年齢を感じさせない妖艶な美しさで見る者を魅了する女優・井川遥さん。
女優としては、2005年に「日本映画批評家大賞・助演女優賞」を受賞するなど”奥行きのある美しさ”だけではない「役者の実力」も見せています。
そんな井川遥さんの「国籍や公表までの闇」について注目が集まっているようですが、さっそく調べていきましょう。
目次
現在の井川遥の国籍は帰化し「日本国籍」
画像出典元:ORICON NEWS
井川遥さんは、「日本生まれ日本育ち、東京都墨田区出身」の日本人です。
これはウィキペディアなどの公の情報として公開された現在の姿ですが、調べたところ、実は在日韓国人でした。
現在は帰化したため「日本国籍」を取得し日本人としての人生を歩んでいますが、帰化するまでは韓国人として生きてきたのです。
古い話ですが、「在日韓国人」に対して「日本人」が差別的な対応を取ってきたことは事実で、場合によっては井川遥さんもそのような経験をされてきたのかもしれません。
かつては「趙秀恵」が本名
短大に通っていたころの井川遥さんは、在日韓国人として当時の本名である「趙 秀恵(ちょう よしえ)」として雑誌のモデルをされていたそうで、当時の画像も残っていました。
趙秀恵の名前では、1995年~1998年までモデル活動をされていたようです。
このことから、「井川遥さんが在日韓国人の趙秀恵さんである」と知っていた方もいらっしゃるかもしれません。
年齢的なことや”メイクのはやりすたり”などもありますので、今と同じ雰囲気ではありませんが、目元や鼻筋から、確かに私たちの知る井川遥さんである、と認識できますし、当時から”奥行きのある美しさ”の片鱗が感じられますね。
短大を卒業した井川遥さんは、一時はOLとして会社勤めも経験しますが半年で退職し、本格的にモデル活動をスタートします。
1999年には「東洋紡水着サマーキャンペーンガール」に抜擢され、本格的に芸能活動を進めることになりました。
同キャンペーンガールは、中島史恵さんや梶原真弓さん、眞鍋かをりさんといった”有名セクシータレント”を輩出する、いわば芸能界への登竜門のような位置づけもありましたので、この仕事を機に井川遥さんの存在が大きくなっていったのは事実でしょう。
2001年に「在日」と公表も事務所が圧力をかける
井川遥さんがモデル活動を始めたころは、「趙 秀恵」として活動していたことは先ほど紹介した通りですが、「東洋紡水着サマーキャンペーンガール」という大きな仕事の前に、芸名を「井川遥」に改名していました。
「よりイメージに合った芸名を付けた」と言えば”さもありなん”ですが、実際には「在日韓国人、韓国籍」を隠すための事務所の方針も背景にはあったと思います。
井川遥さんの国籍は、「”金の卵”であった井川遥さんを売り出す」ことに対する”障壁”と見なされたのでしょうね。
2001年には、井川遥さん本人がテレビや何らかの媒体で「在日韓国人である」ことを公開していたようなのですが、事務所の圧力で「該当部分をすべてカット」されていたそうです。
代表的な例としては、2001年に「月刊現代」でインタビューを受けた際に、在日韓国人であることを公開したのですが、事務所の意向ですべてカットされてしまったのでした。
自らルーツや家族について、「”大切なものを言葉にしたい”という、ただそれだけのことも許されない人間の想い」を想像してみてください。
その人間の人生や血、生きていることそのものを無視されているような虚無感に打ちのめされてしまいそうですね。
日本の企業には、過去に行われてきた戦争や国際情勢の絡みもあり「韓国人や中国人の起用」を避けている風潮があります。
韓国人とのハーフである水原希子さんがビールのCMに登場した際には企業にクレームが殺到したこともあったそうですが、そのことへの驚きもさることながら、それが2017年の出来事であるということが、何よりも衝撃でした。
画像出典元:噂の真相
人種差別は、”伝統工芸のように代々受け継いでいくものではない”と思いますし、「血や肌の色、思想や信仰を選び、好ましくないものは排除する」というすべての行為を改めていきたいものです。
しかし、水原希子さんの件については、厳しい声も見られました。
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水原希子さんのことを事細かに調べている訳ではないので何とも言えない部分もありますが、その人のキャラクターや雰囲気、ドラマや映画などの役どころ、SNSやインタビューなどでの発言や対応など様々な要素が絡み合っての反応だということなのでしょうか。
このような声を見るに、普段の態度や発言、公にする精神性や宗教観などがダイレクトにつきまとう芸能人という職業は、気が抜けないのは確かですね。
2012年にようやく「在日」と世間に公表
画像出典元:モデルプレス
井川遥さんが、自らのルーツを正式に公表できたのは、本人が最初に公表してから約10年強後の2012年でした。
2012年は、井川遥さんは結婚もし二人目のお子さんを出産したときだったそうですが、自分のルーツを公表するのに人の人生のステージが何個も変わるほどの時間を要してしまったとは、とても残念な話です。
井川遥さんは、子供たちがまだ幼いうちにこの事実を公表しておきたかったようですね。
後々になって”すっぱ抜かれたような形”でこの情報がメディアに流れると、「隠していたかのような印象」も持たれてしまうことから、それを避けるための行動だったと思われます。
このころには、”既に女優として不動の地位を築いていたため影響は最小限”だと踏んだのか、事務所からの公表の許可も出ていたようです。
本当のところはわかりませんが、結婚と出産を経験し「守るべきもの」を持った井川遥さんの想いを組んでくれたのだと信じたいですね。
井川遥さんは出産を機に、「幼稚園や学校の行事にはすべて参加させてもうこと」「連続ドラマなどの仕事が入っても子供たちの学校行事に支障がないように」という条件で仕事をされているようで、子育てに対する強い想いがあったことは事実でしょう。
また、自らのルーツを公開することで自身のアイデンティティを守りたかったという側面、在日韓国人であるというだけで受けてしまう理不尽な風評被害から家族を守るという側面もあったのではないかと思われます。
日本国籍を取得したのは結婚後
画像出典元:暇人たちの井戸端会議
井川遥さんが日本国籍を取得したのは、夫であるファッションデザイナー・松本与さんとの結婚の少し前で、2006年9月7日のことでした。
井川遥さんが結婚したのは2006年11月22日ですが、それはあくまで入籍した日。
結婚を決めてから帰化したことは事実でしょうから、実質的には「結婚後に帰化」ということになりますね。
将来的に生まれてくる子供のことや結婚後の生活、そこに関わる夫の人生などを考えて、入籍の前に帰化を済ませた形となったのではないでしょうか。
井川遥は韓国語は話せない模様
画像出典元:駿台観光&外語ビジネス専門学校
さて、在日韓国人である井川遥さんは「韓国語」は話せるのでしょうか?
はっきりとした情報は出てきませんが、韓国語は話せないと考えるのが普通だと推測します。
井川遥さんは、「在日韓国人三世」で、祖父が来日したことがルーツとなっています。
祖父が来日したということは、井川さんの父または母が在日韓国人二世として日本で育ったことになりますので、韓国語を使用するケースはそう多くないでしょう。
その一世代下になる井川遥さんに至っては、韓国語を使うシーンはほぼないのではないかと思われます。