安定した歌唱力と囁くような歌声にタフな声量を乗せた独特の歌唱表現力が歌手としての唯一無の価値ともいえる平井堅さん。
その圧倒的な実力とそれとは別の魅力を誇るルックスで多くのファンを魅了してきたと同時に、その素性や出自などでも注目を集めていますよね。
今回は、平井堅さんのハーフ疑惑や家族についてご紹介していこうと思います。
目次
平井堅はハーフではない
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平井堅さんはハーフではありません。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうし、ハーフだと思っていた方もいらっしゃるかもしれませんね。
そして、驚くべきことに生粋の純日本人です。
クォーターでもない
ハーフではない平井堅さん、もちろんクォーターでもありません。
もしかしたら、テレビ出演時には関西弁でノリ、ツッコミを見せる姿からその内容も含めて外国の血は流れていない、と感じていた方もいるでしょう。
出身は大阪府東大阪市
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そんな平井堅さんの出身は大阪府東大阪市、三重県名張市桔梗が丘育ち。
工業の街としても知られる東大阪市に生まれた平井堅さんは、2歳で三重県名張市の桔梗が丘に引っ越しました。
それ以降は、横浜市立大学に進学するまでの16年間を三重県名張市の桔梗が丘で暮らしたそう。
関西出身ということで、テレビで見せた流暢な関西弁の理由にも納得、というところでしょうか。
4代前までの先祖まで日本人
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そして、ハーフやクォーターに見える平井堅さんの家系は、4代前まで日本人だそうです。
平井堅さん自身が戸籍を調べた際に、外国人の先祖がいることは確認されず純日本人であったと述べていました。
調べたということは、本人も気になっていたのでしょうか。
純日本人であってもこういった骨格やルックスになることもあるのですから、改めて遺伝子の奥深さを感じますね。
平井堅がハーフと疑われた理由について
では、平井堅さんがハーフと疑われた理由について見て行きましょう。
①彫りの深い顔立ちだから
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まずは、なんと言っても彫りの深い顔立ちが挙げられますね。
瞼の部分に影ができるほどの彫りの深さは、完全に日本人離れした骨格であり、平井堅さん独特の渋さやミステリアスさか引き立てるひとつの要素にもなっていますね。
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デビューしてしばらくしてからの平井堅さんは、強めのツイストトパーマなどをかけて、ルックスにインパクトを持たせていたので、よりハーフ感が出ていたこともあるでしょう。
②高身長だから
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そして、高身長だからという理由もあるでしょう。
平井堅さんは、スレンダーなスタイルで183㎝という高身長です。
スリムなために、足もより長く見ますよね。
そういった身体的な部分もあって、より日本人とは異なる血統を感じさせてしまう部分は否めません。
「彫りの深い顔立ち×高身長=ハーフ疑惑」という公式は芸能界には付き物といってもいいでしょう。
③英語の発音が良いから
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そして、英語の発音が良いからという理由もありました。
R&Bシンガーとして海外のアーティストもよく聴いているであろう平井堅さん。
そういった影響やプロとして英語の発音もしっかりと表現する表現力などから、英語の発音が良くなったのではないでしょうか。
楽曲の中でも英語がよく使われていますので、よりそう感じさせる機会も多いと思われますね。
また、ある程度学生時代にきちんと英語を学んできた経験もあるのではないかと思います。
④インド人に間違えられた経験があるから
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平井堅さんが「インド人に間違えられた」という経験も関係しています。
新宿を歩いていた平井堅さんは、インド料理店の前でインド人スタッフに「インドの人ですか?」と声をかけられたのだとか。
インドの方にインド人かと言われた訳ですから、なかなかのものですよね。
その経験を踏まえているのでしょうか。
平井堅さんは「ソレデモシタイ」という楽曲MVで、インドのコスプレ、インド映画風の演出で話題をさらった経験もありました。
このMVは、平井堅さんのキレのいいダンスも評判でしたね。
平井堅のハーフ顔が仕事に与える影響について
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では、ここで平井堅さんのハーフ顔が仕事に与える影響について見て行きましょう。
- アーティストとしての個性、独自性
- メディア出演時のインパクトや見栄え
- 海外進出や多様なファン層の獲得
- 話題性
このような観点で見ると、アーティストとしては武器になることも多いでしょう。
アーティストですから「誰かと同じではない独自の価値」という部分もとても大切ですよね。
楽曲だけでなくルックスもそういった印象を与えることが出来れば、アーティストとしての一枚岩な魅力も高まるはずです。
また、あれだけのルックスですから「憧れやカッコよさ」の部分でも大きなインパクトになります。
アーティスト写真やMV・PV、テレビ出演、ライブなど様々なところで、そのルックスだからこそ見栄えする部分もあるでしょう。
そのようなルックスがきっかけで、海外のファンや若年層ファンを獲得するきっかけになる利点もありますし、そういった関係で話題になることも多いでしょう。
アーティストとしてのハーフ顔、大きなメリットがあるのは確かです。
しかし、人間という側面から見るとプライベートでも目立ちすぎる、隠し切れないオーラなどの側面もあるかもしれませんね。
平井堅の父親・みちのりについて
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ここからは、平井堅さんの父親について見て行きます。
父親は平井みちのりさんという名前のようですね。
平井堅さんは、自身の「キャッチボール」という楽曲で父親の思い出を綴っています。
「どんなに加減してもあなたの球は早くて」という父親への憧れや「元気で暮らしているかと書かれた手紙」などの一節が涙を誘いますね。
上記画像は、ライブで「キャッチボール」を歌う平井堅さんの横顔です。
年齢を重ねたその横顔は、どれほど父親に似てきたのでしょうか…。
日本人離れした顔立ちだが写真はない
平井みちのりさんは、平井堅さんの父親だけあってに日本人離れした顔立ちと言われていますが、一般人のため写真はありません。
食道がんですでに他界
そして平井みちのりさんは、残念ながら2004年ごろに食道がんで亡くなられているようです。
平井堅さんは、若くして父親を亡くしているのですね。
平井堅の母親・佐和子について
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平井堅さんの母親についても見てみましょう。
母親は、平井佐和子さんといいます。
一部の情報では、家族の仲で唯一外国人顔でないのが母親だとのことでした。
写真はないが、MVに出演
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平井佐和子さんは、平井堅さんの楽曲「桔梗が丘」のMVに出演していました。
故郷や家族のことを謳ったこの曲では、「丸くなった(母親の)背中に手を当てて」と綴った平井堅さんの母親への愛情が感じられます。
パン教室を開いている
現在、三重県名張市の桔梗が丘の実家で一人暮らしをしているという母親は、パン教室を開催するなどして元気に暮らしているそうです。
実家には、愛犬も一緒に暮らしているようで、少しホッとしました。
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この「桔梗が丘」を聞いていると、果たして自分はこんなにも温かく優しいメッセージを両親に送れるのだろうか、と切ない気持ちになってきます。
また、このMVでは実家にて平井堅さんのリクエストで母親お手製のすき焼きを作るシーン、一緒に食べるシーンが収められていました。
母親とあと何度食事できるだろう、そんな気持ちになった方は、一緒に食事をした際に「ありがとう、ご馳走様」の一声をかけてみるのはいかがでしょうか。
平井堅の兄弟姉妹について
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では、さらに続けて平井堅さんの兄弟姉妹について見て行きましょう。
平井堅さんには、姉と兄が一人ずついるそうです。
姉も容姿はとても似ている
平井堅さんは、6歳年上の姉について「平井堅が三つ編みをしたような感じ」と語っており、姉も容姿がとても似ていることを明かしました。
こんな風に姉を表現できてしまうのですから、きっと仲のいい姉弟なのでしょう。
また、4歳年上の兄は平井健さんよりは身長が低いこと、軽音楽部で歌がとても上手だったことも明かされています。
温かい家族の風景が浮かんできますね。
兄も父親譲りの外国人のような顔立ちだが、写真はなし
そして、平井堅さんのよれば「兄は僕より顔が濃い」とのことです。
父親譲りの外国人のような顔立ち、ぜひ拝見したかったのですが、顔写真はありませんでした。
兄もハーフやクォーターに間違われたり、インド人だと勘違いされたりするのかのしれませんね。
平井堅の実家について
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先ほども触れましたが、平井堅さんの実家は三重県名張市の桔梗が丘にあります。
桔梗が丘は、1963年の高度経済成長期の中期辺りに開発された住宅街で、当時主力世代だった方が軒並み80代を迎え高齢化の一途を辿っています。
母親が出演した「桔梗が丘」のMVは、企業が丘の街の要所要所で撮影が行われ、駅、学校、住宅地などが舞台となりました。
平井堅さんの母校である桔梗が丘南小学校では、「桔梗が丘」の歌詞を用いて地元住民が卒業生にエールを送るサプライズ企画も行われ、故郷に錦を飾った平井堅さん。
自身の育った街を大切にしていることが伺えますね。
平井堅の生い立ちについて
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1972年1月17日に大阪府東大阪市に生まれた平井堅さん。
2024年現在で、52歳となり働き盛りを少し折り返した年齢を迎えました。
幼少期から、将来の夢を歌手をしていた平井堅さんの音楽との出会いは小学2年生の頃に出会ったサザンオールスターズだったといいます。
中学時代はバスケットボール部で汗を流し、高校生の頃はサザンオールスターズのコピーバンドでヴォーカルを担当するなど、健全な少年時代を送ったようですね。
そんな学生時代ですが、きちんと勉強も両立させていたようで、偏差地帯では60前後の難関大学である横浜市立大学に進学し卒業します。
スポーツ、音楽、勉強と広いフィールドで努力や試行錯誤を経験した平井堅さんは、人生を自分で積み上げていくような強さや賢さ、忍耐力、行動力を着々と育ててきた生い立ちといえるのではないでしょうか。
大学時代には、横浜市内や東京都内のライブハウスで歌手活動を開始し、大学在学中にソニーミュージックのオーディションに合格。
幼少期からの夢を着実に、確実に育む力や思いの強さには驚かされます。
卒業後の1995年にCDデビューを果すという堅実な進め方も、自身の経験や将来を見据えた賢明な考え方の現れかもしれません。
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そんな平井堅さんは、自身の楽曲「LIFE is… ~another story~」で人生を「答えはどこにもない 誰も教えてはくれない」という内容で表現していました。
人生の答えは自らの行動で掴んできた平井堅さんの、生い立ちからくる実体験からの言葉なのかもしれませんね。
平井堅の現在について
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平井堅さんは、現在活動休止状態にあります。
2021年5月に10枚目のフルアルバム「あなたになりたかった」をリリースし、同年12月にオンラインライブを開催。
それ以降は新曲やライブの活動は行われていないのです。
週刊誌の取材には「普通に過ごしている」と答えた者の今後の活動などについては言及されなかったといいます。
2025年にはデビュー30周年を迎える平井堅さん。
ファンの間ではそれに向けた充電期間、そこで華麗に復活をという見方が強まっているそうです。
歌手や小説家など、クリエイティブな何かを生業にする場合に、その人生を題材にして作品を紡いでいくことも多いもの。
そんな過程の中で、いつでもどこでもやり続けられる訳ではないことは言わずもがなですね。
平井堅さんの活動再開を陰ながら祈りつつ、これからも応援していきたいと思います。
今回は、平井堅さんのハーフ疑惑、家族や生い立ちなどに迫ってみました。
活動再開の折には、また平井堅さんについてお届けできれば幸いです。