えるその顔立ちは、瞬く間に人気となり、以降は俳優としても大活躍しましたね。
年齢を重ねていくにつれて、”渋さ”や”安定感”に加えて、”表情だけで見せる演技”も円熟味を増し、今尚俳優として活躍する草刈正雄さんですが、実は、”海の向こうに異母兄弟がいたという噂”があったのです。
今回は、草刈正雄さんの異母兄弟について見ていきましょう。
そもそも草刈正雄には異母兄弟(腹違いの兄弟)がいるという憶測が飛び交った経緯
1952年9月5日生まれで、2024年で71歳になった草刈正雄さん。
その端正なルックスからもお分かりかと思いますが、実はアメリカ人とのハーフでした。
父親は駐留米軍の兵士、母親は日本人である草刈正雄さんは、父の顔を知ることなく大人になります。
当時は、よくある話だったかもしれませんが、駐留米兵が本国に帰還、または別の国への赴任などで「生き別れ」になってしまうケースです。
「父は朝鮮戦争で戦死した」、そう聞かされて育った草刈正雄さんでしたが、実は父親は2013年まで生きていたことが判明したのです。
「死んだはずの父親が生きていた」その正確な事実を解き明かしたのは、NHKの人気番組である「ファミリーヒストリー」。
家族や先祖のルーツを辿り、「点と点でしかなかった血の繋がりを線で結ぶ」同番組では、草刈正雄さんの父・ロバートさんが、”草刈正雄さんが生まれる前に本国アメリカに帰還したこと、その後ドイツに渡ったこと、再婚して家族がいたこと、2013年に亡くなったこと”などを明らかにしました。
個人の力でここまで辿ることは非常に困難ですが、日本の大きな企業が優秀なスタッフと信念を持って対応することで明らかとなった事実は、草刈正雄さんに「自分にも家族がいた」という小さなぬくもりをもたらしました。
もちろん、それだけではない複雑な感情が入り乱れてることは言わずもがなです。
それと同時に、「再婚したために、異母兄弟がいるのではないか」という憶測も生じ、その憶測は世の中に飛び交っていきます。
(正確にはスエ子さんと父ロバートさんは入籍はしていませんが、文脈上ここでは「再婚」と表現していきます)
草刈正雄さんの母、スエ子さんは生前、父であるロバートさんのことを”悪く言ったことはなかった”そうです。
どのような形であれ、自分にとっては愛すべき夫であり、息子にとっての父親であるロバートさんを否定せずに、身を粉にして働いたスエ子さんの人生は壮絶を極めたでしょう。
小さな部屋に間借りして、草刈正雄さんを育て、昼夜問わず働いたといいます。
母親であると同時に、父親でもあろうとしたスエ子さんは、草刈正雄さんを”厳しく”、”愛情深く”育て上げました。
草刈正雄さんが、モデルとして上京してからしばらくは、地元である福岡県小倉市に居ましたが、草刈正雄さんが東京に呼び寄せ、結婚するまでは共に暮らしていたそうです。
草刈正雄さんにとってスエ子さんは、”唯一にして最大の家族”だったのでしょう、様々なインタビューや「ファミリーヒストリー」でのコメントでは、母親への深い深い感謝と愛情がにじんでいました。
草刈正雄さんは36歳のとき、女優である大塚悦子さんと共演が縁となり、結婚します。
二人は、長女でタレントの紅欄さん、長男でアーティストのYUSHIさん、次女でモデルの麻有さんと三人の子供に恵まれました。
草刈正雄さんにとっては、ようやく手にした「家庭」でしたので、さぞ幸せだったことでしょう。
しかし、音楽活動を生業とし、当時流行の先端にあったHIP HOPの人気クルー・KANDY TOWNで中心メンバーだったYUSHIさんが、事務所のベランダからの転落事後で20代前半で命を落としていました。
このような経験や若き日の母親との生活から、草刈正雄さんにとって”家族とは唯一の心のよりどころ”であり、”人生の中でも最も追い求めていた、何よりも手にしたかったもの”だったでしょう。
ゆえに、草刈正雄さんにとっての「異母兄弟」の存在は、非常に大きな衝撃であり、様々な感情が心を駆け巡ったのではないでしょうか。
文春オンラインで草刈正雄が異母兄弟について言及!
草刈正雄さんの異母兄弟については、草刈正雄さん自身が文春オンラインのインタビューで、そっと明かしていました。
父であるロバートさんが、再婚したヘルガさんとの間に「男の子が生まれていたが若くして亡くなったようだ」と。
草刈正雄さん自身も父親として息子を亡くす経験をされていますので、「男の子が生まれていたが若くして亡くなった」という事実には相当な衝撃を受けたはずです。
そういった経験から、草刈正雄さんは「異母兄弟がいた」という事実を、”静かに心の中にしまうことにした”のではないでしょうか。
あくまで個人的な意見ですが、「草刈正雄さんの異母兄弟については、”そっと見守る”べきなのではないか」と感じます。
また、草刈正雄さんは、同インタビューで、「中学生の頃、伯父から”お前の父親は生きているぞ”と告げられ、戸惑った」と語っています。
そうして、「ああ、なるほど。母親は置いていかれたのだなと思った」とも続けていました。
「父親が生きていることを母親には言わなかった、言ってはいけないと思っていた」と言う草刈正雄さんは、子供ながらに母親を守ろうとしたのでしょう。
もちろん、父の生存やその事実を調べたりすることもありませんでした。
もし、”父親が再婚していて、子供(自分に異母兄弟)がいたならば、母親の一抹の望みを踏みにじってしまう”と無意識に感じたのだと思います。
スエ子さんにとって、ロバートさんの存在が生きる糧であり、生きる望みだった部分があったのでしょう。
息子である草刈正雄さんは、”再婚”や”異母兄弟”の存在をスエ子さんに感じさせないように、「スエ子さんの光を奪わないように」したのだと筆者は思います。
スエ子さんも、”もしかしたら再婚、子供も”という想いもあったでしょう。
しかし、そういったことに精一杯の力で蓋をして、懸命に草刈正雄さんを育ててきたのだと思います。
そんな母親の姿を言葉ではなく心で感じ取っていた息子は、無意識に”事実を曖昧なまま”にしたのではないでしょうか。
この、”悲しくも愛おしい親子の愛情”に、心の奥で何かが蠢くのを感じざるを得ませんでした。
草刈正雄さんの「ファミリーヒストリー」には続編があります。
初回放送の5か月後にあたる2023年年末に続編として”草刈正雄さんのアメリカの家族”という内容で放送されていたのです。
そこでは、父であるロバートさんの姉、その子供たちとの対面があり、「ロバートさんの姉や家族がスエ子さんに仕送りをしていた」ことや、「遠く離れていたが、草刈正雄さんやスエ子さんのことを気にかけていたこと」、「何もできなかったけれど家族だ、愛している」という想いが交わされます。
同放送を偶然見も見ることができた筆者にとっては、オープンマインドでハートフルな欧米の人の精神性を深く感じた瞬間であり、そういった精神性の持つ力を痛感した瞬間でもありました。
この収録の際に、草刈正雄さんは「父・ロバートには”男の子がいたが若くして亡くなった”」ということには一切触れなかった、と文春オンラインのインタビューで語っています。
これは、「聞けなかった」のではなく「聞かなかった」のではないかと思えてなりません。
草刈正雄さん自身も「息子を亡くす」経験をしていたがゆえに、「その苦しみや重み、その事実がもたらす意味をこれでもかというほど味わった」のでしょうから。
遠く離れて生きてきた父が、”父としての自分が経験した悲しみ”を経験していたという事実。
このことについて、深く語ることができるのは当事者だけなのかもしれません。
今回は、草刈正雄さんの「異母兄弟」についてご紹介しました。
今回ほど、「人の人生は人それぞれ、考え方や生き方を簡単に揶揄したり、面白がったりしてはいけないのだな」と思った回はありませんでした。
どういったことがあっても、「人としての優しさを持って、強く生きていこう」と思います。
これからも草刈正雄さんの活躍を見守っていきましょう。
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