安青錦新大の読み方や身長・年齢・親方・大関復帰までの全記録

安青錦新大の読み方や身長・年齢・親方・大関復帰までの全記録

安青錦新大の身長や読み方が気になっている方は多いのではないでしょうか。安青錦新大は「あおにしき あらた」と読み、ウクライナ出身でありながら異例のスピードで大関まで上り詰めた力士です。名古屋場所後のインタビューでは飾らない本音を語り、動画でもその取り口の力強さが話題になっていますし、22歳という年齢の若さにも注目が集まっています。

師匠である親方は元関脇・安美錦こと安治川親方で、弟子思いの采配ぶりが大関復帰までの道のりを支えました。ドイツで暮らす両親や、ウクライナでの生い立ちと学歴も、安青錦新大の人物像を知るうえで欠かせない要素です。本記事では安青錦新大のプロフィールから家族、そして復活優勝までの軌跡を詳しく解説していきます。

安青錦新大のプロフィールと来日の経緯を解説

  • 読み方や四股名に込めた意味
  • 身長体重と年齢の基本情報
  • ウクライナでの生い立ちと学歴
  • 山中新大の運命的な出会い
  • 両親や兄の現在について
  • 親方は元関脇安美錦

読み方や四股名に込めた意味

まずは基本の読み方から確認しつつ、四股名にこめられた深い意味を見ていきましょう。

安青錦新大の読み方は「あおにしき あらた」

安青錦新大は「あおにしき あらた」と読みます。本名はダニーロ・ヤブグシシンさんといい、ウクライナ出身の力士です。安青錦新大 読み方で検索する人が多いのも納得で、漢字だけを見るとパッと読める人は少ないかもしれません。正式なしこ名は「安青錦 新大」で、あなたが力士名鑑や取組表を見るときはこの表記で覚えておくと迷わずに済みますよ。

「安」は師匠・安美錦から受け継いだ一字

四股名の頭文字「安」は、師匠である安治川親方の現役時代のしこ名「安美錦」から取られています。弟子に自分のしこ名の一字を継がせるのは、角界では師弟の信頼関係を示す伝統的な形で、安治川部屋には「安響」「安大翔」「安強羅」など「安」のつく力士が並んでいます。安青錦新大さんもその一人として、師匠の系譜に名を連ねている形ですね。

「青」はウクライナ国旗の色を表している

次の「青」は、安青錦新大さんの故郷であるウクライナの国旗の色から取られたものです。ウクライナ国旗は上半分が青、下半分が黄色の二色旗で、その青を四股名に組み込むことで、出身国への敬意とアイデンティティを込めた形になっています。この由来を知ると、単なる当て字ではなく、しっかりとした意味が積み重ねられていることが分かりますよね。

「錦」には故郷に錦を飾るという願いが込められている

「錦」の字には、望郷の念だけでなく、いつか故郷に錦を飾ってほしいという師匠の願いが込められているとも言われています。戦禍のなかにある祖国を思いながら土俵に立つ安青錦新大さんにとって、この一字は単なる装飾ではなく、背負うものの重さを感じさせる部分でもあります。

「新大」は恩人・山中新大さんの名前から

そして最後の「新大」は、安青錦新大さんを日本へ導いた恩人である山中新大さんの名前から取られています。安青錦新大さん自身が「名前をもらっていい?」と山中さんに直接お願いし、了承を得たうえで四股名に組み込んだというエピソードがスポニチアネックスの取材で明らかになっています。「いっぱい助けてもらった」という感謝の言葉とともに名付けられたこの一字には、単なる恩返し以上の強い絆が感じられます。

四股名の構成 由来
師匠・安治川親方の現役時代のしこ名「安美錦」から
出身国ウクライナの国旗の色から
故郷に錦を飾ってほしいという願い
新大 恩人・山中新大さんの名前から

参照:スポニチアネックス 【記事全文】ウクライナ出身・安青錦の“恩人”山中新大さん「つらい思いも知っているので…」序ノ口V見届け感慨

身長体重と年齢の基本情報

ここでは、安青錦新大 身長や年齢など、プロフィールの基本情報をまとめて確認していきます。

生年月日と年齢は22歳

安青錦新大さんは2004年3月23日生まれで、2026年8月現在の年齢は22歳です。日本相撲協会公式サイトの力士プロフィールでも「平成十六年3月23日(22歳)」と記載されており、令和の角界でも屈指の若さで大関経験者になった力士ということになります。安青錦新大 年齢で検索するファンが多いのも、これだけのスピード出世を果たした力士がまだ20代前半と知って驚くからかもしれません。

身長182.0cm・体重142.0kgという体格

身長は182.0cm、体重は142.0kgと公式プロフィールに記載されています。関取のなかでは決して大きな部類ではなく、むしろ標準からやや小柄な体格といえます。実際、関西大学教育後援会の取材記事でも「身長180センチ強、体重は140キロ程度と、関取のなかでは特別大きな身体ではありません」と紹介されており、体格よりも技術で勝負するタイプの力士だと分かります。

来日直後は125キロ台だった

2023年秋場所の初土俵時点では、体重は125キロほどだったと当時のスポニチアネックスの記事に記録が残っています。そこから2年ほどで体重を大きく増やし、142キロまで仕上げてきたことになり、稽古量と食事量の両方を積み重ねてきたことがうかがえます。力士アンケートでも好きな食べ物は「肉」と回答しており、身体づくりへの意識の高さが垣間見えますね。

得意技は右四つ・寄り

得意技は右四つ・寄りと公式に紹介されています。決まり手の傾向を見ると寄り切りが全体の38%を占めており、力任せではなく型を作ってから寄り切るオーソドックスな相撲を得意としていることが分かります。この体格でここまでの成績を残しているのは、技術の完成度の高さを裏付けているといえるでしょう。

プロフィール一覧表

基本情報をあらためて表にまとめておきます。

項目 内容
本名 ダニーロ・ヤブグシシン
生年月日 2004年3月23日(22歳)
出身地 ウクライナ・ヴィンニツァ
身長 182.0cm
体重 142.0kg
得意技 右四つ・寄り
所属部屋 安治川部屋

参照:日本相撲協会公式サイト 安青錦 新大 力士プロフィール

ウクライナでの生い立ちと学歴

安青錦新大さんがどんな環境で育ち、学歴も含めてどんな経緯で相撲と出会ったのか、ウクライナ時代の歩みを見ていきます。

出身地はウクライナ中部の街ヴィンニツァ

安青錦新大さんの出身地は、ウクライナ中部に位置するヴィンニツァ(ヴィーンヌィツャ)です。首都キーウから車で南西に約2時間半の場所にあり、大きな噴水がある美しい街並みで「ウクライナでもっとも住みやすい街」とも呼ばれているそうです。安青錦新大 ウクライナと検索する人にとっては意外かもしれませんが、決して田舎町ではなく、比較的都市的な環境で育ったことが分かります。

6歳で柔道、7歳で相撲と出会う

安青錦新大さんが格闘技に触れたのは6歳のとき、まず柔道から始めました。その翌年、7歳のときに通っていたレスリング教室の先生が相撲も指導していたことがきっかけで相撲と出会います。「相撲の方が、勝ち負けがすぐ決まるし、ルールも分かりやすい」という理由で相撲にのめり込んだという本人の言葉が日商Assist Bizの取材で紹介されており、シンプルな競技性に惹かれたことが読み取れます。

17歳までレスリングと相撲を並行して続けた

相撲に夢中になったとはいえ、ウクライナでは相撲だけの専門教室は少なく、柔道やレスリングと併用する形が一般的だったといいます。安青錦新大さんも17歳までレスリングを続け、国内大会の110キロ級で優勝するほどの実力を持っていました。本人は「オリンピックに行ける実力はなかった」と謙遜していますが、プロを目指すなら相撲一本と早くから心に決めていたそうです。

貴乃花と朝青龍の一戦に憧れを抱く

安青錦新大さんが本格的に大相撲の世界に憧れを抱くようになったきっかけは、12歳の頃にYouTubeで見た2002年9月場所の貴乃花と朝青龍の取組でした。両者が一歩も譲らない粘りの取組に心をつかまれ、「いつか自分も同じ土俵に立ちたい」と大相撲力士になる夢を抱いたといいます。この動画との出会いが、後にウクライナから単身来日する原点になったことを考えると、たった一本の映像が人生を大きく動かした好例といえそうです。

ドネツィク国立大学への進学が決まっていた

実は安青錦新大さんは、ウクライナの名門・ドネツィク国立大学への進学が決まっており、卒業後に相撲の世界大会で優勝してから日本を目指す、という将来設計を描いていました。2019年には15歳で世界ジュニア相撲選手権大会(大阪開催)に出場し中量級3位、2021年には欧州相撲選手権100キロ未満級で優勝するなど、着実にアマチュアとしての実績も積み上げていました。しかし2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻が、この人生設計を根底から覆すことになります

時期 出来事
6歳 柔道を始める
7歳 相撲と出会う
12歳 貴乃花×朝青龍の取組をYouTubeで見て憧れる
2019年(15歳) 世界ジュニア相撲選手権大会で中量級3位
2021年 欧州相撲選手権100キロ未満級優勝

参照:日商Assist Biz 安青錦 新大 力士 あの人を訪ねたい

山中新大の運命的な出会い

四股名の由来にもなった安青錦 山中新大の関係について、出会いから来日までの経緯を詳しく追っていきます。

2019年、世界ジュニア相撲選手権での出会い

二人が初めて出会ったのは2019年、大阪・堺で開催された世界ジュニア相撲選手権でした。当時、安青錦新大さんは15歳、山中新大さんは20歳で関西大学相撲部の主将を務めていました。取り口の巧さと勝ち切る力に驚いた山中さんが、思わず声をかけたのが交流の始まりだったといいます。英語でのやり取りの中で山中さんが安青錦新大さんの年齢を12歳と勘違いし、「こんなに大きな小学生がいるのか」と驚いたという微笑ましい話も残っています。

SNSでの交流が続いた3年間

大会後、二人はInstagramを通じて連絡を取り合うようになりました。お互い母語ではない英語でのやり取りを重ねながら、国境を越えた友情を育んでいったことになります。この時点では、まさか数年後に一緒に日本で暮らすことになるとは、どちらも想像していなかったかもしれません。

ウクライナ侵攻をきっかけに助けを求める

2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まります。18〜60歳のウクライナ人男性は原則出国が禁止される状況となり、翌月に18歳を迎える安青錦新大さんは、いったん父親のいるドイツへ母親とともに避難しました。「今行かなかったら一生後悔する」という思いから、安青錦新大さんは山中さんに「日本に避難することはできますか」とメッセージを送ったことが、その後の運命を大きく動かします。

山中家での8カ月間の下宿生活

山中さんはこのメッセージを受けて関係各所を奔走し、受け入れ態勢を整えました。2022年4月、安青錦新大さんはスーツケース1つで関西国際空港に降り立ち、神戸市にある山中さんの実家に身を寄せることになります。昼間は日本語学校に通い、夕方から関西大学相撲部で稽古に励むという生活を約8カ月間続けたそうです。同じ部屋で寝起きを共にし、毎晩のように語り合ったという二人の関係は、単なる先輩後輩を超えたものだったといえるでしょう。

関西大学相撲部との絆と化粧まわし

2022年6月には山中さんが主将を務める関西大学相撲部が45年ぶりに1部昇格するという慶事もありました。同年12月、安青錦新大さんは安治川部屋の研修生となり、翌2023年秋場所で初土俵を踏みます。2024年11月に十両昇進を果たした際には、関西大学相撲部から化粧まわしが贈呈されたそうで、大学時代から続く絆が今も形として残っていることが分かります。

時期 出来事
2019年10月 堺で開催の世界ジュニア相撲選手権で出会う
2022年4月 ウクライナ侵攻を受け来日、山中家で下宿開始
2022年6月 関西大学相撲部が45年ぶりに1部昇格
2022年12月 安治川部屋の研修生に
2023年9月 初土俵
2024年11月 十両昇進、関西大学相撲部から化粧まわし贈呈

参照:関西大学教育後援会 関西大学との絆が育んだウクライナ出身力士 安青錦関が大躍進!

両親や兄の現在について

安青錦新大 両親や兄について検索する人も多いので、家族の現状について分かっている範囲で整理していきます。

両親は現在ドイツで避難生活を送っている

安青錦新大さんの両親は、2022年のウクライナ侵攻をきっかけに、現在はドイツで暮らしています。安青錦新大さん自身も出国の際、一時的に父親のいるドイツへ母親とともに避難した経緯があるため、家族全員が戦禍を逃れて異国での生活を送っている状態です。祖国を離れて暮らす家族の姿は、安青錦新大さんが土俵に立ち続ける理由の一つにもなっているのかもしれません。

初優勝の報告に両親が涙したエピソード

2025年11月の九州場所で初優勝を果たした際、安青錦新大さんが真っ先に電話で報告したのはドイツにいる両親でした。「おかげさまで優勝することができました」という報告に、母親は電話口で涙を流し、隣にいた父親も泣いていたとNEWSポストセブンの取材で伝えられています。以前の電話では「いつ会えるの?」と寂しさを口にしていた母親が、今回は言葉も出ないほど感情を抑えきれなかったというエピソードから、家族が安青錦新大さんの活躍をどれほど誇りに思っているかが伝わってきます。

3歳上の兄はウクライナで大学生活を続けている

安青錦新大さんには3歳上の兄がいます。兄は現在もウクライナの大学に通い、戦禍の続く国内での生活を送っているとされ、きょうだいの仲は良く、いまでも定期的に連絡を取り合っているそうです。ウクライナは2024年4月に徴兵の対象年齢を27歳から25歳に引き下げており、戦争が長引けば兄も対象になる可能性があります。安青錦新大さんが「とにかく無事でいてほしい」と口にしたこともあると伝えられており、活躍の裏に常に故郷への心配が付きまとっていることがうかがえます。

複雑な家族構成が語られる場面も

日刊ゲンダイDIGITALの取材では、安青錦新大さんの口から「腹違いの兄」という単語が出てきた場面があったことが紹介されています。具体的な詳細までは広く報じられていないものの、家族構成が単純な核家族ではなく、複数の背景を持つ関係性である可能性がうかがえる発言といえるでしょう。海外で育った力士にとって、家族の形も日本の一般的なイメージとは異なるケースが珍しくなく、こうした発言も安青錦新大さんの人生の複雑さを物語っているのかもしれません。

里帰りできないまま活躍を続ける現状

安青錦新大さんは安治川部屋に入門する際、師匠と「一人前の力士とされる『関取』になるまで故郷には帰らない」という約束を交わしていました。2024年11月に関取となった後も、いまだ里帰りは叶っていません。「帰りたい気持ちはある。できれば友達にも会いたいし、子供の頃に行っていたご飯屋さんで……普通に自分の街を散歩したいですね」と特派員協会の会見で心境を語っており、家族と離れて暮らす時間が長くなるほど、故郷への思いも強くなっている様子が伝わってきます。

参照:NEWSポストセブン 《里帰りは叶わぬまま》新大関・安青錦、母国ウクライナへの複雑な思い

親方は元関脇安美錦

安青錦新大 親方について、安治川親方の経歴や師弟関係のエピソードを詳しく見ていきます。

師匠は安治川親方こと元関脇・安美錦

安青錦新大さんの師匠は安治川部屋の安治川親方で、現役時代のしこ名は安美錦(あみにしき)です。本名は杉野森竜児さんといい、出身地は青森県西津軽郡深浦町、生年月日は1978年10月3日です。現役時代の最高位は関脇で、生涯戦歴は907勝908敗55休(135場所)という長いキャリアを持つベテラン力士でした。四股名の「安」の一字は、この安美錦から受け継がれたものです。

現役時代は殊勲賞4回・技能賞6回の実力派

安治川親方は現役時代、優勝こそ0回でしたが、殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞6回と、三賞を数多く獲得した実力派力士でした。決まり手の傾向を見ると寄り切りが22%、上手投げが13%、叩き込みが13%と、多彩な技を持つバランス型の相撲を取っていたことが分かります。技術重視のスタイルは、弟子である安青錦新大さんの相撲にも通じるものがあり、師弟で似た資質を持っていたことがうかがえますね。

弟子思いの采配が光った夏場所の判断

2026年5月の夏場所では、カド番の大関だった安青錦新大さんが足のけがを抱えていました。安治川親方は無理をさせず、初日から全休させるという決断を下し、大関陥落のリスクを承知のうえで弟子の身体を優先させたことが日刊ゲンダイDIGITALの報道で伝えられています。番付や成績よりも弟子のけがを最優先にするこの判断からは、安治川親方の弟子思いな一面がはっきりと表れています。

お守りと着物に込められた師弟の絆

文藝春秋の対談記事では、優勝を経た二人のやり取りが紹介されています。安治川親方は稽古後に明治神宮のお守りを渡し、「今場所もみんながケガなく終わりますように」と一人で参拝していたことを明かしています。安青錦新大さんは「師匠からもらったものはなんでも嬉しいです」と語り、そのお守りを今も寝床の上に飾っているそうです。さらに親方の現役時代の着物もサイズがぴったりだからと譲り受けているといい、日常的な師弟の交流の深さがうかがえます。

安治川部屋の「安」がつく力士たち

安治川部屋には安青錦新大さんのほかにも、安響、安大翔、安強羅、安琉海、安寿真、安櫻、安氣乃山といった「安」のつくしこ名の力士が名を連ねています。安治川親方が自身のしこ名の一字を弟子たちに与える命名パターンは部屋全体の伝統となっており、まだ新しい部屋ながら独自の色を確立しつつあることが分かります。

項目 内容
四股名(現役時代) 安美錦(あみにしき)
本名 杉野森竜児
出身地 青森県西津軽郡深浦町
最高位 関脇
生涯戦歴 907勝908敗55休(135場所)
受賞歴 殊勲賞4回・敢闘賞2回・技能賞6回

参照:文春オンライン 「親方と一緒に戦ってる気持ちが強かった」安青錦と安治川親方の“比類ない絆”

安青錦新大の大関昇進から復活までの軌跡

  • 大関への最速昇進と成績
  • どうしたのか休場の真相
  • 名古屋場所での復活優勝
  • インタビューで語った覚悟
  • 取り口と強さの秘密

大関への最速昇進と成績

安青錦新大 大関という検索が多いのも納得の、驚異的なスピード出世の軌跡を振り返っていきます。安青錦 今日の取り組みが気になる方も、まずはここまでの成績の流れを押さえておくとより楽しめるはずです。

初土俵から所要14場所での大関昇進

安青錦新大さんは2023年9月の秋場所で初土俵を踏み、そこからわずか所要14場所で大関に昇進しました。これはウクライナ出身力士として初めての大関昇進であり、角界の歴史のなかでも史上最速クラスのスピード出世です。番付を駆け上がる過程はまさに破竹の勢いという言葉がふさわしい昇進劇だったといえるでしょう。

新入幕から5場所連続で二桁勝利

2025年3月の春場所で新入幕を果たした安青錦新大さんは、そこから5場所連続で二桁勝利を記録するという驚異的な安定感を見せました。初入幕から2場所連続で敢闘賞を受賞し、続く場所でも技能賞や殊勲賞を積み重ねていったことが、大関昇進への大きな後押しとなりました。番付が上がるごとに対戦相手のレベルも上がるなかで、勝率を落とさなかった点が高く評価されています。

令和七年十一月場所での初優勝が昇進を決定づけた

2025年11月の九州場所では、東関脇として12勝3敗という好成績で初優勝を果たし、殊勲賞と技能賞も同時受賞しました。この結果を受けて大関昇進が事実上確実となり、続く2026年1月の初場所では新大関として土俵に上がることになります。新大関としての初場所でもそのまま12勝3敗で2場所連続の優勝を飾るという、なかなか見られない快進撃を見せました。

番付の推移を一覧で確認

ここで、初土俵から大関昇進までの番付の推移を整理してみます。

時期 番付
2023年9月 初土俵
2024年11月 新十両
2025年3月 新入幕
2025年9月 新三役(小結)
2025年11月 関脇で初優勝
2026年1月 大関昇進、2場所連続優勝

生涯戦歴は147勝45敗15休

2026年7月場所千秋楽時点での生涯戦歴は147勝45敗15休(18場所)、幕内での戦歴は87勝33敗15休(9場所)となっています。幕内での勝率は6割を大きく超えており、上位力士と対戦する機会が増えても崩れない安定感を数字が裏付けているといえるでしょう。この成績の高さこそが、けがによる一時的な陥落を経てもなお、すぐに巻き返せる実力の証明になっています。

参照:日本相撲協会公式サイト 安青錦 新大 力士プロフィール

どうしたのか休場の真相

安青錦 どう したと検索する人が多いのは、大関になってすぐに休場が続いたことに驚いた読者が多いからでしょう。ここでは安青錦休場の経緯を時系列で整理します。

春場所で左足小指を骨折し負け越し

2026年3月の春場所で、安青錦新大さんは左足の小指を骨折するけがを負いました。大関としての地位を守るべき場所でありながら、7勝8敗という負け越しに終わってしまったことが、その後の苦境の始まりでした。骨折を抱えたまま土俵に上がり続けていたことになり、力士としての厳しさを物語るエピソードといえます。

夏場所前の稽古で左足首を負傷

負け越しでカド番となった直後の夏場所に向けた稽古中、今度は左足首を負傷してしまいます。日本相撲協会に提出された診断書には「左足関節捻挫、左足関節外側靱帯損傷で約3週間の加療を要する見込み」と記載されていたと読売新聞が報じています。骨折の回復が十分でないなかでの新たなけがは、大関という立場を脅かす深刻な事態でした。

2026年5月場所を初日から全休

結果として、安青錦新大さんは2026年5月の夏場所を初日から全休することになりました。カド番での全休は、大関としての地位を維持する条件を満たせないことを意味します。師匠の安治川親方が5月15日、今場所は全休させることを明らかにしたことで、大関から陥落することが事実上決定しました。

大関から関脇への転落と復帰条件

大関の在位はわずか3場所で幕を閉じ、安青錦新大さんは関脇へと番付を落とすことになります。ただし救済措置として、続く7月の名古屋場所で10勝以上を挙げれば、大関へ復帰できるという規定が用意されていました。角界における大関の地位は一場所限りの陥落であれば復帰のチャンスが与えられる仕組みになっており、安青錦新大さんにとってはまさに崖っぷちからの再挑戦の場となったわけです。

けがと向き合いながらの過酷な状況

骨折、靱帯損傷と立て続けにけがに見舞われた安青錦新大さんですが、これらの負傷は決して珍しいことではなく、体重無差別で激しくぶつかり合う大相撲という競技の過酷さを改めて示すものでもあります。大関という重責を背負う中でのけがは精神的な負担も大きく、ここからどう立て直すかが名古屋場所での大きな注目点となりました。

参照:読売新聞オンライン 大相撲:安青錦、大関陥落が事実上決定…けがで夏場所を初日から休場

名古屋場所での復活優勝

安青錦 成績 今場所と気になっているあなたのために、名古屋場所での復活劇を詳しく振り返ります。

けがを抱えたまま迎えた名古屋場所

関脇に転落して迎えた2026年7月の名古屋場所。安青錦新大さんは万全とは言えない状態でこの一番勝負に臨みました。左足首の状態が完全に癒えたわけではないなか、10勝以上という復帰条件がのしかかる厳しい戦いだったといえます。それでも初日から着実に白星を重ね、序盤から存在感を示していきました。

天敵・大の里に初勝利をつかむ

9日目には横綱大の里との一戦がありました。それまで4戦全敗と全く歯が立たなかった相手ですが、苦戦しながらも初勝利をもぎ取り、この時点で8勝1敗と好調をキープしていました。日刊ゲンダイDIGITALの報道によれば、けがで踏ん張りが利かず土俵際まで後退したことが逆に大の里の対応を狂わせ、上手出し投げにつながったという見方もあるようです。ケガの功名とも言える一番でしたが、本人としては手放しで喜べる内容ではなかったかもしれません。

12勝3敗で3場所ぶり3度目の優勝

最終的に安青錦新大さんは12勝3敗という好成績を残し、2026年の初場所以来3場所ぶりとなる3度目の幕内優勝を果たしました。大関から関脇へ転落しながらも、わずか1場所で復帰条件の10勝を上回る結果を出したことになり、角界内外から驚きの声が上がりました。技能賞も同時受賞しており、内容面でも高い評価を受けています。

足のけがを抱えながらの決断

優勝までの道のりは決して楽なものではありませんでした。8日目には左足親指付近も負傷し、千秋楽の取組後には右足親指の爪も剥がれていたと産経ニュースが報じています。それでも立ち合いで変化をせず、正面から相撲を取り続けた姿勢が「らしさ」を貫いた結果につながったといえるでしょう。万全でない身体での優勝だからこそ、この結果の価値がより一層大きく感じられます。

大関復帰への望みをつないだ成績

10勝以上という条件に対して12勝という結果を残したことで、安青錦新大さんは大関復帰への望みを大きくつなぐ形となりました。名古屋場所の成績は単なる優勝という以上に、番付上の立場を取り戻すための重要な意味を持つ一場所だったといえます。星取表を振り返ると、序盤から安定した相撲を取り続けたことが、最終的な好成績につながったことがよく分かります。

指標 結果
成績 12勝3敗
結果 幕内優勝・技能賞
大の里戦 4戦全敗から初勝利
大関復帰条件 10勝以上(結果12勝でクリア)

参照:日刊ゲンダイDIGITAL 安青錦は大関復帰10勝での「休場」に現実味…天敵・大の里に初勝利も素直に喜べない理由

インタビューで語った覚悟

安青錦新大 インタビューで検索する人のために、名古屋場所後の会見で語られた本音や覚悟をまとめました。

「俺はこんなもんじゃない」という悔しさ

名古屋場所千秋楽から一夜明けた2026年7月27日、愛知県日進市で会見に臨んだ安青錦新大さんは、大関から陥落した悔しさについて率直に語りました。「番付が落ちて悔しさがあった。いろんな人たちに『俺はこんなもんじゃない』と改めて勝っている姿を見せたい気持ちが強かった」という発言からは、地位を失ったことへの強い悔しさと、それをバネにした闘志が伝わってきます。

けがへの不安を正直に吐露

不安を抱えていた左足首に加え、8日目には左足親指付近も負傷したことについて、安青錦新大さんは「ショックだった。これは厳しいかもしれないと思った」と当時の心境を明かしています。順調に見える優勝劇の裏側にも、本人にしか分からない不安や焦りがあったことが、この発言からうかがえます。

「変化をしない」という自分らしさへのこだわり

万全でない状態にもかかわらず、安青錦新大さんは立ち合いで変化を使わない相撲を貫きました。「自分らしくない。変わってしまったら、白星になるかもしれないけど次につながらない。悔いのないようにやっていこうというのが一番のテーマだった」というコメントには、目先の勝敗よりも、自分の相撲を貫くことを優先する価値観が表れています。楽な勝ち方を選ばない姿勢こそが、多くのファンを惹きつける理由の一つなのかもしれません。

師匠との信頼関係が支えになった

苦境のなかで支えとなったのは、安治川親方との強固な師弟関係でした。「俺はいけると思ってくれている」と親方の言葉や表情から感じ取っていたと語り、言葉にせずとも伝わる信頼関係が、けがを抱えながらの15日間を乗り切る原動力になったことがうかがえます。優勝が決まった瞬間も「早く師匠と会いたい気持ちが強かった」と振り返っており、師弟の絆の深さが改めて印象に残る会見内容でした。

「一番上の番付を狙っていきたい」という次の目標

会見の最後には、これからの目標についても言及しています。「ずっと言うことを聞いてやってきて、それは絶対、間違いない。これからも言うことを聞いて一番上の番付を狙っていきたい」というコメントからは、大関復帰にとどまらず、さらに上の地位を見据えている姿勢が読み取れます。ウクライナから単身来日した青年が、角界の頂点を本気で目指す段階に入ってきたことを感じさせる発言でした。

参照:産経ニュース 【動画】優勝の安青錦、大関陥落の悔しさ「改めて勝つ姿見せたかった」名古屋場所一夜明け会見

取り口と強さの秘密

安青錦新大 動画などで実際の取組を見た人なら気になるはずの、強さの秘密や取り口の特徴を掘り下げていきます。

低い姿勢を保つ体幹の強さが最大の武器

安青錦新大さんを長年見てきた山中新大さんは、その強さの理由を体幹の強さだと分析しています。低い姿勢を保ったまま上体が起きることがなく、取り口が非常に安定しているという指摘は、体格に恵まれた力士が多い外国出身力士のなかでも異彩を放つポイントです。力任せで大きな相撲を取るタイプが多い外国出身力士とは一線を画す、技術重視の相撲だといえるでしょう。

相手の力を利用する「日本人的」な正統派の相撲

山中さんは関西大学教育後援会の取材で「相手の力も巧みに利用し柔軟に技をくり出すことができる、ある意味で非常に『日本人的』な、正統派の力士」と安青錦新大さんを評しています。身長180センチ強、体重140キロ程度という決して大きくない体格でありながら勝機を引き寄せられるのは、この技術の高さゆえだと分析されています。

決まり手データが示す寄りの安定感

過去6場所の取組結果に基づく決まり手の傾向を見ると、寄り切りが38%と圧倒的な割合を占め、押し出しが18%、寄り倒しが9%と続きます。得意技として公式に紹介されている「右四つ・寄り」が、実際のデータでもはっきりと裏付けられている形です。型を作ってから確実に寄り切るスタイルが、番付が上がっても崩れない安定感の源になっているといえます。

横綱・大関相手にも高度な技を繰り出す

Sustainable Japanの取材記事では、安青錦新大さんが横綱や大関を相手に「内無双」など高度な技を鮮やかに決めて白星を掴んでいると紹介されています。基本の寄りだけでなく、状況に応じて多彩な技を繰り出せる引き出しの多さも強さの秘密の一つです。体重無差別で行われる大相撲において、この技術の幅広さが体格差を埋める重要な武器になっています。

左曲がりの髷に込められた先輩力士への敬意

安青錦新大さんの髷は、通常の力士とは逆の左曲がりというユニークな特徴を持っています。これはハワイ出身の力士・高見山が始めたスタイルで、同じくハワイ出身の小錦や武蔵丸も引き継いできた伝統です。本人は「特に大きな意味はない」と語っていますが、異国からやってきて相撲界で道を切り拓いた先輩力士への敬意を示すものだと受け止められています。細部にまで宿るこうした姿勢も、多くの相撲ファンから支持される理由の一つといえそうです。

参照:Sustainable Japan by The Japan Times 日本の伝統文化のなかで活躍するウクライナ出身力士。

安青錦新大の四股名から復活優勝までの軌跡のまとめ

  • 四股名の四文字全てに師匠・祖国・恩人への感謝が刻まれ、名前自体が半生の物語になっている
  • ウクライナ侵攻という不可抗力の出来事が、大学進学から力士転向までの人生設計を根底から覆した
  • 山中新大氏との出会いから来日、下宿生活まで、国境を越えた人的ネットワークが飛躍の土台を築いた
  • 師匠・安治川親方の弟子思いの采配が、番付よりも身体を優先する師弟の信頼関係を物語る
  • 初土俵から14場所での大関昇進は、令和の角界でも屈指のスピード出世として際立つ
  • 大関昇進直後に骨折・捻挫が連続し、絶頂から陥落までの落差がわずかな期間で訪れた
  • 大関から関脇へ転落しても10勝という明確な復帰条件が示され、次の目標が可視化された
  • けがを抱えたまま迎えた名古屋場所で12勝3敗の優勝を果たし、逆境からの復活力を証明した
  • インタビューでは番付陥落への悔しさとけがへの不安を率直に語り、感情を隠さない誠実さがにじむ
  • 立ち合いで変化をしないという土俵での姿勢が、逆境でも自分らしさを貫く生き方と重なる
  • 両親はドイツ、兄はウクライナ、本人は日本と、家族が離れて暮らす戦禍の現実が背景にある
  • 優勝報告に両親が電話口で涙したエピソードは、離れて暮らす家族の絆の深さを象徴している
  • 低い姿勢と体幹を武器にした正統派の寄り相撲は、体格で劣る分を型と安定感で補う戦い方だ
  • 決まり手の6割超が寄り切り・押し出し・寄り倒しに集中し、力任せではない技術志向がうかがえる
  • 関西大学相撲部への化粧まわしの贈呈など、支えてくれた人々への感謝を形にして返す姿勢が随所に見られる

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