古城大翔さんがなぜ花巻東高校を選んだのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。大谷翔平さんへの憧れをきっかけに、神奈川の出身でありながら岩手の名門へ進学した背景には、古城大翔さんの父親の存在も大きく関わっていると言われています。
また、最終学年を迎えた古城大翔さんの怪我はどのような経緯だったのか、甲子園を終えた古城大翔さんの現在の進路はどうなっているのか、そして古城大翔さんのドラフトでの評価はどれほど高いのか、気になる方も多いはずです。本記事では、古城大翔さんが花巻東を選んだ理由から、父親の存在、怪我の経緯、現在の進路、ドラフトでの評価まで詳しく解説していきます。
目次
古城大翔がなぜ花巻東に進んだかを解説
- なぜ花巻東を選んだのか
- 花巻東をつないだ父の縁
- 父親・古城茂幸の経歴
- 出身校と小中学校時代
- 花巻東での経歴と活躍
- 5季連続甲子園4番の快挙
なぜ花巻東を選んだのか
古城大翔内野手(花巻東)
1年生の夏から4番の大型内野手。お父様は元巨人の古城茂幸氏。将来を見据え木製バットです。
今夏は織田投手からも2安打で打率は.467。進学もありですが敗れた後の大号泣はプロ向き。#巨人 #ドラフト #ドラフト会議 #ドラフト会議2026 #古城大翔 pic.twitter.com/iIDp9EP63K— 巨人ドラフトマン(巨ドラ) (@giants_draft) August 18, 2026
ここではまず、神奈川県横浜市出身の古城大翔さんが、なぜ地元の強豪校ではなくわざわざ岩手県の花巻東高校を選んだのか、その理由を詳しく整理していきます。
大谷翔平への強い憧れがきっかけだった
古城大翔さんが花巻東を意識し始めたのは、小学校低学年のころだったと言われています。当時、日本ハムファイターズで投打の二刀流に挑んでいた大谷翔平さんの姿をテレビで見て、まるで漫画の世界のような選手だと衝撃を受けたそうなんです。あの大谷翔平さんに憧れたことが、進学先を決める最大のきっかけになったというわけですね。神奈川で育った少年が、遠く離れた岩手の高校に心を奪われるというのは、それだけ大谷翔平さんの存在が大きかったことの表れだと思います。
花巻東一本に決めていたという早すぎる決断
古城大翔さん自身も、高校進学については花巻東一本に決めていたと語っています。中学生になる前から進路を一つに絞っていたというのは、なかなか珍しいケースです。周囲が複数の強豪校を検討する中、本人の中では早い段階から迷いがなかったということになります。中学時代は都筑中央ボーイズに所属し、全国大会でベスト16まで進む実力を持っていたわけですから、進学先の選択肢は本来もっと多かったはずです。それでも花巻東一本という決断をしたところに、憧れの強さがにじみ出ています。
親元を離れる寮生活という大きな決断
神奈川から岩手への進学は、単なる転校とはわけが違います。中学卒業と同時に親元を離れ、寮生活をしながら厳しい練習に打ち込む必要があるからです。古城大翔さんはその覚悟を持って、あえて地元を離れる道を選びました。15歳という若さで親元を離れる決断ができた背景には、本人の強い意志だけでなく、家族の理解と後押しも欠かせなかったはずです。実際、本人は1年生だった2024年の岩手大会優勝直後、両親への感謝を口にしたとも伝えられています。
父の存在も進学の後押しになった
古城大翔さんの花巻東進学を語るうえで欠かせないのが、父親の存在です。父・古城茂幸さんは日本ハムや巨人でプレーした元プロ野球選手であり、息子にとって野球選手としての手本のような存在でした。朝日新聞の取材に対し、古城大翔さんは「父と同じ舞台に立ちたい」と語っています。木製バットを使い続けている理由についても「体全体を使えば飛ぶ」と話しており、プロを見据えた父の背中を追いかける姿勢がうかがえます。父がプロ野球選手だったという環境は、花巻東というハイレベルな環境に飛び込む決断を後押しした要素の一つだったと考えられそうです。
参照:朝日新聞 父は元プロの花巻東・古城大翔 殻を破った一発、4季連続の甲子園へ
花巻東をつないだ父の縁
続いては、古城大翔さんが花巻東を選んだもう一つの大きな理由として語られている、父親と花巻東・佐々木洋監督との縁について見ていきます。
父と佐々木監督は大学の同級生だったという情報
古城大翔さんの父・古城茂幸さんは、中央学院高校から国士舘大学に進学しています。この国士舘大学時代、父・茂幸さんと花巻東の佐々木洋監督が同学年のチームメートだったという情報があります。大学卒業後、茂幸さんはプロ野球の道へ、佐々木監督は高校野球の指導者の道へと進みましたが、大学時代に築いた関係が、その後も続いていたと言われているんです。この父の人脈が、神奈川出身の古城大翔さんと岩手の花巻東を結びつける大きな要因になったと見られています。
単なるコネではなく実力での起用だった
ただし、注意しておきたいのは、父と監督の縁があったからといって、それだけで4番に座れたわけではないという点です。花巻東という全国屈指の強豪校で1年生から主力の座をつかむには、相応の実力が欠かせません。実際、古城大翔さんは1年生の春からベンチ入りし、夏には4番として甲子園デビューを果たしました。中学時代に全国大会ベスト16という実績を残していたことを踏まえても、進学後の起用は縁だけによるものではなく、本人の力があってこそだったと言えそうです。
神奈川出身選手を岩手が受け入れる背景
花巻東は大谷翔平さんや菊池雄星さんを輩出してきた全国的な知名度を持つ強豪校であり、県外出身の選手を積極的に受け入れてきた歴史があります。こうした土壌があったからこそ、古城大翔さんのように神奈川から進学する選手を自然に迎え入れる環境が整っていたとも考えられます。父の人脈というきっかけがあったにせよ、最終的にチームの中心選手として定着できたのは、花巻東というチームの受け入れ体制と本人の努力が噛み合った結果だと言えるでしょう。
縁と実力が重なった珍しいケース
古城大翔さんの花巻東進学は、大谷翔平さんへの憧れという本人の意志と、父親同士の人間関係という偶然が重なって実現したものだと言えます。プロ野球選手を父に持つ子どもが、父の縁のある指導者のもとで育つというケースは、野球界では決して珍しくありません。それでも、神奈川から岩手という距離をものともせず、5季連続で甲子園の4番を務めるまでの選手に成長した点は、単なる縁だけでは説明できない本人の努力の結晶だと考えられます。
父親・古城茂幸の経歴
ここからは、古城大翔さんの野球のルーツとも言える父・古城茂幸さんのプロ野球人生を詳しく振り返っていきます。
中央学院高から国士舘大を経てプロ入り
古城茂幸さんは1976年1月12日生まれで、中央学院高校から国士舘大学に進学しました。右投げ左打ちという特徴を持つ選手で、1997年のドラフト会議で5位指名を受け、日本ハムファイターズに入団しています。身長174cm、体重77kgと決して大きな体格ではありませんでしたが、堅実な守備と勝負強い打撃で長くプロの世界に居場所を作ってきた選手です。
日本ハムでの下積み時代
入団から数年は出場機会が限られる時期もありましたが、少しずつ経験を積み、内野の複数ポジションを守れる器用さを武器にチーム内での存在感を高めていきました。2003年には打率.269を記録するなど、控えとしてだけでなく勝負どころで結果を出す選手として評価を上げていきます。
巨人移籍後は「振り向けば古城」と重宝された
2006年に読売ジャイアンツへ移籍すると、古城茂幸さんはさらに存在感を増していきます。当時指揮を執っていた原辰徳監督には「振り向けば古城」と評され、故障者が出たり困った場面でいつも頼れる名バイプレーヤーとして重宝されました。2008年には打率.214ながら3本塁打16打点を記録し、代打や守備固めとしてチームを支え続けています。通算では767試合に出場し、打率.225、9本塁打・37盗塁という成績を残しました。
引退後は巨人でコーチとして指導者の道へ
現役引退後、古城茂幸さんは巨人でコーチとして後進の指導にあたってきました。2026年現在は、巨人から派遣される形でハヤテベンチャーズ静岡のヘッド兼野手総合コーチを務めています。選手としては派手さよりも堅実さで評価されたタイプでしたが、指導者としても丁寧に選手を育てる姿勢が伝わってくる経歴です。息子である古城大翔さんとはプレースタイルこそ正反対ですが、守備の細やかさや野球への向き合い方には、父から受け継がれた部分も少なくないと見られています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 古城茂幸さん |
| 生年月日 | 1976年1月12日 |
| 投打 | 右投げ左打ち |
| 体格 | 174cm・77kg |
| 出身 | 中央学院高校・国士舘大学 |
| ドラフト | 1997年ドラフト5位(日本ハム) |
| 在籍球団 | 日本ハム(1999〜2005年)→読売巨人(2006〜2013年) |
| 通算成績 | 767試合・打率.225・9本塁打・37盗塁 |
| 2026年現在 | ハヤテベンチャーズ静岡 ヘッド兼野手総合コーチ |
出身校と小中学校時代
続いて、古城大翔さんが花巻東に進学する前、地元の神奈川でどのように野球と向き合ってきたのか、小学校・中学校時代の歩みを見ていきます。
横浜市立勝田小学校で野球をスタート
古城大翔さんは神奈川県横浜市の出身で、地元の横浜市立勝田小学校に通っていました。野球を始めたのは小学1年生のころで、軟式野球チームの山田バッファローズに入団したのがきっかけです。父がプロ野球選手だったこともあり、生まれたときから野球道具やユニフォームが身近にある環境で育ったことは想像に難くありません。それでも、いきなり硬式のエリートチームに入るのではなく、地元の軟式チームから野球人生をスタートさせたところに、家庭の自然な教育方針がうかがえます。
早渕中学校で硬式野球へステップアップ
中学校は横浜市立早渕中学校に進学しました。ここでは学校の部活動ではなく、硬式野球の都筑中央ボーイズに所属し、本格的に競技レベルを引き上げていきます。硬式ボールを扱うクラブチームでのプレーは、体への負担や技術面での要求も軟式とは大きく異なり、より高いレベルでの経験を積むことができる環境です。
中学3年夏に全国大会でベスト16という実績
都筑中央ボーイズ時代、古城大翔さんは中学3年生の夏にボーイズリーグの全国大会に出場し、ベスト16まで勝ち進んでいます。4番・三塁というチームの中心的なポジションを任され、この時点ですでに全国レベルの舞台を経験していたことになります。花巻東に入って突然注目された選手ではなく、中学時代からすでに実力を証明していた選手だったというわけです。
地元を離れる決断につながった中学時代の経験
全国大会でベスト16まで進んだ経験は、古城大翔さんにとって大きな自信になったはずです。同時に、より高いレベルで野球を続けたいという思いが、憧れの大谷翔平さんの母校である花巻東への進学という大きな決断を後押しした可能性も考えられます。地元の仲間と離れ、親元を離れて岩手へ向かう決断は簡単なものではありませんが、中学時代に培った実力と経験が、その決断を支える土台になっていたと言えそうです。
| 時期 | 学校・所属チーム |
|---|---|
| 小学校 | 横浜市立勝田小学校(山田バッファローズ) |
| 中学校 | 横浜市立早渕中学校(都筑中央ボーイズ) |
| 高校 | 花巻東高等学校(岩手県) |
花巻東での経歴と活躍
ここでは、花巻東に進学してから古城大翔さんがどのようにチームの中心選手へと成長していったのか、その経歴を時系列で追っていきます。
1年生の春からベンチ入りという異例の抜擢
古城大翔さんは2024年に花巻東へ入学すると、1年生の春からいきなりベンチ入りを果たし、三塁のレギュラーとして起用されました。新入生がすぐに主力の座をつかむのは、花巻東のような全国屈指の強豪校では簡単なことではありません。中学時代の実績があったとはいえ、岩手の名門で結果を残せるかどうかは進学してみないと分からない部分も大きかったはずです。
1年夏に4番で甲子園デビュー
迎えた2024年夏の岩手大会では、途中から4番に定着し、決勝の盛岡大付戦で2安打1打点と活躍。チームの甲子園出場に大きく貢献し、そのまま夏の甲子園でも1年生ながら4番・三塁で全国の舞台に立ちました。甲子園初戦の滋賀学園戦では第1打席から安打を記録するなど、臆することのないプレーぶりを見せています。
高校通算34本塁打を誇る長距離砲
花巻東は木製バットを使用する伝統を持つチームですが、古城大翔さんは1年生のころからこの木製バットに対応し、着実に長打を積み重ねてきました。2025年秋の明治神宮大会では、木製バットで高校通算25号となる本塁打を左中間席へ運び、全国舞台でも長打力を証明しています。2026年夏の甲子園時点で、その本塁打数は高校通算34本にまで積み上がりました。金属バットの選手が多い高校野球の中で、木製バットでこれだけの本塁打を放ってきたのは、プロも注目する長打力の証と言えるでしょう。
守備でも高い評価を受ける三塁・一塁手
古城大翔さんは打撃だけでなく、守備面でも評価が高い選手です。送球の正確さや柔らかいハンドリング、軽いフットワークは、父・茂幸さんから受け継いだ守備力とも言われています。豪快な長距離打者でありながら堅実な守備もこなせる点は、プロのスカウトからも注目されるポイントの一つになっています。
| 年・季節 | 主な出来事 |
|---|---|
| 2024年春 | 1年生でベンチ入り、三塁でレギュラー定着 |
| 2024年夏 | 4番に定着し甲子園初出場 |
| 2025年秋 | 主将就任、明治神宮大会でソロ本塁打 |
| 2026年夏 | 主将・4番として甲子園ベスト8 |
参照:朝日新聞 父は元プロの花巻東・古城大翔 殻を破った一発、4季連続の甲子園へ
5季連続甲子園4番の快挙
続いては、古城大翔さんの高校野球人生でもっとも大きな記録である、5季連続で甲子園の4番を務めたという快挙について詳しく見ていきます。
2024年夏から2026年夏まで5季連続出場
古城大翔さんは、2024年夏、2025年春、2025年夏、2026年春、2026年夏と、1年生の夏から3年生の夏まで5季連続で甲子園の土を踏んでいます。この5季連続出場という記録自体、1948年の学制改革後13人目という非常に希少なものであり、東北勢としては初めての快挙とされています。
5季すべてで4番は清原和博以来41年ぶり
さらに驚くべきは、この5季すべてで4番打者を務めたという事実です。これはPL学園の清原和博さん以来、実に41年ぶりの快挙だと報じられています。清原和博さんといえば、高校野球史に名を残す不動の4番打者として知られる存在です。その名前と並んで語られること自体、古城大翔さんがいかに高いレベルで安定した実力を発揮し続けてきたかを物語っています。
主将としての重責も同時に担った最終学年
2025年秋の新チームから、古城大翔さんは野球人生で初めて主将に就任しました。4番打者として結果を求められるだけでなく、チームをまとめる主将としての役割も同時にこなしてきた点は、見逃せないポイントです。プレーヤーとしての結果と、リーダーとしての立ち回りを両立させることは決して簡単ではなく、それを最終学年でやり遂げたことが、5季連続4番という記録の重みをさらに増しています。
記録が示す打撃の安定感
5季連続で4番を任され続けるということは、監督やチームメートから絶大な信頼を得ていた証でもあります。調子の波はあっても4番から外されることなくシーズンを通して起用され続けたという事実は、古城大翔さんの打撃が高いレベルで安定していたことを示しています。高校通算34本塁打という数字と合わせて考えると、花巻東というチームにとって古城大翔さんがどれほど欠かせない存在だったかがよく分かります。
| 季節 | 出場・成績の概要 |
|---|---|
| 2024年夏 | 1年生・4番で甲子園デビュー |
| 2025年春 | 選抜出場、4番で出場 |
| 2025年夏 | 3季連続の甲子園、4番として出場 |
| 2026年春 | 選抜出場、主将・4番 |
| 2026年夏 | 主将・4番でベスト8進出 |
参照:日刊ゲンダイDIGITAL 巨人ドラ1候補に花巻東・古城大翔が急浮上!
古城大翔のなぜ花巻東以外のこと
- 怪我と右足骨折の経緯
- 怪我を押して出た甲子園
- 現在と大学進学の決断
- ドラフト評価とスカウトの声
- 性格と主将としての成長
怪我と右足骨折の経緯
ここからは、なぜ花巻東という話題以外で古城大翔さんについて気になる点を掘り下げていきます。まずは、最後の1年間を大きく揺るがした右足の怪我について整理します。
2026年4月下旬に右足を骨折
古城大翔さんは、最終学年となった2026年4月下旬、練習中に右足の中足骨を骨折したと報じられています。この怪我によって、古城大翔さんは約2か月にわたって実戦の場から離れることになりました。春の県大会や東北大会という重要な公式戦を欠場せざるを得なかったことは、主将であり4番でもある古城大翔さんにとって、非常に大きな痛手だったはずです。
試合に出られない期間の苦しさ
怪我でプレーできない時期、古城大翔さんは自分のことで精いっぱいになり、周囲が見えなくなっていた時期があったことをチームメートから指摘されたとも伝えられています。チームを外から見る立場を経験したことが、結果的に主将としての視野を広げるきっかけになったようです。それでも仲間から「必ずお前が必要だから」と声をかけられ、リハビリと向き合い続けたと言われています。
夏の岩手大会で復帰し甲子園出場に貢献
離脱から約2か月を経て、古城大翔さんは夏の岩手大会に復帰しました。復帰後は16打数6安打という結果を残し、5季連続となる甲子園出場に大きく貢献しています。大きな怪我からのブランクを感じさせない打撃を見せたところに、古城大翔さんの野球選手としての地力の高さがうかがえます。
怪我と向き合った経験がもたらしたもの
この右足の骨折という経験は、単なる離脱期間として終わったわけではありません。試合に出られない悔しさと、チームメートからの叱咤激励を経験したことで、古城大翔さんは主将としても一回り成長したと見られています。後述する夏の甲子園での戦いぶりを見ると、この怪我が古城大翔さんにとって決してマイナスだけの出来事ではなかったことが分かります。
成長期のアスリートに多い疲労骨折という側面
中足骨の骨折は、繰り返しの負荷がかかることで起こりやすい、いわゆる疲労骨折の一種だと考えられます。木製バットを1年生のころから振り続け、下半身への負荷が大きいフルスイングを繰り返してきた古城大翔さんにとって、足への蓄積した負担が骨折という形で表れた可能性は十分に考えられそうです。成長期の選手が体格を大きくしながら激しい練習を積み重ねる中で、こうした故障が起きるのは決して珍しいことではありません。同世代の強打者にも同様の負傷歴を持つ選手は少なくなく、体の成長スピードと練習量のバランスをどう取るかは、多くの高校球児が直面する共通の課題だと言えるでしょう。
参照:日刊スポーツ 花巻東・古城大翔は涙「けがより悔しさのほうが強くて痛い」
怪我を押して出た甲子園
続いては、2026年夏の甲子園で明らかになった、古城大翔さんが骨折を押して戦い続けていたという衝撃的な事実について詳しく見ていきます。
初戦前日に同じ部位を再び骨折していた
2026年夏の甲子園、花巻東は初戦で新田(愛媛)と対戦しましたが、古城大翔さんは実はこの初戦の前日に、4月に痛めたのと同じ右足の中足骨を再び骨折していたことを、大会後に明かしています。本来であれば安静が必要な状態にもかかわらず、古城大翔さんはこの事実を伏せたまま大会に臨んでいたことになります。
骨折した状態で複数試合に出場
再骨折を抱えながらも、古城大翔さんは新田、岡山学芸館、英明、横浜という4チームとの対戦をすべてこなしました。初戦の新田戦では3打数2安打を記録し、準々決勝の横浜戦では最速157キロを誇る織田翔希投手から2安打を放っています。骨折した状態でこれだけの結果を残していたという事実は、多くの人を驚かせました。
「けがより悔しさのほうが強くて痛い」という言葉
横浜との準々決勝で0対6で敗れ、13年ぶりの4強進出はなりませんでした。試合後、古城大翔さんは涙をこらえながら、こう振り返っています。「たくさん大きなけがもしましたけど、本当にけがの痛みより、今こうして負けて、仲間と野球できないことへの悔しさの方が強くて心が痛い」という言葉には、怪我の痛み以上に仲間との時間を惜しむ気持ちがにじんでいます。
ライバル投手との真剣勝負とその後の交流
この試合で対戦した織田翔希投手とは、試合後に言葉を交わしたことも報じられています。古城大翔さんは「自分のバッティングも織田投手のおかげでここまで伸びることができた」と感謝を伝え、「ありがとう」「頑張ってください」と声をかけたそうです。骨折という大きなハンディを抱えながらも、最後まで正々堂々と戦い抜いた古城大翔さんの姿勢がうかがえるエピソードだと言えるでしょう。
骨折を伏せて出場し続けた重みを考える
高校野球では、最後の夏にかける選手が痛みを押して出場するエピソードがたびたび語られますが、大会前日に骨折が判明していたにもかかわらず、そのまま4試合を戦い抜いたというのは、その中でもかなり踏み込んだ決断だったと言えそうです。本来であれば出場を見合わせる選択肢もあったはずですが、主将として、そして4番打者としてチームを引っ張る責任感が、その決断を後押ししたのではないでしょうか。結果としてベスト8という成績を残せたこと自体、骨折という状態を感じさせない集中力の高さを物語っています。
参照:日刊スポーツ 花巻東・古城大翔は涙「けがより悔しさのほうが強くて痛い」
現在と大学進学の決断
ここでは、高校野球を終えたばかりの古城大翔さんが、現在どのような進路を選ぼうとしているのか、最新の状況を整理していきます。
甲子園直後は「これからしっかり考えたい」
2026年8月18日、横浜との準々決勝に敗れた直後、古城大翔さんは進路について問われると、「全く考えてないというか、自分の中では何一つ整理ができてないので、本当に今日の日のために全てを準備してきたんで、またここからしっかりと考えたいなとは思っています」と話し、その時点ではプロ志望か大学進学かを明言していませんでした。高校通算34本塁打という実績を持つ強打者だけに、2026年ドラフト会議に進むのかどうかが大きな注目を集めていました。
8月20日の報告会で大学進学の意向が判明
その後、状況は大きく動きます。2026年8月20日、花巻東高校で行われた甲子園の報告会において、古城大翔さん、萬谷堅心さん、赤間史弥さんの3人が、そろって大学で野球を続ける意向を明らかにしたと報じられました。この報道により、古城大翔さんは高校卒業後すぐにプロ入りするのではなく、大学野球へ進む方向であることが分かっています。
進学先の大学名は現時点で非公表
気になる進学先の大学名については、2026年8月時点でまだ公表された情報は確認できていません。複数のメディアが「大学でプレーを続ける意向」と報じているものの、具体的な大学名や決定時期については今後の発表を待つ必要がありそうです。チームメートの萬谷さんや赤間さんも同様に大学進学を選んでいることから、花巻東の主軸として過ごした3年間の絆が、進路選択にも表れているのかもしれません。
大学経由でプロを目指す道を選んだ理由
高校からの直接指名も期待された古城大翔さんが、あえて大学進学を選んだ背景には、大学野球でさらに体づくりと技術を磨き、より万全な状態でプロ入りを目指すという狙いがあると見られています。木製バットへの対応力や守備力の高さはすでに評価されていますが、大学の4年間で経験を積むことで、選手としての完成度をさらに高められると判断した可能性があります。今後の大学野球でのプレーぶりが、その先のプロ入りに向けた大きな判断材料になっていくはずです。
| 時期 | 進路に関する状況 |
|---|---|
| 2026年8月18日 | 甲子園敗退直後「これからしっかり考えたい」と発言 |
| 2026年8月20日 | 報告会で大学進学の意向が判明 |
| 今後 | 進学先の大学名は非公表・発表待ち |
参照:Yahoo!ニュース(高校野球ドットコム) 花巻東“注目トリオ”の夏終わる…古城は進路未定、赤間&萬谷は大学へ
ドラフト評価とスカウトの声
続いては、古城大翔さんがプロ野球のスカウトからどのように評価されているのか、具体的な声とともに見ていきます。
巨人がドラフト1位候補として熱視線
2026年8月10日付の報道では、巨人のドラフト1位候補として古城大翔さんの名前が急浮上していると伝えられています。背景には、メジャー移籍した元主砲・岡本和真さんが守っていた三塁・一塁のポジションに、明確な後継者が定まっていないという巨人内部の事情があるようです。日本人の生え抜きスラッガーの獲得・育成が急務とされる中、右の大砲である古城大翔さんへの期待が高まっているというわけです。
複数球団のスカウトが守備力を高く評価
ある球団のスカウトは、古城大翔さんについて「ポジションは三塁か一塁。送球は正確で強肩なのがいい。ハンドリングは柔らかいし、フットワークも軽い。守備は父親譲りで、内野手としての評価も高い」とコメントしています。豪快な打撃だけでなく、堅実な守備力も兼ね備えている点が、複数球団から注目を集める理由の一つになっているようです。
「12人の1位候補」に名を連ねる存在に
ある巨人OBは、古城大翔さんについて「上位候補という枠から、外れも含めた12人の1位候補の仲間入りを果たしそうだ」と評価しています。右打者のスラッガーは日本球界全体で希少とされており、その希少性の高さも評価を押し上げている要因のようです。ただし、古城大翔さんは大学進学の意向を明らかにしているため、2026年のドラフト会議での指名対象からは外れる見通しであり、こうしたスカウトの評価は数年後のドラフトに向けたものとして受け止められそうです。
先輩・佐々木麟太郎さんとの比較で語られる評価
花巻東の先輩にあたる佐々木麟太郎さん(現マーリンズ)は打撃優先型の選手として知られていましたが、体格の似た古城大翔さんについて、あるスカウトは「麟太郎とは違って内野の守備もうまい」と証言しています。体が大きく長打力のある選手は守備面を不安視されがちですが、古城大翔さんはその先入観を覆す評価を受けているという点で、他の大型スラッガーとは一線を画す存在だと言えそうです。
| 評価者 | コメントの要旨 |
|---|---|
| 某プロ球団スカウト | 送球正確・強肩、ハンドリング柔らかい、守備は父親譲り |
| 巨人OB | 12人の1位候補の仲間入りを果たしそうと評価 |
| 某スカウト | 佐々木麟太郎さんと違い内野の守備もうまい |
参照:日刊ゲンダイDIGITAL 巨人ドラ1候補に花巻東・古城大翔が急浮上!
性格と主将としての成長
最後に、古城大翔さんがどのような性格の持ち主で、主将という立場を経験する中でどのように変化してきたのかを見ていきます。
佐々木洋監督が語る「謙虚」な人柄
花巻東の佐々木洋監督は、古城大翔さんについて謙虚で、野球に取り組む姿勢がいい選手だと評価しています。豪快なフルスイングと180cm・94kgという恵まれた体格から、強気にチームを引っ張るタイプに見られがちですが、実際に語られる人物像は物腰の柔らかいものだと言われています。
勝っても負けても涙がこぼれる生真面目な一面
朝日新聞の報道では、古城大翔さんは勝っても負けても涙がこぼれるほど生真面目な性格だと紹介されています。その生真面目さゆえに、大舞台では思い切ったスイングが控えめになってしまう時期もあったようですが、2025年秋の明治神宮大会でその殻を破る一打を放ち、本人も「全国の舞台で1本出たことに、自分の成長を感じます」と語っています。感情の起伏を隠さず、真っすぐに野球と向き合う姿勢が、古城大翔さんらしさの一つと言えそうです。
「自分が決める」だけではない4番へ
2025年秋、最上級生になって初めて主将に就任した古城大翔さんですが、それまでは4番として自分が結果を出すことへの責任を強く感じすぎていたと報じられています。怪我でチームを外から見る時間を経験したことで、自分一人で決めるだけでなく、後ろの打者へつなぐ意識も強くなったと伝えられています。
父譲りの人柄も評価の一因に
佐々木監督は、父・古城茂幸さんについても大学時代から「やさしく、みんなに愛される」人物だったと振り返っており、古城大翔さんにも性格面で似ている部分があると語っています。プレースタイルは正反対でも、人との接し方や野球への向き合い方には、父から受け継がれた部分が確かにあるのかもしれません。最後の夏、涙をこらえながらも仲間への感謝を口にした姿は、まさにその人柄の表れだったと言えるでしょう。
参照:朝日新聞 父は元プロの花巻東・古城大翔 殻を破った一発、4季連続の甲子園へ
古城大翔はなぜ花巻東を選んだのかのまとめ
- 花巻東進学は大谷翔平への憧れという本人の意志と父の人脈という偶然が重なって実現した
- 父・古城茂幸は日本ハムと巨人でプレーした元プロ野球選手であり野球エリート家庭で育った
- 神奈川時代から都筑中央ボーイズで全国大会ベスト16の実力を示しており進学はコネだけでなく実力が伴っていた
- 1年生の春からベンチ入りし夏には4番で甲子園デビューするなど異例の早さで主力に定着した
- 2024年夏から2026年夏まで5季連続で甲子園に出場し東北勢初の記録を打ち立てた
- 5季すべてで4番を務めた実績は清原和博以来41年ぶりという歴史的な快挙だ
- 高校通算34本塁打を誇る長距離砲でありながら送球やハンドリングなど守備面の評価も高く父譲りの器用さがうかがえる
- 最終学年の2026年4月に右足を骨折し約2か月間実戦を離れる大きな試練を経験した
- 復帰後も甲子園初戦前日に同じ箇所を再骨折しながら公表せず4試合を戦い抜いた
- 骨折を抱えた状態でも複数安打を記録するなど精神力と技術の高さを証明した
- 準々決勝で横浜に敗れ13年ぶりの4強進出はならず涙ながらに仲間への思いを口にした
- 甲子園直後は進路について明言を避けたが数日後に大学進学の意向が判明した
- プロ入りを急がず大学経由での成長を選ぶ姿勢からは長期的な視点でのキャリア設計がうかがえる
- 巨人がドラフト1位候補として名前を挙げるなどプロ野球界からの評価はすでに高まっている
- 佐々木洋監督からは謙虚で生真面目な人柄と評され主将としても仲間へつなぐ意識を高めていった
