プロレスと言えばメキシコが本場。
そんな時代もあり、存在自体がひとつのブランドのようになっているメキシカンレスラー。
中でも「マスカラ・マヒカ二世」というプロレスラーの名前を聞いたことがある方もいるでしょう。
今回は、そのマスカラ・マヒカ二世さんそのものについて見ていきたいと思います。
目次
マスカラ・マヒカ二世について
画像出典元:トレトピマガジン
マスカラ・マヒカ二世さんについて、調べていきましょう。
本名はアントニオ・ゴメス・メディナ
画像出典元:ウィキペディア
調べると、思いのほか情報が少ないのですが、本名が「アントニオ・ゴメス・メディナ」であることがわかりました。
これはウィキペディアによるものですが、ページ自体も英語版しか存在していません。
ということは、日本で積極的に活動していた訳ではないということになりますね。
では、どのような部分で注目されたのでしょう?
生い立ち
画像出典元:トレトピマガジン
メキシコの伝説的レスラーと言われるマスカラ・マヒカ二世さん、どのような生い立ちなのでしょう。
父親もプロレスラーであり、幼いころからプロレスやレスラーが身近なものだったマスカラ・マヒカ二世さん。
叔父も人気プロレスラーであり、「タリスマン」や「エル・イホ・デ・グラディアドール」というリングネームで活動していました。
ルチャリブレスタイルと呼ばれ、魅せるプロレスが真骨頂であった父親のプロレス技術を引き継いだマスカラ・マヒカ二世は、「”魅せるプロレス”の象徴である覆面」を被り、強烈なアイデンティティを発揮。
覆面レスラーとして一時代を築いたのです。
この覆面スタイルもまた、父親から継承し「マスク=プロレスラーの命、失うことはレスラーの尊厳にかかわる」というプロ意識を子供の頃から自然に感じてきたそう。
生粋のメキシカンレスラーとしての生い立ちが彼の特徴なのですね。
なお年齢は、1970年9月11日生まれで2024年現在は54歳です。
メキシコプロレスでのキャリア
画像出典元:トレトピマガジン
マスカラ・マヒカ二世さんのメキシコでのキャリアは、輝かしいものでした。
EMLL(現CMLL)というメキシコ最古のプロレス団体に所属したマスカラ・マヒカ二世さんは、覆面レスラーとしてデビューします。
マスカラ・マヒカ二世さんは、「マスカラス戦=マスクデスマッチ」や「ガジェラ戦=ヘアデスマッチ」を主戦場としたのです。
負ければ、マスクを剥ぐ、髪を刈るというこの試合方式は代償が大きいだけに見る物を魅了します。
マスカラ・マヒカ二世さんは、エル・サタニコやヘロデスといった名だたるレスラーと対戦しその実力を証明、人気レスラーへと駆け上がっていったのです。
また、タッグマッチでも活躍したマスカラ・マヒカ二世さん。
このタッグマッチにおいても「ルチャ・デ・アプエスタス」と呼ばれる、負ければマスクか髪を刈られる試合でも観客を沸かせました。
そうした活躍で、世界的にも有名選手になっていったのですね。
ときには敗北によりマスクを奪われることもありましたが、勝利を積み重ねた姿は今もプロレスファンの印象に残っています。
そして、軽量級タイトルの最高峰とも言われるCMLL世界ウェルター級王座を二度も奪取する活躍を見せ、その存在を大きなものにしたのです。
また、1999年のCopa Higher Powerトーナメントで優勝し、多様な相手との対戦カードももろともしないトップオブファイターとしての功績は大きなと言えるでしょう。
人気、実力を兼ね備えたスターレスラーであるマスカラ・マヒカ二世さん、メキシコでは、まさにレジェンドなのです。
元嫁は北斗晶
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マスカラ・マヒカ二世さんが日本でも有名になった側面には、元嫁が北斗晶さんである点があるでしょう。
かつて修業時代に、メキシコで覆面レスラーとして活躍していた北斗晶さんは、同じ覆面レスラーの中でもスター的存在だったマスカラ・マヒカ二世さんと恋に落ちたのでした。
出会いはメキシコ!国境を越えたラブストーリー
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二人の出会いはもちろんメキシコ。
北斗晶さんの3歳年下になるマスカラ・マヒカ二世さんは、所属団体の意向でメキシコ留学をすることになった北斗晶さんと出会います。
そこで、奮戦し「レイナ・フブキ」を名乗り世界チャンピオンにまで上り詰めた北斗晶さん。
国境を越えた二人のラブストーリーに言葉の壁は関係なかったのでしょう。
人気レスラー同士、顔を合わせる機会も多かったため、自然に距離が縮まったのではないかと推測します。
たった1年の結婚生活
熱く燃え上がった二人は、1993年に結婚。
北斗晶さんは、メキシコに移住します。
しかし、たった1年という結婚生活で二人の時間は幕を閉じたのでした。
離婚理由は不明
画像出典元:X
調べたところ、二人の離婚理由は不明でした。
もともとの文化が違うことによる価値観の相違や人気レスラーだったマスカラ・マヒカ二世さんの女性関係など推測もできます。
しかし、真相は闇の中ですね。
なお、マスカラ・マヒカ二世さんと離婚した翌年の1995年に、北斗晶さんは佐々木健介さんと「再婚」しました。
北斗晶さんが「初婚」だと思っていた方も多いのではないでしょうか。
現在も家族は仲が良い
画像出典元:Amebaブログ
マスカラ・マヒカ二世さんと離婚した北斗晶さんですが、元家族とは仲が良いようです。
そのことは、北斗晶さんのブログから推測できます。
「メキシコの家族」と書かれた文章を上の写真を一緒にアップしていたそう。
そのことから「元夫の家族と今も仲良し」と言われているようですね。
しかし、真相は定かではありません。
北斗晶さんのブログには「メキシコの家族」としか書かれていませんでした。
深読みをすれば、メキシコ滞在時のホストファミリーのような人々の可能性も否めませんね。
隠し子疑惑:マスカラ・マヒカJr.の真相とは?
https://twitter.com/fto14yurikalove/status/1456585942366445575
北斗晶さんとマスカラ・マヒカ二世さんの間には隠し子がいると噂です。
噂の発端は、2021年に投稿された上のXになります。
父親の「マスカラ・マヒカ二世」を「マスカラ・マヒカJr(ジュニア)」と称して登場したこの男性。
「いつの日にか日本でプロレスがしたい」という夢を抱いているようですね。
二人の間には子供がいるという情報が出ていないので、実際のところは誰にもわかりません。
しかし、北斗晶さんがマスカラ・マヒカ二世さんと結婚したのは1993年、マスカラ・マヒカJrさんがデビューしたのは2000年。
時間軸から考えると、マスカラ・マヒカJrさんがプロデビューしたのが7歳前後になるので、信憑性には欠けるのかもしれません。
プロレス引退後の現在について
画像出典元:エンタメLovers
マスカラ・マヒカ二世さんは、スター選手であった現役時代を過ごした後は、トレーナーに転身し後進を育成する大切な仕事を担っています。
生まれたころからプロレスに親しんできた「優れたプロレスDNA」を若手選手に継承する、プロレスのいろはを指導する、そんな仕事は、メキシコのプロレス界に大きな意味をもたらすでしょう。
こういった活動を通して、地元のコミュニティやプロレス団体との関りも深まっているそう。
また、離婚後も北斗晶さんやその家族との関係性も深く、良好な間柄であるとも言われます。
そのことは、先に触れた「メキシコの家族」という部分でも触れた通りです。
北斗晶さんがメキシコに訪問した際に元夫であるマスカラ・マヒカ二世さんの家族と再会した可能性が高いことなどからも、マスカラ・マヒカ二世さんが広くプロレス界と繋がっていることが見て取れますね。
この活動は、メキシコプロレス界を陰で支えていると言っても過言ではないでしょう。
今回は、プロレスラー・マスカラ・マヒカ二世さんについて調べてみました。
メキシコのプロレス界のレジェンドが、現在も同業界の発展の中心になっていることには驚きだけでなく、大きな浪漫を感じざるを得ませんでしたね。
また、元嫁が北斗晶さんであることには驚いた方も多いでしょう。
これからも、マスカラ・マヒカ二世さんに注目し、応援していきたいと思います。
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