【生まれてこなきゃよかった】冨永愛の生い立ちが壮絶!スーパーモデルの原点がやばい!

圧倒的な存在感を放つスーパーモデル富永愛。日本とパリを拠点に、未だランウェイでその堂々としたウォーキングを披露しています。

そんな彼女がモデルとして活動し始めたのは17歳であり、翌年の18歳にはパリコレに出場しています。

一見順風に見える冨永愛さんの人生には、想像を絶する苦労があったのをご存知でしょうか。

今回はそんな冨永愛さんの生い立ちについて紹介していきます。

冨永愛の生い立ちについて

冨永愛さんがモデルとして活動し始めたのは17歳のころ。単身ニューヨークへ渡米。

外国人のモデルと並んでも全く見劣りしない抜群のプロポーション、アジア人らしいエキゾチックな顔立ちで瞬く間にトップモデルへと上りつめ数々の有名なショーに出演しました。

当時について冨永愛さんはこのように語っています。


出典:https://forbesjapan.com/

一見順風に見える冨永愛さんの想像を絶する苦労についてここからは見ていきましょう。

 

幼少期は貧乏!ネグレクトな母親


出典:https://www.mercari.com/jp/

富永愛さんの初の自叙伝『Ai 愛なんて大っ嫌い』「殺○てやる」・・・。衝撃的な言葉が本のカバーを飾っていました。

富永愛さんの母親は、結婚・離婚を繰り返しており、家は常に貧困に悩まされていました。

冨永愛さんは3人姉妹ですが、父親は全員違う。また、家には常に知らない男性が入れ替わり出入りしているという異常な家庭でした。

これだけでも十分驚きなのですが、さらに、富永愛さんの母親はネグレクト、いわゆる育児放棄を子供にするひどい母親だったようです。

学校でいじめにあっていると娘が相談しても知らんぷり。

母親を呼んでも無視。

そもそも家にはほとんどいなく、たまに帰って来るときは酔っていたそうです。

そんな母親に対して絶望を抱き、幼い彼女はどんどん追い詰められていきました。

相談できる人もいないので無理もないでしょう。

そして母親を憎しみながらも、母親に従うしか生きる術のない幼い冨永愛さん。

どんどん孤独感を深めていき、、「本当のわたし”は、誰にも見せない、誰にも知らせられない、と思うようになった」と自叙伝で綴っています。

ネグレクトされた子供は他人とコミュニケーションを取ることが苦手です。

必然的に引っ込み思案で無口であることが多い。

故に冨永愛のように1人を好みます。


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また、親に無視されることで自分はいらない人間で価値がないと無意識に感じていて、自分に自信を持つことが出来ず、他人との距離感がわからなかったそうです。

ネグレクトされた子供は成長し学校や社会に出ても、他者とのコミュニケーションに苦労することも。

また、世間で言われている負の連鎖のように自分が家庭を持った時、悪意は無くても無意識に育児放棄をしてしまう可能性もあると言われます。

後に詳しく触れますが、冨永愛さんも多忙により育児がおろそかになり、子供から「ぼく、生まれてこなきゃ、よかった」と自分が味わった経験を子供に味合わせてしまいます。

これは仕事が多忙なためであり、これを機に休業し子育てに専念していましたが、ネグレクトされたことが影響しているかもしれません。

 

高身長ゆえに小学校から高校までイジメられ地獄の毎日を過ごす!自○未遂を図ったことも

小学生のころから壮絶なイジメを経験している冨永愛さん。


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子供の頃から背が高かった冨永愛さんは中学2年生の時に既に175cmの身長がありました。

そのため、中学時代のあだ名が宇宙人。


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モデルとしては圧倒的に有利なこの特長は、冨永愛さんにとってはコンプレックスになりました。

だから身長が伸びないように14歳からタバコを吸い始めた。

靴の中に画鋲を入れられたこともあったとのこと。

母親にも甘えられず、学校でも辛いイジメにあっていた彼女はついに中学生の時に自○未遂を図ってしまいます。

裸でバスタブに入り、手首を切ろうとするのだが、死への恐怖から思いとどまります。

と同時に、冨永愛は「みんな、みんな、ぶっ殺○てやる!」と決意した。

自叙伝では、裸の男たちに縛り上げられるという、レ○プを連想させるような悪夢を回想するシーンがある。

冨永愛さんの精神はもはや崩壊寸前でした。

そんなイジメは高校生になってもやむことはなかった。

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同性からの虐めにもあったそうです。

そんな冨永愛さんを見て、お姉さんが「プチセブン」の専属モデルに応募し見事に合格。

後に世界的なモデルとして活躍する富永愛さんだが、そのきっかけを作ってくれたのはお姉さんということになります。

ここから流れが良い方向に変わりそうですが、現実は甘くありません。

モデルとして働いたことで、周りからモデル事務所の社長と寝ているといった噂まで流されてしまいます。

ちなみに中学生の時の自○未遂ですが、これはネグレクトされる子供によくみられる特徴の1つ。

ネグレクトされた子供は、親にコミュニケーションをとることを拒否され続ける事で次第に自分は必要とされていない、自分には価値がないと思い込みます。

そして、価値の無い自分を傷つけることに躊躇しなくなります。

攻撃性が外部に向く事もありますが、富永愛さんのように自分を傷つけてしまう子どももいます。

また富永愛さんは高校時代、学校をしょっちゅうサボったり、夜遊びするなどかなり荒れた生活をしていますが、これもネグレクトされた子供の特徴の1つにあたる。

ネグレクトされている子供は、自宅で過ごさずに外に居ることが多いと言われています。

他の子供が帰宅しても一人で遊んでいることが多く、コンビニ前で座り込んでいたりして自宅に帰りたがりません。

普通の親であれば、防犯上の理由もあり、帰宅時間について日頃から子供に注意をしますが、ネグレクトしている親は子供に関心がないため、帰宅時間を気に掛ける人はいません。


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また、家に居れば暴力を振るわれたりするケースもあるので帰宅するのを躊躇するというわけです。

 

復讐心と貧しさからの脱却のためモデルとして世界へ→17歳で「VOGUE」に写真が掲載


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「殺してやる。絶対ぶっ殺○てやる。」

凄まじい復讐心と怒りを胸に一念発起し、モデルの世界へと足を踏み入れた冨永愛さん。

みんなを見返してやるという気持ち一つで、単身ニューヨークへ飛び立ち、ニューヨークコレクションで13のショーの出演が決まります。

17歳のときに海外のファッション関係の目に留まったとても有名な写真があります。

制服姿でルーズソックスの冨永愛さん。この写真をきっかけに、彼女は世界を駆け巡ることになります。

その後の彼女は勢いが止まることを知らず、三大コレクションにアジア人として唯一出演しました。

世界の一流ブランドのモデルを務めることとなります。

一気にスターダムに上り詰めたように見える富永愛さんですが、苦労も味わっており、既製品が合わず仕事に呼ばれない日々を過ごすこともあったそうです。

また、コレクションモデルとして活躍するようになってからも「アジア人だから」といった差別も経験しています。

しかし、そんな差別にも一切屈することはなくモデルとして活躍し続ける富永愛。


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モデルとしてだけでなく、日本の芸能界でも注目を浴びるようになりました。

そして、彼女は22歳の時に「普通の家庭で育った男性」と恋に落ち、子供を授かります。その4年後に離婚してしまいますが、子供の存在が彼女にとって人生のとても大きなもう一つの転機となったのです。

憎しみに明け暮れていた10代後半。母親、自分をイジメてきた者たちへの復讐心なくなっていたのです。

子供に対する愛によって、富永愛の心は浄化されていきました。

 

冨永愛の生い立ちは子育てにも影響!息子から「ぼく、生まれてこなきゃよかった」と言われる


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富永愛は23歳のときに息子を出産しています。なんと半年後にはランウェイに復帰を果たすのです。

子供の面倒をみながら、世界中を飛び回るモデル業に加え、日本でのテレビ出演の機会も増えていき、記憶が飛ぶほどの多忙を極めました。

離婚後にはシングルマザーとして息子を育てなくてはという想いから仕事にまい進した冨永愛さん。しかし、そんなとき息子から衝撃な一言が飛び出ます。

「ぼく、生まれてこなきゃよかった。」

親子で過ごす時間が極端に減っていた富永親子。息子の心が壊れてしまう寸前だったのです。

 

育児に専念するため3年休業へ


出典:https://thetv.jp/

息子のこの一言をきっかけに冨永愛さんは休業を決意します。二人で旅行に行ったり、小学校のPTAを務めたりもしたようです。

富永愛さんが休業を決断したのは、自身が母親にネグレクトされた過去が関係しているのかもしれません。

上でも説明しましたが、ネグレクトされた子供は無意識に育児放棄をしてしまう可能性があります。

そもそも育児放棄は「積極的育児放棄」と「消極的育児放棄」の2種類があります。

「積極的育児放棄」は自分が意図的に育児放棄をしている状況。

子供が言うことを聞かないから育児へのモチベーションがなくなったり、あるいは思うようにいかないので育児が面倒になったりすのが例にあたります。

対して「消極的育児放棄」は育児そのものは行いたいと思っているものの、自分自身に起因することで思うように育児ができず、結果的に育児放棄となってしまっている状態。

本当はしっかりと育児をしたいと思っているものの、経済的な理由から子供にお金をかけられなかったり、冨永愛さんのように仕事が多忙で結果的に育児放棄になってしまうパターン。

富永愛さんはおそらく自身が母親にネグレクトされた影響から、無意識に「消極的育児放棄」を行っていた可能性があります。

少し考えればわかると思いますが、自身が親から相手にされていないので、子供に対してどのように接すればいいかわかりません。

また子供の気持ちも当然わからないのです。

本来、親との関わりで気持ちを理解したり、相手が何を感じているのか、どう思うのかを知るのですが、そういった経験もないためです。

ただ冨永愛さんは息子の発言から自身が「消極的育児放棄」をしていることに気付けました。

おそらくこのままでは、自身が幼い頃に経験したことや気持ちを息子にも味わわせてしまうと思ったでしょう。

そしてそれは避けなければならない。そう思い休業したのでしょう。

そして子供が分別がつく年頃、中学生になった時に3年間の休業から仕事へ復帰し再びモデルの世界へ戻りました。

休業したおかげで現在も息子とは仲が良さそうだ。

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冨永愛の生い立ちに関する世間の声

冨永愛さんの生い立ちに関して世間の人はどう思ったのでしょう。


出典:https://twitter.com/


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壮絶な生い立ちを克服してきた冨永愛さんをかっこいいと思う人が多いようです。

容姿のせいでここまで酷い経験をされたとは思っても見ませんでしたね。

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