【フィリピン顔なだけ】宮世琉弥のハーフ説の真相を徹底解説!

M!LK時代の印象も強い宮世琉弥さん。

2004年1月22日生まれで、2024年6月現在弱冠20歳の宮世琉弥さんですが、切れ長のセクシーな瞳が妙に印象的ですよね。

今回は、そんな宮世琉弥さんのハーフ説に迫ってみたいと思います。

宮世琉弥はハーフではない!


画像出典元:Instagram

結論から申し上げますが、宮世琉弥さんはハーフではありません。

まずは宮世琉弥さんの素性から調べてみましょう。

 

出身は宮城県石巻市

純日本人の宮世琉弥さんは宮城県石巻市出身です。

ハーフと噂の宮世琉弥さん、意外にも東北地方出身かつ宮城県石巻市出身とは、少々驚きですね。

 

本名は宮世琉弥


画像出典元:Tik Tok

そして、更に驚くことに本名は芸名と同じ「宮世琉弥=みやせりゅうび」です。

どう考えても練り上げられた芸名のような響きと字面ですが、本名とは驚きました。

このことは、「行列のできる法律相談所」に出演した際に、自ら公表した事実です。

どうやら、三国志ファンの父親が名付けた名前のようですね。

名前の由来は三国志で蜀という国を治めた皇帝・劉備(りゅうび)という武将から取った名前だということは、ひと聞きでわかるでしょう。

劉備に仕えた名軍師・諸葛亮孔明から「孔明」と名付けるケースはよく聞きますが、劉備から名前を取るケースは、なかなか珍しいケースですね。

劉備という武将は、情に厚く人望の高い人間で周囲から愛され、音楽好きでオシャレであったと言われています。

周囲に愛され音楽好きでオシャレという部分は、宮世琉弥さんの印象と重なりますね。

 

宮世琉弥がハーフと疑われた理由はハーフ顔だから


画像出典元:Instagram

宮世琉弥さんがハーフと疑われたのは、ずばりハーフ顔だからです。

イケメンで独特の透明感やオリエンタルな雰囲気もありますね。

 

フィリピン顔の特徴を押さえている

フィリピン系のハーフではないかと言われたこともありました。

はっきりした二重、厚めの唇はフィリピンの方の特徴を押さえているので、そう思われたのでしょう。


画像出典元:Instagram


画像出典元:Amebaブログ

日本で最も有名なフィリピン人といえばルビー・モレノさんですが、宮世琉弥さんと見比べてみると、確かに近い雰囲気を感じますね。

眉や瞳の雰囲気、輪郭や唇など近しい特徴を押さえていると言えます。

しかし、宮世琉弥さんはハーフではありません。

 

幼少期からハーフと?と聞かれることが多かった

宮世琉弥さんは、幼少のころから「ハーフ?」と聞かれることが多かったといいます。

このことは、宮世琉弥さん自身がそう発言していたようですね。

大きな瞳やシャープな輪郭がそう思わせたのではないでしょうか。

 

宮世琉弥のハーフ顔が仕事に与える影響について


画像出典元:ORICON NEWS

宮世琉弥さんがハーフ顔であることが、仕事にどんな影響があるのでしょうか。

スタイルブックをリリースした宮世琉弥さんは、その仕上がりに自信と手応えを感じているそう。

そのインタビューでは、聞き手に「ハーフみたいに顔が整っている」と言われるほどの仕上がりを見せたスタイルブック。

そこから推測するに、ハーフ顔であることは仕事には好影響なのではないかと思います。

そのスタイルブックは、非常に好調な売れ行きで初版で印刷した部数では足りず、「重版=増し刷り」になったようですね。

それほど人気が出るほど、ハーフ顔が好影響を与えているのでしょう。

 

宮世琉弥の父親は建築家


画像出典元:TAC

宮世琉弥さんの父親は建築家だそうです。

とあるインタビューで「父親は建築家」と語った宮世琉弥さん。

建築士の資格を取って職業として成立させるためには一級建築士の資格取得と実務経験が必要です。

一級建築士の合格率は、15%~20%前後の難関資格ですので、宮世琉弥さんの父親はかなり努力をして資格を取得し、懸命に働いたのではないでしょうか。

一般的な統計では、一級建築士の平均年収は700万円前後と言われます。

企業に勤めるか、建築事務所を起業するかにもよりますので、年収はそれ以上になるケースもあるでしょう。

 

宮世琉弥は母親について

では、次に宮世琉弥さんの母親について見て行きましょう。

 

優しく笑顔の絶えない人


画像出典元:Instagram

宮世琉弥さんの母親は、優しく笑顔の絶えない人だそうです。

母親の誕生日に自身のInstagramにそのことをアップした宮世琉弥さん。

その先に母親について「笑顔が絶えない人、大好き」と表現していました。

親がいつも笑顔でいてくれると、子供にとってはとても安心感のある状態だと思います。

息子に「大好き」と言われるとは素敵な母親ですね。

 

一緒に東日本大震災で被災


画像出典元:NHK

そんな母親と一緒に東日本大震災で被災したという宮世琉弥さん。

東日本大震災のときの石巻市の震度は震度6弱。

地震による家屋の倒壊だけでなく津波による二次被害も大きかったエリアです。

宮世琉弥さんは、津波で自宅を失い自身も危うく津波に流されそうになったといいます。

車で母親と逃げた宮世琉弥さんは、津波に追いつかれて車を捨てて逃げたのだそう。

その後、車は津波に流され命からがら非難したのでした。

そんなとき、笑顔の母親がいたらどれほど心強かったことでしょうか。

そして、東日本大震災を子供時代に体験した世代が活躍する時代が来たことを痛感します。

震災から13年、東北地方の復興は進んだとはいえまだまだ十分ではありません。

話は少し逸れますが、東日本大震災を風化させないことは、日本に生きる私たちにとって非常に重要なこと。

それを頭の片隅に入れておきたいものです。

 

宮世琉弥の妹の伊達花彩について


画像出典元:Instagram

次は、宮世琉弥さんの妹の伊達花彩(だてかあや)さんについても見て行きましょう。

 

女優・アイドルのメンバー

伊達花彩さんは、女優でアイドル「いぎなり東北産」のメンバー。

イケメンの妹は美人、なのですね。

伊達花彩さんは、2005年3月21日生まれで宮世琉弥さんの1歳年下。

なんと、宮世琉弥さんと一緒にショッピングモールを歩いているときに二人でスカウトされたといいます。

小学5年生の兄、小学4年生の妹。

二人の姿がよほどかわいくて目を惹いたのでしょうね。

 

もちろんハーフ顔で幼少期はそっくり

画像も紹介しましたが、もちろん宮世琉弥さん同様にハーフ顔です。


画像出典元:Instagram

また、幼少の頃の二人の写真を伊達花彩さんがInstagramにアップしていますが、二人がそっくりです。

おめめの大きな二人の幼い兄妹、こうして見るとものすごくかわいらしいですね。

ファンからも「かわいい」「そっくり」といったコメントが出ています。

これを見れば、二人が一緒にスカウトされるのも頷けます。

 

宮世琉弥と仲良し


画像出典元:Instagram

二人は幼少のころから仲良し兄妹だったそうです。

「兄とはよくキャッチボールをした」と話すのは伊達花彩さん。

また、宮世琉弥さんは伊達花彩さんの髪を乾かしてあげたりもするそうです。

髪を乾かしてあげるのも、髪を触らせるのも相当仲が良くないとしないことですよね。

これは、かなりの兄妹仲です。

そんな仲良し兄妹は、ときには兄妹ゲストとして一緒に仕事をすることもあるようです。

上記画像は、二人でゲスト出演した姿を伊達花彩さんがInstagramにアップしたときのもの。

 

宮世琉弥は家族仲良し

そんな二人を見ておわかりかもしれませんが、宮世家は家族仲良し。

宮世琉弥さんが17歳になったとき、家族全員で誕生会をしたといいます。

思春期ど真ん中の男の子が家族と誕生会、同じ男性である筆者にとっては信じられないような出来事です。

これは、並みの家族仲ではありませんね。

どうしたらこういう家族になれるのか、宮世琉弥さんの父親や母親に秘訣を伺いたいものです。

家族は人生で一番最初に出会う人間ですから、そんな家族と仲がいいということはこれ以上ないほど幸せなことではないでしょうか。

 

宮世琉弥の生い立ち


画像出典元:Instagram

最後は、宮世琉弥さんの生い立ちをご紹介します。

小学1年生だった2011年に、宮世琉弥さんは東日本大震災を経験します。

先ほども紹介しましたが、母親と車で避難して津波に飲まれそうになったエピソードは、震災の恐ろしさをまざまざと物語っていますね。

こういった経験をしたことで、家族の絆が特別なものになったのかもしれません。

東日本大震災で被災したこと、そこで生き残ったことで「自分だけ助かってよかったのか」と悩んだこともあるという宮世琉弥さん。

普通の人生では経験することはないはずの不必要に自分の存在を責めてしまったり、否定してしまったりする生い立ち。

それは簡単に言葉にできるようなものではありません。

宮世琉弥さんに限らず、小学生が自分の存在や生存を否定するなど、本来ならばあってはならないことです。

そんな生い立ちを持つ宮世琉弥さんだからこそできることや感じることもあるでしょう。

宮世琉弥さんが、歌手やタレントとして表に出ていくことが、東北地方の人間にとってどれほどの勇気になることか。

東北地方の出身である筆者は、そんな意味で宮世琉弥さんにはとても注目しています。

だからといって、宮世琉弥さんが東日本大震災や東北地方を背負って苦しくなるような人生を歩む必要はないとも思います。

東北地方出身の人間が自然に活躍し、自然にそれを目にした東北地方の出身者が自然に元気になる、それが何よりです。

さて、今回は宮世琉弥さんのハーフ説に加えて、家族についてご紹介しました。

深い絆のある家族には驚きと羨ましさを感じますね。

これからも、宮世琉弥さんを応援していきたいと思います。

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