独特の透明感で存在感を放つ本上まなみさん。
その活動は女優に留まらず、ナレーターや声優といった「声」で魅せる仕事も多い彼女ですが、夫との関係が”やばい”という噂があります。
今回は、本上まなみさんの夫・沢田康彦さんについて調べてみましょう。
目次
本上まなみの結婚相手の夫の沢田康彦について
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本上まなみさんの夫は沢田康彦さんという編集やエッセイスト、映画評論家、映画プロデューサーを生業とするフリーランスの男性です。
また、『メール短歌の会「猫又」』という会を主宰しており、活動は多彩にして多忙。
沢田康彦さんは、1957年生まれの66歳(2023年現在)で、1975年生まれで48歳の本上まなみさんより18歳年上になります。
滋賀県に生まれた沢田康彦さんは、上智大学文学部フランス文学科への進学を機に上京し、卒業後はいくつかの編集経験を経て「BRUTUS」や「暮しの手帖」など有名誌の編集や編集長も経験しているやり手としても知られていますね。
そんな沢田康彦さんですが、”18歳も年齢差のある女優を射止めた馴れ初め”はどのようなものなのでしょうか?
本上まなみと夫・沢田康彦の馴れ初めは『メール短歌の会「猫又」』!
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沢田康彦さんと本上まなみさんが出会ったのは、沢田康彦さんが主宰する『メール短歌の会「猫又」』でした。
編集者として”言葉”を生業とする沢田康彦さんの表現や思考に本上まなみさんが惹かれたのでしょうか、二人は意気投合し2年半の交際を経て結婚します。
もともとは、本上まなみさんが同会に「鶯(うぐいす)まなみ」というペンネームで投稿していたそうで、沢田康彦さんが編集者として「鶯まなみ」さんの感性も惚れ込んだのかもしれませんし、本上まなみさんが、沢田康彦さんの編集者としての懐の深さに包まれたのかもしれません。
個人的には、沢田康彦さんが「BRUTUS」や「暮しの手帖」の編集も手掛けているということで、一般的な男性よりは物事への見識や洞察、造詣も深く、本上まなみさんにとっては”ひと味違う男性”だったのかもしれません。
いずれにしても、一回り以上もの年齢差があり、共通の話題も乏しいと思われる二人の間に”強く惹き合う「何か」があり電気が走った”のは事実でしょう。
そのような”痺れる出会い”を経験してみたいものですね。
本上まなみは夫・沢田康彦を前妻から奪って略奪婚!?
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そんな”痺れる出会い”の沢田康彦さんと本上まなみさんですが、「略奪婚」ではないかと言われています。
実は、沢田康彦さんは、本上まなみさんとの結婚の直前に前妻である小説家の蒔岡(まきおか)雪子さんと離婚していました。
ここでお気づきの通り、沢田康彦さんは蒔岡雪子さんと婚姻関係を解消する2002年以前から本上まなみさんと交際していたのですね。
交際期間は”2年半”とのことでしたので、この期間は不倫であったと推測できます。
形の上では「略奪婚」とも言えますが、沢田康彦さんと蒔岡雪子さんとの関係が既に崩壊し、形だけの夫婦関係だった可能性も大きいと思われるので、一概に「略奪婚」であると言い切ってしまうことは難しいように思われますね。
沢田康彦さんの離婚と同じ年の2002年、週刊誌に「本上まなみ、クリスマスイブに入籍か」という記事が掲載される情報を得た二人は、兼ねてから「そろそろ結婚かな」と話していたこともあり、週刊誌の記事よりも先に入籍してしまえ、ということで電撃入籍となったそうです。
この入籍までの経緯は、本上まなみさんが「ダウンタウンなう」に出演したときに、”笑い”を交えて紹介していたため、「泥沼の略奪愛」ではないように感じられますね。
とはいえ、”離婚成立の前から交際=不倫”をしていたことや”離婚成立直後の入籍”ということで、それなりの精神的な負荷や負い目はあったのではないでしょうか。
本上まなみは夫・沢田康彦と赤坂プリンスホテルの旧館で結婚式を挙げた瞬間らくになった!
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沢田康彦さんと本上まなみさんは、2002年に、赤坂プリンスホテルの旧館で結婚式をあげ、はれて夫婦となりました。
写真でもご紹介していますが、クラシカルで落ち着いた結婚式場は、大人の二人にはさぞフィットしただろうと思っていましたが、本上まなみさんに結婚式の感想は以外なものでした。
本上まなみさんは、沢田康彦さんとの結婚式を挙げた瞬間に「らくになった」というのです。
本上まなみさんは、高校生くらいの年齢から大手ガス会社の広告モデルを担当するなど、若くして仕事をはじめていたためか、本来、学生が享受するような”ある程度守られた環境”や”社会に出るまでのモラトリアム期間”がほぼないまま社会人になったような側面がありますね。
それに加えて、生家では長女という立場で家族のための炊事なども担っていたため、甘えたり頼ったりすることもなく、逆に”頼られる立場”として気を張って生きてきたのでしょう。
そういった環境下で、早く大人にならなければならなかった本上まなみさんは、「自らの所属が安定しない感じ」や「根城が定まらないという気持ち」があったそうなのです。
しかし、結婚したことで「帰るべき場所、落ち着ける場所、頼るべき人」が見つかったのではないでしょうか。
「らくになった」という言葉がこのような理由でよかったな、と個人的には思います。
”不倫”や”略奪愛”という関係性や噂が、本上まなみさんの足枷や重荷になっていて、精神的に追い詰められていたが、結婚したことでようやく世間に顔向けできるようになった、という意味だったとしたら、聞いていて心が痛みますよね。
これは、あくまで公のメディアでのインタビューなので本当のところはわかりませんが、表向きであっても前向きな側面があるのなら、”一人の人間の人生”としては救われるというものです。
本上まなみと夫・沢田康彦は結婚当初から現在まで老夫婦のように仲良しで共著も!別居しているのは子供のため!
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二人が”18歳の年の差婚”であることは先にも紹介した通りですが、本上まなみさん曰く「年齢的なことはまったく感じたことがない」のだそうです。
仕事の関係や長女という立場から”早く大人にならなくてはいけなかった”本上まなみさんは、一般的な同世代の人間より大人だったのでしょう。
その点を本人は、「内面がすごく老けている、一歳歳をとるごとに”真のおばちゃん”になっていった」と分析していました。
精神年齢が高い本上まなみさんには、本当に年齢が上の沢田康彦さんが”ちょうどよかった”ということなのですね。
そのような相手と結婚し、2023年で20年以上も夫婦という関係を保っている二人ですが、本上さん曰く「単なる老夫婦」なのだそうです。
2023年現在で16歳の娘と10歳の息子がいるという二人は、我が子を見ながら「若いっていいなぁ。肌がピチピチしているなぁ」と感じているそうですよ。
また、「孫の面倒を見ているかのよう」とも本上まなみさんは語っていますが、これはこれで”あり”だと筆者は思います。
育児に追われ、慌ただしく過ごす家庭では、どれだけ親子仲が良くても関係性は”親子”です。
ときには感情的にぶつかり合ったり、ケンカしたりと、激しい瞬間も多々あるでしょう。
しかし、「老夫婦」や「孫の面倒を」という部分からは、ある種の”穏やかさや安定感”を感じませんか?
このことからは、沢田家は、穏やかで激しさや高ぶりの少ない落ち着いた家庭環境、と捉えることもできる訳ですが、そうなのだとしたら家族全員にとって安らげる場所なのかもしれません。
ときにイライラすることもある本上まなみさんですが、子供たちが学校に行ったあとは、夫婦でお茶を飲みながら「あー今日も疲れたねぇ」と言い合っているといいますから、仲のいい老夫婦のようですね。
いい関係性を築いている二人は、「一泊なのにこの荷物!」というエッセイ集を”共著”という形で出版しています。
タイトルからも伝わってくる”二人の穏やかさや呑気さ”、なんとも言えず素敵ですね。
画像出典元:文春オンライン
しかし、そんな仲のいい二人は”実は別居していた”そうですが、何か”やばいこと”があったのでしょうか。
第二子である息子さんが生まれてから、二人は「子供たちを自然の中で育てたい」という想いが強くなっていったそうです。
そうして、京都という土地を選び、家族で移り住んだのですが、沢田康彦さんが人気誌「暮しの手帖」の編集長に就任してからは、東京での仕事も多くなってしまい、単身赴任という形を取っていたというのが真相でした。
子供たちの生活環境を優先した結果、沢田康彦さんは、京都という土地に家族を残し”東京という戦場に身を投じた”という訳です。
なるほど、”深い部分で仲のいい家族”ならではの英断だったのですね。
そのような選択ができるのは、夫婦二人がお互いを信頼しているからこそ、ではないかと思います。
”幸せの形”は人それぞれですし、然るべき理由がある訳ですから、このような形も悪くないのではないでしょうか。
今回は、本上まなみさんと夫である沢田康彦さんの関係についてご紹介しました。
これからも、本上まなみさんと沢田康彦さんに注目していきましょう。