寿之富士の同志社大学時代の実績が気になっている方も多いのではないでしょうか。あわせて寿之富士の読み方や、寿之富士の父がどのような人物なのかも注目されているポイントです。さらに寿之富士は白鵬に似てるとSNSで話題になり、両者が親戚なのではという声も広がっています。
本記事では、同志社大学出身の寿之富士という力士のプロフィールから、伊勢ヶ濱部屋を築いた旭富士との関係まで詳しく解説します。父から受け継いだ相撲の血筋や白鵬との深い縁が気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。
目次
寿之富士の同志社大学時代と力士プロフィールを解説
- 読み方と四股名の由来
- 力士プロフィール
- 同志社大学での戦績
- 大学から角界入りした経緯
- 十両昇進までの快進撃
- 白鵬が似てると言われる理由
読み方と四股名の由来
<番付発表>
本日、九月場所の番付が発表され、幕内に昇進した伊勢ヶ濱部屋の寿之富士が会見を行いました。
九月場所の目標について聞かれると、「二桁以上を目指したい」と意気込みました。#sumo #相撲 #九月場所 pic.twitter.com/JI1PkstNsF— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) August 31, 2026
「寿之富士」という力士名、見慣れない漢字の並びに読み方で迷ってしまう人も多いのではないでしょうか。まずは正しい読み方から、改名の経緯まで整理していきますね。
寿之富士の正しい読み方
寿之富士は「としのふじ」と読みます。「寿」を「とし」と読むのは一般的な訓読みとは少し違うので、初めて目にした人は「ことぶきのふじ」や「じゅのふじ」と読んでしまうこともあるかもしれません。日本相撲協会の公式サイトでもふりがな付きで「寿之富士 大聖(としのふじ たいせい)」と表記されており、これが正式な読み方です。「大聖」の部分は本名ではなく四股名の下の名前にあたる部分で、力士としての正式なフルネームは「寿之富士 大聖」となります。
四股名「聖白鵬」から「寿之富士」への改名
実は寿之富士は、最初からこの四股名だったわけではありません。初土俵から新十両昇進の直前までは「聖白鵬」という四股名を名乗っていました。この四股名には、後述する白鵬との深い縁が関係しています。ところが2026年1月場所から四股名を「寿之富士」へと改名しました。場所中に改名した直後の番付編成会議で新十両昇進が正式決定しています。改名の流れを整理すると次のようになります。
| 時期 | 四股名 |
|---|---|
| 初土俵〜2025年 | 聖白鵬 |
| 2026年1月場所以降 | 寿之富士 |
改名の理由は部屋の兄弟子との重複
改名の理由について、師匠である伊勢ヶ濱親方(元横綱・照ノ富士)は「聖をしこ名に入れたかったが、部屋に聖富士がおり、2人で話し合った」と説明しています。つまり、本人としては「聖」の字を残したい思いがあったものの、同じ伊勢ヶ濱部屋に「聖富士」という力士がすでに在籍していたため、紛らわしさを避けて新たな四股名に落ち着いたということですね。角界では同じ部屋、あるいは同じ協会内で紛らわしい四股名が重ならないよう配慮されることが多く、今回もそうした事情が背景にあったと考えられます。
本人の言葉に見える戸惑いと決意
本人は改名直後の場所中、「まだ慣れない」と苦笑いを浮かべていたと報じられています。長年慣れ親しんだ四股名を手放すのは、力士にとって簡単なことではありません。それでも初日から4連勝と好スタートを切り、新しい四股名とともに気持ちを切り替えて土俵に上がっている様子がうかがえます。「寿之富士」という新しい名前で改めて番付を駆け上がっていく姿は、これからも注目したいポイントです。
本名との違いを整理
ちなみに寿之富士の本名はウスフバヤル・デミデジャムツというモンゴル人らしい名前です。四股名の「聖白鵬」「寿之富士」はどちらも角界に入ってから名乗るようになったもので、本名とは直接の由来関係はありません。名前の変遷を整理すると、モンゴルでの本名(ウスフバヤル・デミデジャムツ)→角界入り後の四股名「聖白鵬」→新十両昇進を機に「寿之富士」、という流れになります。
参照:スポーツ報知 新十両にモンゴル出身の寿之富士 父はモンゴル相撲の横綱 「来場所は2ケタ勝ちたい」…番付編成会議
力士プロフィール
大相撲の力士としてどんなプロフィールを持っているのか、日本相撲協会の公式サイトの情報をもとに整理してみます。基本データを押さえておくと、これから紹介するエピソードもより理解しやすくなりますよ。
寿之富士の基本プロフィール一覧
まずは基本情報を表でまとめました。身長195.0cm、体重151.0kgという恵まれた体格を持つ力士です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 寿之富士 大聖(としのふじ たいせい) |
| 本名 | ウスフバヤル・デミデジャムツ |
| しこ名履歴 | 聖白鵬 → 寿之富士 |
| 生年月日 | 2000年8月24日(25歳) |
| 出身地 | モンゴル・ウランバートル |
| 所属部屋 | 伊勢ヶ濱部屋 |
| 身長 | 195.0cm |
| 体重 | 151.0kg |
| 得意技 | 右四つ・寄り・上手投げ |
| 初土俵 | 2024年3月場所 |
| 新十両 | 2026年3月場所 |
| 最高位 | 十両4枚目 |
体格と得意技
身長195.0cm、体重151.0kgという恵まれた体格を持つ寿之富士。得意技は右四つから寄り、そして上手投げです。決まり手の傾向を見ると、直近の取組では寄り切りが36%と最も多く、次いで押し出しが11%、上手出し投げが9%となっています。力で押し込むだけでなく、上手を取った投げ技も持ち合わせているのが特徴と言えそうです。195cmという長身は現在の幕内・十両陣の中でも上位クラスの高さで、リーチを生かした相撲を得意としています。151kgという体重も加わり、まわしを取ってしまえば簡単には土俵を割らない安定感のある相撲を取れる点も強みと言えるでしょう。
入門から現在までの番付の歩み
初土俵は2024年3月場所。そこからおよそ2年というスピードで十両に到達しています。生涯戦歴は84勝38敗(15場所)と、負け越しよりも勝ち越しの場所の方が圧倒的に多く、着実に番付を上げてきたことが数字にも表れています。幕内経験はまだありませんが、十両でも安定した成績を残しており、上位進出への期待が高まっている状況です。
力士アンケートに見える素顔
日本相撲協会公式サイトの力士アンケートでは、素顔をうかがわせる回答も掲載されています。好きな食べ物はラーメンと肉、趣味はバスケ観戦や相撲観戦、好きな音楽はブルーノ・マーズ、好きな漫画はワンピースなど、25歳らしい親しみやすい一面が並びます。座右の銘は「勝ち越し」というシンプルながらも力士らしい言葉を挙げているのも印象的ですね。
プロフィールから見える人物像
こうして見ると、寿之富士は体格に恵まれながらも、大学時代からの努力を土台にコツコツと番付を上げてきたタイプの力士だと分かります。座右の銘に「勝ち越し」を挙げているあたりにも、一場所一場所を大切にする堅実な姿勢がにじみ出ていますよね。今後、十両上位から幕内へとどこまで駆け上がっていくのか、注目していきたいところです。趣味や好きな食べ物といった素顔の情報も含めて、力士としての実績と人柄の両方に注目が集まっているのが寿之富士という力士の魅力と言えるでしょう。
参照:日本相撲協会公式サイト 寿之富士 大聖 力士プロフィール
同志社大学での戦績
寿之富士と検索すると必ずと言っていいほど同志社大学というワードが並びます。実際、大学時代の実績がどれほどのものだったのか、詳しく見ていきましょう。
鳥取城北高校からモンゴルの夢を追って同志社へ
寿之富士はモンゴル出身で、幼い頃から相撲選手になりたいという夢を抱いていたと伝えられています。その夢を叶えるため、相撲留学生として日本の鳥取城北高等学校に留学しました。鳥取城北高校は相撲の強豪校として知られ、多くのモンゴル出身力士を輩出してきた学校でもあります。高校卒業後は、ご縁があって同志社大学を志し、神学部へ進学しました。モンゴルから単身で来日し、言葉も文化も異なる環境で相撲に打ち込んできたという経歴は、寿之富士の芯の強さを裏付けるエピソードのひとつです。
神学部で学びながら相撲部で活躍
寿之富士が所属していたのは、体育系の学部ではなく神学部です。学業と競技を両立しながら、体育会相撲部で実績を積み上げていきました。神学部でしっかりと学業を修めたうえで、2023年に卒業しています。文武両道を実践してきた点は、寿之富士という力士の芯の強さを物語るエピソードのひとつと言えそうです。専門学部での学びに励みながら、全国レベルの大会で結果を出し続けたというのは、生半可な努力では成し遂げられないことですよね。
大学選抜金沢大会で個人優勝
在学中の実績として特に目を引くのが、全国の大学から選ばれた16校が参加する大学選抜金沢大会での個人優勝です。全国レベルの大会で頂点に立ったという実績は、寿之富士の実力の高さを裏付けるものです。この大会での優勝が、その後の角界入りへの大きな自信になったことは間違いないでしょう。
西日本選手権や大学選手権でも上位進出
個人戦だけでなく、他の大会でも安定した成績を残しています。西日本選手権では2年連続で個人3位という結果を残し、団体戦でも大学選手権で団体3位に入賞しました。単発の好成績ではなく、複数の大会で継続して上位に食い込んでいた点が、大学時代の寿之富士の強さを示しています。以下に大学時代の主な実績をまとめました。
| 大会名 | 成績 |
|---|---|
| 大学選抜金沢大会(16校参加) | 個人優勝 |
| 西日本選手権 | 個人3位(2年連続) |
| 大学選手権 | 団体3位 |
29年ぶりとなる同志社出身の関取誕生
寿之富士が十両に昇進したことで、同志社大学出身の関取は1997年5月場所の斎藤先輩(大碇)以来、実に29年ぶりの快挙となりました。長い年月を経て再び関取を輩出したことは、同志社大学相撲部やOB会にとっても大きな喜びだったようです。相撲部OB会をはじめ大阪同志社クラブや校友会など、オール同志社の関係者70余名からの寄付によって化粧まわしが作成されたというエピソードからも、その喜びの大きさが伝わってきますね。
参照:同志社スポーツユニオン 【相撲部】寿之富士(としのふじ)関/ウスフバヤル・デミデジャムツ(2023年神卒)躍進!
大学から角界入りした経緯
大学で華々しい実績を残した寿之富士が、どのようにしてプロの角界へ足を踏み入れたのか、その経緯を詳しく見ていきますね。
同志社大学卒業後にプロの世界へ
寿之富士は2023年に同志社大学神学部を卒業した後、大学相撲で積み上げてきた実績を引っさげて角界入りを果たしました。大学生活で個人優勝という結果を出していたこともあり、周囲からの期待も大きかったのではないでしょうか。角界入りにあたっては、大学のアマチュア相撲とはまったく異なるプロの世界に飛び込むことになるため、相応の覚悟が必要だったはずです。卒業と同時にプロ入りするのではなく、相撲留学生としての歩みを経て自然な流れで角界を目指した点も、寿之富士らしい経歴と言えるでしょう。
最初の所属は宮城野部屋だった
実は寿之富士は、現在の伊勢ヶ濱部屋に最初から所属していたわけではありません。2024年3月場所で初土俵を踏んだ際は、当時の宮城野部屋に所属していたことが報じられています。その後、所属先が伊勢ヶ濱部屋へと変わり、現在に至っています。角界では部屋の事情によって所属が変わるケースもあり、寿之富士もそうした変遷を経験したひとりということになります。所属先が変わったこと自体は珍しいことではなく、結果的に現在の伊勢ヶ濱部屋の指導環境が寿之富士の成長を後押しすることになったとも言えそうです。
大学卒業組ならではのスタートライン
大学相撲出身の力士は、高校卒業後すぐに角界入りする力士と比べて年齢がやや高くなる分、序ノ口からのスタートでも番付を駆け上がるスピードが速いことが多いと言われています。寿之富士も例外ではなく、初土俵からおよそ2年というスピードで十両まで到達しました。大学時代に鍛えた基礎体力と実戦経験が、プロ入り後の急成長を支えたと考えられます。高校・大学とアマチュア相撲で積み重ねてきたキャリアが、プロの世界でも無駄にならなかった好例と言えるでしょう。
角界入りの背景にあった夢と覚悟
モンゴルから相撲留学生として来日し、高校、大学と着実にステップアップしてきた寿之富士にとって、角界入りは幼少期からの夢の実現だったはずです。幼い頃から相撲選手になりたいという夢を持ち、その夢を一歩ずつ現実にしてきた歩みは、多くの相撲ファンの共感を呼んでいます。大学卒業という一区切りを経てなお、プロの厳しい世界に飛び込む決断をしたことからも、並々ならぬ覚悟が感じられますね。
大学相撲出身力士としての強み
大学相撲出身者の強みは、実戦経験の豊富さと精神的な成熟度にあるとよく言われます。寿之富士の場合も、大学選抜大会での優勝経験や、格上相手との対戦経験が、プロ入り後の落ち着いた相撲につながっているのかもしれません。学生時代に培った技術と経験が、角界での早い出世を後押ししていると見て良さそうです。
参照:スポーツ報知 新十両にモンゴル出身の寿之富士 父はモンゴル相撲の横綱 「来場所は2ケタ勝ちたい」…番付編成会議
十両昇進までの快進撃
初土俵からわずか2年ほどで十両まで駆け上がった寿之富士。その番付の歩みを、場所ごとに振り返ってみましょう。
序ノ口から幕下までのスピード出世
2024年3月場所で初土俵を踏んだ寿之富士は、翌5月場所の序ノ口で6勝1敗という好成績でスタートを切りました。続く7月場所の序二段では7戦全勝で序二段優勝を果たすなど、下位番付を圧倒的な強さで駆け抜けています。9月場所の三段目でも6勝1敗と勝ち越しを重ね、わずか半年ほどで幕下まで到達するというハイペースぶりでした。大学時代に鍛えた基礎体力があったからこそ、下位番付をこれほど短期間で通過できたと言えそうです。
幕下時代の足踏みと巻き返し
2024年11月場所で幕下に昇進すると、序盤は5勝2敗と好調でしたが、2025年1月場所では2勝5敗と初めての負け越しを経験します。それでもここで崩れることなく、3月場所は5勝2敗、5月場所は4勝3敗、7月場所は5勝2敗、9月場所も5勝2敗と、コンスタントに勝ち越しを積み重ねる粘り強さを見せました。1つの負け越しで流れを崩さなかった点は、精神的な強さの表れとも言えそうです。幕下は角界でも競争が特に激しい階級と言われており、そこで1年以上安定した成績を残し続けたことは、地力の高さを示す何よりの証拠でしょう。
新十両昇進が決定した瞬間
2025年11月場所で4勝3敗と勝ち越すと、2026年1月場所は西幕下2枚目まで番付を上げ、5勝2敗という好成績を残しました。この結果を受けて、2026年1月28日の番付編成会議で新十両昇進が正式に決定します。本人は「2年以内で上がるのが目標だったので良かった」とコメントしており、自身が掲げていた目標をきっちり達成する形での関取昇進となりました。
十両昇進後も勝ち越しを継続
新十両となった2026年3月場所では、十両11枚目で10勝5敗という見事な成績を収め、続く5月場所も9勝6敗と勝ち越しを継続。直近の7月場所では十両4枚目まで番付を上げ、11勝4敗という好成績を記録しています。関取昇進後も一度も負け越すことなく番付を上げ続けているのは、地力の高さを示すデータと言えるでしょう。関取になった途端に苦戦する力士も少なくない中で、むしろ勝ち星のペースを上げている点は特筆すべきポイントです。
番付の歩みを一覧で振り返る
ここまでの流れを表で整理してみます。
| 場所 | 番付 | 成績 |
|---|---|---|
| 2024年5月場所 | 序ノ口 | 6勝1敗 |
| 2024年7月場所 | 序二段 | 7勝0敗(優勝) |
| 2024年9月場所 | 三段目 | 6勝1敗 |
| 2025年1月場所 | 幕下 | 2勝5敗 |
| 2026年1月場所 | 幕下2枚目 | 5勝2敗(十両昇進決定) |
| 2026年3月場所 | 十両11枚目 | 10勝5敗 |
| 2026年7月場所 | 十両4枚目 | 11勝4敗 |
こうして並べてみると、負け越しは幕下時代の1度きりで、あとはすべて勝ち越しという圧倒的な安定感が見えてきます。
参照:日本相撲協会公式サイト 寿之富士 大聖 力士プロフィール
白鵬が似てると言われる理由
寿之富士は白鵬に似てるとよく言われますが、そこにははっきりとした理由があります。ここではファンの間で話題になった経緯を詳しく紹介しますね。
新十両昇進のニュースで沸いたファンの声
2026年1月28日、寿之富士の新十両昇進が発表されると、SNS上では「白鵬にそっくり」「既視感がすごい」という声が続々と投稿されました。「まじで聖白鵬が白鵬そっくりでビビる。体格も瓜二つなのすごい」「本当にどこから見ても元師匠の白鵬が若かった頃にソックリの見た目」といった投稿が相次ぎ、話題性の高いニュースとして拡散されたようです。日本相撲協会の公式アカウントが写真付きで新十両を発表したことも、この反響の大きさに拍車をかけたと言えるでしょう。
元の四股名「聖白鵬」に込められた縁
寿之富士が似ていると言われる大きな理由のひとつが、かつて名乗っていた四股名「聖白鵬」そのものです。この四股名には白鵬の一字がそのまま使われており、名前を見ただけで白鵬とのつながりを連想する人が多かったのも自然な流れでしょう。四股名に相手の名前を一字取り込むということは、それだけ深い縁がある証拠とも言えます。角界では、師匠や恩人の名前の一字を四股名に取り入れることが珍しくなく、寿之富士のケースもそうした伝統的な慣習に沿ったものだったと考えられます。
体格や顔つきがそっくりという指摘
四股名だけでなく、見た目そのものが似ているという声も多く見られます。寿之富士は同じモンゴル出身で、体型や顔つきが白鵬に近いことから、初土俵を踏んだ2024年頃から「白鵬2世」と呼ばれることもあったそうです。身長195cmという恵まれた体格も、かつての白鵬の堂々とした立ち姿を彷彿とさせる要素のひとつなのかもしれません。土俵入りの所作や取組中の表情に、どことなく白鵬を思わせる雰囲気があると感じるファンも多いようです。
白鵬引退相撲での特別な役割
2023年に行われた白鵬の引退相撲では、寿之富士が最後の相手役を務めたと伝えられています。数ある弟子や関係者の中から最後の相手として選ばれたということは、それだけ白鵬との間に特別な信頼関係があったことの表れでしょう。この出来事も、両者の結びつきを象徴するエピソードとしてファンの間で語り継がれています。引退相撲という大舞台で大役を任されたことは、当時まだ角界に入ったばかりだった寿之富士にとっても、大きな経験になったはずです。
似ていると言われることへの本人の受け止め方
本人が似ていると言われることについて直接コメントした報道は多くありませんが、四股名を「聖白鵬」から「寿之富士」へと改めたタイミングでもあり、自分自身の力士としての個性を新たに築いていこうとしている段階にあるとも考えられます。白鵬との縁は大切にしつつ、これからは寿之富士自身の相撲で評価されていく姿を見せてほしいところですね。似ているという話題性を追い風にしつつ、実力でも注目を集める力士へと成長していく姿に期待したいものです。
参照:THE ANSWER 飛び込んだ大相撲の発表に歓喜「きゃー!!!」 ”既視感”抱く声も続々「そっくりでビビる」
寿之富士と白鵬の関係・伊勢ヶ濱部屋での成長について
- 白鵬は親戚なのか
- 父はモンゴル相撲の横綱
- 旭富士の関係を解説
- 伊勢ヶ濱部屋での成長
- 幕内昇進への展望
白鵬は親戚なのか
似ていると言われることに加えて、「実は親戚なのでは」という疑問を持つ人も少なくないようです。ここでは、その真相について整理していきますね。
検索される背景には四股名の影響
寿之富士は白鵬と親戚なのかというキーワードが検索される背景には、やはりかつての四股名「聖白鵬」の存在が大きいと考えられます。四股名に白鵬の一字が使われていたこと、そして見た目が似ていることから、血のつながりがあるのではと想像した人が多かったのでしょう。SNSでの拡散もこの疑問を広げる一因になったようです。日本の芸能界やスポーツ界でも、名前や見た目が似ているだけで親戚と噂されるケースは珍しくなく、寿之富士のケースもそうした典型例のひとつと言えそうです。
結論、血縁関係にあるわけではない
調べてみると、寿之富士と白鵬に血縁関係があるという事実は確認されていません。両者は同じモンゴル出身ではありますが、いとこや親子といった親族関係にあるわけではなく、あくまで別々の家系に生まれた人物同士です。四股名の一致や見た目の類似から親戚だと誤解されやすいものの、実際には血のつながりはないというのが正確なところです。断定的な報道がない以上、血縁関係を裏付ける情報は見当たらないというのが現時点での正確な理解と言えるでしょう。
縁の正体は父同士の関係
では、なぜここまで深い縁があるのかというと、その理由は寿之富士の父がモンゴル相撲の横綱であり、白鵬と個人的な親交があったためだとされています。血縁ではなく、父の世代から続くモンゴル相撲界での人間関係が、寿之富士と白鵬をつないできたというわけですね。モンゴル出身の力士やモンゴル相撲の実力者同士は、国を越えて強いつながりを持つケースが多く、寿之富士の家族と白鵬の関係もそうした背景の中で育まれてきたと考えられます。
来日サポートという形で続いた交流
父と白鵬の親交は、単なる知り合い程度のものではなかったようです。父がモンゴル相撲の横綱だった縁から親交があり、寿之富士の来日もサポートしたと伝えられており、モンゴルと日本を結ぶ人的なつながりの中で、深い信頼関係が築かれていたことがうかがえます。こうした父の代からの縁があったからこそ、寿之富士が角界入りする際にも自然な形で白鵬との関係が続き、四股名にもその名残が反映されたのでしょう。
親戚と誤解されやすい理由を整理
ここまでの内容を整理すると、親戚と誤解されやすい理由は次の3点にまとめられます。
| 誤解の要因 | 実際の背景 |
|---|---|
| 四股名「聖白鵬」 | 父と白鵬の親交にちなんで名付けられた |
| 体格・顔つきの類似 | 同じモンゴル出身であることによる印象 |
| 引退相撲での特別な役割 | 個人的な信頼関係の証 |
いずれも血縁関係を示すものではなく、父の世代から続く人間関係の深さが背景にあると理解しておくと分かりやすいですね。
参照:THE ANSWER 飛び込んだ大相撲の発表に歓喜「きゃー!!!」 ”既視感”抱く声も続々「そっくりでビビる」
父はモンゴル相撲の横綱
寿之富士の父について検索する人が多いのも納得できるほど、寿之富士の父はモンゴルで非常に名の知れた人物です。ここではその詳細を見ていきましょう。
モンゴル相撲とはどんな競技か
モンゴル相撲(ブフ)は、モンゴルの伝統的な格闘技で、日本の大相撲とはルールや作法が異なるものの、組み合って相手を倒すという点では共通する部分も多い競技です。モンゴルでは国民的なスポーツとして親しまれており、強豪力士は国を代表するヒーローとして扱われます。横綱の称号もあり、モンゴル相撲界の頂点に立つことは大変な名誉とされています。
父はモンゴル相撲界で敬愛される横綱
寿之富士の父は、まさにこのモンゴル相撲の横綱を務めた人物です。モンゴル国内では有名であり、かつ敬愛されている存在だと伝えられています。日本の大相撲でいえば、まさにトップクラスの実力者だったということになりますね。こうした父の存在は、寿之富士が角界を志すうえで大きな影響を与えたと考えられます。幼い頃から父の背中を見て育った環境が、相撲選手になりたいという夢を自然に育んでいったのかもしれません。
曽祖父もまたモンゴル相撲の横綱だった
さらに驚くべきことに、寿之富士の曽祖父もまたモンゴル相撲の横綱だったと伝えられています。つまり、父だけでなく曽祖父の代からモンゴル相撲界のトップに立ってきた家系ということになります。二代にわたって横綱を輩出してきた家系というのは、モンゴルの中でも非常に珍しく、名門と呼ぶにふさわしい血筋と言えそうです。整理すると次のようになります。
| 続柄 | 実績 |
|---|---|
| 父 | モンゴル相撲の横綱 |
| 曽祖父 | モンゴル相撲の横綱 |
| 本人(寿之富士) | 大相撲 十両4枚目 |
一族に流れる相撲の血
父も曽祖父もモンゴル相撲の頂点を極めた人物であることを踏まえると、寿之富士が生まれながらにして恵まれた環境と実績のもとで育ったことがよく分かります。幼い頃から相撲選手になりたいという夢を抱いていたのも、こうした家系の影響が大きかったのではないでしょうか。一族に受け継がれてきた相撲の血が、寿之富士という力士の土台になっているのは間違いなさそうです。モンゴル相撲と日本の大相撲は競技としては異なりますが、組み合って相手を制する感覚という点では共通しており、幼少期からの土台作りに一役買ったと考えられます。
父の存在が寿之富士に与えた影響
父はモンゴル相撲の元横綱として、来日する機会もあったようです。伊勢ヶ濱親方(元横綱・照ノ富士)の断髪式のために来日していたことも報じられており、日本の角界とも一定の接点を持ち続けていたことがうかがえます。寿之富士自身も「お父さんを超えるのは多分無理。でも目標ではあります」とコメントしており、父の存在が今も大きな目標として本人の中に息づいていることが伝わってきますね。
参照:同志社スポーツユニオン 【相撲部】寿之富士(としのふじ)関/ウスフバヤル・デミデジャムツ(2023年神卒)躍進!
旭富士の関係を解説
寿之富士と旭富士の関係を調べる人も見られますが、これは血縁関係ではなく、所属部屋の歴史に関わる話です。詳しく見ていきましょう。
なぜ「旭富士」というキーワードが検索されるのか
寿之富士と旭富士、どちらも「富士」がつく四股名であることから、名前の響きが似ていて混同してしまう人も多いようです。角界では、同じ部屋や系統の力士に共通の文字を四股名に入れる慣習があり、「富士」がつく力士が伊勢ヶ濱部屋に多いのもこの慣習によるものです。また、寿之富士が所属する伊勢ヶ濱部屋の歴史をたどると、旭富士という人物が深く関わっていることも、このキーワードが検索される理由のひとつと考えられます。血縁を疑って検索する人がいる一方で、部屋の系譜を知りたくて検索している人も多いはずです。
旭富士は伝説的な第63代横綱
旭富士は、かつて大相撲で活躍した第63代横綱です。現役時代は数々の実績を残し、引退後は年寄(親方)として角界に残りました。相撲ファンの間では、力強い取り口と堂々とした横綱相撲で知られる名力士のひとりとして記憶されています。長く角界の第一線で活躍した実績から、指導者としても高い評価を受けてきた人物です。
旭富士が築き上げた伊勢ヶ濱部屋
旭富士は引退後、伊勢ヶ濱の名跡を継承し、伊勢ヶ濱部屋を築き上げた人物とされています。多くの弟子を育て、部屋を角界屈指の名門へと成長させてきました。中でも、後に第73代横綱となる照ノ富士を大関、そして横綱へと導いたことは、旭富士親方の指導者としての手腕を示す代表的な実績と言えるでしょう。厳しい稽古と丁寧な指導で知られ、数々の関取を輩出してきた部屋として、角界の中でも一目置かれる存在になっています。
照ノ富士への部屋の継承
旭富士が年寄としての定年を迎えたことに伴い、伊勢ヶ濱部屋は弟子である照ノ富士(現・伊勢ヶ濱親方)へと引き継がれました。師匠から弟子へと部屋の名跡と伝統がバトンタッチされた形です。現在の伊勢ヶ濱部屋は、旭富士が築いた土台の上に、照ノ富士が新たな歴史を積み重ねている段階にあると言えそうです。角界では、こうした師匠から弟子への名跡継承が珍しくなく、伝統と指導方針が世代を超えて受け継がれていく仕組みになっています。
寿之富士は旭富士の系譜に連なる力士
寿之富士は、この旭富士から照ノ富士へと受け継がれてきた伊勢ヶ濱部屋に所属する力士です。つまり、旭富士との関係は血縁ではなく、部屋の歴史・系譜という意味でのつながりということになります。名門部屋の伝統を受け継ぎながら育っている点は、寿之富士の今後の成長を考えるうえでも見逃せないポイントですね。旭富士が築き、照ノ富士が発展させてきた伊勢ヶ濱部屋の稽古環境の中で育った力士だと考えると、寿之富士の急成長にも納得がいくのではないでしょうか。
参照:日本相撲協会公式サイト 寿之富士 大聖 力士プロフィール
伊勢ヶ濱部屋での成長
現在の寿之富士を語るうえで欠かせないのが、所属する伊勢ヶ濱部屋での日々の稽古や環境です。どのように成長を遂げてきたのか見ていきますね。
宮城野部屋から伊勢ヶ濱部屋への所属変更
前述の通り、寿之富士は2024年の初土俵の時点では当時の宮城野部屋に所属していました。その後、所属先が伊勢ヶ濱部屋へと変わり、現在に至っています。角界では部屋の事情によって力士の所属が変わることがあり、寿之富士もそうした変遷を経て、現在の環境で稽古に励んでいます。所属先が変わるという大きな環境の変化を乗り越えながらも番付を上げ続けてきた点は、本人の適応力の高さを物語っているようにも見えます。
部屋を率いる伊勢ヶ濱親方(照ノ富士)の指導
現在の伊勢ヶ濱部屋を率いるのは、元横綱・照ノ富士である伊勢ヶ濱親方です。照ノ富士自身、大関から一度序二段近くまで番付を落としながらも横綱まで上り詰めたという、角界でも異例の復活劇を果たした人物として知られています。そうした経験を持つ親方のもとで稽古をつけてもらえる環境は、寿之富士にとって大きな財産と言えるでしょう。挫折を乗り越えて頂点まで上り詰めた師匠の背中を間近で見られることは、技術面だけでなく精神面でも大きな学びになっているはずです。
「筋トレを重視」した稽古が昇進の原動力に
寿之富士自身、新十両昇進の際に「親方が教えてくれた筋トレを重視して、そのおかげ」とコメントしています。伝統的な相撲の稽古に加えて、筋力トレーニングを重視する指導方針が、寿之富士の急成長を支えた要因のひとつだったことがうかがえます。現代の大相撲では、こうした科学的なトレーニングを取り入れる部屋も増えており、伊勢ヶ濱部屋もその一例と言えそうです。本人が自ら理由として挙げるほど、この指導方針への信頼と実感があったことがよく伝わってきますね。
同部屋には実力者が揃う
伊勢ヶ濱部屋には、寿之富士のほかにも実力派の力士が数多く在籍しています。角界屈指の実力派部屋で、幕内・十両に多くの関取を送り出しています。
| 番付 | 四股名 |
|---|---|
| 関脇 | 熱海富士 |
| 小結 | 義ノ富士 |
| 前頭 | 伯乃富士 |
| 前頭 | 錦富士 |
| 前頭 | 尊富士 |
| 十両 | 翠富士 |
| 十両 | 炎鵬 |
こうした強い兄弟子たちと日々稽古を重ねられる環境は、寿之富士のさらなる成長にとって大きなプラスになっているはずです。
部屋の環境が寿之富士に与えたもの
部屋継承から誕生した初の関取が寿之富士だったことも、大きな意味を持っています。照ノ富士親方は「自分の代でさらに発展させる、その第一歩」と語っており、寿之富士の昇進は伊勢ヶ濱部屋にとっても記念すべき出来事だったことが分かります。実力者揃いの環境で切磋琢磨しながら、これからも寿之富士の成長は続いていきそうです。
参照:デイリースポーツ online 同志社大出の寿之富士 十両昇進「親方が教えてくれた筋トレのおかげ」 父はモンゴル相撲元横綱
幕内昇進への展望
関取として順調にキャリアを重ねている寿之富士ですが、次に気になるのはやはり幕内昇進のタイミングですよね。ここまでの成績をもとに展望を整理してみます。
直近の成績から見える勢い
寿之富士は新十両となった2026年3月場所以降、3場所連続で勝ち越しを継続しています。3月場所は10勝5敗、5月場所は9勝6敗、そして直近の7月場所では十両4枚目で11勝4敗という好成績を残しました。十両上位でこれだけ安定して勝ち星を積み重ねている力士は決して多くなく、幕内昇進が現実的な射程圏内に入ってきていると言えそうです。三場所連続で二桁近い白星を挙げている点は、地力の高さを裏付ける数字と言えるでしょう。
幕内昇進に必要な条件
大相撲では、十両上位で好成績を続けることで幕内昇進の可能性が高まります。一般的には十両上位(筆頭〜3枚目あたり)で勝ち越すことが幕内昇進の目安とされており、7月場所の時点で十両4枚目まで番付を上げている寿之富士は、まさにそのボーダーライン付近に位置しています。次の9月場所で好成績を残せば、幕内昇進の発表があってもおかしくない状況です。直近の勝ち星のペースを維持できれば、次の番付編成会議で朗報が届く可能性も十分にあります。
名古屋場所での活躍が示す好位置
7月場所の名古屋場所では、時疾風を相手に「よりきり」で勝利するなど、着実に白星を積み重ねました。同志社大学の学長も応援に駆けつけ、化粧まわしをつけて土俵入りする姿を見守ったというエピソードもあり、大学関係者からの期待の高さもうかがえます。こうした後押しも力に変えながら、寿之富士は着実に上位を目指しています。母校の関係者から直接応援してもらえる環境は、モチベーションの面でも大きな支えになっているはずです。
同世代・同期力士との比較
寿之富士と同じ平成12年(2000年)生まれの力士には、横綱・大の里や小結・王鵬など、すでに幕内上位で活躍する力士が名を連ねています。同世代のライバルたちが番付上位で存在感を発揮している状況は、寿之富士にとって大きな刺激になっているはずです。同世代の活躍を横目に、自身も負けじと番付を駆け上がっていく姿が期待されます。大学卒業組は角界入りのタイミングが遅い分、番付を上げるスピードで追いつく必要があり、寿之富士のここまでの歩みはまさにそれを体現していると言えるでしょう。
今後の注目ポイント
ここまでの歩みを整理すると、寿之富士は初土俵からのスピード出世、十両昇進後の安定した成績、そして恵まれた体格と実力を兼ね備えた力士だと言えます。次の場所でどこまで白星を伸ばせるか、そして幕内の座をいつ手にするかが最大の注目ポイントです。同志社大学出身、モンゴル出身の父を持つという異色の経歴を持つ寿之富士が、これからどんな相撲人生を歩んでいくのか、引き続き見守っていきたいですね。父や曽祖父が築いたモンゴル相撲の実績、そして同志社大学で培った経験を土俵の上でどう昇華させていくのか、今後の活躍から目が離せません。
寿之富士の同志社大学時代から角界躍進までのまとめ
- 相撲留学生として来日し高校・大学を経て角界入りするという王道ルートを歩んでいる
- 同志社大学神学部で学業と競技を両立させた文武両道の経歴を持つ
- 大学選抜金沢大会での個人優勝など全国レベルの実績を積み重ねてきた
- 十両昇進によって29年ぶりとなる同志社大学出身の関取が誕生した
- 初土俵からわずか2年というハイペースで十両まで駆け上がっている
- 幕下時代の一度の負け越し以外はほぼ勝ち越しを重ねる安定感を見せている
- 十両昇進後も一度も負け越すことなく番付を着実に上げ続けている
- 白鵬に似てると言われる背景には四股名・体格・出身地の複数の要因が重なっている
- 血縁関係ではなく父の代から続くモンゴル相撲界の人脈が白鵬との縁の正体である
- 父と曽祖父がともにモンゴル相撲の横綱という名門の家系に生まれ育っている
- 旭富士とのつながりも血縁ではなく伊勢ヶ濱部屋の系譜による関係にとどまる
- 初土俵は宮城野部屋で、その後伊勢ヶ濱部屋へ所属が変わるという変遷を経ている
- 伊勢ヶ濱親方直伝の筋トレを重視した稽古が昇進の原動力になったと本人が語っている
- 熱海富士ら実力者が揃う部屋の環境がさらなる成長を後押ししている
- 直近3場所連続の勝ち越しにより幕内昇進が現実的な射程圏内に入っている

