朝翠龍の兄は朝紅龍|読み方や兄弟の絆、母の教えを徹底解説

朝翠龍の兄は朝紅龍|読み方や兄弟の絆、母の教えを徹底解説

朝翠龍の兄は、同じ高砂部屋で活躍する関取・朝紅龍です。この記事では、朝翠龍の兄弟である二人がどのように角界入りを果たしたのか、その背景を詳しくご紹介します。

朝翠龍の読み方や本名、番付の推移はもちろん、朝翠龍と朝紅龍を語るうえで欠かせない母・石崎直美さんの存在にも触れています。小学生の頃からサンドバッグや腕立て伏せを課した独自の指導法、そして角界入りの原点となったわんぱく相撲でのエピソードなど、兄弟の歩みを支えた家族の物語をまとめました。

さらに、母が病と闘いながら息子たちを見守り続けた日々や、最期に残した言葉についても記載しています。高砂部屋に4人の関取を輩出する背景や、四股名に込められた部屋の伝統もあわせて解説していますので、兄弟の絆や角界での成長をより深く知りたい方はぜひ最後までご覧ください。

朝翠龍の兄について解説

  • 兄は関取の朝紅龍
  • 兄・朝紅龍のプロフィールと得意技
  • 兄弟が育った相撲の原点
  • 母・石崎直美が兄弟に課した特訓
  • 兄弟関取が高砂部屋で歩む道のり
  • 朝紅龍の幕内での戦績と最高位

兄は関取の朝紅龍

朝翠龍という四股名を調べていると、この力士に兄がいるのかどうか、そしてどんな人物なのかというところに興味を持つ人が多いようです。結論から言うと、朝翠龍さんの兄は同じ高砂部屋に所属する関取・朝紅龍さんです。単に同じ部屋の先輩後輩というだけでなく、血のつながった実の兄弟であり、しかもふたりとも関取という立場まで番付を上げているという、角界でもかなり珍しい間柄なんです。

朝翠龍と朝紅龍は実の兄弟

朝翠龍さんの本名は石崎涼馬さん、兄の朝紅龍さんの本名は石崎拓馬さんです。入門当初はふたりとも本名の「石崎」のままで土俵に上がっていましたが、番付を上げていく中でそれぞれ朝翠龍、朝紅龍という四股名を名乗るようになりました。日本相撲協会の公式サイトでも、朝翠龍さんのプロフィールページに「同じ部屋の主な力士」として朝紅龍さんの名前が並んでおり、公式な記録の上でも兄弟であることが確認できます。本名の「石崎」という姓が一致している点も、ふたりが実の兄弟であることを裏づける分かりやすい材料と言えるでしょう。

「兄」というキーワードが生まれた理由

2026年に母親の訃報が報じられたことで、朝翠龍と朝紅龍という兄弟の存在そのものが大きく注目されるようになったという背景があります。悲しい出来事がきっかけではあるものの、それによって多くの人が「朝翠龍の兄はどんな力士なのか」と検索するようになったわけです。もともと角界では兄弟力士自体が珍しく、しかも同じ部屋で番付を競い合っているとなれば、注目度が上がるのも自然な流れと言えそうです。訃報のニュースをきっかけに初めてこの兄弟の存在を知ったという人も、決して少なくないはずです。

ふたりの共通点は大阪府四條畷市出身という点

朝翠龍さんも朝紅龍さんも、出身地は大阪府四條畷市です。関西出身の力士自体は珍しくありませんが、実の兄弟がそろって同じ土地から角界入りし、同じ部屋で切磋琢磨しているケースはそう多くありません。この点も、ふたりが注目される理由のひとつになっています。同じ町で生まれ育ったという地縁の強さも、兄弟の結びつきをより印象的に見せている要素と言えそうです。

兄弟そろって高砂部屋に所属

ふたりが所属するのは、あの元横綱・朝青龍さんを輩出したことでも知られる高砂部屋です。兄の朝紅龍さんが先に入門し、その背中を追うように弟の朝翠龍さんも同じ部屋の門をたたきました。兄弟でありながら同期ではなく、数年の時間差を置いて角界入りしている点も、この兄弟を語るうえで見逃せないポイントです。同じ稽古場で顔を合わせながら番付を競い合う環境は、一般的な兄弟関係とはまた違った緊張感を生んでいるのではないでしょうか。

兄弟関取としてのメディア露出

朝紅龍さんが前頭に定着し、朝翠龍さんも十両で結果を出し始めたことで、ふたりはスポーツ紙などでも「兄弟関取」としてセットで取り上げられる機会が増えました。片方だけでなく兄弟そろって話題になるのは、それぞれが実力で番付を上げてきた証拠でもあります。特に日刊スポーツが報じた母の訃報の記事以降、朝紅龍さんと朝翠龍さんが兄弟であるという事実そのものが広く知られるようになりました。次の見出しからは、兄・朝紅龍さんのプロフィールをより詳しく見ていきます。

参照:日刊スポーツ 兄弟関取の朝紅龍&朝翠龍の母直美さん2月27日に亡くなっていた 悲しみ抱え15日間戦い抜く

兄・朝紅龍のプロフィールと得意技

ここでは兄・朝紅龍さんのプロフィールを詳しく整理していきます。本名や体格、得意技はもちろん、日本相撲協会の力士アンケートに答えた素顔のエピソードまで紹介しますので、人物像をしっかりつかんでもらえるかなと思います。

朝紅龍のプロフィール一覧

まずは基本情報を表にまとめてみます。朝紅龍さんの本名は石崎拓馬さんで、平成10年9月24日生まれの27歳です。身長178.0cm、体重125.0kgという恵まれた体格を武器に、幕内の土俵で戦っています。しこ名の履歴を見ると、入門時は本名の「石崎」を名乗っており、関取に近づくタイミングで「朝紅龍」という四股名に改めたことが分かります。

項目 内容
四股名 朝紅龍(あさこうりゅう)
本名 石崎拓馬
生年月日 平成10年9月24日(27歳)
出身地 大阪府四條畷市
所属部屋 高砂部屋
身長・体重 178.0cm・125.0kg
得意技 押し・右四つ・寄り
最高位 前頭七枚目

得意技は押し・右四つ・寄り

朝紅龍さんの得意技として公式に挙げられているのは押し・右四つ・寄りです。決まり手の傾向を見ると、押し出しが43%と最も多く、下手投げや突き落としも織り交ぜながら勝ちパターンを作っているタイプだと分かります。パワータイプの体格を生かしつつ、四つ相撲の技術も持ち合わせているのが強みと言えそうです。過去6場所の取組では82取組中44勝という成績を残しており、五分以上の勝率を保っている実力派の力士だと評価できます。

力士アンケートに見える素顔

日本相撲協会の力士アンケートによると、朝紅龍さんの趣味はトレーニングで、好きな食べ物はハンバーグ、好きな漫画は「バキ」、好きなテレビ番組は「水曜日のダウンタウン」と答えています。座右の銘は「なんとかなるでしょ」というもので、体格の力強さとは対照的な、どこか肩の力の抜けた人柄がうかがえます。好きな音楽にはAMEFURASSHIやKing Gnu、WILYWNKAといったバンド名が挙がっており、意外にも音楽好きな一面も見えてきます。

相撲界No.1だと思うのは上腕二頭筋

「相撲界で自分がNo.1だと思うこと」という質問に、朝紅龍さんは「上腕二頭筋」と回答しています。趣味のトレーニングにも通じる、体づくりへのこだわりが感じられる回答です。実際に178cm125kgという体格は、上半身の厚みを生かした押し相撲と非常に相性が良いと考えられます。ユーモアを交えた回答からは、実力と自信を兼ね備えた力士らしい一面も垣間見えます。

8歳から相撲を始めたキャリアの原点

朝紅龍さんが相撲を始めたのは8歳のときです。地元・四條畷市で相撲と出会い、その後は着実にステップアップを重ねて関取まで上り詰めました。幼少期の原体験が、現在の前頭七枚目という地位につながっていると考えると、この原点についてもより詳しく知りたくなるところです。この経緯については、後の見出しで母親との関わりも含めて詳しく紹介していきます。

参照:日本相撲協会公式サイト 朝紅龍 琢馬 – 力士プロフィール

兄弟が育った相撲の原点

朝翠龍さんと朝紅龍さんが相撲の世界に入るきっかけとなった出来事は、実は兄弟そろって同じ場所にあります。ここでは、ふたりが相撲と出会った原点を振り返ってみます。

相撲を始めたのは兄が8歳、弟が9歳のとき

公式のアンケートによると、兄の朝紅龍さんは8歳、弟の朝翠龍さんは9歳のときに相撲を始めたと答えています。ほぼ1歳差でそれぞれ相撲の道に足を踏み入れており、兄が先に相撲を経験し、弟がその後を追うという流れが、幼少期からすでにできあがっていたことが分かります。この年齢の近さも、後に兄弟そろって高砂部屋の関取になる伏線だったのかもしれません。

きっかけはわんぱく相撲の悔しい敗戦

ふたりが本格的に相撲へのめり込むきっかけになったのは、兄・朝紅龍さんが小学2年生のときに出場した「わんぱく相撲」の大阪・四條畷市大会でした。未経験のまま初めて参加した大会の1回戦で、あっけなく敗れてしまったそうです。この悔しい経験が、後に家族を巻き込んだ本格的な特訓につながっていきます。たった1回の敗戦が、兄弟ふたりのその後の人生を大きく変えるきっかけになったというのは、なかなか劇的なエピソードです。

小学3年生から四条畷相撲連盟へ

わんぱく相撲での敗戦の翌年、朝紅龍さんは同じ大会で見事優勝を果たします。この結果を見た関係者に誘われる形で、小学3年生から四条畷相撲連盟に入り、本格的に相撲を始めることになりました。そして弟の朝翠龍さんも、兄と同じ道を追いかけるように相撲を続けていったといいます。兄が切り開いた道を弟がそのままなぞる形で、ふたりの相撲人生が本格的にスタートしたわけです。

四條畷市という土地が育んだ兄弟

大阪府四條畷市は、決して相撲の名門地域として全国的に知られているわけではありません。しかし地域の相撲連盟という草の根の環境が、後にふたりの関取を輩出する土台になったと考えると、地元の指導者や仲間の存在も大きかったのではないかと推測できます。兄弟がそれぞれ角界で結果を出している今の姿は、この時期の積み重ねがあってこそと言えそうです。地方の小さな相撲連盟から関取がふたりも育つというのは、決して当たり前の話ではありません。

アマチュア時代に積み重ねた実績

四条畷相撲連盟で本格的に相撲を始めた朝紅龍さんと朝翠龍さんは、その後もそれぞれ着実に実績を積み上げていきました。兄の朝紅龍さんは三段目百枚目格付出、弟の朝翠龍さんは幕下最下位格付出という好待遇での入門を実現しており、これはいずれもアマチュア時代の実績が高く評価された結果です。幼少期のたった1回の敗戦から始まった相撲人生が、ここまでの実績につながっているという事実は、あらためて振り返ると感慨深いものがあります。

兄弟で歩んだ道のりの共通点

兄弟そろって同じわんぱく相撲、同じ四条畷相撲連盟からキャリアをスタートさせている点は、この兄弟の大きな特徴です。幼少期に同じ原体験を共有していることが、後の高砂部屋での兄弟関取という形につながっていると見ることもできるでしょう。この原点を知ることで、ふたりの絆の深さがより実感できるのではないでしょうか。次の見出しでは、この原点にさらに深く関わっていた母親の存在について詳しく見ていきます。

参照:日刊スポーツ 兄弟関取の朝紅龍&朝翠龍の母直美さん2月27日に亡くなっていた 悲しみ抱え15日間戦い抜く

母・石崎直美が兄弟に課した特訓

朝紅龍さんと朝翠龍さんが関取まで上り詰めた背景には、母・石崎直美さんの存在が欠かせません。ここでは、直美さんが兄弟にどのような特訓を課していたのか、そしてどのような形で兄弟を見守り続けたのかを詳しく紹介します。

サンドバッグを購入して自宅で特訓

朝紅龍さんがわんぱく相撲の1回戦で敗れたあと、母の直美さんはサンドバッグを購入し、自宅でタックルのような体当たりの練習を毎日繰り返させたと伝えられています。さらに毎日1300回の腕立て伏せを課すという、かなりハードなメニューだったようです。子ども相手とは思えないほどの本気度が伝わってくるエピソードで、小学生に課すにはかなり厳しい内容だったことがうかがえます。

珍しいのは父ではなく母が指導した点

相撲界では父親が厳しく指導するケースが目立ちますが、石崎家では父ではなく母が兄弟にハードなメニューを課していたという珍しいパターンでした。この特訓の結果、朝紅龍さんは翌年のわんぱく相撲で優勝を果たし、そこから四条畷相撲連盟での本格的な相撲人生が始まりました。母の厳しさが、兄弟それぞれの土台を作ったと言えそうです。

3年前にステージ4のがんが発覚

直美さんの体に異変が見つかったのは、約3年前、朝紅龍さんが新十両を迎えた頃のことでした。がんはすでにステージ4まで進行しており、余命1年と告げられていたといいます。それでも直美さんは、息子たちの相撲人生を最後まで見守り続けました。厳しい宣告を受けながらも表に出さず、兄弟の活躍を陰で支え続けていたことがうかがえます。

2026年2月27日、58歳で息を引き取る

直美さんは、がんが十二指腸から肝臓に転移し、2026年2月27日朝に58歳で亡くなりました。春場所の場所中ではなく場所前というタイミングだったこともあり、朝紅龍さんと朝翠龍さんは大阪・四條畷市の実家に駆けつけ、最期の瞬間に立ち会うことができたそうです。「自分らが家に着いて10分後ぐらいに亡くなった」というエピソードからも、まさにぎりぎりのタイミングだったことが伝わります。

最期の言葉は「涼馬はメンタルが弱いから」

直美さんが最期に残した言葉は、「涼馬(朝翠龍)はメンタルが弱いから、どうにかしておいて」という、弟を案じるものだったと伝えられています。自分の死期が迫る中でも、最後まで息子たちの相撲を気にかけていたという事実は、この兄弟にとって大きな心の支えになっているのではないでしょうか。母の余命1年という宣告から3年近くを乗り越え、朝紅龍さんは新入幕まで果たしています。厳しい特訓と深い愛情が同居していた母子関係だったと言えそうです。

母の言葉が兄弟に与え続ける影響

直美さんが残した「涼馬はメンタルが弱いから、どうにかしておいて」という言葉は、単なる別れの挨拶ではなく、兄・朝紅龍さんに弟を託すメッセージでもあったと考えられます。母がいなくなったあとも、兄が弟の精神面を支えるという役割を自然と引き継いでいるのではないかと感じさせるエピソードです。母の存在は亡くなった今も、兄弟の関係性を支える大きな軸になっているようです。

参照:日刊スポーツ 兄弟関取の朝紅龍&朝翠龍の母直美さん2月27日に亡くなっていた 悲しみ抱え15日間戦い抜く

兄弟関取が高砂部屋で歩む道のり

朝紅龍さんと朝翠龍さんは、同じ高砂部屋という環境の中で、それぞれのペースで番付を駆け上がってきました。ここでは、ふたりが歩んできた道のりと、部屋の中での立ち位置を整理していきます。

高砂部屋は現在4人の関取を擁する

令和8年7月場所時点で、高砂部屋には朝乃山さん、朝白龍さん、朝紅龍さん、朝翠龍さんという4人の関取が所属しています。ひとつの部屋からこれだけの人数の関取が同時に出ているのは、決して当たり前のことではありません。その中に実の兄弟がふたりも含まれているという点は、高砂部屋の層の厚さを象徴しています。

四股名 番付(令和8年7月場所)
朝乃山 東前頭十枚目
朝白龍 東前頭十二枚目
朝紅龍 西前頭十六枚目
朝翠龍 東十両筆頭

先に関取になったのは兄・朝紅龍

先に十両に昇進したのは兄の朝紅龍さんで、令和5年9月場所のことでした。弟の朝翠龍さんが新十両を果たしたのは、それから2年後の令和7年9月場所です。初土俵の時期も含めて、兄が常に一歩先を歩み、弟がその背中を追いかけるという構図がずっと続いています。

新入幕を果たした朝紅龍のスピード感

朝紅龍さんは令和6年11月場所で新入幕を果たしました。初土俵から新入幕までのスピード感は、決して遅いものではありません。幕下・十両と着実に力をつけながら番付を駆け上がり、幕内の土俵に定着しつつある状況です。三段目付出という好待遇からのスタートも、このスピード出世を後押しした要因と考えられます。

弟・朝翠龍も十両で結果を残す

一方の朝翠龍さんも、令和8年7月場所では11勝4敗という好成績を残し、東十両筆頭まで番付を上げています。この調子が続けば、次の場所での新入幕も十分に視野に入ってくる位置にいると言えそうです。兄が切り開いた新入幕への道を、弟もすぐ後ろから追いかけている状況だと言えるでしょう。

同じ部屋で切磋琢磨する意味

同じ部屋に所属していると、稽古場で顔を合わせる機会も多くなります。兄弟でありながらライバルでもあるという関係は、お互いにとって良い刺激になっているはずです。大相撲の規定では、同じ部屋に所属する力士同士は本場所で対戦しないことになっているため、朝紅龍さんと朝翠龍さんが土俵の上で直接ぶつかり合う場面は基本的にありません。その代わり、日々の稽古では兄弟同士で胸を合わせる機会があり、そこで培われた実力が本場所の成績にも反映されていると考えられます。

兄弟がそろって強い部屋であることの意味

高砂部屋のように複数の関取を抱える部屋では、稽古の質そのものが高くなる傾向があります。強い力士同士がぶつかり合うことで、部屋全体の実力の底上げにつながっていると見ることもできるでしょう。朝紅龍さんと朝翠龍さんの兄弟が同じ環境で切磋琢磨できていることは、ふたりにとって決して小さなメリットではなさそうです。次の見出しでは、兄・朝紅龍さんが幕内でどのような戦績を残してきたのかを、より詳しく掘り下げていきます。

参照:日本相撲協会公式サイト 朝翠龍 涼馬 – 力士プロフィール

朝紅龍の幕内での戦績と最高位

ここでは兄・朝紅龍さんの幕内での戦いぶりを、具体的な数字とともに振り返ってみます。新入幕からの歩みを知ることで、朝紅龍さんという力士の実力がより立体的に見えてくるはずです。

新入幕は令和6年11月場所

朝紅龍さんが幕内の土俵に初めて上がったのは令和6年11月場所のことでした。この場所は東前頭十七枚目でのスタートとなり、6勝9敗という成績で終えています。幕内の壁の厚さを実感しながらも、そこから着実に地力をつけていきました。

最高位は前頭七枚目

朝紅龍さんの現在の最高位は前頭七枚目です。令和8年5月場所で自己最高位となる西前頭七枚目まで番付を上げましたが、この場所は3勝4敗8休という結果に終わっています。その後の令和8年7月場所では西前頭十六枚目まで番付を落としつつも、9勝6敗と勝ち越しています。番付の上下を経験しながらも、幕内に踏みとどまり続けている点が評価できます。

生涯戦歴は199勝158敗11休

令和8年7月場所時点での朝紅龍さんの生涯戦歴は199勝158敗11休(32場所)で、そのうち幕内戦歴は72勝70敗8休(10場所)となっています。勝率としてはほぼ五分に近い数字ですが、幕内という厳しい世界で10場所にわたって戦い続けていること自体が、実力の証明と言えそうです。

項目 数値
初土俵 令和三年五月場所(三段目百枚目格付出・7戦全勝で優勝)
新十両 令和五年九月場所
新入幕 令和六年十一月場所
最高位 前頭七枚目
生涯戦歴 199勝158敗11休(32場所)
幕内戦歴 72勝70敗8休(10場所)

決まり手は押し出しが中心

過去6場所の決まり手の傾向を見ると、押し出しが43%と最も多く、下手投げが14%、突き落としが9%と続きます。得意技として挙げられている押し・右四つ・寄りの通り、押し相撲を軸にしながら、状況に応じて四つ相撲や投げ技も使いこなしていることが分かります。単調な力任せの相撲ではなく、引き出しの多さも持ち合わせている点が特徴です。

初土俵は三段目付出でスタート

朝紅龍さんの初土俵は令和3年5月場所で、三段目百枚目格付出という好待遇からのスタートでした。しかもこの場所で7戦全勝を果たし、三段目優勝という鮮烈なデビューを飾っています。アマチュア時代の実績が評価されての格付出であり、もともと将来を期待されていた存在だったことがうかがえます。

幕内と十両を行き来した時期もある

星取表を細かく見ていくと、朝紅龍さんは新入幕後、令和7年1月場所で一時的に十両へ番付を落とした時期もありました。それでも令和7年3月場所で再び幕内に返り咲き、以降は幕内の土俵に定着し続けています。一度落ちても腐らずに戻ってくるこの粘り強さは、母から受け継いだ精神的な強さと重なる部分があるのかもしれません。番付が上下する厳しい世界で戦い続けているという事実そのものが、朝紅龍さんの実力を裏づけています。

参照:日本相撲協会公式サイト 朝紅龍 琢馬 – 力士プロフィール

朝翠龍の兄以外のこと

  • 読み方と四股名の意味
  • プロフィールと経歴
  • 日体大を経て角界入りした背景と理由
  • 朝青龍から続く高砂部屋の系譜
  • 兄弟で幕内土俵入りを目指す今後

読み方と四股名の意味

朝翠龍という漢字を見て、正しく読める人はそれほど多くないかもしれません。ここでは読み方はもちろん、四股名に込められた意味や、高砂部屋ならではの命名の流れについても解説していきます。

朝翠龍の読み方は「あさすいりゅう」

朝翠龍の読み方は「あさすいりゅう」です。「翠」という漢字は普段あまり使う機会がないため、初見で正しく読める人は少ないかもしれません。ちなみに本名は石崎涼馬さんで、「涼馬」を「りょうま」と読みます。四股名と本名の響きがまったく異なるため、両方を知って初めて人物像がつながる力士とも言えそうです。

「翠」は緑色を意味する漢字

「翠」という字には、宝石の翡翠(ひすい)にも使われる、鮮やかな緑色という意味があります。高砂部屋の四股名には色にまつわる漢字を用いる伝統があり、朝翠龍という名前もその流れの中で名付けられたと考えられます。色を表す漢字ひとつひとつに意味があると考えると、四股名選びの奥深さも感じられます。

高砂部屋の「朝○龍」に見る色の系譜

高砂部屋では、元横綱・朝青龍さんを筆頭に「朝○龍」という四股名が代々受け継がれ、○の部分に色を表す漢字が入るという独自の系譜ができあがっています。朝紅龍さんの「紅」は赤系統の色、朝翠龍さんの「翠」は緑系統の色というように、兄弟それぞれに異なる色の漢字が与えられているのも興味深いところです。

四股名 色の意味 備考
朝青龍 元横綱、高砂部屋の伝統を築いた大功労者
朝赤龍 現高砂親方、現役時代は関脇まで昇進
朝紅龍 紅(赤系統) 兄・前頭七枚目
朝翠龍 翠(緑系統) 弟・十両筆頭

朝白龍との混同に注意

同じ高砂部屋には、朝白龍さんという「朝○龍」の四股名を持つ力士も在籍しています。ただし朝白龍さんはモンゴル出身で、本名はラグチャー・ジャミントクトホさんという別の系統の力士です。ネット上では朝紅龍さんの国籍をモンゴルだと勘違いする声も見られますが、朝紅龍さんと朝翠龍さんはあくまで大阪府四條畷市出身の日本人力士であり、モンゴル出身の朝白龍さんとは血縁関係もありません。色の名前を共有する仲間ではあるものの、出自はまったく異なるという点は押さえておきたいポイントです。

四股名の意味を知ると見方が変わる

単なる名前として見ていた「朝翠龍」という四股名も、色の意味や部屋の伝統を知ると、また違った印象で見えてくるのではないでしょうか。兄弟それぞれに違う色が与えられているという事実は、ふたりが別々の個性を持つ力士であることを象徴しているとも言えそうです。読み方と意味を押さえておくと、今後この兄弟の活躍を追うときにも、より深く楽しめるはずです。

読み方を間違えやすい四股名という側面

大相撲の四股名には、朝翠龍さんのように普段見慣れない漢字を使った名前が数多く存在します。初めて見た人が正しく読めないのはある意味当然で、テレビの実況やインターネットの検索を通じて読み方を確認する人が多いのも納得です。朝翠龍の読み方をわざわざ検索する人が増えていること自体が、この四股名の知名度が着実に上がっている証拠とも言えそうです。今後さらに番付を上げていけば、読み方を含めてより多くの人に名前が浸透していくのではないでしょうか。

参照:日刊ゲンダイDIGITAL 高校時代に現横綱豊昇龍と切磋琢磨 朝白龍太郎がプロ入りを叶えた「青」と「赤」との縁

プロフィールと経歴

ここからは記事の後半として、朝翠龍さん本人のプロフィールと、これまでの経歴を詳しく紹介していきます。兄との関係だけでなく、朝翠龍さん自身がどんな力士なのかもしっかり押さえておきましょう。

朝翠龍のプロフィール一覧

本名は石崎涼馬さんで、平成12年8月9日生まれの26歳です。出身地は兄と同じ大阪府四條畷市で、身長174.0cm、体重120.0kgという体格を誇ります。兄よりやや小柄な体格ながら、十両上位まで番付を上げてきた実力派です。

項目 内容
四股名 朝翠龍(あさすいりゅう)
本名 石崎涼馬
生年月日 平成12年8月9日(26歳)
出身地 大阪府四條畷市
所属部屋 高砂部屋
身長・体重 174.0cm・120.0kg
得意技 押し
最高位 十両筆頭

得意技はシンプルに押し

朝翠龍さんの得意技は押しのひと言です。決まり手の傾向を見ると、寄り切りが45%、押し出しが21%となっており、押しだけでなく寄りも織り交ぜた相撲を取っていることが分かります。体格では兄よりもやや小柄ですが、そのぶんスピード感のある取り口が持ち味です。過去6場所では90取組中53勝という成績を残しており、安定して勝ち越しを重ねてきた実績がうかがえます。

初土俵から新十両までのスピード

朝翠龍さんの初土俵は令和6年7月場所で、幕下最下位格付出という形からのスタートでした。この場所を6勝1敗という好成績で終えると、そこから着実に番付を上げ、令和7年9月場所で新十両を果たしています。初土俵からわずか1年ほどのスピード出世と言えるでしょう。

令和8年7月場所は11勝4敗の好成績

直近の令和8年7月場所では、朝翠龍さんは11勝4敗という結果を残し、東十両筆頭という自己最高位に到達しています。十両上位でこれだけの勝ち星を積み重ねていることは、新入幕が現実的な射程に入っていることを示していると考えられます。兄と同じ幕内の土俵に立つ日も、そう遠くないと期待したくなる好成績です。

力士アンケートに見える人柄

力士アンケートによると、朝翠龍さんの趣味は銭湯巡りで、好きな食べ物は焼肉、好きな漫画は「ベルセルク」、好きなテレビ番組は「クレイジージャーニー」と答えています。座右の銘は「継続は力なり」というもので、コツコツと努力を積み重ねてきたこれまでの歩みを象徴しているような言葉です。好きな音楽にはサカナクションの名前が挙がっており、兄とはまた違った趣味の傾向もうかがえます。

座右の銘に表れる兄弟の対照性

兄・朝紅龍さんの座右の銘が「なんとかなるでしょ」という肩の力を抜いた言葉だったのに対し、弟・朝翠龍さんの座右の銘は「継続は力なり」と、地道な努力を重視する言葉になっています。体格やタイプだけでなく、こうした価値観の部分でも兄弟それぞれの個性が表れているのは興味深いところです。母の願いを叶えるために遠回りのルートを選んだ朝翠龍さんらしい、地に足のついた言葉だと感じる人も多いのではないでしょうか。

参照:高砂部屋公式サイト 石崎涼馬|高砂部屋公式サイト

日体大を経て角界入りした背景と理由

朝翠龍さんは、多くの若手力士とは少し違ったルートで角界入りしています。ここでは、その経歴と、角界入りを決意した理由を詳しく見ていきます。

日体大卒業後、社会人を1年経験

朝翠龍さんは日体大を卒業したあと、すぐに角界入りしたわけではなく、社会人を1年経験してから相撲部屋の門をたたきました。高校や大学を出てすぐに入門するケースが多い中で、いったん社会人として働く経験を挟んでいるのは、この力士の経歴の中でも特徴的な部分です。

角界入りの最大の理由は母の願い

朝翠龍さんが角界入りを決めた理由について、本人は「母が大相撲に進むのを望んでいたので、何とか関取になった姿を見せたかった」と明かしています。社会人として別の道を歩む選択肢もあった中で、母の願いを叶えるために角界入りを決意したというエピソードは、この兄弟の物語を語るうえで欠かせないものです。

幕下最下位格付出という優遇スタート

朝翠龍さんの初土俵は幕下最下位格付出という形でした。これは、アマチュア相撲での実績が一定の水準にある選手に与えられる優遇措置で、日体大時代の実績が評価された結果と考えられます。デビュー戦となった令和6年7月場所を6勝1敗で終え、幸先の良いスタートを切りました。

兄弟の初土俵を比較すると

ここで、兄弟それぞれの初土俵の状況を整理してみます。兄・朝紅龍さんは三段目百枚目格付出、弟・朝翠龍さんは幕下最下位格付出と、格付出の位置には差がありますが、どちらもアマチュア時代の実績を評価されての優遇スタートだったという共通点があります。

項目 兄・朝紅龍 弟・朝翠龍
初土俵 令和三年五月場所 令和六年七月場所
格付出区分 三段目百枚目格付出 幕下最下位格付出
初土俵の成績 7戦全勝(三段目優勝) 6勝1敗
新十両 令和五年九月場所 令和七年九月場所

遠回りをしたからこその強い思い

社会人を経験してから角界入りしたという経歴は、一見するとキャリアの遠回りに見えるかもしれません。しかしそのぶん、母の願いを叶えたいという思いはより強いものだったと考えられます。この背景を知ると、朝翠龍さんが土俵の上で見せる粘り強さにも、また違った説得力が感じられるのではないでしょうか。

大学卒業後に入門する経緯と兄との違い

日体大をはじめとする相撲の強豪校を卒業したあと、社会人を経てから角界入りする力士は、実はそれほど珍しいわけではありません。ただし多くの場合は就職活動やケガの回復期間など現実的な事情が理由になることが多く、朝翠龍さんのように「母の願いを叶えたい」という思いを明確な理由として語るケースはあまり多くないように見えます。兄の朝紅龍さんは弟より先に角界入りしているのに対し、弟の朝翠龍さんは日体大進学、卒業、社会人生活を経てから入門という、より時間のかかったルートをたどっています。結果として入門は兄より数年遅れましたが、そのぶん体格や精神面が成熟した状態で角界入りできたとも考えられます。この時間差が、幕下最下位格付出からわずか1年ほどで新十両に到達するというスピード出世を後押しした可能性もありそうです。

参照:日刊スポーツ 兄弟関取の朝紅龍&朝翠龍の母直美さん2月27日に亡くなっていた 悲しみ抱え15日間戦い抜く

朝青龍から続く高砂部屋の系譜

朝紅龍さんと朝翠龍さんの四股名を理解するうえで欠かせないのが、高砂部屋に受け継がれてきた「朝○龍」という系譜です。ここでは、その成り立ちを詳しく解説していきます。

元横綱・朝青龍が築いた土台

高砂部屋の「朝○龍」というしこ名の流れを築いたのは、元横綱・朝青龍さんです。圧倒的な強さで一時代を築いた朝青龍さんの存在が、その後に続く多くの弟子たちの目標となり、部屋の看板となる系譜を生み出しました。

高砂親方(元朝赤龍)へと引き継がれる

朝青龍さんに続いたのが、現在の高砂親方(現役時代の四股名は朝赤龍)です。朝赤龍さんは関脇まで番付を上げた実力者で、引退後は師匠として高砂部屋を継承しました。もともとモンゴル出身でしたが帰化が承認されたことで部屋の継承が可能になり、そのタイミングで外国人枠に空きが生まれたという経緯があります。

空いた外国人枠に入門した朝白龍

朝赤龍さんの帰化と引退によって外国人枠が空いたことで、プロ入りのチャンスをつかんだのがモンゴル出身の朝白龍さんです。朝白龍さんは高校時代、現横綱・豊昇龍さんと同じ道場で切磋琢磨した仲であり、豊昇龍さんとの実力差に苦しみながらも、大学経由でプロ入りの機会を待ち続けたという苦労のエピソードが伝えられています。

朝紅龍・朝翠龍は日本人兄弟の系譜

ここまでの流れを見ると、高砂部屋の「朝○龍」にはモンゴル出身の力士とのつながりが目立ちますが、朝紅龍さんと朝翠龍さんは大阪府四條畷市出身の日本人兄弟という、また違ったルートでこの系譜に加わっている点が特徴的です。師匠である高砂親方から色にちなむ四股名を与えられたという点では共通していますが、出自やプロ入りの経緯はまったく異なります。

系譜が示す高砂部屋の厚み

朝青龍さん、朝赤龍さん(高砂親方)、朝白龍さん、そして朝紅龍さん・朝翠龍さんの兄弟と、色を冠した四股名が世代を超えて受け継がれている事実は、高砂部屋という部屋そのものの伝統と厚みを象徴していると言えそうです。

豊昇龍との関係と色にちなむ四股名のブランド力

朝白龍さんが高校時代に切磋琢磨した現横綱・豊昇龍さんは、モンゴル出身力士の中でも屈指の実力者として知られています。朝白龍さんを介して、朝紅龍さん・朝翠龍さんの兄弟も、間接的に大相撲界の実力者たちとつながる部屋の環境に身を置いているという見方もできるでしょう。同じ部屋の仲間がトップクラスの力士と競い合ってきた経緯を間近で見られることは、兄弟にとっても大きな刺激になっているはずです。また、「朝○龍」という四股名は、高砂部屋の中でも特に注目度の高いブランドとして定着しつつあります。朝青龍さんという大横綱の存在があったからこそ、この系譜には常に一定の注目が集まる土壌ができているとも言えそうです。朝紅龍さん・朝翠龍さんの兄弟も、この伝統ある四股名を受け継ぐ立場として、今後さらに実力をつけていくことが期待されています。次の見出しでは、この兄弟がこれから目指す目標について詳しく見ていきます。

参照:日刊ゲンダイDIGITAL 高校時代に現横綱豊昇龍と切磋琢磨 朝白龍太郎がプロ入りを叶えた「青」と「赤」との縁

兄弟で幕内土俵入りを目指す今後

最後に、朝紅龍さんと朝翠龍さんがこれから目指していく目標について整理していきます。ふたりの言葉からは、母への思いと今後への強い決意がにじみ出ています。

悔やまれるのは兄弟そろっての幕内土俵入り

母・直美さんが亡くなった直後の取材で、弟の朝翠龍さんは「悔やまれるのは、兄弟で幕内土俵入りする姿を見せられなかったこと」と語っています。この言葉には、母が生前ずっと望んでいた光景を実現できなかったことへの強い思いが込められています。

兄・朝紅龍の思い

兄の朝紅龍さんは、母の死を受けて「余命1年と言われていたのに、よく頑張りました。幕内に上がったところも見せられて、よかったです」と話しています。すでに新入幕を果たしていた朝紅龍さんにとって、母に幕内の姿を見せられたことは、大きな救いになったのではないでしょうか。

弟・朝翠龍の決意表明

母を亡くした直後の場所を6勝9敗で終えた朝翠龍さんですが、最後の一番では気力にあふれた相撲で勝利をつかんでいます。取組後には「場所中は(母の死は)気にしないようにしていました。勝ち越すことはできませんでしたので、来場所、幕内を目指して頑張ります」と、前を向く言葉を残しました。天国の母が願い続けていた、兄弟そろっての幕内土俵入りという目標を、1日でも早く実現しようとする強い決意がうかがえます。

他の兄弟関取のケースと比較すると

兄弟そろって上位の番付を目指すという点では、荒汐部屋出身の大波3兄弟のケースも参考になります。長男の若隆元さんは引退していますが、次男の若元春さんは幕内、三男の若隆景さんは小結まで番付を上げ、兄弟そろって幕内の土俵に立った実績があります。この事例を踏まえると、朝紅龍さんと朝翠龍さんが目指す「兄弟同時幕内土俵入り」も、決して不可能な目標ではないと言えそうです。

兄弟の例 状況
大波3兄弟(若隆元・若元春・若隆景) 次男・三男がそろって幕内在位を経験
朝紅龍・朝翠龍兄弟 兄は前頭在位中、弟は十両筆頭で新入幕を目指す段階

令和8年7月場所時点での現在地

令和8年7月場所の時点で、兄・朝紅龍さんは西前頭十六枚目で9勝6敗、弟・朝翠龍さんは東十両筆頭で11勝4敗という成績を残しています。この勢いのまま朝翠龍さんが番付を上げれば、兄弟そろっての幕内在位という目標が現実味を帯びてくるのではないでしょうか。母が最後まで願い続けた光景を実現できる日が来ることを、多くのファンが見守っています。

兄弟の今後を見守る意味

朝紅龍さんと朝翠龍さんの物語は、単なる番付争いにとどまらず、母との約束を果たそうとする兄弟の姿そのものが多くの人の心を動かしています。今後の場所でどちらか、あるいは両方が番付を上げていく過程は、これまで以上に注目を集めていくはずです。四條畷市の実家で母を見送った兄弟が、土俵の上でどんな結果を積み重ねていくのか、これからも見届けていきたいところです。

参照:日刊スポーツ 兄弟関取の朝紅龍&朝翠龍の母直美さん2月27日に亡くなっていた 悲しみ抱え15日間戦い抜く

朝翠龍の兄・朝紅龍のまとめ

  • 朝翠龍の兄は同じ高砂部屋の関取・朝紅龍である
  • 朝翠龍の本名は石崎涼馬、兄・朝紅龍の本名は石崎拓馬という兄弟である
  • 二人とも大阪府四條畷市出身で、地元の相撲経験から角界入りしている
  • 母・石崎直美がサンドバッグと毎日1300回の腕立てを課しており、父ではなく母が指導するという珍しい体制だった
  • きっかけは兄・朝紅龍がわんぱく相撲で1回戦敗退した悔しさから翌年優勝したことにある
  • 母は約3年前にステージ4のがんで余命1年を宣告されながらも、2026年2月27日まで生き抜いた
  • 母の最期の言葉は「涼馬はメンタルが弱いから、どうにかしておいて」という、最後まで弟を案じるものだった
  • 高砂部屋には朝乃山・朝白龍・朝紅龍・朝翠龍と4人の関取が在籍し、部屋の層の厚さを物語っている
  • 兄・朝紅龍は令和3年5月初土俵から令和6年11月新入幕まで着実に番付を上げてきた
  • 弟・朝翠龍は日体大卒業後に社会人を1年経験してから角界入りするという遠回りのキャリアを歩んでいる
  • 朝翠龍は令和6年7月に幕下最下位格付出で初土俵を踏み、その後急速に番付を上げている
  • 高砂部屋の「朝○龍」系譜は青→赤→白→紅→翠と色が受け継がれ、四股名にも部屋の伝統が表れている
  • 朝翠龍という四股名の読み方は「あさすいりゅう」である
  • 角界入りの最大の理由は本人の意志以上に「母が大相撲入りを望んでいたこと」にある
  • 兄弟の悲願は「兄弟での幕内土俵入り」であり、母にその姿を見せられなかった悔いが今も原動力になっている

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