福徳秀介は帰国子女!帰国子女ゆえ驚いた小学校の経験と友達がやばい

若手時代から人気もあったジャルジャルがキングオブコントを制してから、2023年で早3年強。

2010、2015、2017、2018年とM-1グランプリでファイナリストでもある実力派のジャルジャルのメンバーである福徳秀介さんが、実は、ちょっと意外な経歴の持ち主だったことをご存知ですか。

お笑いに留まらず、小説の執筆など活動のすそ野が広がる福徳秀介さんの意外な経歴とは何でしょう?

今回は、福徳秀介さんの帰国子女のことを 中心に見ていきましょう。

福徳秀介は帰国子女!卒アルから発覚!


画像出典元:小学館

福徳秀介さんは、実は帰国子女でした。

ある番組で生い立ちなどを紹介された福徳秀介さん、ごく自然な流れで幼稚園の「卒業アルバム」が紹介されます。

ここまでは、普通の展開で「あ、福徳さんって子供のころはこんな顔なんだ。面影あるなぁ」という感想。

しかし、映像が「引き」になったときに大きな衝撃がありました。


画像出典元:X

なんと、福徳秀介さんの周囲には、金髪や青い目、明らかに外国人の子供たちがいるではありませんか。

この写真は”よくできた合成”ではなく実際のもので、幼少のころは数年間アメリカに住んでいて、現地の幼稚園に通っていたそうなのです。

幼稚園卒園時の5歳までアメリカに暮らしていた福徳秀介さんでしたが、小学校入学のタイミングで日本に帰国し、高校は関西大学第一高等学校、その後関西大学文学部卒業という高学歴を経て今に至ります。

 

帰国子女ゆえ驚いた小学校の経験


画像出典元:小説丸

小学校入学あたりの発達段階ですと、習慣の一部は定着し始めていたこともあって、帰国当時の福徳秀介さんは子供ながらに「日本とアメリカの文化や習慣の違いに驚いた」こともあったようです。

自己表現や自己主張がはっきりしているアメリカでは、日本から見ればオーバーリアクションが当たり前で、笑顔もはっきり”ビッグスマイル”なのだそうです。

控えめで奥ゆかしいものを好む文化である日本との表現の違いは、意外なところで露呈します。

集合写真の撮影で、いつものように満面の笑みを浮かべた福徳秀介さんは「笑わないでいい」と言われて、大きな戸惑いを感じたようです。

今までの当たり前が当たり前でなくなる瞬間、これは相当な衝撃でしょうね。

一説には、大きな大陸で陸続き、隣国との国境が身近に存在する諸外国の歴史の中では、”オーバーリアクション”や”ビッグスマイル”は、生存のための大切な要素だったようなのです。


画像出典元:ECCフォリラン

多民族、多国家が隣接している大陸では、互いの物理的距離から、民族同士の縄張りや思想や宗教の争い、国同士の侵略や支配関係などが起こりやすいため、出会ってすぐに「敵意はないぜ、仲良くしよう!」という態度を明確に取らないと”命取り”になることもあったといいます。

少し極端に言うと、そうした理由で大きな大陸の外国の人々は”満面の笑みですぐ握手、早い段階で自分たちのことを語り合い友好な関係性を築き命の保証を得る”習慣が出来上がり、”オーバーリアクション”や”ビッグスマイル”に繋がっているようなのです。

また、多民族が入り乱れる環境で言語が通じない、訛りやスラングで意味が通じないので身振り手振りで説明することも多かったため、それがオーバーリアクションに繋がているという見方もあるそう。

島国で基本的には全国民が近しい文化や常識の中で生きている日本では、よほどのことがない限り”いきなり命を取られる”ことはなく、過剰にリアクションを取る必要はなかったのでしょうね。

もちろん、気候や食文化、生活環境、宗教観

 

同じ帰国子女の小学生が色々やばい


画像出典元:CLASSY.

そんな”日米ギャップ”に戸惑いながらも福徳秀介さんが日本の小学校で健やかに暮らせたのは、同じく帰国子女だった友達ができたという背景がありました。

その友達が、どの国に住んでいて帰国してきたのかはわかりませんが、福徳秀介さんからみて「興味深くで仕方がない存在」だったのだとか。

その友人は小学校の時点で、「世界の黒澤明(映画監督)を超える」と豪語していたそうです。

また、大人びていたのか、大人の受け売りなのかは定かではありませんが、常に”世間に対する不平不満”を口にしていたというのです。

その彼は、道に迷ってさまよった挙句、自分たちの落ち度で車に轢かれそうになった際に運転手に向かって「どこを見ているんだ!」と叫びつけたのだとか。

これらの情報がそこまで事実なのかはわかりませんが、話を聞く限り、”ちょっとやばい友達”のようにも思われますね。

「ノーと言えない日本人」と言われるほど、様々なことを隠喩(暗喩)して、はっきりさせないことを美徳としてきた日本において、この自己主張の激しさはなかなかです。

しっかりと自分の考えを発信することは決して悪いことではありませんので、内容はさて置き、ある意味で見習ってもよいかもしれません。

福徳秀介さんは、そんな自己主張の強い彼に尊敬や憧れすら感じていたようで、小中学校時代は、かなり仲良かったようです。

現在彼は、小学校の教員をしているとのことですが、”多様性”と言われる時代ですから、そのような教員がいてもいいような…、やばいような…。

 

福徳秀介が帰国子女になった経緯と現在の英語力について


画像出典元:マイナビニュース

福徳秀介さんの幼少期を調べると、なんと”生後10か月”でアメリカに渡ったそうです。

自営業を営んでいた父の仕事の関係で、家族で渡米し、幼稚園卒園時の5歳までの5年間、ロサンジェルスで生活していた福徳秀介さん。

帰国するまでは日本語圏で生活しているより、アメリカの英語圏で生活している方が断然長く、英語もペラペラだったそうです。

しかし、帰国時は5歳であり”言葉を覚えて使いこなす前の段階”だったこと、その後再渡米することはなく英語を使用する機会がなかったことから、「現在は英語は話せない」そうです。

「言語が定着し日常生活の中で使いこなすようになる年齢に達していない段階で帰国すると英語が話せなくなる」のですね。

人間の脳は10歳までは発達段階にあるそうで、その辺りまでに言語や思考、ベースとなる生活習慣や文化・慣習などが徐々に定着していくといいます。

それらが確立し切る前に帰国したことで、福徳秀介さんは「帰国子女だけど英語が話せない」という事実と”ネタ”を手にすることになったのですね。

ちなみに福徳秀介の姉は、「今でも英語がペラペラ、英語メインで会話している」そうです。

そんな福徳秀介さんですが、現在の英語力はどうなのでしょうか。

トップクラスの難関大学である関西大学に通うほどの学力ですから、それなりの受験英語力は備えていることがわかりますが、幼少期にアメリカで生活していただけあって”英語の発音は抜群にいい”のです。

ジャルジャルの「幼馴染が英語しゃべれること知らんかったやつ」というネタでは福徳秀介さんのネイティブ並みの英語(1:19あたり)が光っています。

画像出典元:YouTube

幼児英語の業界ではよく言われますが、”人間の耳は幼少のころにしか聞き取れない高音域帯の英語音”があるようで、そのときにしかネイティブ英語の発音は身につかないそうです。

福徳秀介さんの場合は、生後10か月からの5年間をアメリカで生活し、ある意味では英語を母国語に近い形で習得したために、ネイティブの発音に近い状態で残っているのではないかと思います。

そんな福徳秀介さんですが、兵庫県芦屋市(実際には奥池町または奥池南町らしい)にある実家は3階建てで地下室付きだそうで、父の事業が拡大し、大きな収入を得ていたことは確からしいと思われます。

しかし、福徳秀介さんが高校1年生のときに「父が46歳の若さで、交通事故で亡くなってしまった」そうで、現在は母親が実家で質素に暮らしている、とのことでした。

今回は、ジャルジャル・福徳秀介さんについてご紹介しましたが、「人に歴史あり」と言われるように、渡米や帰国、帰国後の生い立ちや英語の発音など、今までにはない福徳秀介さんの側面が見えてきましたね。

人気も実力もあり、10年以上もお笑い界でトップクラスを走っているジャルジャル・福地秀介さんが、今後どのような活躍を見せてくれるのか注目していきましょう。

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